Story  ID:rm9iBAtp0 氏
「ふぅ…」
翠星石は小さく溜息をついて、手にした本を机の上に置いた。
「翠星石。どうかしたのかい?」
蒼星石はベースを弾く手を止めて彼女のほうを見た。
「い、いえ。なんでもないですぅ」
そういって窓の外に目をやる翠星石。
外は雨。放課後の教室に二人はいた。

今日はバンドの練習の日なのだが、スタジオの予約の時間が夕方の6時と、一度家に帰ってからでは間に合わないような中途半端な時間で、仕方なく2人は授業が終わってからも教室に残り、時間を潰していた。
蒼星石はベースの練習をしながら、翠星石は漫画を読みながら。

翠星石が読んでいたのは、女子高を舞台に女の子同士の淡い恋心と超能力バトルを描いた少女漫画だ。
「マリア様!貴様見ているなッ!」「さすがお姉さま!そこにシビレル!憧れるゥッ!」
などといささかエキセントリックな台詞回しが男女を問わず大人気らしい。

「そう?ならいいけど…と、そろそろ時間かな。行こうか、翠星石」
蒼星石はベースをケースにしまって立ち上がった。
「…」
「翠星石?」
「…あ、はいですぅ。行きますか!」跳ね上がるように席を立つ翠星石。
元気な、いつもの翠星石だ。
しかし、彼女が一瞬辛そうな顔をしたのは気のせいだろうか?
気にはなったが、蒼星石はそれ以上聞くことはせず、ケースを肩に担いだ。
「遅れるといけないからね。早く行こう」
翠星石も本を鞄にしまい、蒼星石の後を追った。
外は雨。スタジオまでの道のりはいつもより時間がかかるだろう。

スタジオに着いたのは6時2分前。
2階建てのこのスタジオの1階はカフェになっており、予約の時間を待つ、
あるいは練習を終えた客の溜まり場になっている。
彼女が所属するバンドのメンバーである真紅、薔薇水晶、それに自称マネージャー(?)の金糸雀はすでに到着していて、他の客と同様飲み物を飲んだりしつつ雑談に興じていた。
「あら、蒼星石がついていながら珍しくギリギリなのね」
真紅が到着した2人に笑いながら声を掛けた。
蒼星石は肩をすくめながら
「ごめんごめん。雨が結構強かったからね。いつもより少し時間がかかってしまったよ」と軽く返している。
そんなやりとりも聞こえない風に、翠星石は店内をきょろきょろと見回していた。

「あら?翠星石?どうかしたのかしら」
金糸雀が気付いて声を掛けた。
その声にぎくりと一瞬固まって、翠星石はそれでも何事もなかったのように振り返ると彼女に尋ねた。
「え…と。雛苺は?」
「あ、あの子はちょっと遅れてくるって連絡があったのかしら。でもって水銀燈は連絡ナシ!サボりかしらー!」
「銀ちゃん雨嫌いだから…」
「そ、そうですかぁ」
金糸雀はメンバーでもないのに一人ぷんぷんと憤慨し、なぜか薔薇水晶がフォローする。
いつもどおりの風景。でも。
(翠星石…?)
雛苺がいないと知って、翠星石はかすかにだがほっとした表情をしなかっただろうか。
蒼星石は姉の横顔を見つめ、口を開きかけて…やめた。まずは練習だ。

その日の練習は順調に始まった。今日は新曲の音合わせもあるということで、翠星石の様子が気になった蒼星石だが、少なくともプレイ面においてはその心配は杞憂だったようだ。
いつものように、いやいつも以上にグルーヴ感溢れる力強いドラミングに、蒼星石も思わずベースを弾く手に力が入ったほどだ。
真紅のヴォーカル&ギター、薔薇水晶のキーボードも上手くはまり、今日初めて合わせた曲なのに、もう何年もプレイしてきた曲であるかのようだ。
メンバーの誰からともなく笑みが漏れる。バンドにとって至福の瞬間。

練習が始まって1時間が経とうとしていた頃、ふいにスタジオのドアが開いた。
「こんばんは!遅れてごめんなさいなのー!」
息を弾ませつつ笑顔で入ってきたのは雛苺だ。おそらく学校の用事でもあったのだろう。制服姿のままだ。
「こんばんは。お疲れ様なのだわ」
「こんばんは…」
「委員会の仕事はおわったのかしらー?」
「やぁっと終わったのー。」
「成る程、雛苺は文化祭の委員をやっていたね。お疲れ様」
「ありがとー。あ、翠星石もこんばんはー。外まで音すっごい響いてたのよー」
「さ、さっさと準備するです。みんな待ってたですよ」

