4-170氏 無題

「原村和はアイドル」

という龍門淵さんの言葉を聞いた後で、図らずもそれも証明するような場面に
鉢合わせてしまい、急に原村さんが遠い存在になってしまったような気がした。
みんな彼女のことが大好きで、近付きたいと思っている。
私もその中の一人に過ぎなくて、いつか見向きもされなくなっちゃうのかな……。
授業を受けていても悲しい想像ばかりが頭に浮かんで、
部活に向う時間になっても何だか足が重い。
原村さんを見れば、それだけ心が弾むに決まってるし、

「宮永さん」

といつもの調子で言われたら、嬉しくてきっと期待したくなっちゃう。

(私が彼女にとって特別な存在なんだ)

そんな風に、ありもしないことを………。
だから、余計に辛くなる。
私は優希ちゃんみたいに名前で呼ばれるような親しい間柄じゃなくて、
「宮永さん」というその他大勢の内の一人に過ぎないんだ。
嫌でもそのことを思い知らされるだろうから、
何となく授業が終わりに近付くにつれて心が沈んでいった。

とぼとぼと歩きながらふと仰ぎ見ると、
旧校舎の白壁が午後の日差しに明るく照り返し、
最上階にある麻雀部の部室は、青い空の中で一際良く目立っている。
その雲一つない晴れ渡った情景に心が揺れて、思いがけず

(好きだよ、原村さん)

という本心がこぼれた。
寂しさで乾いた胸に報われることのない想いがじわじわと染みを作っていくのを感じながら、
私は溜息を吐いた。

その時、

「どうしたんだい坊主、辛気臭い面して!」

そんな言葉と共に胸を揉みしだかれた。

「わっ!? 誰!?」

突如現れた得体の知れない存在を振りほどこうと反射的に体が動いたけれど
しっかりと私の体を捕まえて離してくれない。胸の中に恐怖が芽生えたところで

「のどちゃんのわがままおっぱいもいいけど、
 咲ちゃんのこの未発達なおっぱいもこれはこれで味わい深いじぇ」
「優希ちゃん!?」

正体がわかって取り合えずほっとした。緊張が解けた拍子に心も体も脱力し、その場にへたりこむ。

「もう、びっくりしたよ」
「咲ちゃんが溜息なんて吐いてるから、私がおっぱい占いで見てみようと思ったんだじぇ」
「そんなの当たるの?」
「うむ……この触り心地は…坊主、今恋をしてるな?」
「えぇ!?」
「相手は誰だじぇ!?」

もし相手を知られちゃったら………
原村さんに対する想いを知られちゃったら………
一息ついたと思ったのも束の間、血の気が引いていく。
そんな胸の内をよそに胸をまさぐる手付きは一層激しくなって、

「ゆ、優希ちゃん!」

たまらず声を上げたのに、優希ちゃんは放してくれなかった。

嫌よ嫌よも好きのうちだじぇ」
「駄目だよぉ」
(でも、何だかくすぐったくて力が入らない……どうしよう……知られちゃう)
「さあ、相手は誰だじぇ」
「止めてってばぁ」
(知られたくない……原村さん……)
「観念するんだじぇ、咲ちゃん!」
「………」
(もうやだぁ……どうしてそんなことするの、優希ちゃん)
「咲ちゃん?」
「………うぅぅ……えぇ~ん………」

泣き出してしまった私を見て、優希ちゃんがようやく胸を揉んでいた手を止めた。
そしておろおろとしながら必死に謝る声が聞こえてきた。
涙は止まらなくて、日差しに照らされてるというのにちっとも濡れた頬は乾かなかった。
原村さんに対する想いそのものみたいに、後から後から溢れてはこぼれていった。
風が吹くたびに涙の通り道が冷たくなぞられて、
「やっぱり好きなんだ」
という気持ちが改めて感じられる。
暫くそのまま泣き続けてから、私が

「大丈夫だよ」

と言うと、優希ちゃんも漸く安心したみたいだった。それなのに……

「宮永さん、どうしたんですか?」
(……その声は……)
「の、のどちゃん!」
「なんで泣いているんですか!?」
「あ、あの……」
「うぐ、それは………」

タイミングが悪すぎるよぉ…………。
私は涙の跡をこすりつつ、声の主の顔を見ることが出来ずに俯いた。

「優希、まさかあなたが!?許しませんよ!!」
「ちが……」
「私はただ咲ちゃんが誰に恋をしてるのか確かめようと思っただけだじぇ」
「宮永さんが恋!? 誰なんですかそれは!?」
(え、えぇ?)
「だからそれを確かめてたんだじぇ」
「誰なんですか、宮永さん!?」
「あ、あの……」
「誰だじぇ!?」

藪から棒に話の矛先がこっちに向くなんて……うろたえる私をよそに
原村さんも優希ちゃんも真剣そのものの顔つきで、絶対に逃がさないという意思が表情に滲み出ている。
前門の虎と後門の狼。
そんな二人の剣幕に草食系の私はすっかり縮こまってしまった。

