「峰岸さんのこと、諦めるって言ったけどさ」
続く言葉は、すぐに想像できた。
「俺、やっぱり無理っぽい」
「…はあ。さいですか」
疲れた頭ではどう返していいかわからず、こなたは間の抜けた声を出した。
「さっきのは、撤回。俺、峰岸さんにちゃんと伝えるよ」
「う、うん。そっか。頑張れ…でいいのかな?」
「こなたさんには、言っておこうと思ってさ。今日は相談に乗ってくれたし」
相談というより、警告のつもりだった。しかし、結局は意味が無かったようだ。
電話越しにまことと話しながら、こなたはいささか面食らっていた。呆れたというほうが、近いかもしれない。
まことが峰岸、つまりあやのを好きらしいというのは、仲間内では公然の事実になっていたが、その話には常に微妙な空気が付き纏っていた。
あやのには既に彼氏がいて、つまるところ、まことの横恋慕だったのだ。文化祭の後でこなたからそれを伝えられ、まことは実に男らしく、諦めると言い切った。
それが、ほんの8時間前のことである。
「…まこと君、よっぽど好きなんだね」
「うん。自分でも不思議なくらいだよ。知り合ってから、一週間くらいなのにね」
「それもあるけど。あんだけ格好良く諦めたのに、ぶっちゃけ台無し」
「…面目ない」
「まあ、別にいいんじゃん。もっかい諦めるほうに転んだら、さすがに空気嫁って感じだけど」
呆れはしたが、こなたにとってまことの言うことは不快でもなかった。
率直に言えば峰岸とはさして親しくないし、彼氏の方は顔も知らない。自然に、ここ数日話す機会の多かったまことを応援するような気持ちになる。
気付けば、話に食いついていた。
「それよりさ、具体的にどうなのよ」
「なにが?」
「だから、最大の山場イベントに対して。攻略法、確立してる?」
「彼氏、いるってこと?」
「そうそう。私も、リアルの恋愛にゃ疎いけど、やっぱりそこがキモだよね。奪い取る覚悟は出来た?海賊らしく、いただいて行くっ、てさ」
「そう、それなんだけどさ」
「wktk」
「いただかなくて、いいかなって」
全身が脱力した。ベッドに座っていなければ、本当に転んでいたかもしれない。
「なにそれ」
「いや、だってさぁ。結局選ぶのは峰岸さんなわけだし、俺が奪うとかそういう話じゃないでしょ?」
「まあ、そりゃそうだけど」
押しが弱い、と思ったが、余計なことは言わない方がいいだろう。
「とにかく明日、その、告白してさ。その上で今の彼氏がいいってんなら、もう俺の出る幕じゃないよ」
「…それも、潔さなのかもね」
「ただでさえ困らせようとしてるんだし、粘着しちゃ悪いって思う」
「峰岸さんのため?」
「そんなところかな。何はともあれ、明日だね。草葉の陰から見守っててよ」
「ちょ、勝手に殺すな」
「冗談、冗談」
「まあ、せいぜいnice boat.にならないように気を付けてね、ってそりゃ性別が逆か。若者の奮闘に期待するよ」
「ありがとう」
「今日は疲れたし、この辺でいい?おやすミルク」
「えっと、なんだっけそれ。たしかコミックボンボン…」
「ぶー、はずれ。また明日ね」
「う、うん。おやすみ…」
なんとか、残りの片付けを午前中に終えた。文化祭の翌日だから、疲れはピークに達している。そして、午後の授業は平常どおりだ。
購買から教室に戻りつつ、みさおは早くも辟易していた。歩きながらぼんやりと、こんな日は休みにしてほしい、などと考えている。
そのせいか、始めは呼ばれたことにも気付かなかった。
「おうい、みさきち?」
「ん、なんだちびっ子か」
「ちょ、みさきち、3回も呼ばせておいてその反応とは」
こなただった。小さいから、ちびっ子と呼んでいる。
「わりい、ぼっとしてた。疲れちまってさ。今日ぐらい、休みにしたってバチ当たんねえよな」
