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@歴史主義・歴史認識



■1.用語説明



◆1.「歴史主義」


れきし-しゅぎ【歴史主義】
(広辞苑)
(historicism)一切の事象を歴史的見地に立って理解しようとする立場。
れきし-しゅぎ【歴史主義】
(精選版日本国語大辞典)
[1] すべての事象を歴史的生成過程の一段階における産物として理解し評価する立場。
いっさいを「歴史の相のもとに」みるため相対主義的な傾向をもつ。
*人生論ノート(1941)<三木清>死について「かやうな伝統主義はいはゆる歴史主義とは厳密に区別されねばならぬ」
[2] 史的唯物論にもとづく歴史法則を絶対視する立場。
れきししゅぎ【歴史主義】
(百科事典マイペディア)
英語 historism, historicism などの訳
一切のものを歴史的に理解し、それに個性と価値と発展を認める思想上の立場。
元来は、18世紀の機械論的合理主義史観への反動として、19世紀ドイツ・ロマン主義史観に現れ、フランス流の実証主義と合体して相対主義的傾向を示すようになった。
ディルタイ、トレルチ、マイネッケらが代表。
コント流の単一的歴史発展理論やマルクス主義の歴史法則主義も広義の歴史主義に含まれ、これらをともに批判したのがK. R. ポッパー(《歴史主義の貧困》 1957年)である。
⇒クローチェ、歴史哲学
れきししゅぎ【歴史主義】
(世界史事典)
Historismus (ドイツ)
19世紀になってつくられた言葉で、すべて人間の生活現実は歴史的に制約されたものと考える立場をいう。
(1) 初めは、ニーチェが『生に対する歴史の利と害』という論文の中でゆきすぎた歴史知識の過剰を「歴史病」と呼んだように、やや非難的な意味で用いられていたが、
(2) トレルチの『歴史主義とその諸問題』やマイネッケの『歴史主義の成立』が出て、この言葉は積極的な意味で使われるようになった。
(3) マイネッケは歴史主義を「歴史における個体性と発展に対する感覚」としてとらえた。
歴史主義の理論が、歴史とは何かについて新しい考えを呼びさましたことは大きな功績であるが、歴史主義はあらゆる価値を相対主義の流れの中に引きこんでしまうという批判もある。
れきししゅぎ【歴史主義】
(山川世界史小事典)
Historismus
歴史の事象を一回限りの個性的なものの発展とみる見方。
歴史のなかに自然科学的な法則を見出そうとする立場と対立して、19世紀以来、特にドイツの歴史家や歴史哲学者によって主張され擁護された。
「歴史主義」は元来、現在を離れて歴史を観照するような態度に対する非難の言葉であったが、トレルチやマイネッケがこれを積極的に意味づけ直したものである。
れきししゅぎ【歴史主義】
(ブリタニカ国際大百科事典)
Historismus
(1) 人間界の諸現象を歴史的認識方法によって把握し、
(2) 個性的な連続的な発展として理解しようとする観念。
この立場は、①フランス革命を導いた啓蒙思想の合理主義に反発し、②統一運動を支える民族的伝統への回帰を目指す19世紀前半のドイツで盛んになり、歴史学、経済学、法学における歴史学派の隆盛を生んだ。
ヘーゲルも、歴史主義的な世界認識の論理(弁証法)を、その歴史哲学の中核に据えた。
しかし、歴史主義は、
<1> 元来、歴史における普遍的法則性への追究意欲を希薄にし、過去の事実の価値を相対主義的に拡散化させる傾向を持ち、
<2> 現実の反動化に対する批判力を鈍化させた。
第一次世界大戦後、E. トレルチ、F. マイネッケ、B. クローチェ、K. マンハイムらは、①現在の課題に立脚した特殊と普遍、②過去と現在の総合的理解、を歴史主義の積極的立場とみて強調し、この概念の危機を克服しようと試みた。

◆2.「歴史法則主義」


れきしほうそくしゅぎ【歴史法則主義】
(ブリタニカ国際大百科事典)
Historicism, Historizismus
(1) 個人を歴史的に無意味な道具とみなしつつ、
(2) 偉大な理念・民族・階級・指導者に注目して、
(3) 歴史のうちに何らかの普遍的な発展法則を発見しようとする歴史哲学的世界観
従って、歴史主義 Historism とは区別される。
<1> 歴史法則主義は、マルクス主義に代表される大規模な「計画」と「統制経済」の根拠になっているが、
<2> K. R. ポパーは著書『歴史主義の貧困』のなかで、これが多くの点で誤った科学理解に立脚したものであることを批判した。

