ちょっと性格はキツイけど、そんなの気にならない位に可愛くって素敵な女の子が居たとしよう。
その女の子は紅茶が大好きで、昼休みになる度、僕に紅茶のパック飲料を買ってくるように言ってくるとしよう。
そして今。
その女の子は昼食も終り、五時間目の授業の用意を取りに席から離れていた。
僕の目の前には、彼女の―― 真紅の飲みかけの紅茶。そのストロー。
………
さあ、盛り上がってまいりました。
いやいや、冷静に判断をしよう。
今、僕が居るのは教室のど真ん中。当然、周囲にはクラスメイトが多数居る。
流石にこれは……誰かに見られたりしないかしらん?という恐怖がつきまとう。
僕は周囲の様子をチラリと横目で窺ってみる事にした。
楽しそうにお喋りしてる女子。馬鹿騒ぎしている男子。なにやら独自の世界観を繰り広げている一団。
どうやら、誰も僕には注意を向けてないようだ。
僕は内心ほくそ笑みながら、真紅の使ったストローを見つめた。
彼女が席を立ってから、既に30秒は経過している。
きっと、戻ってくるのにはあと1分もかからないだろう。
1分。いや、ここは安全策をとって、30秒。
となると2口。頑張っても3口が限界だろう。
そう判断すると、僕は自然な動作で……
あたかも、その飲み物は自分の物だといわんばかりの表情で真紅のストローに手を伸ばした。
「いただきます」
小さく呟きながら、真紅の使ったストローを自分の口元に近づける。
心臓はルンバでも踊ってるみたいに騒いでるけど、そんな事は表情には出さない。
実に退屈しきった生徒、といった表情をして、つまらなさそうにクラスメイトを見渡しながらストローを……
だけど、真紅(のストロー)が僕の唇に触れる直前。
僕はとんでもないものを見てしまった。
それは……こちらを見ながら、ニヤニヤと嫌な笑みを浮べている水銀燈の姿。
バッチリ見られている。
しかも彼女の表情から察するに、僕のしようとした事なんてお見通しなのだろう。
見られた。
その恐怖に、僕の額からは珠のような汗が噴き出す。
終わった……何もかも、終わった……
視界が暗くなり、目からは涙が溢れそうになる。ゲロを吐く一歩手前だ。
そんな絶望しきっている僕を見て、水銀燈はさも楽しそうな笑みを浮かべて立ち上がる。
そして一歩、また一歩と僕に近づき……そのまま通り過ぎた。
「え?」
予想外の出来事に、僕は素っ頓狂な声を思わず上げてしまった。
だって、完全に水銀燈にからかわれるか、強請られるかの二択だと思っていたから。
そして僕の予想外はこれだけに留まらなかった。
「ねぇ真紅ぅ。ちょっと聞きたい事があるんだけど……」
廊下から聞こえてきた声。それが意味するのは、つまり……
水銀燈は僕の為(?)に時間を稼いでくれているという事に他ならない。
何故、そんな事をしてくれてるのかは分からない。
それでも僕は……自分が今、間違いなく追い風に乗っているという事を自覚し始めた。
水銀燈はどれくらい真紅が戻ってくるのを引き伸ばせるのだろう。
3分だろうか?5分だろうか?
いや、それで十分だ。それだけあれば、真紅(のストロー)に唇を合わせる至福を心ゆくまで堪能できる。
僕はゴクリと喉を鳴らし、ストローへと口を近づける。
そして運命の瞬間まで、あと2センチ。
その時だった。
「まーだご飯食べ終わってなかったですか?相変わらず何をやらせても遅いですぅ。
全く、チビ人間はそんなだからチビなままなんですよ」
クラスメイトの翠星石が、僕にそう声をかけてきた。
「そんなのさっさと飲んで、翠星石に数学の一つでも教えやがれですぅ」
彼女はそう言い、僕の向かいの席……本来なら真紅が座っていた席に腰掛ける。
「うるさいな。それが教えて貰おうって人間の態度かよ」
僕は良い所を邪魔された不快感を隠さず、翠星石にそう告げる。
そして、持っていた紅茶のパックを、机の上に置いた。
見たところ翠星石は、僕が真紅の紅茶のパックを持っていたなど夢にも思ってはいないだろう。
これなら、堂々としていても問題無さそうだが……
問題はそれからだ。
翠星石の事だ、きっと真紅が戻ってきても席に居座り続けるだろう。
そして戻ってきた真紅は、何も気付かず紅茶を再び口にするだろう。
それを見て、翠星石はどう思う?
