いつものようにドアを開けて部室に入る。
「こんにちは」
と、普段通りの挨拶をして、後ろ手にドアをしめる。
初めの内は声をかけるだけで緊張したけれど、
麻雀部での生活にも馴れて、もう何のひっかかりもない。
荷物を置いて、麻雀卓を囲んで、みんなで練習をして、
そうやっていつも通りの楽しい時間を送る、
その筈だったのだけれど………。
「おかえりなさい、咲さん」
「うん、ただいま……」
(そうそう、ただいま……ん?…ただいま?)
顔を向けるとエプロン姿の和ちゃんが居て、ますますわけがわからなくなった私は、
混乱したまま取り合えず何かしゃべらなくてはと思い、口を開いた。
「って、あれ、和ちゃん?」
「はい。何ですか?」
「今、おかえりなさいって……」
「はい。言いましたけど」
「そうじゃなくて、どうして? 他のみんなは?」
言葉を発するうちに頭の整理がついて、
『どうしておかえりなのか?』
『他のみんなはどうしたのか?』
という二つの疑問が浮き彫りになった。
答えを聞くべく和ちゃんの方を見ていると、帰って来たのは
「他に誰も来ませんよ。今日は11月22日ですから」
という言葉。
「どういうこと?」
思わずそう尋ねると、彼女がふくれっ面をしたので焦ってしまった。
「前に言ったじゃないですか。恋人なんですから、時々の行事を
大事にして下さいって」
「ご、ごめんね」
「今日は11月22日、つまり『いい夫婦』の日ですよ」
「う、うん。そうなんだ。全然知らなかったよ」
「折角部室の使用願いを部長にとりつけたのに」
「使用願い?」
「はい。ですから今日この部室に入れるのは私と咲さんだけです。
他のみんなはもう帰りましたよ」
「帰ったって、本当?」
「はい。夫婦水入らずです」
「あ、う、うん………//////」
一応事態が飲み込めた私を、和ちゃんはベランダへと導いた。
そこにはテーブルを挟んで二つの椅子がセットされていて、
そしてピンクと茶色の刺繍が編みこまれたテーブルクロスの上には
ケーキとティーポットが置かれていた。
「あの刺繍は私と咲さんの髪の色をイメージして編んだんですよ。
ケーキは家で焼いて持って来たんです。紅茶が冷めないうちに食べましょう」
和ちゃんの言葉に従って椅子に座り、切り分けて貰ったケーキを口に入れると、
ふんわりとしたスポンジを甘さの抑えられた生クリームでデコレートしたそれは
とても美味しかった。
シナモンスティックを砕いて入れたという紅茶も
寒くなってきた季節にぴったりで、思わず顔が綻ぶ。
もう冬ではあるけれど、空は雲ひとつない快晴で、加えて風も無いから、
穏やかな日差しを受けつつ和ちゃんと二人で向かい合っていると
(夫婦っていいなぁ)
自然とそんな風に思えた。
暫く二人でケーキを食べつつ旧校舎の最上階から山々を見渡していたら、
和ちゃんが咳払いをして注意を促し、口を開いた。
「折角『いい夫婦の日』なんですから、夫婦らしいことをして下さい」
「え、急に言われても。何をしたらいいかな?」
「そうですね。例えば歌を歌うとか」
「どんな歌?」
「そうですね。結婚式の定番、長渕剛の『乾杯』はどうですか?」
「わからないよ……」
「じゃあ、『テントウムシのサンバ』は?」
「………」
黙って首を振った私に向かい、和ちゃんが続けて口を開いた。
「ヴァン・ヘイレンの『OH!PRETTY WOMAN』ならどうですか?」
(どうしてそんな知らない曲ばかり挙げるの?
コブクロとかGrayなら私でも歌えるのに……)
そんな風に困っていると、和ちゃんが笑顔を浮かべるのが見えた。
「しょうがありませんね。じゃあ、キスして下さい」
「え、ええ!?」
「嫌ですか?」
「それなら全然いいけど………//////」
そう告げた瞬間真っ赤になった和ちゃんにキスをすると、
先程食べたケーキの味が微かに甘かった。
最終更新:2010年04月24日 18:52