れきし-ほうそく【歴史法則】
(広辞苑)
歴史に一定の法則が働いているという考えに基づいて主張される、歴史の展開についての法則。唯物史観の発展段階論はその例。
歴史によって制約される法則。すなわち、ある一定の歴史的時代にのみ妥当する法則。

historicism
(ランダムハウス英和大辞典)
1. 歴史主義:歴史は人間活動によるのではなく不変の法則によって決定されるという説
2. 歴史的相対主義:すべての文化現象は歴史的に決定されるのであり、歴史家は個人的なまたは絶対的な価値体系ないし先入観を排して各時代を研究すべきであるという主張
3. 歴史偏重:慣習・伝統などの歴史上の制度を極端に重んじる主義
4. 歴史主義:歴史的現象の説明・予知を可能とするような歴史の発展法則の探究
5. (建築設計上の)伝統主義
[1895. cf.ドイツ語 Historismus]
historicism
(ジーニアス英和大辞典)
1. 歴史主義《不変の法則に基づいて歴史的出来事が発生し、社会・文化もそれによって決定されるとする説》
2. 歴史的相対主義《各時代には固有の思想・価値観があるので、時代背景を離れては何も理解できないとする説》
3. (1.または2.に基づく)歴史研究
4. 歴史偏重[重視]《史的発達を人間存在の最も基本的な面とみなす傾向》
historicism
(新英和大辞典)
1. 〖哲学〗歴史主義《史的発展こそ人間存在のもっとも根本的な契機であるとする立場》
2. 〖歴史〗歴史的相対論[主義](historical relativism)《歴史の諸現象はそれぞれ固有の条件下で生れたものであり、過去の時代・文化に対しては絶対的価値判断は排除すべきだという説》
3. (建築設計論における)歴史主義、様式崇拝
4. 過去の制度・伝統に対する強度の関心、歴史崇拝
5. 歴史的進化の法則を探求しようとする態度

historicism
(Oxford Dictionary of English)
[mass noun]
1. the theory that social and cultural phenomena are determined by history:
the belief that historical events are governed by natural laws:
2. the tendency to regard historical development as the most basic aspect of human existence:
3. (in artistic and architectual contexts) excessive regard for past styles:

◆3.「歴史観」「史観」


れきし-かん【歴史観】
(精選版日本国語大辞典)
歴史の構造や変遷についての全体的なとらえ方。
人間の社会を時間的変化という契機でとらえる、そのとらえ方。
史観。
*東京八景(1941)(太宰治)「なほ又、年齢、戦争、歴史観の動揺、怠惰への嫌悪、文学への謙虚、神は在る、などといろいろ挙げる事も出来るであらうが」
れきし-かん【歴史観】
(広辞苑)
歴史的世界の構造やその発展についての一つの体系的な見方。史観。

◆4.「歴史教育」


れきしきょういく【歴史教育】
(ブリタニカ国際大百科事典)
(historical education)
自国および外国の歴史について、おもに学校の教科のなかで行われる教育をさす。
社会や文化の時代的特徴や展開を学習し、歴史的なものの見方を育て、民族の伝統を尊重し国際協力の態度を養うことを目的とする。
第2次世界大戦後、日本の歴史教育は過去の偏狭な国家主義教育を改め、小学校では社会科のなかで総合的に学習されるようになった。
中学校では社会科のなかの歴史的分野として、高等学校では日本史、世界史などの独立の科目として教えられる。
れきしきょういく【歴史教育】
(日本歴史大事典)
一定の史実に基づいて歴史認識を育てる活動で、学校教育、社会教育、マスコミなどを通じて行われている。
1872年(明治5)の学制施行から小学校高学年で「日本略史」「万国史略」などが、自由発行、自由採択の教科書で教えられた。
明治10年代、政府は自由民権に対抗するため、尊王愛国の士気涵養を目的に欧化主義の万国史を廃止し、教科書を許可制から検定制に変えた。
日清戦争後の国民思想統一の要求を背景に、1903年から教科書が国定化され、日本歴史は天照大神の神話に始まる天皇の業績と臣民の忠誠の歴史となった。
大正期は、神話と人物を中心に教訓感化の国史教育が行われた。
日中戦争下の1941年(昭和16)、皇国民の錬成のために小学校を国民学校と改め、修身・国語・地理・国史を国民科とし、歴史教育を軍国主義の思想宣伝に最大限に利用して、太平洋戦争に突入した。
1945年の敗戦後、連合国軍によって修身・国史・地理の授業が停止され、1947年に社会科が新設されたため、小学校における通史学習は一時行われなくなった。
サンフランシスコ講和条約成立後の1955年の学習指導要領改定以降、小学校6年で日本歴史を、中学校で日本史を中心とする世界歴史を教えるようになり、文部省の検定教科書が使用された。
その内容は、神話に代わって縄文・弥生時代から始まり、奈良・平安、鎌倉、室町、江戸へと移り変わる政治と民衆生活の歴史になった。
しかし教育方法は、社会科の問題解決学習が定着せずに形式化し、正解を探して暗記させるとか、民衆の活躍に共鳴感化させるとか、戦前の方法を脱皮するのは困難であった。
[歴史教育の方法]
現在の歴史認識教育では、小学校1年で入学以後の自分の成長、2年で誕生以後の自分の生活と成長、3年で約100年前から現在に至る市町村の生活の変化、4年で都道府県内の江戸時代の地域の文化や開拓に尽くした先人の働き、6年で日本の歴史、中学校で日本史を中心とする世界歴史を教えている。
知識の注入、暗記主義は否定されながらもそれに代わる方法を開発できず、教師は歴史離れする子供を相手に苦闘している。
性質の異なる複数の史実を提示して、その相互関係を推論して仮説を立てさせ、討論でその実証性と論理性を鍛え合うという、1957年に遠山茂樹が提唱した「歴史の方法論的取扱い」が高校で実践され始めている。
一方、公民館などでの歴史学習は盛んで、主婦から高齢者にその中心が移り、生涯学習の時代を迎えている。
<宮原武夫>
最終更新:2020年02月02日 17:47