僕が飲んでいた紅茶のパックを、さも当然といった表情で飲む真紅を見て。
いくら翠星石だろうと、間違いなく気が付くだろう。僕が行った、白昼堂々とした犯行に。
それだけは避けたい。
となると、僕の取るべき行動は一つだった。
「そう言えばさっき、蒼星石が男子生徒と手を繋ぎながら歩いてたぞ?」
翠星石をこの場から居なくさせる事。
例え嘘をつこうとも、だ。
「なッ!?それは本当ですか!?キィー!!なんってハレンチな妹ですぅ!!
そんな不順異性交遊は認めんですよ!!」
案の定、翠星石は引っかかってくれた。
顔を真っ赤にしながら廊下へと飛び出した翠星石の背中を、僕は内心ニヤニヤしながら見送る。
そして―――
「随分と時間かかっちゃったけど……もう邪魔は無いよな」
愛おしの真紅(が使ったストロー)へと、うっとりとした視線を向けた。
「いただきます」
何度目のいただきますだろう。
それでも僕は、やっと真紅(のストロー)に唇を合わせる事が…―――
「ジュン?宿題忘れたから写させてほしいのー」
唇を合わせる事が…―――
「ジュン、どうかしたの?震えながら固まって、何だか怖いの」
いつの間にか雛苺のやつが、隣で僕の事を見上げていやがった。
………
「宿題なら金糸雀に見せてもらえよ、な?」
僕はギィィと首の骨を鳴らしながら、怒りに震える顔の筋肉を押さえつけ、引き攣った笑みで雛苺に告げる。
「カナリアは『宿題はしてきたけど、家に忘れてきたかしら』って言ってたのー」
雛苺のその言葉を聞いた瞬間の僕の怒りは、それは筆舌しがたいものだった。
それでも僕は必死に耐え……
「ホラ……ノート貸シテヤルヨ……」
かろうじてそれだけを喉から搾り出すと、無造作にノートを投げ渡した。
それから雛苺は「わーい!ジュン大好きー」と言いながら喜んでいたが、そんなのはどうでも良い。
そんな事より真紅(のストロー)だ。
雛苺に早く席に戻ってノートを写すなりしろと告げ、それから足早に去っていった彼女の背中を見送る。
そして、今度こそ!
絶対に!!
次に邪魔してくるヤツは、例え誰だろうとぶっ飛ばしてやる!!
きっと廊下で真紅を引き止めてくれている水銀燈も、流石に限界だろう。
残り時間を計算しているような余裕は、既に僕の心には無い。
せめて、1口。
それだけが、今、僕が生きている理由の全てだった。
もう「いただきます」も言わない。その一秒も惜しい。
口を近づけるにつれ、サンバのリズムで胸が高鳴るのを鼓動を感じる。
可愛らしい真紅が、可愛らしく使っていた、可愛らしいストロー。
それに唇を合わせようとして……
不意に、ふっと教室の気温が2~3度下がったように感じた。
自分の周囲をよく見ると、誰かが僕の背後に立っているのか、影が見える。
その影の持ち主は……何となくだけど、想像が付いた。
まるで冗談みたいにガタガタ震える手で、僕は紅茶のパックを机の上に置く。
そして振り返って―――
「随分と遅かったじゃないk ゲフッ!!?」
真紅の拳が、僕の顎を正確に捉えた。
紅茶のパックとストローは、その直後に捨てられた。