「ねえ南――」
夕焼けに染まる放課後の帰り道。
藤岡はふと、自分の隣で意気揚々と鼻歌を歌いながら歩くカナに声をかけた。
「お前さぁ、二人きりの時はカナと呼んでいいと言ったろう?」
カナは立ち止まると、キッと藤岡の顔を睨み、呆れたように口を尖らせた。
「いや、それもなんか恥ずかしくてさ……」
「じゃあやっぱり『カナちゃん』の方がいいか?」
「それだともっと恥ずかしいよ……」
藤岡とカナは、紆余曲折を経てこの度恋人同士として付き合う関係になっていた。
元々は藤岡の片思いから始まり、鈍いカナもやっとのことでその想いを受け止め、今に至る。
学校帰りの通学路を共にしたり、カナの暇つぶしに藤岡が付き合わされたり、と、
付き合いの中身自体はごくごく中学生らしいケンゼンなものではあったが、二人とも十分に満足しているのであった。
なぜなら、こうして好きな相手と同じ時間を共有できるだけでも、二人にとっては何よりの至福なのだから。
「で、どうしたんだ? 何か聞きたいことでもあったのか?」
珍しく神妙な口ぶりで話を振ってきた彼氏の様子が、カナも少しだけ気になっていた。
「うん。あのさ、南は髪型を変えたりしないの?」
「髪型ぁ?」
「そう。例えば髪を降ろしたりとか……」
藤岡はカナに心底惚れているわけであって、特段普段のカナの格好や髪型など気にしたこともなかった。
しかし、いつぞやの温泉や南家で見た、ツインテールを解き髪を降ろしたカナの姿が無性に気にかかっていたのだ。
普段のツインテールはいかにもカナらしい活発な少女のイメージ。
髪を降ろすと、歳相応の少女の持つ仄かな色気をも醸し出すような、少し洗練されたイメージ。
(正直言うとあのギャップがたまらなかったんだよね……)
そんなことを言葉に出せるほど、藤岡の口は軽くなかった。
が、カナの方は突然の藤岡の問いかけに大いに驚いたようだった。
「降ろす? 髪を? 私が? 解いて? ツインテールを?」
まるでそんな自分を想像もしなかったような口ぶりである。
「そりゃ、風呂に入るときとかは髪を降ろすけど……またどうしてそんなこと聞くんだい?」
「髪を降ろした南もなんかいいなと思ってさ」
「え……」
カナは赤面した。まさかそんなことを言われるとは思っていなかった。
「お、お前! いきなり何ヘンなこと言い出すんだ!!」
懸命に取り繕うと声を張り上げるカナだが、やはり顔の高潮は隠せない。
「もしよければ今度髪を降ろして学校来てみたり……しない?」
「するかするか!! この2本の尻尾を切り離されたら、私は私でなくなってしまう!!」
そんなわけあるかとも思うが、世の愛好家からすれば頷ける意見でもある。
とりあえず藤岡はそれ以上無理強いするのを止め、微妙に気まずい雰囲気のまま、カナを家まで送ると二人は別れた。
「髪を降ろすか……。藤岡め、そんな趣味があったのか」
家に戻ると、部屋で一人悶々とするカナがいた。
物心ついたときから自分は、外に出る時はいつもツインテール。
別にこだわりがあったわけではないが、それが当たり前になっていた。
が、藤岡の頼みともなると無碍にも出来ない。寧ろ、藤岡が悦ぶなら……と思ってしまう自分もいる。
翌朝。眠気と闘いながら布団から這い出し、朝食を済ませ、部屋で制服に着替えていたカナ。
姿見に映る自分の髪を凝視し、おもむろに髪留めを外してみた。
「うーん……やっぱりコレはないよなぁ」
制服を着て髪を降ろしている自分の姿にはやはり違和感がある。このまま登校するのは考え物だ。
「でも藤岡がいいって言うんだから……いやいや、私が私でなくなったら……あ~、もうわかんないよ~」
悩みに悩んでいたその時、カナはふと、以前にトウマの兄で後輩のアキラが言っていたことを思い出した。
『僕は髪の長いストレートの女性なんか、タイプですね~』
「……!! まさか藤岡もそういう女の子の方がタイプなのか!?」
自分も髪は長い方ではあるが、ツインテールにしている限りストレートとは言えない。
「もし藤岡がそういう嗜好の持ち主だとしたら……私はストライクゾーン外れてるじゃないか!!」
思いっきり勘違いではあるが、カナの場合一度そう思い込んだら止まらない。
「すると……藤岡も実はケイコやリコのような女の子の方がタイプ……?」
一寸、カナの脳内には自分以外の女子が藤岡と仲良く通学路を共にする映像が浮かんだ。
「それは……とてつもなくイヤだな」
「ん、どうしたんだ? 今日はいつもの髪型じゃないのか?」
着替えて居間に戻ってきた姉のいつもとは違う様子にチアキが最初に気付いた。
「あら、本当。カナが髪を降ろしたまま学校に行くなんて珍しいわね。どうしたの?」
すぐにハルカも意外そうに尋ねる。
「あー、まあなんていうかイメチェンだよイメチェン。毎日朝食に白米ばっかり食べていてもいつかは飽きるだろう。
たまにはパンだって必要だ。私はそう思う。つまりはそーいうことだ」
「意味がわからないよ」
「確かに……。それにウチの朝食は毎日違うわよ? 今日は納豆に味噌汁だけど、昨日の朝食はパンだったじゃない」
二人とも、カナのわけのわからない言い分に疑問を抱いたようだ。
「たまにはいいだろう? 二人とも、新鮮な私の姿を見て何か感想はないのかい?」
「見た目だけ変えても中身がバカのままじゃ、仕方ないだろう」
チアキが毒を吐く。カナも黙ってはいない。
「チアキ……お前にはわからないのかい? 人間ってのは見た目を変えただけで、生まれ変わったような気分になれるもんなんだ。
私のような可憐なうら若き少女なら尚更だぞ? それに周りの私を見る目だって変わる!」
「それは藤岡君のことかしら?」
ハルカがにやけてそう言うと、カナは見るからに顔を赤らめた。
「う、五月蝿い!! とにかくたまにはいいだろ!! それじゃ今日はもう先に出るからな!!」
そして残された二人。
「あらあら。あんなにムキになって、きっといつもと違う自分を藤岡君に見せたくて仕方ないのね。
カナったら、すっかり恋する乙女なんだから」
「全くですね、ハルカ姉様。でもあれじゃあ、藤岡も苦労します」
既にハルカとチアキには、カナと藤岡との関係はバレバレであった。
そうして二人は真っ直ぐに伸びた長い黒髪を揺らしながら出て行くカナの姿を見送った。
最終更新:2008年03月28日 00:08