(あれ、どうしてこんなこと言っちゃったんだろう?)
勢い任せに告白した後で、その行為がどれだけ大きな意味を持っているのか、今更だけど考えが及んだ。
(女の子なのにこんなことを言うなんて変だよね)
(断られたら今までの関係にはもう戻れなくなっちゃうのかな)
(なんでこんなこと言っちゃったんだろう…)
告白する前と後では世界が変わってしまったみたい。
急に感覚が冴えて手のひらに汗が滲んでいることや、
抱き締めている原村さんが固まったみたいに動かないこと、
そんな様々なことが一斉に頭に流れ込んで来た。
時間の流れがやけに重苦しく感じられて、
腕の中で静まっている原村さんに何か言って欲しくなった。
でも返事を聞くのはやっぱり恐いから、出来れば無かったことにしたい……
だって、そうすれば今まで通りやっていけるはずだから……
頭に浮かんだその思い付きにすがるように、原村さんから体を離した。
「ご、ごめん」
一歩距離を置いてから慌てて謝った私の言葉は、静かにその背中に吸い込まれていった。
(嫌いにならないで……)
強く祈りながら待っていると、
「どうして謝るんですか?」
背中越しに抑揚のない返事がかえって来て、振り返らない原村さんに何だか嫌な想像を掻き立てられた。
それをどうにかしたくて、私は取り繕うように必死になって言葉を投げた。
「だって変なことを言っちゃったから」
「変なことだったんですか?」
「うん。なんか慌てて……」
(こっちを向いて。嫌わないで)
「じゃあ、嘘なんですか?」
「う、嘘ってわけじゃないよ。原村さんは大好きな友達」
(だから何でもなかったみたいに笑って)
「友達……なんですか?」
「うん。今日のことは気にしないでいいから、私はなんでもないから、
またいつもみたいに麻雀を打てたら嬉しいかも」
「……ですよ…」
「え?」
「私は……」
そう言って振り向いた原村さんは、泣いていた。
驚いて近寄ろうとしたのだけれど、両手で突き返されてしまい叶わなかった。
その動作には『来ないで下さい』という言葉が聞こえて来そうな明確な拒絶の意思が感じられた。
「嬉しくありませんよ! 無かったことになんて、出来ませんよ!」
「原村さん!」
訳も分からず叫んだけれど、その声は走り去る原村さんの背中に弾き返されて、呆気なく地面に墜落した。
(なんであんなことになっちゃったんだろう)
(別れ際に見た原村さんの涙が頭から離れてくれないよ)
その日の夜はベッドに入って目を閉じてもなかなか寝付けなくて、
意味もなく寝返りを繰り返しては、その度に溜息が出た。
(原村さん……)
暗闇の中に浮かぶその顔はいつもと違って泣いている。
原因はきっと私にあって、それが何なのかはわからないけれど、でも
(原村さんには笑っていて欲しいんだ)
(だから私は明日もう一度ちゃんと謝ろう)
と心に決めた。
それで心がはやっていたからだと思うけれど、翌朝は随分早く目が覚めてしまった。
そのままベッドの中で安穏としている気にはなれなくて、余った時間でいつもより念入りに顔を洗い
(ちゃんと謝るんだ)
そんな風に自分に言い聞かせる。
ご飯を食べ終え制服に着替えてから、玄関の前で一度を目を瞑り、
(よし、行こう)
開いた瞬間足を踏み出して、その勢いのまま
いつも原村さんの後ろ姿が見える場所まで走りきった。
膝に手をついて乱れた呼吸を整えながら時計を見たら、ちゃんといつもよりも少し早く着けている。
心なしか日の光も弱く感じられるし、登校途中の生徒もまだあまりいない。
普段とは違う通学路の様子を眺めていたら
(もう少しで原村さんが来るんだ)
自然とそのことが意識されて、おさまりかけた鼓動がまた早まってしまった。
ぽつりぽつりと生徒の姿が増えていき、皆立ったままでいる私を横目で伺って通り過ぎて行く。
その中に原村さんの姿を見付けようと思った瞬間、やっぱり緊張してしまった。
(大丈夫。大丈夫)
心の中で言い聞かせても不安は拭えなくて、一秒がとても長く感じられた。
(大丈夫だよ…)
酸素の足りない水槽を泳ぐ金魚みたいに口で息をしていたら、いつの間にか生徒がいなくなっていた。
(あれ?)
