續・生活の探求(終)

二十三

五月の陽が公會堂の廣い庭に隈なく降りそそいで、もうすつかり初夏の明るさであつた。つめくさは泡のやうな白い花をぽつぽつつけ始めてゐた。路の片側の櫻草の紅い花が可愛らしい對照だつた。藤棚は今が花の盛りで、甘い香が離れてゐる所までも匂つた。噴水の水が勢いよくふきあげてはきらきら光りながら散つてゐた。何となく埃つぽく、道行く人の顏も汚れて見える町中を歩いて來て、ここへ入ると、さつぱりとした氣持であつた。
葉櫻の並びの下の所々にベンチがおいてある。近くに小さな子供が三人、砂いぢりをして遊んでゐるほか誰もゐない。歩いて來て、かなり疲れを感じてゐる駿介はそのベンチの一つに腰をかけた。
彼は羽織を脱いで、手拭ひで額の汗をふいた。心持ち靑ざめてゐた。道を行くともうセルを着て歩いてゐる人にも逢うつたが、病み上がりの彼は大事を取つて、袷に、シヤツも冬のを着てゐた。からだの恢復はなほ充分ではなかつた。食ふもの飮むものがかうもうまいかと思はれるほどで、よほど肉もついて來たが、昔の體力を取り戻すにはまだ大分かかると思はれた。畑にはまだ一度も出なかつた。つとめて無理は避けてゐた。
駿介は庭を隔てた向側の公會堂の白い建物を見た。二階の窓はとざされ、カーテンが下ろしてあつた。下には會堂のほかにもかなり廣い部屋が二つあつて、その部屋は窓はこつちに向つてゐた。窓の一つは開かれてゐた。あの陰には今何十人かの娘達がそれぞれの思ひを抱いて机に向つてゐる。そして妹のお道もその一人なのだ。さう思ひながら駿介はその窓のあたりをしばらく見つめてゐた。
その朝早く駿介はお道と一緒に家を出た。
お道の看護婦試驗の日であつた。子供ではなし、附き添つて行くなどといふことではないが、試驗場の門口まででも駿介は一緒に行きたい氣がした。それに病氣が治つて歸つてから、縣廰のある町へはまだ一度も出なかつたので、久しぶりに一度行つてみたいといふ氣持もあつた。
試驗は九時からだつたが、六時頃には家を出なければならなかつた。お道はそれで昨夜は何時もよりは早目に寢た。お道は銘仙の餘所行きを着て小さな風呂敷包みを持つてゐた。
「忘れものはないかい。」
「ええ、みんな持つた。」
母も姉も庭に立つて見送つた。「しつかりやるんぜえ、お道。」と、じゆんは妹を勵ました。
「ゆうべはよく眠れたかい。」
「ええ、眠れたわ。」
二人は言葉少なに話しながら、村から町へ通じてゐる電車の乘り場まで行つた。爽やかな風が渡つて、氣持よく晴れた五月の朝だ。
電車はガタンゴトンとのんびりした音を立てながら、早いところはもうやや黄色味を帶びてゐる麥畑の間を走つて行つた。
「よつく落ち着かにやあかんぜ。實力があつても、あがつて了つて實際の力が發揮出來んなんていふのは馬鹿げてゐるから。」
駿介はそんなことを云つた。云はでものことだが何か云はずにはゐられなかつた。
「ええ。」とだけ云つて、お道は窓から外を見てゐた。風に髪が二筋三筋ほつれて、いかにも健康さうな橫顏であつた。
お道の學業成績は優秀であつた。養成所は休まねばならぬ日が多かつたが、それでも卒業の時には優等で、賞として檢溫器をもらつた。しかし卒業した年にすぐ試驗に受かるものは少ないといふことも聞かされてゐた。
やがて電車は車に着いた。試驗は毎年縣の公會堂で行はれるきまりであつた。時間の三十分ほど前にそこへ行くと、門の所には試驗場を標示する立看板があつて、廣い庭にはもう澤山の若い女達が、群れてゐた。十七八から、なかには三十位の人もあつた。全くの田舎娘らしいのもあり、都會風なのもあり、田舎娘が俄に化粧して、をかしなのもあつた。さういふのが二人三人そこここに集つて、ひそひそ話をしたり、人から離れてひとり本を開いたりしてゐるのは、いぢらしかつた。競爭試驗ではない資格試驗であるこの試驗には、みんなを通してやりたいといふ氣持が、見るものに自然湧くのだつた。