雛苺の姿を見て一瞬輝き、そして曇ったように見えた翠星石の横顔。
その表情の変化に気付いた者はいなかった。
皆が雛苺を見ていた中で、一人我が姉を見ていた蒼星石を除いて。

2時間の予約時間は、いつものようにあっという間に過ぎてしまった。
後半は雛苺が入ったということもあって、歌に厚みが増してより一層華やかなサウンドになった。
メンバーは皆、手ごたえを感じている、と蒼星石は思う。
気がかりだったのは翠星石のドラムだ。
後半はスロー、あるいはミディアムテンポな曲をが多かったせいかも知れないが、前半のようなヴァイブが感じられないような―まるで、リズムマシンのように努めて正確なプレイだけを心がけているかのような、心なしか、そんなプレイだった。

「翠星石」
練習が終わり、各々楽器をしまう中、真紅が翠星石に声を掛けた。
「はい?」
「もしかして貴方、少し疲れてる?」
「へ?な、何でです?」
「いえ、後半少しプレイに力がない気がして」
「翠星石お疲れなのー?」
それを聞いて、雛苺が心配そうに翠星石の顔を覗き込む。
「そそ、そんな事ないです翠星石は元気ですよぅ!後半は苦手なバラードが多かっただけです。
次はもっと上手く叩けるように練習してきますよ!」
翠星石は顔を赤くして立ち上がった。
「そう。ならいいのだけれど。」
「はいはいはい早く出ないと延長料金なのかしらー!」
「銀ちゃんつぎは来るかな…」
口々にそんなことを言いながら片づけを終えたメンバー達はスタジオルームを後にした。

「では今日もお疲れ様。みんな気をつけて帰るのかしらー…と、私達は駅まで一緒だけど」
金糸雀はスタジオの前で自分達と、翠星石と蒼星石の二人を見比べた。
このスタジオは2つの電車の路線を挟んだ中間の位置にあり、真紅と雛苺、薔薇水晶、金糸雀はスタジオを出て北へ、蒼星石と翠星石は南へ向かって帰ることになる。
「こっちは駅まですぐだから平気だよ。金糸雀達も気をつけて。お疲れ様」
蒼星石は笑顔で応える。
「では、お疲れ様なのだわ」
「お疲れ様なのー!」
「…お疲れ様」
「お疲れ様かしらー」
家路につくメンバーたち。翠星石も「お疲れ様ですぅ」と笑顔で手を振って北上組を見送った。

「さて、僕らも帰ろうか。…翠星石?」
その場を動こうとしない翠星石を訝しむ蒼星石。
「あの、蒼星石…。ちょっとお願いがあるんですけど」
翠星石は上目遣いに蒼星石を見た。

再びスタジオの中。ただし、中にいるのは蒼星石と翠星石2人だけだ。
部屋の中に鳴り響くのは翠星石が叩く激しいドラムの音。それに負けじと蒼星石がベースを鳴らす。
(ちょっ…と話が違うような…)
蒼星石はリフを刻みながらドラムを一心不乱に叩き続ける姉を見た。軽く目を閉じ、ただひたすらにスティックを振るい続けるその姿は、まるで何かを振り払おうとしているかのようだ。

翠星石の「お願い」とは、「もう少し練習して行きたいので付き合いやがれですぅ」といったものだった。
(そういえばさっきの練習で、苦手なバラードを練習してくるとか何とか言っていたっけ。熱心だな)
そんな風に考えていた蒼星石だが、スタジオに入るなり翠星石は物凄い勢いでドラムを叩き出した。
よく考えてみればバラードの練習とは一言も言っていなかった訳で、そこは蒼星石の単純な思い込みなのだが、しかしまた何故こんな激しい曲を繰り返してプレイするのか。―繰り返して?
そう、気がつけば翠星石はさっきからずっと同じ曲を叩き続けている。

(ああ、そうか。この曲―姉さん、何か嫌なこととか悩み事があるときはいつもこの曲聞いてたっけ)

バシン。
異様な音を立てて唐突にドラムの音が鳴り止んだ。翠星石の手に握られたスティックが、裂けるように折れていた。
「…」
うつむいて、じっと何かを堪えるようにそれを見つめる翠星石。
「…今日は、このへんで帰ろうか」
蒼星石は姉の肩にそっと手を置いて、優しく声をかけた。

