「ただいまー」
「お邪魔します」
「まあ、もうウチについては慣れてるだろ。適当に座ってて」
「あはは、ありがとう」
カナは藤岡を居間に残して、ジュースを注ぎにいったようだ。
藤岡も何度もこの家に来ているだけあって、黙って待っている。
「あれ。おかしいな。お客さんが来たっていうのに、誰も接待をしないじゃないか」
「ううん、いいよ。そんなに気を使わなくても」
「気を使う使わないの問題じゃないよ。我が家の教育はどうなってるのって話だ」
「単にまだ帰ってないんじゃないかな?」
「いや、きっと帰って昼寝かなんかしてるんだよ。よーし、私が叩き起こしてやろう!」
「い、いや、それだけ大きな声を出していれば、もう起きてるんじゃないかな」
「それもそうだ」
カナはあっさり引き下がった。
「あー……」
間。
「…………」
「…………」
「……なんか面白いこと言ってくれ」
「……面白いこと?」
「そう。ヒマだから、なにか面白いことを言って盛り上げてくれ」
「うーん、そうだなあ……」
藤岡は困ってるみたいだ。
「南はサッカーには興味ないよね?」
「そんなことないよ。ブラジルは強いよ」
「……。……ええと、そういえば数学の先生が……」
「ああっ! そうだ! テストが明日あるんだ! イヤなこと思い出しちゃったよーう」
「あ、ご、ゴメン……。ええと……」
藤岡はますます困ってるみたいだ。
「あれ? これって漫画雑誌だよね。南もこういうの読むんだ」
藤岡は居間に置いてあった少女漫画雑誌の話題に切り替えようとした。
「ああ、それか。それはチアキ以外みんな読んでるよ」
「なんでチアキちゃんは読まないの?」
「小学生には刺激が強すぎるから、ハルカが読ませないようにしてるんだよ」
「へ、へえ……そんな過激な内容なんだ」
パラパラパラ。
「あ、待った。やっぱりその本は読むな」
「え? なんで?」
「いいから返しなさい。それは男の子が読むもんじゃないよ」
「あれ? この子、南と名前が同じだ」



「コラッ! 人の話は聞け! だから読むなって言ったじゃないか!」
「うわっ、ホントに過激だね、今の漫画って。これはチアキちゃんには見せられないよ」
「な! 恥ずかしいから返せ! 返せー!」
「うわっ! わわわっ!」
どさり。
二人が折り重なって倒れる音がした。
「ふふふ、マウントポジションを取られては、さすがの番長も抵抗できまい」
「いたた……」
「コラ! そこで痛がったら、まるで大した体重を上に載せてるみたいじゃないか!」
「あ、ああ、ゴメン……っていうか……」
「なんだ?」
そこでカナは藤岡から雑誌を奪いとった。
「南って、他に仲のいい男子っているの?」
「他に? ウチに来たことあるのは藤岡くらいだよ」
「そっか……」
「なんだ、ニヤニヤ笑って薄気味悪い」
「いや、こういうのって南にとっては普通なのかなって思って」
「お、おーう? なに恥ずかしいこと言ってるんだ」
「その……恥ずかしい体勢なんだけど」
「わ、わかった。すぐにどこうじゃないか」
「待って」
ぐいっ。
「何?」
「逆になれば南もわかるんじゃないかな」
「なりたくないなりたくない。私は下になんてなりたくないぞ……うわわっ」
どさっ。
カナは藤岡に引っぱられて、下に倒されたみたいだ。
「……なにするんだよう……」
「いや……いきなりだったから……」
「いきなりなのは私のほうだ。なんで私がこんな目にあわなきゃいけないんだ」
「っていうか、その……」
藤岡はしばらく黙っていた。カナもめずらしく黙っていた。
一瞬、唾を飲みこんだような音がした。
「こんな機会、滅多にないから……俺、南のことが好きなんだ」
「わーっ! わーっ! 待て! なんだ、いきなりなんだ! 私は知らないぞそんなの!」
「南……」
「そ、そんな悲しそうな目で私を見るな。だ、だって……」
「だって?」
「そ、そんなこと言われても……恥ズガジイじゃないかよぅ……」
「み、南……」



