初恋のかくれんぼ




―――最初は、自分がどういう状況に置かれているのかわからなかった。


「へっへっへ!つーかまえたっと!おい、ちゃんと見張っとけよ?」
「オッケ~!」


――『なぁなぁそこのキミ!俺たちちょっと迷っちゃってさー。よかったら道案内してくんない?』
――『え?あ、ごめんなさい…私、かなりの方向音痴で…というか私も実は迷ってたりしてて…』


ただ、道を尋ねられたはずだったのに。


「どうだー?誰か来そうかあー?」
「んー…いや、誰も来ねえな!やるんだったら今の内だぜ?」
「おし!」


―――「やる」って、何を?


なにがなんだかわからない…そんな完全なる放心状態の私が今、わずかながらに理解できることは、
自分の目の前に見知らぬ男の人が2人いることと、
その内の1人に手首を壁に押し付けられていること。

そして、私・宮永咲、人生最大のピンチであること…その3つだった。


―――…こわい…!


“今スグ逃ゲロ”――生きるための本能が脳内に緊急サイレンを鳴らすが、肝心の身体が言う事を聞かない。
まるで石にでもなってしまったのかのように、全身が固まってしまっていたのだ。


「ぁ…いや……」


こういうの、見たことある。
小説とかドラマでは結構お馴染みの、『ヒト気のない路地裏での暴行・強盗』、とかいうヤツだ。
…そして今のコレはまさにソレ。
『絶対絶命』の4文字がこれ以上ないくらいふさわしい状況下。
普段は天然と言われ続けている咲でも、これくらいのことは嫌でも理解できた。

…自分は、この2人に騙されたのだと。


―――誰か…誰かあ…っ!


焦りと恐怖が身体中を覆い尽くし、冷や汗と涙が一気に溢れ出てくる。
さっきから大声を出そうとしているのに、どうしても言葉になってくれなかった。
迫り来る男の腕と下卑た笑い声を最後に、咲は諦めの念を浮かべながらぎゅっと強く目をつぶる。

(助けて…誰か…助けてっ……!)



「咲さん……?」



狭くて薄暗い路地裏に、一際凛とした声が響いた。

男たちが降り向いたのと同時に反射的に目を開けると、――そこには。


「…何を、してるんですか」


このように暗いところから見ている私からしたら、
太陽をバックに立っているその人の表情などは影になっていてよくわからなかった。

でも、わかる。
たとえその姿が見えなくとも、たとえ声しか聞こえなくとも、
嶺上開花をツモるとき以上の絶対の自信が、心の中の一筋の光となって降り注いだ。


「のど、か…ちゃん……」


あれほど出そう出そうとして全く形にならなかった声が、今はっきりと空気を震わせる。


「…チッ、見つかっちまったか」
「てかなんか知り合いっぽくね?ウケるんだけど」
「はっ、確かに!じゃあお友達と一緒に俺らといいことしようかー!」
「っ…!!」


―――和ちゃん…!!


“早クナントカシテモラエ”――本能からまた命令が下ったような気がしたけれど、そんなことは知ったこっちゃない。

生き抜くための『野生』より、大切なものを傷付けたくないという『理性』が、咲の中で強く強く渦巻いていた。


「…和ちゃん!逃げて!!」


さっきまであんなに誰かに助けを求めていたというのに、
いざその場面になった途端思っていたこととは正反対のことをしてしまっている自分。

だって、確かに怖いけど、怖くて怖くてたまらないけど、
彼女が汚されることのほうが、もっともっと、何百倍も恐い!

だから…!!

(逃げて…和ちゃん!どこか、人のいるところまででいいから…!)


「誰が逃がすか!ちょっとお前押さえてろよ!」
「わかった!わかったから行け!」
「大丈夫ですよ」
「「は?」」
「え…!?」
「私は逃げませんから」


なっ―――!!

