初出画像
2スレ目の>>26
アメリカのカクテル文化に華咲く、帝政ロシアの不死鳥
100年以上前、モスクワのスミノフ・ファミリーの蒸留所で造られていた「フォーミュラ21」は完成度の高いウォッカで、スミノフはロシア最大のウォッカ製造会社として君臨していたそうです。
しかし、1917年に勃発したロシア革命により、スミノフは資産・工場を全て没収されてしまいました。
その後、革命から逃れたスミノフ一族のひとり、「ウラジミール」は努力の末、1928年にパリ近郊でスミノフ蒸留所を再建しましたが、ワイン王国でのウォッカ・ビジネスはうまく行かず、1933年、禁酒法の終わった年からアメリカでウォッカ製造を始めたそうです。
「スミノフ」の名を一躍有名にしたのは、当時の新カクテル「モスコー・ミュール」の大人気のパワーでした。
スミノフにジンジャービアーをミックスしただけのシンプルなカクテルですが、これを銅製のジョッキで飲む新趣向のドリンキング・スタイルが若い世代を中心に大いに支持されたのだそうです。
そして「スミノフでミュールを作れ」というフレーズとともに、スミノフはアメリカをはじめ世界中のドリンカー達の間で不動のものとなっていったようです。
ちなみに、「スミノフアイス」は1999年にイギリスで発売された商品で、スミノフウォッカにレモンテイストを加えたもの。他にも「スミノフ」の名を冠したカクテル商品があり、日本でもいくつかをサッポロビールがライセンシーを取得して「スミノフアイス」製品を製造販売している他、日本オリジナル商品として「スミノフ アイスドライ」を販売している。
公式サイト
最終更新:2006年11月01日 20:40