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「……もう、三年も経ったのか」
「ええ……そうね……」

降りしきる雨の中で、私はジュンの持つ傘の下で小さく答えた。

人間はいつか死ぬ。それは避けられない運命。
そうとは知っていたつもりだった。
それなのに……
早すぎる別れ。友人である蒼星石の突然の逝去から三年経った今も、私達は悲しみを拭いきれずに居た。

泣き止む事を忘れたかのように降り続ける雨の中、私は蒼星石のお墓を探して歩き続ける。
石畳を打つ音だけを聞きながら歩く私が思い出すのは、去年彼女のお墓を訪れた時の事。


きっと、翠星石自身、蒼星石との死別を認めたくなかったのだろう。
翠星石がお墓参りに来る事の無かった蒼星石のお墓は、雑草が茂り、苔に蝕まれていた。

ジュンはその光景に、翠星石の薄情さを咎めるような事を言っていた。

でも、私はそうは思わなかった。

人の心は、ささいな事でも深く傷つく。
翠星石は誰よりも蒼星石を愛していた。
彼女が心に負った傷は、現実と向き合うには深すぎたのだろう、と。
翠星石は、未だに蒼星石の死を認められずにいるのだろう、と。


過去の記憶を手繰り寄せながら、私は蒼星石のお墓を探して歩く。やがて……
「真紅、あれ……」
そう言ったジュンの指し示す先には、一つの墓標が静かに佇んでいた。


去年は荒れ果てていた彼女のお墓は、今年は綺麗に掃除されていた。

「……久しぶりね、蒼星石」
私はそう声をかけながら、蒼星石の墓標へと近づく。

「……この様子だと貴方のお姉さんは、悲しみを乗り越えてくれたようね」
小さく、囁くように呟く。

「翠星石は優しすぎるから、本当は繊細な人だから、って貴方はいつも言っていたわね……」
呟き、花を手向ける。

「これで貴方も……安心して……」
堪えなければと思っても、私の声には嗚咽が混じり始める。

蒼星石の死が悲しいのか。翠星石の成長が感じられたせいか。
その全てか。

気が付けば私は、雨に濡れるのも厭わず、蒼星石のお墓に泣きながらすがり付いていた。
彼女の墓標は、まるで生命そのもののように不安定で、儚いものに感じた。

時間にしたら、ほんの数分の事だろう。

「……風邪、ひくぞ」
ジュンが私にそう言いながら傘を差し出す。

私は涙を拭き、いつもの気丈な表情を作ってから立ち上がる。
「……みっともない所を見せてしまったわね。忘れて頂戴」

ジュンと、蒼星石の墓標にそう告げ、私はその場から立ち去る事にした。
 



そして、蒼星石のお墓参りの帰り。

「ジュン。貴方は先に一人で帰ってなさい」
私はそう言い、タクシーを捕まえる。

「……どこに行くんだよ」
「ちょっと用を思い出しただけよ」
「……そうか、わかった」

きっと、ジュンも気付いてはいるんだろう。それ以上の詮索は無い。
私は捕まえたタクシーで、彼女の所へと一人で向かった。


道中、ずっと何かが胸に引っかかる感触が離れなかったが……
「嫌な雨ね……」
天候のせいだろう、と自分に言い聞かせる事にした。


翠星石の家の呼び鈴を鳴らすと、彼女はすぐに出てきてくれた。

「いやー、真紅!久しぶりじゃねーですか!」

そう顔を出した翠星石は、私が知る限りではここ数年無い程の元気の良さだった。
蒼星石が急逝してからというもの、翠星石は太陽を失った植物のように衰え、痩せてしまったが……

「もう元気になったようね」
「そりゃあ翠星石の元気が無かったら、空から槍が降ってくるですぅ!」

楽しそうに笑う翠星石からは、陰鬱な雰囲気は微塵も感じられなかった。

「たまたま近くに来たのよ」
私は、あらかじめ心の中で準備していた小さな嘘をつく。

だが、翠星石は理由には興味が無いといった表情で、私を家の中まで迎え入れてくれた。

リビングまで通され、そこで私が見たのは、テーブルの上で湯気を上げる小さな二つのカップ。

「あら、お客さんが来ていたの?」
そう言う私に対し、翠星石は「いやいや、何でもないですぅ」とだけ答えた。

ひょっとしたら、彼女も自宅で蒼星石を悼んでいたのかもしれない。
咄嗟にそう思ったが……
私にとっては久しぶりに見た翠星石の笑顔。
それが曇るのを見るのはあまり嬉しくはないので、それ以上は踏み込まない事にした。

