『夏だから』そんな理由にならない理由で水銀燈の家へ…
とは言っても、彼女はアパートで一人暮らしをしていて、仕送りで生活をしている。
とにかく、そんな水銀燈の家の窓に下がった風鈴を、翠星石はゲッソリと眺めていた。
外から吹き込んでくる生ぬるい風が、チリンと風鈴を鳴らす。全然『涼』を感じない。
真紅はすっかりぬるくなったアイスティーの缶を、それでも手放さない。
蒼星石はうちわで自分と…時々、翠星石にも風を送っている。
あまりに近くて熱い、太陽のコンチクショウ。
それを前に、彼女達は…完全にバテていた。
ただ一人。
水銀燈を除いて。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ~ この町大好き! ☆ 増刊号10 ☆ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「確かに、今日の暑さは格別ねぇ…… 」
鳴き始めた蝉の声に耳を傾けながら、水銀燈は呟く。
その顔には、少し汗が浮かんではいるものの…どこか、夏の到来を喜んでいるようにも見えた。
「……暑いですぅ……く…クーラーを……… 」
そう呻き、翠星石はリモコンに手を伸ばし ―――
「まだ、早いわぁ。それに、クーラーって電気代高いのよぉ? 」
家主である水銀燈の言葉に撃墜された。
「随分、所帯じみた発言ね… 」
真紅が小さく呟く。
「……何よぉ……エコロジー、って言いなさいよぉ… 」
図星だったのか、水銀燈は拗ねたようにそっぽを向いて呟き返す。
実際、水銀燈は、所帯じみた理由でクーラーをあまり使わず…
お陰で、夏の暑さにはかなり慣れていた。
だが…
そんな事情を知らない部員たちの脳裏には、一つの疑問が小さな確信を伴い、過ぎった。
『ひょっとして…その服の下には、何か風通しの良くなる秘密でもあるのでは…? 』
全員の視線が(本能的に)水銀燈のお腹に集まる。
きっと、風通しが良い理由が有るとするなら…ここだ、と。
周囲から、自分のお腹に向けられる視線に気が付いた水銀燈は…
何となく…理由は分からないけれど、ムカついた。
理由が分からないという事は、きっと本能なんだろう。
本能の導くまま拳を固めた水銀燈は、ゆらりと闘気を漂わせながら、ゆっくり立ち上がる……
◇ ◇ ◇
数分後……
まるで『派手な乱闘』が起こったみたいに荒れ果てた部屋を、
『派手な乱闘』をしたばかりのような格好で、彼女たちは仲良く掃除していた。
ここで一体、何が起こったのか…それは、本人たちしか知らない……
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「………最悪… 」
ドンヨリとした表情で水銀燈が呟く。
せっかく皆が来るからと掃除だってしたのに、その結果がコレ。
友達間違えたかな?と思う。
そんな水銀燈を見て、「正直すまんかった」と翠星石たちは心の中で言ったとか言わなかったとか……
でも、やってしまった事は仕方が無い。
問題は、それからどうするか。
「とりあえず……どうしようか…? 」
翠星石と真紅に視線を向ける蒼星石。
「皆で美味しいご飯でも作ってやるのはどうですかね? 」
懲りてないのか、相変わらずの調子で提案する翠星石。
「なるほど、食べ物で釣ろうという作戦ね。名案だと思うわ 」
言いにくい事をズバッと言う真紅。
「…という訳で、それで良いかしら、水銀燈 」
真紅は振り返って、部屋の隅で拗ねている水銀燈に尋ねた。
「……好きにしなさいよぉ… 」
水銀燈は水銀燈で、完全にへそを曲げて、ぷいっと顔を逸らせる。
とりあえず、事は決まった。
翠星石たちは早速、ご飯を作る材料を……
「っと!水銀燈は休んでるが良いですぅ!ここは泥舟に乗ったつもりで、安心して待ってやがれですぅ!! 」
食材を買いに、水銀燈以外の3人で出かける事に。
誰も『泥舟』発言には触れなかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「それにしても、この3人だと何か足りない感じですぅ 」
先頭をテクテク歩きながら、翠星石が言う。
「確かに、いっつも4人一緒だしね 」
「そうね…。あの蒸し暑い部屋で一人待ってる水銀燈の為にも、早く買い物を済ませてしまうのだわ 」
そんな会話をしながら、炎天下を3人はテクテク歩く。
蝉がミンミンと鳴く声が、精神面から暑さを助長させる…。
◇ ◇ ◇
その頃、水銀燈は…!
