Special St. Valentine's Day!



時刻はAM8:20。
清澄高校のとある教室…いや、全クラスは、朝から何とも言えない空気に包まれていた。


…なぜなら今日は―――。


でも今は、そんな空気なんてちっとも気にならない。
というかもはやどうでもいいかもしれない。
だって、私が今日すべき目標はすでに果たせたんですから!
し、しかも…!


「おはーのどちゃん!いきなりだけど、なんかいいことあった?」

「ゆ、優希!?お…おはようございます。で、なんですか?急に」

「ふふーん、隠しても無駄だじょ!今ののどちゃん目に見えて浮かれてるじぇ!」

「え…そ、そんなことは」

「あるじょ!」


キッパリと言い切られてしまった。
でも、優希が言うならきっとそうなんだろう。
…気が付かなかった…。自分ではいつも通りにしていたつもりだったのに。
これはいけないと軽く頭を振るも、どうしても気がゆるむ。
このバックの中にある、“アレ”のせいだという自覚はあった。


「いいこと、ですか…」


一瞬否定しようか迷ったが、ウソをつく必要なんてないと思い直す。


「いいことなら、確かにありましたよ」


なんでもないその返答が、自分でも驚くくらい自然と笑顔になってしまったAM8:24。
まだ日をまたいでから8時間半も経っていないけれど、断言できる自信がある。
“今日はいい1日だ”、と。


…なぜなら今日は…今日は―――!



『私たちの日常~Special St. Valentine's Day!~』



それは、数十分前にさかのぼる。
いつものように例の待ち合わせ場所へと向かった私。
今日は私の方が早かったようだ。

けど、いつもとは違うものが2つだけあった…それは、この紙袋と心構え。
紙袋の中身はもちろんバレンタインのチョコ。といっても、チョコレートケーキなのだけど。
いつもお世話になっている麻雀部の皆さんにだけ作ってきた。
自分では納得のいく出来に仕上がったと思っている。自分では。

紙袋に視線を落とし、左手にキュッと力をこめる。
見つめるその先は…実は他の4つとは中身が違う“特別”な1箱であった。
それはもちろん、本命――咲さん宛てのためのチョコ。
見た目で何かを感づかれないよう箱のデザインはどれも一緒だけど、リボンの色だけ変えてある。
それぞれのイメージカラーだ。

それにはチョコレートケーキに加えて、トリュフチョコもいれてある。
どちらかと言えば器用な方である私だけど、それでもあの綺麗な丸みを作り上げるのには苦労した。
そういうのも含めて、伝わってくれればいいなと思う。
…この想いを直接言葉にする日が、いつかは訪れるのだろうか?


そうこうしていると、視界の片隅に人影が現れた。
パッと顔をあげ、そちらを見てみると…思ったとおり、咲さん。
後ろ手に組みながら小走りで近付いてくる。……ど、どうか、転びませんように。

…よかった、無事合流。切実な私の祈りは通じたらしい。


「おはよー和ちゃん!」

「お、おはようございます。
 咲さん、手を後ろに組んだまま走るのは危ないですよ?(ただでさえ何もないところで転ぶのに…)」

「えへ、ごめんなさいっ。これあげるから許して!」

「え?」


「ジャーン!」と、
自分で効果音を付けながら、背中に隠していたかわいらしい紙袋を差し出されたときは驚いた。
思わず目が丸くなる。


「はいこれ、バレンタインのチョコ!和ちゃんに1番に渡したかったんだあ!」
「ば、ばれんたいん…!イチバン…!?」


そこから1つ、手のひらよりも少し大きいくらいの小箱を取り出して、咲さんは確かにそう言った。
『感激』の二文字が心の中を一気に埋め尽くす。
私から渡す予定だったのに…まさか向こうから渡してくれるなんて…!
ああ、油断してると涙まで出てきてしまいそうだ。これは危ない。


「うん、1番。だって和ちゃん、絶対色んな人からチョコもらうもん…
その中の一つになるのはなんかヤだなーって。でも1番目だったらそれだけでちょっと特別でしょ?」


にへら、と笑う咲さん。
きゅーんと急激に高鳴る胸の心拍数…どこまでも人の心を掴んで離さない人だと思う。
私は心の中で歓喜の涙を豪快に流しながら、何度もお礼を言った。
受け取った瞬間無性にその小箱を抱きしめたい衝動に駆られたが、そんなことをしたら箱が潰れてしまう。
だけど、ただ持っているだけでも私の熱で溶けてしまうような気もする。…いや、それはないか。