「な、何言ってるの和ちゃん!私のことはいいから早く」
「お前は黙ってろ!」
「いっ…!」

掴まれている手首に更に力が込められ、また壁に押さえ付けられる。
そして改めて、今自分がどのような事態に陥っているのかを理解した咲は、絶望感に打ちひしがれた。
…が、しかし――。


「咲さんを放してください」


その凛とした声には。
何ひとつの怯えも淀みも、一切感じられなかった。

刹那、雲が横切る。
いい加減暗所にいた咲の目も慣れ、ようやくしっかりと彼女の姿を見ることができた。


「な、んだよ、お前…」
「いえ、何も頼む必要はありませんね」
「はぁ…!?」



「今すぐ、咲さんを放しなさい」



―――どうしてここに和ちゃんが?、とか
―――優希ちゃん以外での和ちゃんの命令口調、初めて聞いたな、とか

他にも色々、思うことはあったけれど。
その時の私は、彼女の――凍て付くような鋭い怒りに満ちた眼差しのことで…頭がいっぱいだった……



      • 一番近くにいるキミに… 一番かくしてた…---


*


あまりにも冷たすぎる和の威圧感。
それに飲み込まれかけていた男が我に帰ると、和が「何か」を路地裏に投げ込んでいるところだった。
あっけに取られた男たちが、何事かと目で追うよりもずっと早く、


≪ジリリリリリリリリリリリイイイイ!!!!≫


という鼓膜を劈く(ツンザく)ような轟音が、その「何か」から辺り一帯へと鳴り響いた!


―――防犯ベル!?

もはや目で確認しなくともわかる、すぐそこから聞こえてくるけたたましいアラーム音!
しかもここは狭い路地裏、反響して何重にも聞こえるその大きさといったら、たまったものではない。
それに加えて

「もしもし!警察ですか!?」

という和のアラーム音にも負けないくらいの張り上げた声が聞こえてきた暁には、
男たちは耳を塞ぎながら尻尾を巻いて逃げる道しか残されていなかった。


それによってやっと自由になった咲も、しゃがみながら必死に耳を塞ぐ。
その寸前、咲は

「逃がすもんですか……!!」

という和の怒りに震える声が聞こえた気がして、とっさに顔を上げた。
すると、先ほどまで路地裏の入り口付近にいたはずの和がいつのまにか、
男たちの跡を追ってここまで走り出してきていた。
そして一体何を思ったのか、和は自分の足元―しゃがんだ咲の目の前―にある防犯ベルを、

ガツン!

と、何の躊躇いもなく蹴り上げたのである。


凄まじい音を立てながら跳んでいく防犯ベル。
それは一寸の狂いもなく真っ直ぐ進んでいき…見事、咲を押さえ付けていた男の頭に直撃した。

「いでっ!」

そして…天の罰が下ったのか、悪魔のイタズラの仕業なのかはわからないが、
なんとベルはそのままスポッと、男のパーカーの帽子に入っていったのである!


「え、う、ウソでしょ…」

メジャーリーガーのサッカー選手も目を丸くするようなスーパープレー…。
未だ困惑状態から抜け出せない咲であったが、思わずそうツッコんでしまった。
今起こったことの一部始終を動画にしてどこかのテレビ局にでも送れば、
間違いなく何かの賞の1つや2つはもらえたことだろう。
そのくらい、あざやかなナイスシュートだった。

どたばたと慌てて走り去る男たちが、轟音と共に遠ざかっていく。
その根源が自らの真後ろにあることにも気が付かないまま。
このまま路地裏を飛び出せば、通行人から怪しい目で見られることは確実だった。

「待ちなさい!!」

だが、和はなおも食い下がり、男たちの後を追っていく。
普段の姿からではとても想像できない、冷静の「れ」の字も感じられない今の彼女を止められるのは、

彼女の逆鱗に触れたあの男共に制裁を下したまさにその時――…または、

その逆鱗の元々の原因となった、彼女にとっての最重要人物以外にないだろう。


「ま、待って!和ちゃん!」


和の足が止まった。
それどころか少し引き返した。


「もう、いいから」
「さっ咲さん!お怪我はありませんか!?」
「…ん、大丈夫。何もされてない」
「…!よ…よかった……っ」
「…うん。だからね、もう」
「!そういうわけにもいきません!」

もし私が、異変に気が付くのがあと少しでも遅かったら…!
そう思うと本当にぞっとする。
と同時に、奴らに対する憤怒の念がまたふつふつと湧き出てきた。


―――絶対に許してなるものか。


奴らは私の1番大切な人に手を出したんだ。
このままみすみす見逃していいことなんて、あるはずがない…!