練習を終えて、2人ともあまり口を開くこともなく帰宅した。とりあえず遅い帰宅を親に謝って自室に戻る。
蒼星石は入浴を済ませると、翠星石の部屋をノックした。
「翠星石、起きてる?」
「蒼星石?どうぞ、起きてるですよ」
蒼星石が部屋に入ると、翠星石は机に座って聞いていたヘッドフォンを耳から外すところだった。
「どうしたですか蒼星石?」
「どうしたっていうか…どうしたのかな?翠星石」
「はい?」
きょとんとした顔で翠星石は聞き返した。
「僕の勘違いだったらいいんだけど、今日の翠星石は少し変だったから」
「変?私がですか?」
「今日というか最近、だと思うけど。このところ普段読まない少女漫画読んでたり、溜息ついてどこか見つめてたり」
「そ、そうだったですかねぇ…」
翠星石の目を見て蒼星石は続ける。
「今日もバラードの練習かと思ったら例のメタルの曲ばかり練習してるし」
「あ、あれはストレスの発散というか」
慌てて目を逸らす翠星石。何かあるってバレバレだなあ、と思いつつ蒼星石は口を開いた「雛苺」

ブゥ。
マンガのように翠星石は吹き出した。こんなに見事に吹き出す人初めて見た、と蒼星石は頭の片隅で考える。
「ちちちち違いますばばバカ苺なんて関係ないです雛苺のことなんて考えてないですあの子が気になってなんて」
「…委員の仕事とか大変そうだね、って言おうと思ったんだけど」
「雛苺のことを想ってなん…え」
蒼星石は半ば呆れて姉をみた。やれやれ。そういえばババ抜きをやると必ず負ける姉をフォローするのはいつも自分だったな。
そんなことを思い出したりもする。
「蒼星石はイジワル野郎ですぅ…」恨みがましい目で蒼星石を見上げる翠星石。無論完全な自爆であることに気付いていない。
「まあ、話したくなかったらいいんだけど。何か悩んでいるのなら、聞くぐらいは出来ると思う」

「例えばですね」
これは友達の話ですよ!あくまで友達の話として聞くですよ!としつこく前置きをして翠星石は話し始めた。
「私の友達にぃ、バンドを組んでる子がいてですね」ちょ、バンドってちょっとは話作ってよと思いつつ聞き流す蒼星石。
「そのバンドは女の子ばかりのバンドなんですけど、その中のドラ…キーボードの子がギターの子のことを」
多少は話作る気になったのかな、と安堵しつつ蒼星石は尋ねた。
「ギターの子のことを、好きになったの?」
「好きっていうか…わからないです。いつもはからかったり、ケンカしたり、そんな関係だったですけど。
いつの間にかひ…その子のことを目で追ってたり、その子がいない時もその子のことばかり考えてたり、とか」
「そうなんだ」
「それで、そーいう話の漫画とか読めば少しは分かるかもと思いましたけどぉ、やっぱり漫画は漫画、自分のこととなると
よく分からないです。チャーリィもこの手のことには『書物はあまり役に立たない』って言ってましたしぃ…」
超能力バトル漫画じゃ無理なんじゃ…ていうかチャーリィって誰?という疑問はさておき蒼星石は先を促す。
「その子がいると、練習の時にも緊張っていうか、『いいとこ見せなくちゃ!』みたいな感じになって、かえって緊張してしまうです…」
翠星石はうつむいてぼそぼそと語った。
「どうしたらいいですか…蒼星石」

うーん、と蒼星石は軽く唸った。これは多分恋なんだろう。しかし、自分とてこういう(おそらく恋愛に関する)事柄には明るいとはいえない。
そんな自分がアドバイスできることなんてあるのだろうか。
「その、翆…キーボードの子にとってギターの子は特別な人なんだね」
「…はい。家族や友達も大切ですけど、それと同じぐらい…ううん、それとは違う特別な人、みたいな」
「その気持ちを、『好き』っていうのは違うのかい?」
「え?ええ?でも女の子同士ですよぅ?あの子だって、きっと変に思うです」翠星石は首を振って言った。
「確かに相手のあることだけれど。でも、翠星石の言う『あの子』は、そんな翠星石の気持ちを『変』で済ませてしまうような子なのかな」
「え…」
軽く目を見張る翠星石。蒼星石は続ける。
「キーボードの子(が翠星石であってるよね、と頭の中で確認する蒼星石)が悩んでることは、きっと、自分の気持ちを知ってその子に嫌われたら
どうしようっていうことなんだと思う。でも、たとえその子がその気持ちに応えられなかったとしても、
変だとか、気持ち悪いだとか、そんな風に感じる子かな?それで、関係が変わってしまうような間柄かな?」
「そんな…ことはないですぅ…きっと」
翠星石は、ぽつり、ぽつりと自分に言い聞かせるようにつぶやく。
「そう…。ならあとはどうするか、自分で決めて、としか言えない、かな…。分かったようなことを話したけれど、僕だってこういう話はあまり得意じゃなくて。
役に立てなくてごめん」
「いいえ。ありがとうです蒼星石。話せて楽になりましたしぃ」
小さく微笑んで翠星石は蒼星石を見た。少しは気が紛れただろうか。
「明日、雛苺に話してみるです」決意を目に宿らせて翠星石は言い放った。
「え?あ、明日?」
ちょ、自分で決めてとはいったけど果断速攻過ぎないですか?っていうか友達話設定は?
そんな言葉は胸にしまって蒼星石は姉の部屋を後にした。

