志波城(盛岡市)

志波城
(しわじょう)
所在地盛岡市下太田方八丁
別称 
築城年延暦二十二年(803)
築城者坂上田村麻呂
城主変遷古代中央政権(803-811)
廃城年弘仁二年(811)か
現状志波城古代公園

概要

志波城は岩手県盛岡市に所在した古代城柵跡である。

歴史

延暦二十二年(803)胆沢城の鎮守府にあった征夷大将軍坂上田村麻呂により、和我、稗縫、斯波三郡を統治し、出羽国秋田城、雄勝城への重要な連絡路として築かれた、陸奥国最北端の古代城柵官衙である。なお志波城跡であることが判明する以前は、康平五年(1062)源頼義、義家父子が厨川柵を攻めた際の陣場跡と考えられていた。

この地は先住の蝦夷たちが住んでいた肥沃な地ではあったが、反面河道の定まらない雫石川に面していたため氾濫に悩まされたという。そのため設置後10年足らずの弘仁二年(811)、田村麻呂は徳丹城へと移り、志波城もその役割を終えた。

外周約840m四方の築地塀に囲まれており、さらにその外周を約930m四方の堀で囲んだ、国府多賀城に匹敵する巨大な城柵である。城内中央部に一辺150mの築地に囲まれた政庁が置かれ、その南北の門からはそれぞれ幅18mの大路が外郭まで延び、外郭南、北門は壮大な八脚門であった。

現状・感想

現在は志波城古代公園として整備され、正門である外郭南門と南面する築地塀、政庁跡に通じる南大路が復元されています。のほほんと県道を車で走行中、目の前に外郭南門が"ばばーんっ!"と現れたのでびっくり且つ感動しました。この時も仕事で行っていたんですが、スーツ姿で浮かれながら走り回った記憶があります。非常に滑稽ですね。

関連項目

最終更新:2012年10月19日 16:42
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