「おうちに帰ってから食べてね」

「はいっ!本当にありがとうございます!」

「どういたしまして♪」

「(食べてしまうのがもったいなさすぎますが…)
 …あ、咲さん!実は私も咲さんにチョコがありまして…!」

「…えっ、ホントに!?」

「はい!…こ、これです!」

「うわぁ…!ありがとー!すっごく嬉しいよ!」

「そ、そうですか?喜んでもらえて…光栄です」

「えっへへー」


…他でもない貴女が望むのなら、私の1番どころかすべてを差し上げますけどね。
たとえ貴女から1番目にもらわなくても、最初から“特別”でしたけどね。

なんてことを頭の片隅に置きながら、笑いあった。
もう、このまま時間が止まってしまえばいいのに―…。



――


時は移り、放課後。
今日は朝から最高の思いをしたせいか、普段よりも時間の流れが早かったような気がする。
今は人がまばらになっている教室内で、忘れ物はないかと点検しているところだ。


そういえば、昨日からずっとどうやって渡そうかと色々考えあぐねていたけど
まさかこうもすんなりとそれが達成されるとは、予想だにしていなかった。
改めて、事前の計画とは無意味なものだと実感した。

…それにしても。

「重そう…」

どっさりとチョコやらクッキーやらが詰め込まれた紙袋。
今朝、咲さんから『絶対色んな人からチョコもらうもん』と言われたときは
そんなことはないと否定する余裕はありませんでしたが…。

中学のときより多い…?と思いながら、想像どおり重たいそれを左手に席を立ち、部室へ向かう。
無論、咲さんからもらった特別な1個はリュックに避難させてある(ちなみに最上層)。
部室の扉を開けると、すでに部長と染谷先輩がゆったりとお茶を飲んでくつろいでいた。
咲さんたちも、きっともうすぐ来ますよね。

あいさつを交わし、部長たちにチョコを渡して談笑していると、扉の向こうから足音が聞こえてきた。
来たかな、と思いそちらに体を向ける…が、やってきたのは優希と須賀くん。
…ごめんなさい、ちょっぴり残念だと思ってしまいました。


「ちわーっす!」

「やっほー来たじぇ!のどちゃんチョコくれチョコ!」

「あ、はい。―って優希にはもう教室で渡したじゃないですか」

「もう食べちゃったじょ」

「いつのまに!?」


…ってちょっと待ってください!
もしその中身のことを咲さんたちの前で言われでもしたら…ま、まずいじゃないですか!


「ゆ、優希。ちょっといいですか?」

「んー?咲ちゃんならもうすぐ来るじぇ?」

「そうですかっ!…あ、いや違いますそうじゃなくて!あのですね…―」


と、その時。

「こんにちは~」

がちゃりという音と共に、心地よい声が部室内に響いた。
さ、咲さん…! タイミング的に体がこおばる。
とりあえず、優希への話をいったん中断し、何事もなかったかのようにあいさつを返す。
そして即座に向き直り、咲さんから少し距離を置いたところで話を再開。早口ながらも小声で。


「と、とにかく!私のチョコの話はここではやめてくださいっ」

「うぇ?なんで?」

「な…なんでもです!チョコならまた作ってきてあげますから…!」

「?? よくわかんないけどわかったじぇ!」


よ、よかった…。
安堵のため息をつく。
一時はどうなることやらと思いましたが…まあ、なんとかなってよかった。
その点咲さんたちは大丈夫そうですし、心配いらないですよね。

ちょっとしたハプニングが解決したからか、いくらか気持ちに余裕が生まれ、
須賀くんにチョコを渡しそびれていることを思い出した。
メンツも揃ったことだし、そろそろ部活が始まるだろうから渡すなら今のうちに渡して……


「はい、京ちゃんこれ!」

「おっ、毎年毎年サンキューな咲!」

「どーいたしまして!」

「あ、そうだ。中身を当ててやろう」

「え?なんで?」

「ん~…今年は生チョコだろ!」

「…!?な…!」

「ははっ!その顔じゃ正解だな?
 まあただ言ってみただけなんだけど、これも長年の付き合いのおかげってヤツか」

「ウソ!?てかそんなんじゃ…!その前に京ちゃんちょっと、し、静かに…!」

「んぁ?なんで?」

「いいからシィー…!」

「??」


ピシッ。
わずか2メートルほど先で行われたその仲睦まじげな会話に、私の中の何かがひび割れた気がした。
胸の奥のそのまた奥の方から、どんよりとした何かが溢れ出てくる。

痛い。苦しい。イライラする。

なんだ?
なんだこれ。
きもちわるい…急に、本当に急にどうしたというんだろう。

なぜかはわからないが、須賀くんにチョコを渡そうという気が一瞬で失せてしまった。
それどころか、2人が楽しげに話しているのを見ているだけで気分がおかしくなりそうな気もする。

こんなこと、初めてだ。


「部長…私にもお茶、よろしいですか?」

「え?ああ…はいどうぞ」

「ありがとうございます」


飲みやすい温度に程よく冷めている紅茶。
受け取ったそれをチビチビと口にしながら、自分なりに今何が起こっているのかを考えた。
最初はただ単に具合が悪くなってしまったのかと思ったが…そういうワケではなさそうだ。
確かに気持ち的な意味では悪いけど…何かが違うように感じる。
じゃあ、何?