そう言えば、こんな様子を
悪魔と深い青い海の間に………
なんて言うんだっけ。

最近読んだ「ナルニア国物語」に書かれていた慣用句が唐突に思い出される。
走馬灯ではないけれど、感極まって頭の中が錯綜してるみたい。
原村さんが大好きなのに、優希ちゃんのように名前で呼んで貰うことは出来なくて……
そんな二人に並んで問い詰められると、居た堪れなくなる。

「誰なんですか、宮永さん!?」
「誰なんだじぇ、咲ちゃん!?」
「ちょっと待ってよ……」
(言えないよ………そんなこと……)
「宮永さん!!」
「咲ちゃん!!」
「あ、あの…」

(原村さんのことが好きなのに……酷いよ……)
(どうして二人してそんなことを言うの……?)

口に出来ない言葉が次から次へと浮かび、悪魔と深い青い海の間に投げ込まれる。
それは反響する音すら残さずにひっそりと私の心に消えていった。

「宮永さん……?」
「咲ちゃん……?」
「………」
(もうやだぁ……)
「「!?」」
「うぅぅ……うわぁぁん」


部長「それで和は咲を送って帰ったのね?」
優希「そうだじょ…」
部長「事情はわかったわ。あんまりつついちゃ駄目よ。
咲はああ見えてというか、見かけ通りというか、繊細なんだから」
優希「はいだじぇ」
部長「まあ、何はともあれ優希、グッジョブよ!」
優希「ふぇ?どうして?」
マコ「そうじゃのう。あんたにしては珍しくいい仕事じゃ」
優希「染谷先輩までどうしたんだじょ?」
部長「災い転じてなんとやらね」
マコ「福となるかは本人達しだいだがのう」
部長「まあね」
優希「どういうことだか全然わかんないじぇ!」


「宮永さん、ごめんなさい」

学校からの帰り道を歩いている途中、少し後ろから付いて来る原村さんが、
もう何度目になるかわからない謝罪の言葉を口にした。

「気にしないでいいよ。何でもないから」

私もその度に打ち消すのだけれど、俯いたままずっと沈んだ顔をしている。
こんな風に会話もなく、沈うつな雰囲気で歩くのは久し振りで

「そんな打ち方を続けるなら麻雀部を退部して貰えませんか?」

自然と出会ったばかりの頃のことが思い出された。
あの時から何も変わっていないのかな……
嫌な想像ばかりが頭に浮かんで、辛くなる。

でも、どうしていいのかわからなくて、暫くそのまま歩き続けてから

(あれ、ここって)

いつの間にか原村さんと全国大会に出場することを誓い合った
あの湖の畔に辿り着いて、足が止まった。
西日が湖面に映って綺麗な波紋が出来ているけれど、周りには誰もいなくて、
何だか寂しさが心に染み込んでくるみたいに感じられる。

(原村さんと一緒にいるのに、どうしてこんな気分になるんだろう)

振り返ると彼女は相変わらず俯いたままでいるのが目に入って

「大丈夫だから、いつもみたいに笑ってよ、原村さん」

思わずそんな風に言ってしまった。

原村さんがはっとして顔を上げたので、急に胸の鼓動が大きくなる。
緊張しつつ返事を待っていると、

「ごめんなさい」

という前置きの後で

「気になって仕方がなくて……」

小さな声が返って来た。

湖面を小さく波立たせながら渡ってきた風が
私と原村さんの髪をたなびかせ、
次の瞬間にはもう遠くに去っていた。

「何が気になるの?」

尋ねた私をちらりと見つめるや、原村さんは真っ赤になって視線をそらした。

「その、宮永さんが誰に恋をしてるのか………」
「ふぇ? あ、あれは……」
「嘘ではないんですよね」
「え、えと……」
「だって泣いてたじゃないですか…」
「それはそうだけど………」

と口にしてから、当の原村さんが泣きそうな顔をしているのが目に入った。

「は、原村さん、泣かないで」

慌てて近寄った私から顔を背けて

「だって、宮永さんが言ってくれないから……悲しくて…」

と震えた声を返す小さな背中に胸が落ち着かなくなる。

「どうしてなの?」
「どうしても気になるんです」
「それを言えば悲しまずにすむの?」

小さく頷くのが見えて、急に胸が苦しくなった。

(私が言えば原村さんは泣かないって言ったけど、でもきっとびっくりするよね)
(まだ名前で呼び合ってもいないのに、そんなこと……)
(それに、もし拒まれたらどうしよう………)

考え出すと止まらなくて、胸の鼓動ばかりが早くなっていく。
膝の力が抜けてへたりこみそうになったところで、

「言ってくれないんですか?」

原村さんのすがるような声が聞こえてきて、私は反射的にその体を後ろから抱き締めた。

「わ、私……原村さんが……好きなんだ…」

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最終更新:2010年04月24日 18:55
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