「くっ…!」

もう一度追いかけよう。
奴らの姿はもう見えなくなってしまったけれど、幸いまだかすかにアラーム音だけは聞こえるから。
それを頼りにすればきっとなんとか―――。


「和ちゃん…」
「安心してください咲さん、きっと私が」
「あ…そ…そうじゃ、なくて」
「え?」

(な、涙声…?)


「い、今は…そばにいて……お願い…」


(―――……っ!!)


咲の涙。
それを目にした瞬間、怒りによって我を忘れていた和の頭に冷水がぶっかけられた。

私は、馬鹿だ。

奴らのことなんてどうでもいいじゃないか。
いやどうでもよくはないけど、でもそれよりももっと大事にするべきことがあったというのに。
そのことにようやく気付くことができた和は、地面にペタリと崩れ落ちている咲の元に一目散で駆け寄った。

そして彼女を守るように、きつくきつく、抱きしめた。


「ご…ごめんなさい!わ、私、頭が真っ白になってしまって…!」
「…ううん、いいの。和ちゃんのおかげで助かったんだもん。本当にありがとう」
「すっ…!…友達を助けるのは当然のことです!」
「ふふ、そっか…やっぱり和ちゃんはすごいね。怖くなかったの?」
「…それは…怖かったです、けど…でもそれよりも貴女のことで頭がいっぱいで…」
「…!…うん…!ありがとう…っ」


再度、咲もきつく和を抱きしめた。
すると先ほどまでの失望感が嘘のように、安心感に包まれる。
恐怖によって流れた涙がだんだんと治まっていくのを、頭の片隅で感じていた。


「…ねえ、どうして和ちゃんはこんなところにいたの?」
「どうしてって、ここは私の家の近くですから」

(あ、そうだった)

こんなことがあったものだからすっかり抜け落ちちゃってたけど、
私、ここまで来た理由がちゃんとあったんだった。あっちゃー、忘れてた…。

「時間があったから買い物に出かけたんです。
 そうしたら、路地裏の方にこれが落ちてるのが目に入って」

抱きしめあっていた腕に一旦小休止を置いて、咲は和の手の平に目を落とす。

「あ…」

それは夏の合同合宿の時に2人で買った、思い出のマスコットだった。
咲は全く気付いていなかったが、あの男たちに無理矢理路地裏に押し込まれた際
カバンにつけていたそのマスコットが振り落とされてしまっていたのだ。
そして、それを偶然―か必然か―見つけた和。
ふいに嫌な予感が巡り、そうじゃないことを祈りつつ、辺りを注意深く見回したら咲の危険に感づいたという。

「そうだったんだ…」

咲は、そのマスコットに言葉では言い現せられない何かを感じた。
机の上では決して説明することが出来ない、“キセキ”的な何か。
そういうのを彼女は信じない派だけど、それでも今なら笑って聞いてくれるような気がする。


「咲さんこそ、どうしてこんな辺ぴなところにいたんですか?」
「え?」
「え?じゃありませんよ、もう!ここは私の家の近所で!今日は日曜日なんですよ!?
 …どうして…声をかけてくれなかったんですか……」

―――私がそばについていたら、危険な目になど遭わせやしなかったのに。

「あぅ…それは……」

咲は迷った。
このことは自分の中で「すべてはあの日の為だけに!」と、誰にも話さずにしてきたことだったからだ。

先週の土曜、和の家に遊びに行ったその帰り。
道の外れにコジンマリとした、どこか惹かれる雑貨店を見つけたあの時から。

けど、こうなってしまってはもうしかたがない。

「和ちゃん、ちょっといいかな」

(1日くらい早まっても、別に平気だよね?)