「ああ、これを持つて行つて。」と、門を入るとすぐ駿介は呼びとめて、自分の腕時計をお道に渡した。
「時間は合つてるよ。さつき來る時、驛のと合しといたから。」
みんなのなかへ、お道が入つて行くのを見送つて、駿介は妹と別れた。
それから久しぶりに見る町中をぶらぶら歩き、文房具店で二三の買物をしたり、本屋へ行つて本を見たりして、二時間ほど經つてから彼はまたここへ來てみたのである。
もう少し待つて居れば、何かの科目が終つて彼女等は出て來るだらうと思つた。どうせ來たのだから試驗中のお道の樣子を一度見てから歸らうと駿介は思つた。
彼は葉櫻の下のベンチにもたれて、ふところへ入れて持つて來た小型の本を出して讀み始めた。
二十頁ほど讀み進んだ時、物音にふと眼をあげて見た。丁度、向うの建物の一方の出口から、受驗生たちがどやどやと庭へ吐き出されるところだつた。學校ではないから鐘は鳴らない筈だといふやうなことを思ひながら、駿介は立ち上つてそつちの方へ歩いて行つた。
探して見る迄もなく、お道の姿はすぐに眼についた。彼女はずつとあとから出て來た。やや上氣してゐるらしく、汗ばんだ赤い顏をしてゐた。何を見ると急いでこつちへやつて來た。
「今歸るとこなんだけどね、ちよつと寄つてみた。」と駿介は云つた。「今は何がすんだの?」
「今は一般看護法です。さつきは生理、解剖。」と云つて、少ししてから、兄の氣持を察しやるように、
「なんちや面倒なこと、ありやせん。」と云つた。
「随分澤山受けるんだね。」と、駿介はそこらへ散らばつた人達を見□すやうにした。二三人づつかたまつては、今の試驗の結果について語り合つてゐる樣子であつた。「だいぶ年とつた人もゐるな。」
「四へんも五へんも受けてゐる人もあるんですつて。」
「競爭試驗ぢやないから數の多いのは何でもないんだね。――結果は今日ぢゆうにわかるんだらう?」
「ええ。」
そんなことを少し話してから、
「ぢやおれは歸るからね。」と云つて、駿介は歸つて行つた。
門を出る時に振り返つて見ると、もう時間が來たと見えて、受驗生達はぞろぞろ建物のなかへ入りかけてゐた。
身體がかなり疲れてゐた。電車に少し搖られて來て、町をぶらぶら歩いただけで、かう疲れるやうではまだまだ身體はほんたうではないと思つた。埃つぽくて、しつとりとしないで、ものがみんな浮き上つて、ざらざらしてゐるやうな町の眺めが神經に觸つた。さういふざらざらしたものを、道行く着飾つた女の顏にも、汗ばんだ自分の肉體にも感じて不快だつた。かう神經質では仕方がないと思つた。「大病の恢復後には、神經衰弱めいた狀態はきつと來るし、かなり長く續く場合もあるよ」と云つた森口の言葉を思ひ出してゐた。
三十分毎に出る電車を少し待つて、のろい田舎電車にまた搖られ搖られして家へ歸つた。この電車に搖られるといつもきつと眠くなるのだが、今日は眠らうとしてもだめだつた。うとうととも出來なかつた。醉つたやうないやな氣持で、何度途中で下りようと思つたか知れなかつた。
靑い顏をして歸つて來た。家にはじゆんは畑に出てゐなかつた。母だけがゐた。
「お道は大丈夫ですよ。餘裕綽々としてやつてゐますよ。」
强ひて快活にそんな風に母に云つて、
「ちよつと一眠り、晝寢しますから。」と、二階へ上らうとした。
「お前、御飯は?」
「ええ……あとに、起きてからにします。腹もさう大して減りませんから。」
森口からもらつてあつた鎭靜劑を飮んで、橫になつた。
