島村館(会津若松市)

島村館
(しまむらだて)
所在地会津若松市河東町(旧河沼郡河東町)福島字島原
別称 
築城年大永二年(1522)
築城者伴野則実
城主変遷佐瀬氏…西海枝氏…蘆名氏[伴野氏](1522-)…
廃城年不明
現状民家

概要

島村館は福島県会津若松市(旧河沼郡河東町)に所在した城館跡であり、現在も子孫が居住している。

歴史

『会津古塁記』によると、初め下総国千葉郡高瀬村の地頭佐瀬利兵衛が住し、その後西海枝宮内、次いで伴野孫六実清が住したとする。

『新編会津風土記』によると、伴野氏の祖は出羽守長房といい、興国三~六年(康永年中・1342-45)足利尊氏に随行して天龍寺に参詣したことが『太平記』に出ているという。天授五年(康暦年中・1379)頃、孫の伯耆守重清が蘆名直盛に従って会津へ入り、初め耶麻郡宇津野、その後嶋村館(内島館)に居住した。しかし大永二年(1522)火災により廃館となり、同年この館を築いて移り住んだという。従って上の『会津古塁記』の記述は、嶋村館と島村館(ややこしい)について混同されているのであろう。

その子孫伯耆守光実は、天正年間(1573-92)初頭に松本太郎が蘆名氏に対して反乱を起こした際、黒川城へ馳せ参じ負傷している。その後天正十七年(1589)伊達氏の侵攻により蘆名氏が滅ぼされると、その後は帰農したと考えられている。

現状・感想

現在は個人宅となっており、伴野氏のご子孫がお住いです。単郭式方形館で、東西48間、南北36間の規模を持っています。東、南側の土塁が現存しており、周囲には後年改修されてはいますが水堀が取り巻いています。

ちなみに嶋村館(内島館)は、わたしの訪問箇所が見当外れでなければこの館の東方、県道69号線を挟んだ日橋川沿の場所に所在していた様です。

わたしが訪問した際は、突然ではありましたがおばあちゃんが対応して下さり、撮影も許可して頂きました。ありがとうございました~。


関連項目

最終更新:2012年09月24日 15:58
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