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799 名前:ほんとはね…の8月  ◆UOt7nIgRfU [sage] 投稿日:2009/06/04(木) 02:56:25 ID:Touw2WR3

晩夏を僅かに匂わせる、傾きかけた太陽の光。
遠くの森から、夕刻を告げるひぐらしの輪唱が微かにだが届く屋敷の中、
その中の長い長い廊下を進んでいくひとつの影があった。
教科書に載っているようなメイド服に身を包み、手首に繋がる鎖から
硬質な音をこぼしながら、ややうつむいて歩くその人物は迷っていた。

「はぁ……あの日以来とーかは元気ないよなぁ……」

そう言葉を発すると、自らの頬の星形のタトゥーシールに指を伸ばす。

様々な豪運、強運、場の支配力、森羅万象をも飲み込んで
展開された決勝の大将戦……龍門渕は全力を傾けて、負けた。

「衣はあの後、全力をぶつけられる無二の存在を知って、あの子の
 ところに行きっぱなしだし…とーかの魂が抜けちゃうのも分かるなぁ」

はじめは口の中で色々と昨今の出来事を反芻しつつ、透華の部屋の
扉の前でふと立ち止まる。ノックするのを少しだけ逡巡したが、
このままで居る訳にはいかぬ思いで3回ノックを刻んだ。

「…空いてますわよ」

中から聞こえる声は普段通りだ。促されるままに豪華なノブに手をかけ、
気を遣うように静かに開けて入り込む。

「透華様、お茶の準備が……」
「はじめ、敬語。」
「…あ、ごめん、とーか」
「いつになったら慣れてくれるのかしらね……」

手にしていたハードカバーの本を閉じ、ため息混じりにつぶやいた
透華の金色の髪と特徴的な癖毛が不機嫌に揺れた。

「―――で。今日の紅茶は何処産ですの?」
「え、あ、あぁ、イギリスのアッサムだよ」
「ふぅん…わたくしの今日の気分はオレンジ・ペコーなのですが…
 まぁいいでしょう。はじめが淹れてくれるなら銘柄はどこでもいいですし」

いつも通りの、いつものままのやりとり。それを耳に入れててきぱきと
お茶の準備を済ませ、テーブルに二人分のカップを並べる。


…ふぅ。とことあるごとに嘆息っぽい色を含んだ透華の声が漏れる。
会話がないわけではないが、どことなくぎこちなさが残っていた。

「…ねぇ、とーか…」

おずおずと様子見の雰囲気を醸し出したはじめの問い掛けにも、
すぐには反応を示さない。2、3度繰り返してやっとそれに応える始末だ。

「少し、気晴らしに外を歩かない?」

その提案に若干気乗りしなさそうではあった透華だったが、無碍に断る
謂われはないと言わんばかりに重い腰を上げる。
キィ……とクラシックな木椅子が似つかわしくない軽い音を立てた。


広い中庭を渡る風の音が二人を包む。
日もだいぶ傾き、熱射の火照りもおさまりかけている中を、無言のまま
あてどもなく散策していく。

大きな池にかかる石の小さな橋の上でどちらからともなく立ち止まり、
きっとおそらく、ふたりの心の奥にあるであろう話題が静かに口をついて
出始めた。

「衣は、今なにしてるんだろーねー……」
「そう、ですわね。清澄の面々と卓を囲んでるかもしれませんわね」
「決勝でウチが負けて、衣が望んでいたモノが手に入った。全国に
 行けなかったのは正直悔しいけど……衣にとっては良い結果
 だったよね」
「そう、ですわね……」

はじめに背を向けている透華の癖毛が、その言葉のあと一層倒れていく。
衣と対等に渡り合える友人を作るという目的は果たせたが、それはまた
龍門渕の面々から衣が離れていくという結果にも繋がる。
言葉には出さないが、透華の心は幾許かの寂しさに囚われている。
誰の目に見ても明らかだった。

その寂しさを自分では埋めきれないものか。と、はじめは常に考える
ようになっていた。用が無くとも透華の傍にいるようにしたし、
はじめから持ちかけて卓を囲んだりもした。
しかし、どう策を覧じても、透華の覇気は甦ってこない状況が
続いていた。