      • 一番早く見つけたくて… 広いこの空の下…---


*


がさごそとカバンを探る咲を、和は少し不安げに見守った。
そうしてすぐに出てきたのは、両手の平くらいの大きさの、かわいらしく包まれたプレゼント箱。
…そう、これこそが、咲の冒険の理由。

近所に住む和に万が一見つかってしまわないよう、コソコソ歩いて結果道に迷ってしまった理由。

近所に住む和に誘いの連絡を寄越さなかった、その理由――。



「和ちゃん、誕生日おめでとう!」



まあ、ホントは明日だけど…と、咲ははにかみながら笑った。


「……―――。」


しかし、対する和は無言のまま。
否、言葉を失っていたのである。
その代わりに溢れてくるは、大粒の涙。

愛しさとか嬉しさとか安心感とか、後悔とか寂しさとか辛さとか、
そういうのが色々とごちゃごちゃになってはち切れた時、涙は生まれる。
涙って、きっとそういうもの。
今回の場合は無論、前者のほうだ。

「……ッ!!」
「わっとと」

堪え切れず、和はまた咲を抱きしめた。というより、抱きついた。
だって、こんなのうまく言葉にできない。
この気持ちを表現するには、きっといくつもの辞書を読みふけなければならないだろうから。

一方咲は、喜ばせるつもりが無言な上に大泣きまでされてしまって
内心かなり焦ってはいたものの、耳元から

「…ありがとうございます…!すごく、嬉しいです…!」

という和の感謝の言葉に心からほっと胸を撫で下ろし、和の髪を優しくなでた。
いっぱいいっぱいなのは咲も和も一緒なのだ。


「あ、あの、空けてみてもいいですか?」
「もちろん!」

その言葉を受けて、丁寧に包装紙を剥がし始める和。
今度は咲が暖かく見守る番だった。

どきどきどきどき。

箱の中から現れたのは、透き通るような美しい赤で造られたハート型のネックレス。


「10月の誕生石。トルマリンっていうんだって」
「…綺麗…」
「でしょー?和ちゃんが好きそうだなって思って。絶対似合うよ!」
「わ、私に?」
「うん!…ね、つけさせて?」
「はい!お、お願いします」

…だが、この時の2人はまだ知らなかった。
ネックレスを手前から他人につけるその行為は、

(あれ…ちょっと、これは思ってたより…!)
(ちっ…近くないですか……!?)

なんだかとっても至近距離、ということに。

今の今まで抱き合っていたというのに、どうしてここではずかしくなってしまうのか。
さっきまでの大胆な行動はいったい何だったのか。
2人はきっとこれからも、この調子でゆっくりと距離を縮めていくのだろう。

肝心のネックレスは、結局この何とも言えない雰囲気に耐え切れなくなってしまった和が
ものすごい勢いで後ろを向くことによって、なんとか解決した。

どきどきどきどき。

今の2人は確実に、トルマリンよりも真っ赤だろう。
そしてようやっと付け終わった咲が、口を開く。


「トルマリンの石言葉、知ってる?」
「いいえ…」
「“希望”、なんだって」
「希望……」


そう…これは、和のためであり、何より咲のためでもある、石言葉。


「…いい言葉ですね。ずっとずっと、大切にします」


      • 一番近くにいるキミに… 一番かくしてた…---


本当は、明日の帰りにでも2人っきりになった時に渡そうと思っていた。
…そして、伝えようと思っていた。
ムネに秘めたこの想いを。


      • 一番早く見つけたくて… 広いこの空の下…---


だけどそれにはこの場所はあまりにもムードがなさすぎる!
……だから、もうちょっとだけかくしておこう。

大丈夫。
前に進むための光となる“希望”なら、もう充分もらったんだから。



「あ…」
「ん?何、どうしたの?」
「…咲さんはもう1人で外出するのは禁止ですからね!」
「え…えぇ~!?」



      • 遠い・おさない・想い。初恋の『かくれんぼ』---




最終更新:2011年04月27日 10:47
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