ふと何口目かを口にしながら、あの2人のことを視界に入れてみた。
チョコの話題は終わったらしく、違う話で楽しそうに笑っている咲さんを見ると胸が痛んだ。
その相手は…咲さんの幼馴染だという須賀くん。
私の知らない日々を…私の知らない咲さんを知っている人……。


「―――あ」


やっと、この謎の扉を開けることができそうな鍵を見つけた。
でもきっとこれで合っていると思う。試しに差し込んでみましょうか?
…ほら、カチッて。もう、あとは押すだけで…


「……っ」


今まで閉ざされていたのがウソみたいにすんなり開いた。
初めて使ったその鍵の名前は…『嫉妬』。

そうか、私…須賀くんに嫉妬していたんだ。

それに気付いて自己嫌悪に陥りかかる。

(私って、こんなに心が狭かったんですね…。)



*



「…でね?順番的に次は私が当たりそうだったから――」
「…ふふ、それは意外でしたね」
「でしょー?先生ったらさあ」


2人っきりで歩くいつもの帰り道。
この時だけは明るく笑えている自分がいた。
だって、こんなにも彼女の笑顔がまぶしいから。
私のよどんだ心の隅々を照らしてくれる――そんな貴女こそ天使なんじゃないだろうか?

朝から浮かれて、さっきへこんで、今立ち直って。
そんな自分の単純さに思わず苦笑してしまいそうだ。
そしてまたきっと、別れたあとに落ち込むのだろう。…わかる、自分のことだから。

「ん?何笑ってるの?」
「え?あ…その、楽しくて」

い、いけないいけない。どうやら苦笑が漏れていたらしい…
とっさに言った言葉だったが、ウソはついていないからよしとしよう。


「えへへ、私も楽しいよ!」


…まただ。
また、この笑顔。
赤くなった顔を見られたくなくて、パッと前を向く。

少なくとも、今この時の咲さんを知っているのは私だけなんだと思うと、嬉しくなった。
ああ、だからこのまま時間が止まってしまえばいいのに…



――


別れ道に差し掛かった辺りで、今日の部活の前のこと―
引いては須賀くんのことを尋ねてみようか迷ったが、本当はそんな勇気なんて少しもない。
だから結局、何も聞かずにそのまま別れて今に至る。
PM6:27。その時からわずか2分しか経っていないが、とても長く感じた。

彼女が隣にいないだけで…ほら、こんなにも寂しい。
足を止めて振り返り目を凝らしてみても、もう姿は見えなかった。


「…貴女の“本当の特別”は、誰へ向けたものなんですか…?」


疑問系で在りながら答えを望まぬその声は、北風と共に消えていく。
見上げた冬の空はなんだか今にも泣き出しそうで、
ああ、そういえば確か今日は雪が降ると聞いてたんでしたと思いながら、歩みを再開させた。

歩きながら、リュックの中のアレを取り出す。そう、咲さんからのチョコ。
両手で包み込むようにして持つそれは、左肩にかけた紙袋のどれよりも重く感じた。
「食べ歩きははしたないのでしてはいけない」と昔から両親に固く言われて生きてきたので
今さらそれを破ろうとは思わなかったが、ただ見るだけならと、その小箱を開けてみる。


―――…あれ?


思わずまた足を止めてしまった。


「どうして…?」


そこにはとても形が整っている生チョコが数個。…と、クッキーと四葉のクローバー。
震える手で触ってみたクローバーは、本物だった。
私はいよいよ混乱する。


『ん~…今年は生チョコだろ!』
『…!?な…!』


だ、だって…生チョコだけなんじゃ……!?


『…その前に京ちゃんちょっと、し、静かに…!』
『んぁ?なんで?』
『いいからシィー…!』
『??』


まさかあの時の会話は、その少し前の私と優希と同じようなものだったと?
…いや、いやいや。そんなはずは……っ?



『おうちに帰ってから食べてね』



「……!!」


今来た道を引き返し、チョコを抱えて走り出す。
走る。まだ追いつける。
追いついたら聞いてみよう。
このチョコの、“特別”の意味を。


白い息と共に、桜色の髪が舞い上がった。
時刻はPM6:31。

まるでその少女を見守るかのように、今、雪がしんしんと降り出した。


…なぜなら今日は全ての恋する人々の祭日、St. Valentine's Day―――。



~FIN~



最終更新:2011年04月27日 10:39
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。