そのかわり。

「ふふふ。てっきり私は、素敵な男性とお茶でも飲んでいたのかと思ったわ」
友人として、他愛ないお喋りをする事にした。

「ななな何言ってるですか!すすす翠星石はそんなハレンチな事……」

顔を真っ赤にして慌てる彼女を見るのも、何年ぶりだろう。
ついついほころんでしまう表情のまま、私は彼女をたしなめる事にした。


テーブルに着き、新しく翠星石が淹れてくれた紅茶と、彼女が自分で焼いたというスコーンを囲む。

久しぶりの、笑顔で交わす友人同士の会話。
場合によっては翠星石を慰める事も考えていた私にとって、それは必要以上に楽しい時間でもあった。


「あの時は、真紅が作った目玉焼きが黒コゲになって大変だったですぅ!」
「でもそのお陰で、カラスが寄って来なくなったんじゃない。
 そう考えると、結果としては私が一番の活躍だったんじゃない?」


昔の思い出話に花を咲かせながら、既に何杯目かも覚えていない紅茶のおかわりを貰う。
翠星石も瓶から砂糖を何杯も入れて紅茶を飲む。

「でも今では、私も料理が出来るようになったのよ?」
「ほー、それは意外ですぅ。真紅は何を作ったりするんですか?」
「それは……その……冷やっことか…湯トウフよ」
「あはは!確かにそれなら、失敗しようが無いですぅ!」

笑い転げている翠星石を、私はちょっとだけ拗ねたフリをして見つめる。
翠星石は目の端の涙を拭きながら、「いやいや、大した成長っぷりですよ」と合いの手を入れてきた。
それから再び、翠星石はとても甘くなっているであろう紅茶を口元へと運ぶ。


私は紅茶にミルクを入れる事はあっても、砂糖を入れることはあまりない。
それでも、目の前でこうも美味しそうに砂糖を入れた紅茶を飲む翠星石を見ていると……
ちょっとだけ、甘い紅茶も悪くない気がしてきた。

私は特に意識せず、翠星石とお喋りをしながらテーブルの上に置かれた砂糖の瓶に手を伸ばす。
だが、私の手は瓶に触れる前に、翠星石に腕を捕まれて止まっていた。


「触るなですぅ!!」


今まで聞いたことも無い、翠星石の怒号と言っていいほどの叫びがリビングに響く。
私を睨みつけるその表情は……どこか、言いようの無い圧倒的な何かを感じさせる。

「ご…ごめんなさい……」
突然の事に気おされた私は、そういうと慌てて手を引っ込めてしまった。

「……お砂糖ですか?今持って来てやるですぅ」
翠星石はまるで仮面のように再び柔らかい表情を作ると、そう言いキッチンへと向かっていく。

その最中、私に背中を向けたまま……
翠星石は小さな、それでいてはっきりと聞こえる声で、言った。


「……最近、夢を見るですよ……―――― 」









 

翠星石の家からの帰り道。
タクシーの中で、私は静かに目を閉じながら今日一日を振り返っていた。

突然の剣幕には驚いてしまったけれど……それでも、翠星石が元気になってくれて良かった。
これならきっと、蒼星石も浮かばれるだろう。
それにしても、彼女は何故、あんなに怒ったのだろう。
あの瓶の中身は砂糖でないのなら、一体何だというのだろうか。

ほんの、他愛ない疑問。
明日になれば忘れてしまうような。

でも……その時私は、行きのタクシーで感じた不自然さを不意に思い出した。

嫌な、とても嫌な感じがする。

「……行き先を変えて頂戴」
私はタクシーの運転手にそう告げる。

嫌な予感がするけれど……このまま帰ってはいけない。そんな確信が、心のどこかに存在していた。




 



そうして私は今、再び蒼星石のお墓の前に居る。

傘を差し出してくれる相手が居ないので、服は雨に濡れている。

「……蒼星石……先に謝っておくわ。ごめんなさい」

そう、はっきりとした口調で告げてから、墓標に触れる。

生命そのもののような不安定感。
あの時は、そう感じた。
だが……それは心情的なものではなく、実際に彼女の墓標は不安定になっていた。

まるで誰かが動かし、体裁だけ整えてから去ったかのように。

私はほんの少し力を込め、墓標を押す。
するとそれは、崩れかけの砂の土台にでも建てられていたかのように、実にあっけなく倒れた。


心臓が痛いくらいに、激しく脈打つ。
雨が滴る髪が、顔に張り付く。


私が覗き込んだ蒼星石の墓穴には……何も無かった。

遺品も、遺骨も、遺灰も。


 

まるで何か悪い夢のように、翠星石の言葉が思い出される。


『最近、夢を見るですよ。
 夢の中で蒼星石が、「離れていても、傍に居るよ」って言ってくれるですぅ』


そう言った時の翠星石は、私に背中を向けていた。
だけれど、ひょっとしたら、彼女はあの時、笑っていたのではないだろうか。
彼女は既に、静かな狂気の世界に足を踏み入れていたのではないだろうか。
砂糖ではない『何か』を飲みながら、彼女は『誰か』を感じていたのだはないだろうか。


全ては、予想でしかない。

証拠といえそうなものは、何も残されていない蒼星石のお墓だけ。


それでも私は……
決して雨のせいではなく、体の芯が凍りつきそうな感覚に震えていた。




 
 

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最終更新:2009年05月05日 22:00