カナは消え入りそうな声で、かろうじてそんなことを言った。
「南は、そういうことって考えたことない?」
「な! お、お前のほうこそ、いっつもそんなこと考えてたのかっ!?」
「うん、まあ……」
「こ、この裏切り者ーっ!」
それは裏切りではないと思うが。
「い、いや! 別にやましいことを考えてたワケじゃなくて!」
「じゃなくて?」
「一緒にいて楽しいのはもちろんだけど、いつも南のこと見てたって言うか……」
「バカじゃないの!? なんでそんな恥ずかしいこと言えんの!?」
「南は……」
「な、なんだ……」
「俺のことどう思ってる?」
「う……わ、私は……考えたことない……」
「そっか」
「ち、違う! だって、考えたら家になんか呼べないだろう!?」
「だから、南の気持ちがわからなかったんだよ」
「そ、それは……謝ろうじゃないか。ゴメン」
「じゃあ、南は別になんとも思ってないんだ」
「あ……」
藤岡が体を起こそうとした。
「ち、違う!」
その時、カナが動いた。
「え?」
「い、いや、違うというか……なんというか……?」
「なんというか?」
ぐいっ。
カナが藤岡を引っぱった。
「いや、好きとかじゃなくて、そんなはっきりとは言えないけれど、なんというかだね」
「南」
「か、カン違いするな! 私は別にやましい心はないよ! でも、恥ずかしいんだよ」
「抱きしめていい?」
「そ! そんな恥ずかしいことをををを……」
ぎゅっ。
藤岡がカナを抱きしめる音がした。
「ふ、ふじおか。コレはすごく恥ずかしいぞ」
「俺だって恥ずかしいよ」
「じゃ、じゃあもうやめよう? 恥ずかしいならもうやめよう?」
「南」
「は、はいぃ……」



「こっちむいて」
「それはムリ」
カナは即座に断定した。
「南の顔が見たいよ」
「それはムリ。絶対ムリ。恥ずかしすぎてムリ」
「南ってば」
「ハハハ、ざまあみろ。私は絶対むかないもんね。これはお前がどうしようと、私は絶対お前を見ない」
「じゃあ、目をつぶってでもいいからこっちを見てよ」
「そ、そんなにしてまで、私はお前に顔をむけなくちゃいけないのか」
「うん。そうして欲しい」
「そこまで言うなら……いいけど。いいか、絶対目は開けないからな」
「うん、いいよ」
「ん」
「ん……」
その瞬間、何かが起きた。
「ん……?」
「ん……」
「……ん? ん?」
「……」
「んんんんんんんーーーーーーーっっっっっ!!!!」
どこかから、声にならない発狂が聞こえた。
「ぷはっ!」
「……っ! お、お前っ!」
「あ……な、何? あ、目……開けたね」
「そんなことはどうでもいい! い、今っ!」
「どうでもいいんだ」
「わたっ! 私の、口っ! 口に……!」
カナの唇に、藤岡の唇が重なった瞬間だった。
「実は俺、初めてなんだ」
「私だって初めてだっ! バカっ!」
「ゴメン、イヤだった?」
「……イヤじゃないけど……」
そこまできて、何か藤岡の切れる音がした。
「恥ずかしいじゃないかよぅ……ホントに恥ずかしいんだよぅ……」
「南……もう一回していい?」
「それはダメだ!」
「早いね」
「だって恥ずかしいじゃないか!」
「それはそうなんだけど」
「あ、バカっ! 顔に触るな……ダメだって言ってるのにぃぃぃ……」



「ん……」
「なんでお前は人の言うことが聞けないんだぁぁぁ……」
「ん……ん……」
「ん……」
そこでは、一回じゃ終わらなかったみたいだ。
一度離しては、もう一度唇を合わせ、何度か軽いキスを交わした。
「南」
「……んっ」
「南?」
「く、首のあたりは触るな……くすぐったい」
「首?」
「あっ! だ、だからくすぐったいんだって!」
「南……」
「ば! 藤岡、ちょっ! まっ……! んっ、んっ!」
「首筋……口つけていい?」
「あ~ん、よろしくないよろしくない! お前は番長だから慣れてるかもしれないけど、私は初めてなんだよう」
「な! お、俺だって!」
藤岡は少しムキになって言った。
「な、なんだ……」
「俺だって……初めてだよ」
「だ、だって、お前はモテるじゃないか」
「俺は、ずっと南しか見てなかったんだよ」
「どうせ、みんなにそんなこと言うんだろう」
「ホントだよ! だからずっと……」
ちょっと間があった。
「南といっしょに居たんじゃないか」
「……そうか」
「……そうだよ」
「……そっか……そうなのか」
カナの声はなんとなく、それとなくだったけど、どこか嬉しそうに聞こえた。
「でも、こんなことしていいとは言ってないからな!」
「あ……それはそうだけど……」
「だけどなんだ」
「その……もう少し続きをしたいなあって」
「ハルカやチアキが帰ってきたらどうするんだ」
「だ、大丈夫だよ。まだ帰ってきてないし」
「イヤだって言ったらどうするんだ」
「いやその……」
藤岡は困ったみたいに言った。さっきとまるで逆だ。
「し、したいなあって」

最終更新:2008年02月16日 20:47