八幡館 (はちまんだて) | |
所在地 | 喜多方市慶徳町豊岡字不動前 |
別称 | 武藤館、古館 |
築城年 | (文明十七年(1485))、天正年間(1573-92)か |
築城者 | (五十嵐佑長)、武藤和泉守 |
城主変遷 | 蘆名氏[平田氏(武藤氏)]… |
廃城年 | 天正十七年(1589)か |
現状 | 八幡神社、耕作地 |
八幡館は福島県喜多方市に所在した城館跡である。
文明十七年(1485)五十嵐兵部佑長が築き、館内に八幡社を勧請したことから館名の由来となったと『慶徳村旧記』にある。しかし『新編風土記』には異なった記載が見られ、その内容から武藤和泉守の居館であったするのが一般的である。武藤館については江戸時代後期の成立とされる絵図が残っており、それによると平田是亦家臣武藤和泉とあり、天正年間(1573-92)慶徳城に住した平田是亦斎、その子慶徳善五郎の家臣であることが判る。
天正十七年(1589)摺上原合戦で蘆名氏に勝利した伊達政宗は、翌日塩川、北方(喜多方)方面の諸城を攻略しており、慶徳城もその際に兵火に遭い廃されている。また慶徳城のすぐ東側に所在する新館が、構築途中に蘆名氏が滅亡したため放棄されていることから、八幡館の廃館時期もまた同様であろうと推定される。
現在は館跡北西隅の土塁が現存、八幡神社が祀られています。また周囲には水田となっている堀跡が確認出来、東西63.6m、南北83.3mの規模を持つ平地方形館であることが確認されています。素人目にも周囲の堀跡は確認出来、初めて訪問した時にはなかなか感動しました。