「いやあ、みんな考えることは一緒だね。さっき、つかさも同じこと言ってたし」
「つか、お前がだろ。で、なんか用?」
「あ、うん。用って程でもないんだけどさ。昨日の花火の話って、聞いた?」
「そういや、中止になったんだってな。なんかあったのか」
「そうそう。これちょっと物騒な話なんだけどさ。噂じゃ、脅迫メールがあったんだって」
「はあ?なんだそりゃ」
「脅迫とは、脅して仲良くしないことだ。そんなことも知らんのか」
こなたの表情は、得意げだ。冗談を言っているようだが、みさおにはよくわからなかった。
「いや、そこじゃなくて」
「むむむ。ネタが渋すぎたか」
「で、メールがなんだって?」
「げえっ、スルー」
「…もういいってヴぁ」
「…うん、ちょっと悪乗りしたかも」
「いや、まあいいんだけどよ」
冗談は通じないことが多いが、こなたとは随分よく話すようになった。始めは、少し屈託を抱いていたのだ。
自分より、かがみに好かれている。それが、みさおには不快でならなかった。
悩むのは、嫌いだ。かといって、胸にある切ないような感じは、自分では消しようがなかった。
しかし、すぐにこなたとも仲良くなった。話していて、ただ楽しい。意外と、良い奴じゃないか。それだけで、みさおの屈託はあっさりと消えてしまった。
そんなことも、今はことさら思い返したりはしない。つまり、それがみさおの性格だった。
「そんなことより、メールはどうしたんだよ」
「いや、ごめんごめん。結局、学園側はいわゆる悪質な悪戯だって判断したみたい。
でも物騒だから、念のため火薬を使うイベントを中止にしたんだって。ちなみに送り主は、白の騎士団、とか名乗ってたらしいよ」
「やたら詳しい噂だな。信用できんのか?」
「意外と本当かもよ?丸一日も経ってないのに、かなり出回ってるし」
「なるほどなあ。迷惑な話だ」
「全くだよ…って、やばい、購買混んじゃうよ。んじゃね、みさきち」
「おー。潰されんなよ」
「そんなに小さかないもん」
言いながら、こなたは駆けていた。みさおも踵を返したが、目の端にこなたが引き返すのが見えた。
「なんだ、忘れ物か?」
「いや、ちょっと、大事な話を思い出した」
「んあ、なんだよ」
「みさきちって、峰岸さんと仲良いんだよね?」
「おう、そりゃぁな」
仲が良いという響きにも、違和感がある。まだ小さい頃から、あやのとはずっと一緒だった。
親友というより、姉妹の方がまだ近いかもしれない。あやのは、あやの。それだけで、みさおは安心できるのだ。
大事な話。それがあやのに関するのなら、自分の事より重要だった。
「あやのが、どうかしたのか?」
「うん。あのさ、まこと君、いるじゃん?」
あやのと、まこと。頭の中で、すぐに繋がった。なにか、あったのか。あやのの様子は変わりなかったが、もしかして。
なぜ、それを謝るのか。キスをしなかったのは、なぜだ。あやのの為じゃなかったのか。
それすら、隠す。それは、自分を裏切ってはいないか。だからって、どうしたら。
あやのが、自分を見ている。どこか、哀れむような視線。
ふと、冷めたような気持ちになった。悔しさが、滲み出てくる。人を好きになって得るものが、こんな視線だけなのか。
適当に折り合って、自分を騙したまま、全て胸にしまい込むのか。一体、何のための告白だったのだ。
キスシーンを思い出す。あの時の自分。何も考えていなかった。それで、いいんじゃないか。心の底が、熱くなる。しかし、これを解き放ってもいいのか。
後悔しないこと。誰かが、そう言っていた。なら、自分は。
あやのが、黙って立ち去ろうとする。その瞬間、決めた。
待てよ。誰のせいだと思ってる。こんなに好きなのは、誰のせいだ。わからないなら、教えてやる。
