Story ID:h1s3XtO60 氏(4th take)
その日は晴天で、喉の調子も絶好調だった。
OFFであっても毎日歌うことを欠かさない彼女は、歌が仕事というよりも趣味のようなものである。
ご機嫌に午前の練習を終え、控え室に入った彼女を待ち受けていたのは───
-Trouble~雛苺の場合~-
「いっちごっジャムぅ~いっちごっジャムぅ~」
仕事とはまるで関係の無い、幼い頃から口ずさんでいた歌を歌いながら、リボンを揺らし控え室へと続く廊下を歩いているのは雛苺である。
午前の練習用スタジオはまだ誰もおらず、いわば雛苺が独占しているようなものだった。静寂の中、歌声と足音だけが響く。
扉を開けて控え室へと入り、小さな鞄を開け包みを取り出す。
包みの中身は雛苺の大好物。
曰く、「白くて黒くて赤くて甘くてうにゅー」という知ってる人間じゃないと解らないものだ。
いわゆる苺大福なのだが、何度言っても改めようとしない。最早雛苺の中では「白くて黒くて赤くて甘くてうにゅー」で固まっているようだ。
満面の笑みを浮かべて苺大福を見つめる雛苺。食べる前に暫く見つめて期待感を高めるのが雛苺の癖だ。
やがて、小ぶりなそれ─とはいっても雛苺からすると充分大きいのだが─を手に取って、
「いただきまーすなのー!」
もふっ、とかじりついた。
餅の弾力と小倉餡(粒餡だ!)の甘味、そして苺の爽やかな酸味が口の中に広がってゆく。
アニメやコミックならば間違いなくあたりにハートマークが乱舞する、そんな至福の表情を浮かべる雛苺。
あまりの美味しさに口からビームが出そうになったが、雛苺のキャラではないので慌ててやめた。
ひとつ、ふたつと包みの中身が減ってゆく。とうとう最後の一つになってしまった。
名残惜しそうな視線を向け、どうしようかと迷う。
しかし欲望には勝てなかったようだ。最後の1個にかじりつく。
……苺の酸味が強い気がする。
餡の甘さに舌が慣れてしまったせいだろうか。
首を傾げ、「?」マークを浮かべながらも結局食べ尽くした。
ぽんぽん、と手についた打ち粉を払い、紙コップに紅茶を注いで一口二口。
口の中に残る餡の甘味を洗い流し、紅茶の香りを楽しむのが薔薇乙女。
─いつまでも、子供じゃないのよ。
そんな事を誰へともなく言い、ふぅと息をついた。
暫くしてメンバーが揃い、午後の練習が始まった。
今日のテーマは「スローテンポな曲の強化」。翠星石の苦手な部分だ。
リリースした曲の中から5曲ほどを選び、続けて演奏してゆく。
なんて事のない、いつもの風景。
だが、それは3曲目の途中に起こった。
──おなかがいたいもうれつにいたいものすごくいたいつうれつにいたい。
全てが平仮名になるほどの痛み。
せめて5曲目が終わるまでは耐えなければいけない。
たかが練習されど練習、練習を甘く見ては本番でコケるのみ。そう、これは立派な仕事。
額に脂汗を浮かべ、顔色も蒼白。幸いなのは雛苺はヴォーカルなので、同じヴォーカルの真紅からしか顔色が解らない事だ。
その真紅も翠星石のドラミングをチェックする為にそちらを向きながら歌っている。
そう、自分が耐えれば問題は無い。全てはノー・プロブレム。
水銀燈が何か言っている。耳に入らない。意識は腹痛と歌にしか向いていない。
4曲目の終わり。
「雛苺ぉ、声に張りがないわよぉ」
そんな声が聞こえたような、気がする。
「もしかしてぇ、眠いのぉ?」なんて言われた。大丈夫、ばれてはいない。
大丈夫なの、と振り返らずに返事をして5曲目に備えた。5曲目は新譜に収録される曲で、雛苺も先日覚えたばかりのものだ。
記憶を引き出してゆく。気持ちが集中できない。でも、やらなければ。
薔薇乙女達はいつも音楽に対して真剣に向き合う。例え自らの体が壊れようと、やり遂げる。
練習も本番も関係無い。そこに山があるから登るのだ、とは誰の言葉だったか。
最初の一音が、鳴った。
そこから暫くの間、雛苺の記憶はすっかりと抜け落ちていた。
気付いた時に視界にあったのは、真っ白な天井。
続いて暖かな布団の感触。
視線を動かすと、心配そうなメンバーの姿があった。
「…うょ。ヒナ…あれ?練習、終わったの?」
「終わったよ。それより雛苺、大丈夫かい」
「体調が悪いなら悪いとちゃんと言うですよ!このお馬鹿苺!」
「無理はいけないのだわ。薔薇乙女の自覚が足りないのではなくて?」
「皆心配してたのよぉ?私はあんまり心配してなかったけどぉ」
「嘘かしらー。雛苺が倒れた時に一番騒いでたのは水銀燈なのかしら!」
「………おくすり」
病室がにわかに賑やかになる。
診断内容は食あたり。
最後の1つで感じた酸味は、どうやら苺が傷んでいた為のようだった。
結局練習はあの5曲で終わってしまい、後は皆で病室に居たそうだ。
時に喧嘩や罵りあいをしながらも、強い絆を持っている。
そんな薔薇乙女達は、雛苺が大事に至らなかったことに安堵した為か、病室にも関らずいつもと変わらぬ半ば喧嘩じみた遣り取りを始めるのだった。
─看護士に、「病室ではお静かに」と注意されたのは、お約束。
最終更新:2006年07月25日 11:36