やはり眠られはしなかつた。しかし變調を來しさうであつた心臓の工合はをさまり、氣持は鎭まつて行つた。
退院してからもう二週間以上になる。何時までもこんな風では仕方がないと思つた。早く元々の通りの身體になり、力一杯働かなければと思つた。彼は何となく焦る氣持になり、果して元通りの身體になれるかどうかと不安にさへなつた。畑の仕事がおくれる、といふ心配ではなかつた。今のところはその心配はなかつた。彼の病氣留守中、弱い女手ばかりの杉野の家を、部落の人達が、殊に靑年達が、どんなに協力して面倒を見てくれたかといふことを、駿介は歸つて來て知つて、胸のつまりさうな感動を受けた。彼等は當番をきめて、代る代る杉野の畑へ來た。煙草は經驗者でなくては出來ぬことであつたが、これも靑年の黑川が、じゆんを助けて、我家のことのやうにやつてくれた。駿介が退院した前後は、煙草は丁度本圃への移植が始まる時で、非常にだいじな時であつた。苗は一日一日大きくなつて行く。しかも本圃の地拵らへ、堆肥、木灰、過燐酸、油粕の堀込み(施肥)さへもまだ濟んでゐないといふやうなことになつたらどうであらうか?しかし黑川は早速やつて來て、植附けまでを手傳つてくれた。一度に全部植ゑ附けたのでは、女手では水をやるのに大變だから、じゆんは黑川に賴んで三度にわけてやつてもらつた。
「ねえさん、兄さんが留守のまに牛を瘠せらかしたとあつては兄さんに濟まんこつてござんせうが。」
そんな戯談を云つて笑ふ村の人もあつた。全く一家三人のものは、牛は山羊や鷄の飼料さへ忘れるほどの忙しさであつた。
しかしみんなのさういふ助けで、仕事は大體に於て障りなく運んだのである。そしてそれは退院後の駿介の身體の恢復が果々しからぬ今にまでも及んでゐるのである。
駿介は寢ながらによく晴れた五月の午後の空を見た。そして今日もただ一人煙草畑へ出てゐるじゆんのことを思つた。仕事の無理で、若い妹の此頃は目立つて瘠せた。今日もひとりで、五千本からの煙草の一株一株の根元に土を寄せてやる土寄せの仕事にかかつてゐるであらう。
焦つてはならぬ。感傷的になつてはならぬ。心を平靜に保つて、養生して、早く良くならねばならぬ、もう少し辛抱だと駿介は自分に云ひ聞かせた。
日が暮れかかるとお道の歸りが待たれた。看護婦試驗は以前には二日間にやつたが、今は一日ですむのだつた。そしてその結果もその日のうちに發表になつた。
階下へ下りて來ると、臺所仕事にかかつてゐた母が振り返つて、笑ひながら云つた。
「じゆんが今夜は赤飯を炊かにやいかん云ふもんぢやけに。」
「それで炊くんですか?」と、駿介も微笑した。
「ああ、赤飯に尾頭附きぢや。――そななこと云ふたかてお前、試驗が受かるもんやら受からんもんやらわかりやせん。受からんのに赤飯炊いたらどないになるんや、と云うたら、じゆんはお道に限つて受からんいふことはある筈無い云ふんぢや。また萬一受からいでもええ、ずゐぶんと根を詰めたんぢやけに、慰めにやあかん、云ふもんぢやけに。」
あたりが暗くなりかけた頃、じゆんが歸つて來た。
それから少ししてから、お道が歸つて來た。
「お道!受かつたんやらう?」と、お道の姿を見るや否や、彼女がまだ下駄を脱いで上へあがらぬうちに、じゅんが聲をかけた。
「受かつた。」と、お道が云つた。
それでみんな何といふことなしに聲をあげて笑つた。
お道が歸つて來る迄と待つてゐた魚を燒く煙りが、土間一ぱいにこめた。あぶら濃い魚で、その煙もにほひも、妙にあたたかく親しかつた。
夜遲くまで、お道をなかに、試驗場でのことや、そのほかいろいろな話をした。


しかし駿介は段々丈夫になつて行つた。外の仕事にも慣れて來た。力仕事も普通になつた。畑にゐて、長時間暑い日に照らされても何でもないといふやにもなつた。血色がよく、めきめき肉が附いて來て、チフス後は、病氣以前よりはもつと丈夫になるといふ世間での言葉が、うなづかれなくもないのだつた。
