5-442氏 無題

自分が渡した本命チョコに相手がどう答えてくれるのか。

互いにそればかりを気にしつつすっかりホワイトデーのことなど忘れてしまっている咲と和。
勿論、バレンタインデーのお返しなど準備しているわけもない。
通学鞄に勉強道具だけを入れて互いに家を出て間もなく、いつもの待ち合わせ場所で顔を合わせたのだが、
本命チョコに対する相手の出方を伺うばかりで

「おはよう」

の一言が言えずにもじもじすることに。
咲は咲で

(和ちゃんは私の気持ちに応えてくれるかな?)

などと考えながらスカートの裾を手遊び、和は和で

(咲さんの気持ちを知りたいけれど、少し恐いです…)

などと顔を赤くしている。
初めの内こそそんな相手の態度を

(和ちゃん、いつにも増して初々しくて可愛いな)
(咲さん、今日はなんだか落ち着かないみたい。照れているんでしょうか)

お互いそんな風に思っていたが、しかしそれも長くは続かない。
そのまま二人揃って何も言い出せずにいる内、朝の静かな一時が気まずい沈黙へと変わり始める。
となれば、そこはやはり恋する少女。

(何か言ってよ、和ちゃん)
(私じゃ駄目ということですか?)

余裕など少しも無い初心な心に不安が容易く入り込む。

春めいて来たとはいっても、そこは雪の多い長野県。
まだまだ厳しい寒さが、黙っている程に染み入って来る。

期待に膨らんでいた胸のともし火が小さくなり
それでも言葉に出来ないのが少女の性
膨らんだ想いが弾けてしまうのは耐え難い

しかしそれでも、沈黙は果てしなく、
宮永咲はやがて押し潰されるように自分の想いに静かに幕を下ろそうとした。

手遊んでいたスカートの裾をぎゅっと握り、

「おはよう」

という短い諦めの言葉を口にしようとしたのである。
しかし、それよりも一瞬早く

「きょ、今日が何の日か知っていますか?」

原村和が口を開いていた。

「今日がホワイトデーだって、知っていましたか?」

その目は不安に揺れながらもしっかりと咲に向けられており、
時を待たずに彼女の頬を赤く染めた。

「咲さんはバレンタインデーに私がチョコを渡したのを覚えていますか?」
「う、うん」
「あれが本命チョコだって、気付いてくれましたか?」
「え?」

頬を赤く染めた咲が発した短い驚きの言葉に、和の顔が青ざめたが、

「ご、ごめんね。私も、本命チョコを渡したから、今日は和ちゃんの返事が気になってばかりで、
 何のお返しも準備してないんだ」

続けて紡がれた咲の恥ずかしそうな言葉によって、すぐに真っ赤になった。

「……お返しなんていりません」

朝冷えする空気の中、白い吐息と共に吐き出された和の言葉。
その意外な申し出を耳にして思わず見返した咲の目に、目尻に涙を浮かべた恋しい人の顔が映る。

「お返しなんていりませんから、今の言葉をもう一度言って下さい」

咲は半ばその様子に見とれながら、

「私も本命チョコを渡したから、今日は和ちゃんの返事が気になってたんだ」

ゆっくりと白い吐息を散らした。

「咲さんは、私のことが好きですか?」
「うん、大好き。の、和ちゃんは?」
「私も、咲さんのことが大好きです」

まだ昇り切っていない朝日の優しい光の中で、二人の口からこぼれた白い吐息が一つの筋になって、風に流れた。

おしまい。
最終更新:2010年04月26日 20:59
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