夜行抄


作者:鬼楽 ◆p2.NkAZNtw


百鬼夜行なるものをご存知だろうか。

百の鬼、夜を行くという字の如くに、夜中に人ならざるものが
人の如くに列を成し歩き回るといった伝説である。
全国津々浦々、これに酷似、もしくは類似した伝承を得ているが
多分にもれず京都は一条通りにも付喪神による百鬼夜行伝説が伝わっている。

その昔、永きに渡り使われた道具達は、年末に行われる"煤払い"により
うち捨てられてきた。この行事は、身近な器物が付喪神と化す前に
手放す為のものであり、現代の大掃除にその名残を見ることができる。

崇福寺所蔵の付喪神絵巻をして、この煤払いの途上で主を失った古道具達は
船岡山の後、長坂の奥に篭り変化大明神という自らの神を崇め奉る。
そして例祭と称し夜な夜な一条通りを西から東へ練り歩いたという。

現存する百鬼夜行絵巻に魅る彼らの殆どは、人よろしく四肢を持ち
立ち歩きながら列を成す。徒党を組み、さも楽しげに諸手を高々と掲げ
丑三つ時の往来を闊歩している。

その際、鳴り物の音と共に彼らが音吐朗々とのたまうのは
永年の奉仕の末、うち捨てられた仕打ちに対する恨みつらみなのだろうか。
もし恨みの心があるならばこそ、"懐古"の情も在って然るべきと思いたい。

持ち主を懐かしみ、持ち主を想い、持ち主の今を瞼の裏に浮かべる。
例えそれが、幾重の昔かすらも判らなくなっていたとしても。
見るも恐ろしく絵にも楽しい、丑三つ時の美意識とも言える百鬼夜行の列に
涙ながらに誰かの名を叫び続ける付喪神や鬼がいるということ。
それは恐ろしく切なく、そして恐ろしく素敵なことではないだろうか。

千年の昔より来たる百鬼夜行は現代の今、何処を練り歩いているのか。
高度な情報化社会を以ってしても、その行方は杳として知れず
夜の闇が最も短くなる季節にふと、彼らの歩んだ軌跡を辿りたくなる。

蚊取り線香を焚き窓を開け、ひっそりと燃える渦巻きを漠と見つめ
くゆる煙を何気なしに目で追えば、窓辺より蒸し暑い丑三つ時へと溶けてゆく。
其の白を散す生暖かい風に漫ろ神が舞い、耳を澄ませば夏蟲の蔭、漆黒の奥に
彼の行列の音を聞くことができるような気がする。

私はただ、それが嬉しい。


あとがき


煤払い: すすばらい
崇福寺: そうふくじ
船岡山: ふなおかやま
音吐朗々: おんとろうろう
夏蟲の蔭: なつむしのかげ