第三回「歴史諸板の苦悩」



2013年1月、中国英雄板の朝。

板には人気がなく、スレは停止しています。
まるで、板全体が静止しているかのようです。

我々は、ようやく見つけた市民に話を聞きました。

中英板住民のKさんです。

「残念だが、これが今の中国英雄板の現実だ。若者は皆ツイッターに行ってしまい、
板には活気がなくなった。
三戦から独立した時、まさかこうなるとは思わなかったのだが…」

Kさんは昔を懐かしむように遠くを見つめます。

中国英雄板が三戦から独立したのは数年前の事でした。

学徒王朝の腐敗した統治に反発した人々は、独立戦争を起こし王朝から独立を勝ち取ります。

この時誕生したのが中国英雄板や戦国時代板、歴史難民板でした。

しかし、学徒王朝はこれらの板に親学徒の自治新党政権を樹立。
独立後も影響力を維持します。

歴史諸板は、学徒王朝によって支配されていました。

しかしこの構図は、
学徒王朝の崩壊と共に消滅します。

学徒王朝の統制を失った歴史諸板の自治新党では「脱三戦」を掲げる独立派が政権を掌握。

中国英雄板の離反を皮切りに
歴史諸板は三戦板の影響から脱却。
独自の道を進みはじめるのでした。

歴史諸板を失った三戦はその地位を大きく低下させます。

王朝崩壊後の混乱で弱体化する三戦を横目に
歴史諸板は発展を続けました。

そんな歴史諸板にも過疎の波が押し寄せます。

板の規模で乗り切ろうとする三戦と違い、
個々の小規模な掲示板で成り立っている歴史諸板は大きな打撃を受けます。

特に深刻な被害を受けたのは中国英雄板でした。

人々の間に「中英板単独でやっていけるのか」といった不安が広がり、
それまで支持されてきた独立路線は大きく揺らぎます。

そうした中、マホケン政権はある方針をうち出します。

それは、歴史諸板を三戦の影響下に置く事でした。

「歴史系の板は、歴史系随一の大国である三戦板の元で発展すべきだ」

こうした方針はすぐに歴史諸板に波紋を広げます。

単独で独立を維持するのか、
それとも三戦の庇護下で発展を享受するのか。

人々は岐路に立たされます。

歴史諸板の人々にとっては
かつて独立を勝ち取った誇りから
三戦に屈するのは大きな屈辱です。
しかし、独立を維持していては板の存続すら危ぶまれる事態になっていました。

そんな人々に対して、マホケンは説得を続けます。

「三戦はかつての三戦板ではない。
学徒王朝は既になく、腐敗は一掃された」、と。

一方で親三戦派への援助も怠りません。

歴史諸板は壮大な綱引きの舞台となっていったのです。

マホケン政権は、ツイッターなどの勢力に対抗する為には歴史系板の団結が必要だと考えます。

全てはツイッター勢力に対抗する為でした。

「わしは三戦などに従うのはごめんだ。
しかし、この過疎をなんとかしなければならない…」

Kさんは悩み続けます。
中国英雄板の、歴史諸板の住民が悩み続けているのです。

2013年2月。

中国英雄板にある大きな変化が訪れます。

政権与党である自治新党に新たな党首が誕生。

三戦との協調路線を掲げるチョイバルサンです。

チョイバルサンはすぐに三戦を訪問。

連携を呼びかける同氏にマホケンは同調し握手を交わします。

三戦の威信を大きく回復させる出来事でした。
マホケンは大きく自信を付けます。

「失った威信を取り戻し、三戦を再び強い国にする。」

かつての歴史板大国三戦は、確実に蘇ろうとしているのです。


離反か、従属か。

時代の狭間で揺れ続けた歴史諸板の人々。

しかしその関係は、新たな段階に進もうとしています。

第三回「歴史諸板の苦悩」 完

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最終更新:2013年04月26日 23:44