遙か遠くまで見通せる一本道には人影がなくて、時計を見たらもう遅刻寸前。
(どうしよう…)
少しの間考えてから、結局後ろ髪を引かれる思いでその場を後にした。
緑に囲まれた通学路を一人走りながら、肩透かしにあった緊張が行き場を無くして胸にわだかまっているのを感じた。
加えて問題は何も解決ししていないから、走るにつれて煮え切らない思いが満ちていいった。
(何だか嫌な1日の始まり方……)
そんな風に思っていたら、げた箱の所に綺麗な桜色の髪が見えて
「原村さん!」
と考える前に、それこそ飛びつくみたいに声が出た。
「原村さん!!」
でも、小さく見える背中は何度呼んでも振り向いてくれなくて、
追いすがろうとした努力も虚しく、校舎の中に見えなくなってしまった。
ずっと走り続けてきたからもう立っていることも出来ず、へたりこんだところで授業開始のチャイムが鳴った。
(ついてない……)
思わず肩を落としたけれど、でもそんなのはほんの始まりに過ぎなかったんだ………。
原村さんとはその後移動教室の際にすれ違って声をかけたのだけれど、返事は無かった。
(聞こえなかったのかな?)
お昼になって麻雀部のみんなで集まった時もその姿は無くて、
(あれ?)
加えて一度午後の授業の合間に教室を訪ねても、取り次ぎの女の子に
「今忙しいみたいで、ごめんなさいって」
そう言われてしまったから
(もしかして…)
嫌な予感が生まれた。
(そんなの嫌だよ)
頭に浮かんだ考えを認めたくなくて必死に打ち消していたけれど、それはすぐに現実のものとなってしまった。
だって、原村さんは部活の間一度も私と同じ卓につかなかったから……。
私が誰かと代わって入る度に理由をつけて席を立ち、おまけに目も合わせてくれなくて、
(原村さん)
(何か言って)
悲しくて、辛くてたまらなくなった。
間もなく部長やみんながその異変に気付いて部室は重苦しい雰囲気に包まれた。
視線が自ずと原村さんに集中したけれど、それでも彼女は私を無視し続けた。
やがて部活が終わってどうしようかみんなが思案顔をしている中、
「お疲れ様でした」
と早々に帰り支度を終えた原村さんが頭を下げたのが見えて
必死にその後ろ姿を追い掛け、そして旧校舎の門を出たところで追い付いた。でも、
「原村さん!!」
声の限りに叫んだ呼び掛けに対して、答えは無かった。
何事も無かったみたいに歩き続けるその背中を見るのが辛くて、
「待って!」
と手を掴んで振り向かせ、その瞬間絶望の淵に落とされたみたいに感じた。
だって、原村さんの瞳の中に私は映っていなかったから………。
「どうして無視するの?」
「私が何か気に入らないことをしたなら言って」
「こんなの嫌だよ」
「原村さん」
何とかしたくて必死に言葉を発したけれど、まるで砂漠みたいな乾いた沈黙の中に吸い込まれていくだけ。
暫く続けてからその行為の無意味さを思い知り、とうとう何も言えなくなった。
(大好きなのに、どうして?)
悲しくて涙が溢れたけれど、その水滴も呆気なく砂漠の中に消えた。
滲んだ視界の中に小さくなっていく原村さんの後ろ姿が見ながら、私は暫くその場から動けなかった。
最終更新:2010年04月24日 18:56