「……私は、我慢できるわよぉ…でもぉ…ほら…あの子達は暑さに弱いし…… 」
一人でブツブツ言いながら、リモコンを握り締めていた。そして…―――
『ピッ!』
クーラーをつけた。
「やっぱり、皆が来る日は…これ位、問題無いわよねぇ…? 」
節電の誓いは無かった事にして、クーラーの前に陣取る。
「あぁ……涼しいわぁ…… 」
冷風を浴びながら、気持ちよさげに目を細めていた。
◇ ◇ ◇
ゆらゆらと熱さで歪むアスファルトを眺めながら、翠星石達は呆然としていた。
目の前には、バスの時刻表。
「…30分位…待たないといけないみたいだね…… 」
「……これでは歩いた方が早そうね… 」
「………はいですぅ…… 」
ギラギラと眩しい太陽を避けるように、日陰を選んで翠星石達は歩き出す……
◇ ◇ ◇
その頃、水銀燈は…!
いつぞや入手したくんくん人形を抱きながら、床をゴロゴロしていた。
◇ ◇ ◇
「水銀燈が居ないと調子が狂うですね。こんな時の為に…実はこっそり練習してたですよ。
おまえら、ちょっと見てるですぅ! 」
そう言い翠星石は、クネクネ歩いて…チラッと振り返り、変な猫なで声を上げた。
「ニューサンキン摂ってるぅですかぁ? 」
「……す…翠星石…? 」
「…とうとう暑さで脳がやられてしまったのね… 」
正体不明、謎の行動を突然見せ付けられた蒼星石と真紅は、顔を引き攣らせながら呟いた。
「なっ…!失礼な!水銀燈のモノマネですよ!見て分からんですか!! 」
翠星石は再び、クネクネ歩きながら「ニューサンキン摂ってるぅ?」を繰り返す。
「……全然似てないよ 」
「第一、水銀燈はそんな気持ちの悪い動きはしないのだわ 」
「むきー!言いたい放題言いやがってですぅ! 」
そんな風にジタバタと暴れだした翠星石をたしなめながら、真紅は心強い笑顔を浮かべた。
「良い事、翠星石。…この私が見本を見せてあげるわ 」
そう言うと、真紅はスタスタと二人の前を歩き…ピタリと立ち止まると、ゆっくり振り返った。
「乳酸菌とぉるのだわぁ? 」
「これっぽっちも似てないですぅ… 」
「完全に原型を留めてないね… 」
「………そ…そう…… 」
小さく呟いた真紅の目には、太陽の光が眩しく…そっと、目元を隠した。
◇ ◇ ◇
その頃、水銀燈は…!
「へくしょん!…うぅ…少し冷えすぎたわねぇ… 」
クーラーのリモコンを操作していた。
◇ ◇ ◇
酷熱のアスファルトを歩き続け、やっとの事でスーパーまで辿り着いた翠星石御一行。
棚に並んだ食材の選別をしている翠星石に、真紅が声をかけた。
「そう言えば、翠星石…あなた、料理は出来るの? 」
「当然ですぅ~! 」
さらりと答える翠星石。
翠星石は…休日などに、趣味でお菓子作りをしていて…
そのお陰で、大体の料理は作れる程の腕にまで到っていた。
それはさておき…
真紅はちょっと戸惑った表情で、今度は蒼星石に尋ねてみた。
帰って来た答えは「翠星石程じゃないけど、僕も得意だよ」という言葉。
きっと蒼星石の事だ…多大な謙遜が入っている事だろう…。
真紅は内心、焦った。
と、そんな真紅の気も知らず…蒼星石が逆に聞き返してきた!