「峰岸さん」
今から、話を戻す。こう言えば、戻せるのだ。
「話、戻すよ」
「え?」
驚いた表情。声が大きいのか。顔が怖いのか。どちらも、どうでもいい。考えるのは、辞めた。
まことの反応は、どこか抜けていた。それでも、眼は見ない。また、あの眼差しで見られたら。思い出しそうになるのを、喋って紛らわす。
「この間の話。私、考えたの」
「ち、ちょっと、峰岸さん」
「まこと君は、ああ言ってくれたけど」
「ねえ、待ってよ、一人で喋らないで」
構わなかった。
「やっぱり、あなたとは付き合えない」
まことが、押し黙る。それでいい。さらに、続けた。
「もし、私がまこと君と付き合ったら、色んな人を裏切ることになるの。彼氏だけじゃなくて、みさちゃんも。私の彼、みさちゃんのお兄さんだから」
「…そう。知らなかった」
声に、力が無い。ゆっくりと、顔を見る。普段のまことだった。今なら、逃げ切れる。自分が嫌になるほど、冷静だった。
「あなたひとりのために、彼やみさちゃんを裏切れない。申し訳が立たないもの。
それに、今は大事な時期でしょう?こういうことで悩むのは、お互いのためにならないわ。
それにね、途中で乗り換えたところで、それは本当の恋じゃないと思うの。好きな人に恋人がいたら、私はきっと諦めるわ」
嘘ではないが、本心でもない。ただ、まことを突き放すだけの言葉。自分は今、人を傷つけているのだ。気付くと、また足元を見ていた。
「私が、思わせぶりだったのかもしれない。それなら、ごめんなさい。でも、まこと君とは、いいお友達でいたいの。それが、私の気持ちだから」
本当の気持ちは、自分でもわからない。わかりたくない。
とにかく、これでいい。告白され、断った。そういうことで、いい。
顔を上げる。まことの眼には、落胆しかない。でも、これで後腐れなく終れる。
「それじゃあ…ね。こんなこと言える筋じゃないけど、真剣に話してくれて、ありがとう。また、明日」
まことの顔が、引きつった気がした。
歩く。すれ違う。まことは、立ち尽くしたままだ。
すべての言葉が、刺さった。あやのは、ろくに眼を合わせようともしない。
当然の結果だ。拒まれる覚悟は、していた。その覚悟がちっぽけな思い込みだったことを、いま思い知らされている。
あやのに想いを打ち明けた、自分。あの時は、一瞬の昂ぶりにすべてを任せてしまった。
言えないよりよほどいいと思ったが、ひとりになると色々なことを考えた。
出来もしないことを、言ったのかもしれない。傷を飲み込む。好きだと思わせる。なにも考えずに並べた言葉。
そんなものに、真実があるのか。気持ちに嘘は無くても、これでは怒りに任せて殴りつけたようなものだ。
みさおの兄の話も、いま初めて知った。それなら、自分が思っているよりずっと、絆は強いのかもしれない。
あやのの言葉は、冷たかった。言い回しの問題ではなく、本心を語っていないように聞こえる。
自分を、拒む。それだけが、彼女の目的なのだ。それは、たまらなく辛かった。
あやのが、話しつづけている。思わせぶり。いい友達。あしらうような、まるで中身の無い台詞。しかし、ある言葉が、心に引っかかった。
真剣に話してくれてありがとう。そう聞いた時、頭に血が上るのがわかった。ダメだ。怒る権利など、自分にはない。
しかし、真剣とはどの口が言うのか。今語っていることに、少しでも本心があるのか。
怒りが湧くと同時に、他の感情も頭をもたげてきた。怒りと、愛おしさ。ないまぜになったものが、理性を奪っていく。
拒まれるにしても、本当の言葉で拒まれたい。このままでは、終われない。そう思ったとき、声が出ていた。自分でも意外なほど、強い語調だった。