次の日、翠星石は朝から雛苺に電話をかけた。昨日一人だけ練習時間の短かったバカ苺の補習に付き合ってやるですよ!との名目でスタジオに呼び出すことにしたようだ。
「12時から取ってありますから、蒼星石は1時から来るですよ」
「?なんで1時なんだい?」
「そ、それは蒼星石がいると、その、話がしにくいですから…」
「あ」それはそうだ。妹に告白の現場に立ち合われたらやりにくいだろう。蒼星石は答えた。
「分かった。1時に行くよ」
「上手くいったら皆も呼んで練習したいですし、もしダメでも1時間あれば立ち直れるですから…だから迎えに来てです」
服の裾を握り締めて、翠星石は蒼星石を見た。
「僕は力になれないけど…きっと上手くいくよ。がんばって」
「ありがとですぅ」
感謝の言葉を残して、翠星石は一人家を後にした。
外は雨。傘は小さくなって、曲がり角を曲がって見えなくなる。

結局、蒼星石は半分だけ約束を破った。1時から、つまり1時間遅れて来いと翠星石には言われていたのだが、どうにも気になって居ても立ってもいられなくなり、12時30分にはいつものスタジオの前に立っていたのだ。
「大丈夫かな、姉さん…」
いつも彼女達は、予約が埋まっていない限り道路側に面したAルームを使う。もし中で演奏していれば、僅かだが音が漏れ聞こえてくるはずだ。
が、その位置からは微かな音も聞こえない。
「行ってみるか…」
心配になり、あとで怒られるかもと思いつつもスタジオに入った。

蒼星石は2階に上がった。しかし、音はやはり聞こえてこない。
「姉さん…」
胸が締め付けられるような思いでAルームに踏み出したその時。
「!」
スタジオルームの防音扉を突き抜けて鳴り響くスネアとシンバルの音。駆け抜けるバスドラム。
爆音のようなギターサウンド。
蒼星石は思わず駆け出した。扉を開ける。

「蒼星石!遅いですよ!」「あ。蒼星石おはようなのー」「あらぁ?蒼星石も来たのぉ?」
弾ける様な笑顔で蒼星石を迎えたのは翠星石と雛苺。そしてなぜかいる水銀燈。
ドラムの音はいつもの疾走感溢れる翠星石の音だ。
「私がふらっと練習に来たらこの子たちもいたんだけど…今日練習の日だったかしらぁ?」
「練習は昨日だよ!それより翠星石!」
蒼星石は姉と、姉の気持ちを知った雛苺を見比べる。
翠星石は、ぐっと親指を立てるサイン。それを見て顔を赤らめつつ笑顔の雛苺。
「そう…良かった」
「?なんなのぉ?」水銀燈は一人怪訝な表情のままだ。
「それより蒼星石!来たのならさっさと準備しやがるですよ!」
翠星石はドラムを叩く手を休めることなく大声を上げる。
「わかってるよ!皆も呼ぼう!」
「もう呼んでるのー!!」ぶんぶん手を振りながら歌の合間に雛苺が叫ぶ。そして、
「ひー!いず!ざ!ぺいんきらー!!」
ロブ・ハルフォードが聞いたら大いに吃驚することは想像に難くないパワフルな雛苺のシャウト。
「ま、何でもいいけど後できかせなさぁい」水銀燈はエフェクタを踏み変えた。
加速する翠星石のドラム。「全くムチャなスウィープだわぁ」くすくす笑いながらソロを弾く水銀燈。急いでベースを取り出す蒼星石。
程なく他のメンバーもやってくるだろう。
もう、この曲は鬱憤を晴らすために聞く曲じゃない。悲しみを紛らすための曲じゃない。
彼女の喜びの歌。新しい日のための歌。
やがて雨は上がり。
空には虹がかかる。



ほんの少し昔。
彼女達が恋に迷い、悩んだりもした頃。
そんな頃のお話。


(おまけ)

「んー…曲はいいのだけれど歌詞が馬鹿っぽすぎないかしら」
「そう?私は『無理矢理弾いてみました!』みたいなこのソロだぁい好きだけどぉ」
「歌詞はともかく僕も曲は好きだね」
「死ぬほど踏みまくるベードラが燃えるですよ!」
「ヒナは歌詞好きなのー。きらー!きらー!きらー!」

「キーボード…入ってない…」
「薔薇乙女がガチメタルってどうなのかしらー…」


最終更新:2006年08月07日 16:58