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『飢』


1

923 名前: LB 投稿日: 2005/09/23(金) 23:19:42 [ YsQBw.HY ]
『飢』

「キャー女湯に男がー変態!変態!」

甲高い、しかし声色はどこか作ったようなそれは館内に響き渡った。
事は冷静に運ばなければならない。相手が去るのを見計らい、撤退を図る。気絶したと思っているだろう。
足音が遠くなった今、さっさと着替えて部屋に戻り、何食わぬ顔で部屋に居ればいい。
ケイトスは湯の中から勢い良く顔を上げ、両手で浴槽を掴む。塗れた自分の長い髪は視界を遮ってしまうのだが、
入り口の正確な位置は確認済み、問題はない。腰を落とし、全身のばね作用を用いて走りこむ、脱衣所へ。
重装備の鎧等は魔術加工のおかげで無事、鎖で一つに纏めておいて後で取りに来ればいい。ただ他の普段着や、下着は見た目古い上、気分的に乗らないので廃棄。
代用は備え付けの着物で良いだろう。そして古都に来る途中で見つけた古ぼけた布切れのような全身を覆う事ができる茶色のローブ。
これが功を奏してさっきの娘以外自分の本来の容姿を詳しく見た者は居ないはず、古都に入ってから女将に交渉した時もこの姿であった。
彼女には悪いが…誤魔化す。
しかし、…成程、想定範囲は広げておくべきだったと今更ながら思う、油断は致命傷を生む。
女将の許可、というよりは男湯の清掃が既に始まってしまっている、ということで女湯へと誘われたわけで。
相手は入り口で自分を勧誘した女将の娘らしいが、彼女もまた女将の許可を得て此処に来たのだろうか、それとも無断なのか。
前者ならば女将の第一印象、何処か抜けていそうな感じ、それが災いした可能性もある。迷惑な…
まぁ、いくらなんでも娘を危機に曝す真似はしないだろうから、これはないと見よう。
後者においても、こちらに分があるだろうが相手が一方的に悪いわけではないし、些かタイミングが悪かっただけだ。
後頭部の腫れは大きい。これがもし、刃や矢等であれば間違いなく死んでいた。
蘇生早々、その日風呂場にて死す、か……………元々普通の死に様で終わることはないだろう…と覚悟はしている、が。
風呂場で尻を突き出したまま溺れたりして死を迎えるというのは格好がつかないものだ。
…しかし感覚が鈍くなったというわけではない、当然避ける事は可能だったはずなのに。
…見惚れていたとでもいうのか…いや、まさか…そんなことは有り得ない。女性の裸体等は腐るほど見てきた。……死体が多かったが。
一昔、デウスとフェレスの馬鹿共がアプサラの入浴を覗いて自分も巻き込まれ、死の淵に立たされた事があったが。
誤解であっても、こういった件は著しく男の立場が弱い、困ったことに。
その時だった。
どたどたと素早く重みのある幾多の足音を感じ、接近を感じ取った。
思ったより伝令、行動が早いな、と苦笑する、うかうかしてはいられない。残念ながら自分が与えられた部屋は二階、浴場のある此処は一階。
ふむ、と予定を変更、天井裏をこじ開ければ…凌げるか。とりあえずは、と。こんこんと杖で腫れ上がった部分に優しく触れる。
自然治癒を待つのは非効率。瞬く間に腫れが消え失せる、まだこの程度ならば造作もない。
棚の上に飛び乗り、先程見つけた裏への進入口までの距離を測る。
均等に配置された棚を飛んで渡り、目標地点へ。鍵が掛かっていない事を確認し終えると同時に、脱衣所の扉が開ける音が聞こえた。
女性の従者が3名、モップや箒、鉄釘を刺した棍棒を振りかざしながら。
……両手を上にあげておとなしくケイトスは捕まる事にした。

2

924 名前: LB 投稿日: 2005/09/23(金) 23:20:17 [ YsQBw.HY ]
静謐の空間、部屋の中、男が机と向き合って書を書き留めている。
その分厚い表紙には宛ての名も無く「Dear・・・」という文字だけが金色で刺繍されていて、至るページに空白と文字の羅列が並んでいるものだった。

「時間が…ない…か」

男は少し垂れ下がった眼鏡を上げなおし、窓の外の虚空をしっかりと見据える。雪が降った。
まだ確かに視覚に残留する。力の奔流が白の粒々と共に天へ巻き上げられる様、その最中、自分に向け、手を差し伸べる者が居た。それはもうすぐ近くに迫る。
また机に向き合う。もう覚悟は出来ている。宣告された年月通り、近いうちに "あれ" が来る。私を支配するために、飢えを満たす為に。
右下の引き出しから銀色の糸と針を取り出し、手馴れた動きで刻んでいく。「我が愛娘、ティアへ」
刻み終えて男が立ち上がると同時、館内の扉、窓という窓が全て開け放たれ、吹雪く風が唸りをあげた。

(……来た)

最後に手袋を着け、己の身なりを確かめる。この姿になるのは最後の仕事以来か。愛しい人を見つけ、娘が出来て………
しかし結局は全て曝け出す事になるのにな、と良い人を装ってきた自分の印象を思うと、娘に申し訳なく思う。
玄関に続く廊下へ出る。慌てて窓を閉めている男の従業員が 旦那様どちらへ?と声を掛けてきたが無視をして外へと駆ける。
館の手前、大小二つの黒い影が明らかにこちらへと迫ってきていた。