「それで真紅。君はどうなんだい? 」
「ひぇえ!?ええ!も、もちろん、ととと得意なのだわ! 」
ちょっと声が裏返ったけど、大丈夫。今の私は最高に落ち着いている。
自分にそう言い聞かせながら、真紅は続ける。
「い、家でもお父様の為に色々…創ったりしてるわ! 」
「へえ、そうなんだ。何をよく作るんだい? 」
無邪気な笑顔で蒼星石は尋ねてくる。悪意が無いだけに、なおさら厄介だ。
「そそそそれは………………冷やっこ…? 」
【冷やっこの作り方】
1.トウフを皿に乗せる。
2.醤油をかける。
3.終了。
空調の効いたはずのスーパーの店内にも関わらず、真紅の顔からは汗が流れ出る。
流石の蒼星石も「まずい事きいちゃったなぁ」と思った。
その頃翠星石は、試食コーナーのおばちゃんの目を盗んで、試食品をパクパク食べていた。
◇ ◇ ◇
その頃、水銀燈は…!
「……退屈ねぇ… 」
ワイドショーを見ながらぼやいてた。
◇ ◇ ◇
両手に買い物袋を下げた蒼星石。
「料理は任せるから、これ位はしてあげるわ」と言って小さな袋を一つ持った真紅。
自分用のお菓子の袋を大事そうに抱えた翠星石が、スーパーの自動ドアから出てきた。
と…
『ブロロ…ブゥーーーン』
狙ってたとしか思えないタイミングで、目の前からバスが走り出した。
ああ、帰りも歩いて行くしかないかな。と蒼星石が考えた瞬間…!
「ほぁぁあー!!!待ちやがれですぅ!!このトンチキ!停まりやがれですぅ!! 」
奇声を上げながらバスの後ろを猛然と追いかける翠星石。
他人のフリをし始める真紅と蒼星石。
「てめーが翠星石を置いて行くなんざ10万年早いですぅ! 」
翠星石は叫びながら、バスの後ろを走り続ける。
「むきー!!聞こえてよーが聞こえてまいが、さっさと停まりやがれですぅ!! 」
バスと翠星石は、そのまま見えなくなるまで走り続けた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
水銀燈が完全に暇をもてあまし、意味も無く携帯を眺めたりしていると……
『ピーンポーン』
やっとこさ、翠星石達が帰って来たチャイムが聞こえた。
退屈で困っていたと悟られぬように、わざと時間をかけて玄関まで行く水銀燈。
「はいはぁい♪ 」
そう言いながら扉を開くと……
「た…ただいま…ですぅ… 」
そこにはぜーぜー肩で息をしながら、滝のように汗を流している翠星石の姿が!
「ちょっとぉ…どうしたのよぉ、その格好…。それに真紅達は? 」
水銀燈の質問に答える前に、翠星石はそのままトタトタと部屋に上がり…
クーラーの効いた部屋の真ん中で、コロンと横になった。
「ふぃ~…翠星石は一人で走って帰ってきたから、知らんですぅ…… 」
それだけを言い残すと、翠星石は疲れたのか、そのままスヤスヤとお昼寝タイムに突入した。
勝手に他人の部屋で昼寝を始めた翠星石。
その姿を眺めながら…水銀燈はため息をついた。
確かに、翠星石を始め、真紅も蒼星石も、妙な連中だけど…それでも…
この子達と一緒に居ると、退屈だけはしない。
ほんの少しだけ、それが素敵な事にも思えた。
水銀燈はちょっと思いついて、キッチンへと向かう。
ヤカンに火を入れ、普段はあまり飲まない紅茶の葉を取り出す。
この炎天下を歩いているあの子達に、部屋に来るなり熱々の紅茶を淹れてあげよう。
すまし顔で飲んでみせるだろうか?それとも、熱さに顔をしかめるだろうか?
それを想像してみるのも、また楽しかった。
そうこうしている内に、お湯が沸いた音と、チャイムの音が部屋の中に響き渡る。
水銀燈は、悪戯心の赴くままに笑顔を浮かべ、扉を開いた。