「ねぇとーか。今度、清澄の人達をさ、龍門渕家に招いてさ、
 衣も交えて親善大会とかしてみるってのは……」

「そう、ですわね……」

またも、生返事。はじめの声は透華の耳には届いていないように
見えた。

全ての音を遮るような、大きな風が吹き付ける。はじめと透華の間を
引き裂くかのような風。背を向けたままの透華の姿が一気に滲んだ。

(…あれ? なんだろ、見えないや……ボク、なんで泣いてるんだろ…)

目に溜まった涙がひとすじ頬を伝うと、涙は見せられないとはじめも
透華に背を向け、池を覗き込むようにしゃがみ、落ち着こうと
呼吸を整え始める。

(泣くつもりなんてなかったのに…こんなんじゃいけないのに…
 落ち着け落ち着け、ボクの気持ち……)

あふれる涙を手の甲で払い、高ぶった感情を抑えようと胸に手を当て、
意識して深く呼吸を繰り返す。

涙が止まり、視界が確保出来始めると、池に写った自分の姿を
見て取れるようになった。すると視野の端、長い影が近づいてくるのが
分かった。

「はじめ……? 気分でも悪いんですの?」

透華の声が、ささくれ立った心に届く。心地良い声だ。
パン。と両膝を叩いて、ゆっくりと立ち上がる。多分、目は赤くなっている
だろう。ごまかしても仕方ない、と踏んだはじめは、透華の方へ
振り向いて、

「大丈夫。ちょっと色々と…寂しくなっちゃっただけだから」

と、無理に笑顔を作って透華に応えて見せた。

「とーかも衣のことで寂しいのに、ボクも一緒になって落ち込んでちゃ
 お話にならないよね…励まさなくちゃいけない立場なのに」

笑顔のはじめの目から、また涙がこぼれた。

「…あれ、変だな……? どーしちゃったんだろうね、ボク……」
「はじめ……」
「違うんだよ、とーか。これは……そんなんじゃない…から」
「違いませんわ。またあなた、ひとりで抱え込んで…」
「だから…ちが……。…違わない……とーか…とーか…ボクを、
 …忘れないで…ボクはとーかの傍にいるんだ…よ……」

透華の言葉がかけられる度、涙は次々と溢れた。強がりは身を潜め、
本心がついに飛び出していた。

西の空に身を落とした陽光が柔らかくふたりを包み込んだ。

「はじめ…馬鹿なことを言うんじゃありませんわ…わたくしにははじめが
 必要なんですの……心ここにあらずだったわたくしが悪いんですのよ」
「とーか……ボクだけを見てて…お願い……」

最初で最後のわがままを口にして、はじめは深く、深く透華を抱き締めた。
透華もそれを受け、全身ではじめを抱きすくめる。

「とーか、好き。一生を捧げたいほど好きになっちゃった。ボクがいつでも
 とーかの傍にいるから……元気出して…ね?」
「…わ、わたくしもですわ…はじめが傍にいてくれないと……」

トクン、トクン、と快くなる心音を身体全体で感じ、苦しさを覚えるほど
抱き締め合った。時を刻むごとに、二人の顔は赤く染まっていく。

「衣が見つけたみたいに、ボクたちも見つけられた…のかな?」
「きっとそうですわ。今まで口にしてなかったけれど、もう離しませんわ」

はじめはくすぐったそうな声でひとつ笑う。透華も照れ満載の表情で
ほほえんだ。

「……ね、とーか」
「…なんですの?」
「…キス、しよっか」
「………えぇ」

橋の中央、重なるふたつの影。
何度も何度もひとつになり、互いの気持ちを交換し合う。

「…世界で一番好きだよ、とーか」

「は、恥ずかしい台詞は…き、禁止にさせていただきますわ!」

地平に沈む太陽の煌めきが、手錠の鎖に反射し、硬質な輝きを放つ。
再度くちづけを落とし、夕闇の中でいつまでも影は重なりあっていた。


ーENDー

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最終更新:2009年07月11日 16:26