2chの中で、異質な存在感を際立たせる三戦。
混沌としたエネルギーが住民に渦巻いています。
十年に及ぶ学徒王朝の統治とその崩壊。
SNSの試練と、過疎化の洗礼。
傷だらけの掲示板は、
マホケンという強力な指導者と、
三国志ブームによって蘇りました。
そして今。三戦は、2ch諸国と、一線を画す独自の路線を突き進んでいます。
歴史板の大国の内実に迫るシリーズ。
今日は、内閣のリスト入りをかけたコテ達の死闘と、その先に見えてくる国家三戦主義の危うい姿です。
ドキュメンタリー「マホケンの三戦」
第一回「強まる国家三戦主義」
2012年下旬、三戦板では
学徒王朝を支えていた名家が潰れたというニュースが続々と流れています
「最悪の日です」
そう語るのは三戦のある名家のメンバー、
S氏です。
S氏の一族は代々学徒王朝を支える事で三戦の統治に影響を与えてきました
ニュースは学徒出陣が禅譲を行った、と盛んに報じます
三戦の支配者だった学徒一族が権力を失う事は、
それを支え続けてきた名家の没落を
そのまま意味していました
腐敗した自治厨王朝を倒し、
三戦を統一した事で成立した学徒王朝は、
その後十年に渡って三戦を支配します
しかしその統治は後半から次第に腐敗を深めていきます
2011年に惹起した四月革命で、王朝はその無力ぶりを曝け出し
学徒一族は実質的な権力を失い、その権威は失墜します
かわって学徒一族の外戚である名家達が
次第に権力を強めていきました
S氏の一族もその一つです
「あの頃の三戦は確かに腐っていました
ですが、今ほど混沌とはしていませんよ」
S氏は語ります
しかし、その外戚政治も終止符を打つ事になりました
きっかけは王朝の政変です
王朝の腐敗がいよいよ深まり、三戦が疲弊する中で
外戚の権力争いは激しくなり、
とうとう時の宰相小魔玉が失踪すると
全国で「新体制」をスローガンに改革派が蜂起、このクーデターは成功し
リーダーアンジェは外戚政治を一掃、
新体制(ペレストロイカ)の成立を宣言します
しかし、三戦は激動の時代に突入していくのです
長年の腐敗政治は確実に三戦を蝕んでいました
それまでの利権を奪われる事に反発した保守派や名家が反乱を起こすと新体制は窮地に追い込まれます
更に新体制内の対立が激化、
これに対処する為にアンジェが登用したのがマホケンでした
マホケンは数年前に学徒王朝の改革を唱え当局に弾圧され外国に亡命していたのを
革命騒ぎの中三戦に戻ってきていました
マホケンはただちに手腕を発揮、
内戦の中劣勢に立たされていた新体制勢力を立て直し保守派を降伏に追い込みます
更に新体制内部の反対派を失脚させたマホケンは次第に影響力を強めていきました
しかし、これを快く思わない人間が居ました
アンジェです
両者は次第に対立を深め、
遂にマホケンは辞任に追い込まれます
マホケンにとっては忘れられない屈辱でした
マホケンを解任したアンジェですが、
彼の新体制はすぐに行き詰まります
内政能力の欠如を露呈した新体制は保守派の復活を許してしまいました
一方、野に下り捲土重来を目指すマホケンは強力な味方を得ます
先の丞相、小魔玉です
小魔玉と組んだマホケンは混乱する新体制を注意深く見守ります
新体制は、いよいよ揺らいでいました
運命の12月、進まない改革に根をあげたアンジェはマホケンの復活を認める事にしました
復活したマホケンはただちに権力掌握に動きます
「この時、既にアンジェや学徒王朝そのものの権威は失墜しつつありました
権利を求める三戦住民の怒りを抑える事は不可能だったでしょう」
ある歴史学者は語ります
もはや新体制はどうにもならない所まで来ていたのです
人々が期待したのは小魔玉を後ろ盾にしたマホケンの動向だけでした
歴史は動きつつありました
遂にマホケンは決断しました
新体制、ひいては学徒王朝そのものを終わらせる決意です
首相に就任したマホケンはただちに新体制の解散を命令、
学徒王朝の終了と
学徒出陣から次の国家元首小魔玉への禅譲を要求する首相令に署名します
アンジェは抵抗を試みますが、彼自身も失脚し亡命を余儀なくされました
12月24日、学徒出陣は小魔玉へ禅譲。
十年間続いた学徒王朝は幕を下ろし
小魔玉体制への移行が宣言されます
この時マホケンは自身の政党である自治新党により支配体制を固めます
首相は引き続きマホケンが指名されました
あれから三ヶ月、
我々は再びS氏を訪ねました
S氏は以前よりも大分痩せた様子で我々の取材に答えます。
「学徒王朝が崩壊してから暮らしぶりは悪くなったね。小魔玉閣下は我々名家の保護を約束してくれたからマホケンを支持した。けれど、マホケンが実質的に支配しはじめてからは我々はすっかり忘れ去られているよ」
学徒王朝時代S氏の一族の年収は平民の三倍を数えたという。
それがいまではその日の食費にもこと欠いている。
一方、これまで冷遇されてきた雑談派と呼ばれる人を訪ねた。
我々の取材に応じたのはA氏だ。
彼はマホケン内閣支持者のリスト入りを果たすことで今では飛ぶ鳥を落とす勢いで出世を続けているという。
「三戦の歴史を知る者は、決して権力者に楯突きません。あのアンジェも今では亡命者ですからね。ただ、マホケンの下にいれば将来が約束されているんです」
A氏もかつては新体制のメンバーだったが、
今の地位はマホケンに与えられたものだという。
彼は最後にこう語る。
「今、我々は国家三戦主義を突き進んでいます。マホケンを支持する者が生き残るのです」
マホケン内閣の掲げる国家三戦主義の元、
三戦は躍進を続けている。
しかし、彼のネタから漏れたものはその存在も忘れられ、
その格差は開き続けている。
学徒王朝の挫折と崩壊。
傷だらけの大国三戦を背負うマホケンに人々は期待の目を向け続けている。
ある専門家は、マホケンの一連の政策によって三戦は復活しつつあると言う。
一方である者は三戦の過疎化はもはや止められないと言う。
急激な成長と、影に潜む絶望。
マホケンの三戦は、
栄光と失敗をはらみつつ、
独自の道を突き進んでいる。
第一回「強まる国家三戦主義」 完
最終更新:2013年04月26日 23:30