「ついて来い!」

昔から戦い慣れをしている場所へ。勝算は残念ながら無いに等しいが。出来るだけ抗えればいい。

3

925 名前: LB 投稿日: 2005/09/23(金) 23:20:59 [ YsQBw.HY ]
「奥様、奥様!!」
台所で調理に勤しむ女将へ慌しげに声が掛かる。
「変態の方はどうなったの!」
同時にやってきたティアが話を遮る。
「は、お嬢様、3名武装して向かったのですが、無事捕らえました、懲罰は後程審議を」
その言葉に歓喜をあげたティアを手で制し、彼は続けた。
「そんなことよりもです!旦那様が!御一人で外に!!」
「あら…たまには一人で外もいいんじゃないかしら?」
女将は微笑みを携えた横顔をこちらに見せ、包丁を握る手を止めない。
「しかし!旦那様は何か奇怪な服装を着て外に!あれは戦闘服…」
服装…と言い終わる所で女将は、包丁を隣の女性に渡していた。
後は任せます、と言い放って一目散へ外に駆け抜けていった。泥棒や忘れ物をしたお客を追う時以上の速さで。
玄関付近のほうで叫びが上がる。
「ティア!貴方はついてきては駄目です、残りなさい!いいですね?」
何時に無く真剣な母の声色に、ティアは不安で不安で仕方がなかった。もしかすると、父母共に失うのではないか、という恐れさえ湧き上がった。
考えすぎだよね…とすぐに思考を切り替えようとするが、頭でNOと考えようとも一度抱いた恐れはそう簡単に消えてはくれない。
私は動いた。
「お嬢様!?」
私を止めようと従業員達が気づく前に、既に館の外ぐらいには辿り着けるはずだ。
――歩法、幽遠。父から学んだ術の一つ、気配を完全に殺して移動する歩法だ。
が、しかし。舞い動く私の体が急に止まった。自分の意思を無視してなので止められたという事か。
では止めたものが一体何なのかとまずは足を疑うが罠らしい罠はないし、つまづく物も無い。
右の手首に人の手が絡み付いていた、染み一つ無い手、女性の従業員の誰かだろうか。
(心を乱して失敗した!?…こんな時に…)
ティアはその手の主を睨み上げる前に振り解こうとするが、微動だにしない。
ああああああああ邪魔っ!!
「放して!」
怒りはすぐに声に出た。次第に視点を手から相手の顔へ上げる。
はっ――息を呑んだ。そこに普段見知る顔は無く、炎髪の男が―――、って。

4

926 名前: LB 投稿日: 2005/09/23(金) 23:21:29 [ YsQBw.HY ]
「激烈変態痴漢野郎!鬼!悪魔!最低!今度は体に触れるなんて!!」
後になってよく舌が回ったなぁ…と思った。周囲は何もそこまで言わなくても…と呆れる。

「酷い言われようだ、俺は君に先走られる前に誤解を解いておこうと思っただけなんだが」
彼を拘束していたはずの3人がハッと我に返り、各々武器(?)を構える。かまわず彼は言葉を続けていた。
「こちらの女将が女湯の方を使って欲しいと言ったのだ。なんでも清掃中だということでね」
「そんなの信用できないわよ」
焦りを覚えつつ即答した。今はどうでもいいから早く―
「なら女将に直接聞こうじゃないか。どちらに居る?」
「今居ないのよ!私のお母さんが女将で今父さんが急に変な服着て外出ちゃったからそれをお母さんが追いかけちゃってついてくるななんていわれたけどやっぱり気になるからついていくつもりで!」
大きく一息。
「だからさっさと放しなさい!」
誰もが圧倒されそうな連打の洗礼を受けても赤髪の男は表情を変えず、掴んだ右手を離し、その手を顎に当てて一瞬思考。
やがて不自然な笑みを常に浮かばせた口元をゆっくりと動かして。
「なら私も同行しよう。もちろん保障として有り金は全て置いていく、文句はないだろう?」
さらっとティアとは対称的に、やんわりと言ってのけた。
ふん、と彼女は鼻を鳴らし、僅かに頬を膨らませて。
「勝手にするといいわ」
身を翻して、片方の膝をついて前屈みに、両手が地に着いたと同時に突き放して一気に駆けた。自身の足には絶対の自信がある。
追いつけるものか、と内心ほくそ笑みながらティアは後ろを振り向かずにただ突っ切った。
あれ?そういえば………母さん父さん達は何処に行ったのだろうか……
「行方も分かっていないのに飛び出すとは早計だね。君は」
え?と顔を上げて即座に後ろを振り向く、がそこに在らずで…
鈍い音と衝撃が来た、同時に思考も一瞬飛んでしまった。身は倒れずに何かに支えられているようだ。
何事かと目を開けると前は暗闇、すぐ上、赤が顔に掛かってきて…
「わあああああああああ!!!」
「おや、次は抱きついて来るとは…まぁ寒いのは分かるが、まさか惚れでもしたかね?生憎俺は恋愛感情等とは疎遠にあ……」
思わず拳を連打して発言を止めさせた。
「近隣住民からの目撃談を話すつもりだったのだが……いきなり抱きつかれるわ殴られるわで…やれやれよく分からないな」
「だぁーーもう喋らないで!」
ならば、と彼はある方向へ指を指した。
それは共同井戸とオベリスクの丁度真ん中へ、ギルディル川へ行き着く方向だった。
「…あそこにいるのね?」
彼は首を下に振って肯定した。所在が分かれば後は自慢の足で猛追するのみ。とにかく急ごう。
ケイトスは彼女を静かに見送り、落とす雪を増やし灰色に染まった空を眺めた。雪を確認してから感じる元素の震え。
厄介事、かもしれないな、と苦笑を漏らし、彼女の後を追った。


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最終更新:2008年07月21日 22:58