三峯城(会津若松市)

御山館
(おやまだて)
所在地会津若松市門田町御山字館山
別称御山館、御館山塁
築城年康平年間(1058-65)、応安年間(1368-75)など諸説
築城者源義家?、新宮氏らか
城主変遷源義家?…新宮氏…蘆名氏[多々良氏]
廃城年宝徳三年(1451)か
現状山林

概要

三峯城は福島県会津若松市に所在した城館跡であり、御山館の詰城であった。

歴史

居館である御山館とともに康平年間(1058-65)源義家によって築かれたとされるが時代的に疑わしい。

応安年間(1368-75)の城主は新宮小太郎時久とされ、その後多々良氏が住したという。時久は新宮時兼(盛俊)の弟三郎時宗の孫であり、後に小山七郎左衛門と改めている。多々良氏は宝徳三年(1451)伊賀守政重が允殿館主松本右馬允通輔(典厩)により御山館を襲撃され、小高木館へ逃れた後に自刃している。

現状・感想

標高539mの館山山頂に築かれた山城で、主郭部には30間(約54m)四方の平場、西側に帯郭状の平場が2箇所あるそうです。標高400mの地点から麓の照谷寺に通じる小道がある…とのことで照谷寺に行ってみましたが、見事によく判りませんでした(笑) よく考えると標高400mの地点から、ということは残りの139mは道がないって事?いずれにしても会社に行く途中に寄ったので、登るわけにもいきませんでしたけどね。

なお知り合いのお坊さんがこの照谷寺のご住職となったことをちょっと前に知りました。今度会ったら聞いてみよーっと。

関連項目

最終更新:2012年09月24日 14:39
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