人生を生きていれば、様々な人々に出会うが、その中でも人生を生きるうえでの重要な知恵や作法といったものを時に向こう側から授けてくれる相手が、そして時にこちらから率先して学び取ろうとする相手が登場する。そういった人々をここでは「師」として扱う。
皮肉交じりに言うならば、「師」の言っていることに、時に眉を顰めたくなる時もあるだろうし、場合によっては後々になって、師の言っていることは、なんだかオカシイことを言っていたのではないかと、それまで入れあげていたことさえも恥ずかしくなることもあるかもしれない。
師弟関係というのは、それなりに複雑な要素を含んでおり、「師」と「弟子」の葛藤は師弟関係においても重要な要素と言えるかもしれない。
と、触りは抽象的な導入になったが、私も人生において、様々な「師」と仰ぎたくなった人が多数おり、それは様々な状況や分野において存在した。
恥ずかしい青臭い話をすれば、私の詩的な感覚における「師」とは、尾崎豊やGLAY、ジョン・レノンなどで、学生時代は強い影響を受けていたかもしれない。
ここは政治思想について論じられる場であるので、こちらの方についても言えば、私は特に20代の頃は西部邁の影響を強い影響を受けてきたし、今は割と馬渕睦夫の影響を強く受けている。私は保守の立場を長らく取っているが、保守派で私がのめり込んだのはこの二人のみである。
他の論客からの影響はそれほど強く受けていないと思う。それなりに学ぶべきことも多くあれど、いわゆる「師」と仰ぎ見るようなそういった心情にはなかなかならなかった。
私は西部邁に直接お会いしたことはなかったのだが、その著作を通じてそれなりに彼の思想を考察したつもりでいる。また彼から最もよく学んだのが「師」である。私にとって西部邁とは「師」の居場所を教えてくれた「師」だったのである。
私が日本の保守派の多くの論客を通り過ぎるだけだったのは、このためである。私は彼に教えてもらった「師」にのめり込み過ぎたところがあった。その良し悪しをここでは問うつもりはないし、実際に今後も問うことはないだろう。
保守思想における「師」として、私はエドマンド・バークやギルバート・キース・チェスタトン、トーマス・スターンズ・エリオットの著作を読んできたし、自由主義者の「師」として、アレクシ・ド・トクヴィルやホセ・オルテガ・イ・ガセット、フリードリッヒ・ハイエクの著作も読んできた。また、哲学に「師」として、プラトン、フリードリッヒ・ニーチェ、チャールズ・サンダース・パース、ルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタイン、カール・ポパーなどの著作も読んできた。
私は彼から「師」を紹介してもらったのと同時に、どのように「師」を見つけ出すのかという方法も学んだような気がする。私が東アジアにおける保守論以外についても論じる理由の一つが、このように西ヨーロッパを中心に展開されてきた歴史や思想形成の背景の深さに部分的ながら触れてきたためである。
私はおそらく日本人のほとんどが知らない事実、つまりエドマンド・バークという保守思想の祖とされる人物が、ヨーロッパの秘密結社やユダヤ人がフランス革命に関与していた可能性について言及している事実を知っているし、このような背景が未だに現代史に意味があることも、ヨーロッパ史の中から見出さずにはおれないという立場である。このような重要な論点について実は『フランス革命の省察』を翻訳された人が自覚的か無自覚的か分からないが、ほとんど触れない事実についても感じ取るところがある。
私が意志するところの意志の所在は、恐らく私の温(たず)ねた「師」と深いかかわりがある。私は結果など考えていないし、私は結果など予測するつもりもない。重要なことは「意志」することであり、願い望むことである。繰り返すが、私の願いも望みも、まったく継承したものであり、私が私自身の理性によってゼロから構築したものではない。
私が現代の多くの日本の保守論客を通り過ぎるのは、私の願い、すなわち私の師へと通じる想いと、彼らの想いとは必ずしもつながっているように感じないからである。しかしながら、そういったところの言論をほとんど展開していない人物である馬渕睦夫の論点の重要性は、どうしても引っかかるところがある。
私は確かに西欧の保守思想や西欧哲学から様々なことを学んできたつもりではあるが、私の本来の願いとは、日本人として持つべき願いなのである。そう、私が西欧の保守思想や西欧哲学に足を歩めた理由は、戦後日本のどこにも師を見つけられなかった絶望感からなのである。
最近になってネット上で戦前の著作群を読めるようになってきたが、そこで私は初めて、彼らの届かない声を聞いた。歴史が断絶した国である日本にあって、ここにはもうかつての日本はない。戦後日本人が礼賛する日本は日本ではなくなっている部分が確かにある。
そういった部分が肥大化していくにつけて、保守派が保守すべきと論じるものももう保守本来のものでもなければ、日本的なものでもない、どこぞやの根無し草の思想、グローバリズムの影響を受けた保守思想ということなのだろう。
アメリカでは既に、バーク流の保守思想家であるラッセル・カークにみられるような保守論は過去の遺物とされ、アーヴィング・クリストルやノーマン・ポドレツといったトロツキストを祖とするネオコンが共和党を長らく支配していた。
そういったネオコンやリベラルが支配してきたアメリカと、そのアメリカの属国たる日本の指針は、ウォール街やロンドン・シティを頂点としたコミュニズムであるというのは、一種の冗談のようにも感じられるが、現在のアメリカはトランプ政権に至るまで、フランクリン・ルーズベルト政権と同じようにコミュニストによって支配されていたのである。
こういった結論に達しているのが馬渕睦夫の議論である。西部邁を通じて、私はフランス革命以後から続く保守思想の展開をある程度抑えていたが、特に近現代史は抑えてこなかった。それはそれまでの正史とされていたものがすべて嘘のように感じられてきたためであり、私は現代史にあって誰も「師」を仰ぎ見なかった。
そこには多く言論人が大きな声で多くの主張をしていたが、私の心にはどこか響かなかった。それは私の無知ゆえか、彼ら言論人の無知ゆえか、分からない。分からない場合は、その両者の可能性を残しておくのが無難なところだろう。
しかし馬渕睦夫は私のこの空白を埋めてくれる重要な「師」として登場してくれたと言ってもいいだろう。それまでよく説明がつかなかったところ、納得がいかなかったところが少しずつ晴れていくのがつぶさに感じられたのだ。
私がおそらく多くの日本の保守言論人に言及しない理由は、こういった経緯があり、特に西欧保守思想史と哲学史方面の私の「師」との関係上「師」にするわけにはいかなかったりするのである。
例えば、「基礎づけられた信念の基礎になっているのは、何ものによっても基礎づけられない信念である。」という命題、「すべてを疑おうとする者は、疑うところまで行き着くこともできないだろう。疑いのゲームはすでに確実性を前提している。」という命題、これはヴィトゲンシュタインの言っていたことであるが、こういった観点が、日本の言論人の言論の妥当性を評価する上での大きな足かせとなる。
ユダヤ系オーストリア人であるヴィトゲンシュタインという私の「師」との葛藤でもある。
私はそれほど日本の保守論壇について言及していないが故に、私には師がいないかのように感じられる人もいるかもしれないが、実は私はかなり多くの師を持っており、尊敬している人は古今東西で非常にたくさん存在している。
最終更新:2019年08月09日 19:32