御山館 (おやまだて) | |
所在地 | 会津若松市門田町御山字館ノ内 |
別称 | 尾山館 |
築城年 | 康平年間(1058-65)、応安年間(1368-75)など諸説 |
築城者 | 源義家?、新宮氏、多々良氏らか |
城主変遷 | 源義家?…新宮氏…蘆名氏[多々良氏] |
廃城年 | 宝徳三年(1451)か |
現状 | 耕作地 |
御山館は福島県会津若松市に所在した城館跡であり、三峯城の居館であった。
詰城である三峯城とともに康平年間(1058-65)源義家によって築かれたとされるが時代的に疑わしい。
応安年間(1368-75)の館主は多々良氏であり、八良行政が最初の館主とされるがその時代は不明である。宝徳三年(1451)七月十五日、行政より9代目の伊賀守政重は允殿館主松本右馬允通輔(典厩)により御山館を襲撃され、蘆名盛詮を奉じて小高木館へ逃れるも、二十一日敗れて自刃したという。右馬允との私闘であったという。
現在は見渡す限りの柿畑…、御山の身不知柿は有名です。土塁の一部が残るとありますが全く判りませんでした。皆様が柿畑のお手入れをされている中をふらふら歩いて、不審者として通報されたくもないですからね~(柿食えないのに)。そんな中唯一「舘ノ内橋」という橋に名残を感じました。
なお三峯城との間にある八幡社は源義家の勧請と伝えられ、また周囲にも八幡太郎の伝承が残っているそうです。