彼は新しく蘇つたやうな氣持で、野に立つて鍬を振つた。高熱に體內のあらゆる細菌は灼き殺された。新しい細胞が、血と肉とが、與へられた。湧いて出るやうな新鮮な活力を彼は肉體に感じた。同様の力を精神にも感じた。
大病の毎に自分の精神に一つの轉機が起る。新しい世界が開ける。病氣は災難であり、不幸だが、同時に自分にとつて發展への一つの機緣となり得るであらう。彼はさういふことが信じられさうな氣がした。
ほんとうにもつと腰を据ゑてかからう、もつと低く低く地を這はう、さう駿介は考へた。自分を完全に周圍に同化させよう。眞に土に生きるものとならう。しかしそのことは何も人の先に立つ任務を自分に課することを否みはしない。否、眞に土に生きようとする努力のなかにこそ、鄰人のための活動は求められるであらう。號令する指導者であるよりは一粒の麥であらうとする願ひを持たう。そしてこの自分の願ひは必ずや適へられるであらう。そのやうに思ひ且つ信じた。
五月の半ば頃から、駿介は、健康恢復後の最初の仕事として、農繁期託兒所を創設するために奔走しはじめた。これはかねてから考へてゐたことであるが、今度病後の保養中に、暇を得て、いろいろに考へを練り、實行の決意を固めたものである。夏は麥刈から田植時までの、秋は稻の刈取期の、この二つの時期に、小さな子供のある家がどんなに困るかといふことは、廣く知れ渡つてもゐるしこの二年間に駿介は自分の眼でも見て來た。子供が足手まとひになつて仕事の能率が殺がれるといふ親達のことよりは、子供が哀れであつた。六つか七つの子が、二つか三つの子を親代りに守しなければならなかつた。それも出來ない時には小さな子がただ投げておかれた。親の姿さへ見えればそれで安心して遊んで居り、眠くなれば畦ででもどこでもそのまま寢て了ふといふやうな、丈夫な神經質でない子もあつたが、さういふ子供ばかりは望まれなかつた。母は仕事中も子を側へおいて、始終見てやらなければならなかつた。眠くなつてむづがり出す時は、背に負ふてやるのほかはない。田植時はもう暑くて、水の戀しくなる頃だ。溜池の緣に遊んでゐた三つの子が深みに落ち込み、その子を遊ばせてゐた七つの子がそれを助けようとして自分もそこへ落ち込んで、二人ともに溺れて了つたといふ悲慘事が、駿介の歸郷した年にもあつた。
駿介は農繁期託兒所が、村の女中靑年團とか僧侶とか、或ひはその他の有志などによつて計畫なり實行なりされたことが、一度でもあつたかどうかを、いろいろ人に訊いてみたが、今迄てんでさういふこともないらしかつた。さきの保健運動や道路愛護會の時にも感じたことだが、かういふ公共的な施設や事業に於ては、この村は他村にくらべてもひどくおくれてゐるのだ。
農繁期託兒所のやうな仕事は、ある篤志家個人の仕事とするよりも、村の何等かの團體が經營の主體となることが望ましい。女子靑年團などの仕事とすることは恰好だと思ふし、丁度乳幼兒保護の運動が具體化しつつある時だから、その運動と關聯させて考へて見てもいい。しかし何れにしてもそれでは今目前に迫つてゐる今年の夏季の必要には間に合はぬだらう。何度も會合を重ねたり議論をしたりしてゐる間に時が過ぎて了ふ。おそくなつたから、夏はやめて秋からにしようといふやうなことになつて了ふ。これは團體の仕事に伴なひがちな不便さだ。ともかく今村で必要なことは、望ましい實行について議論を重ねることではなくて、不充分な形ででもいいから誰かが率先して實行して見せることだ。そして人々の注意を喚起するのだ。實行して見せ、ある程度の成果を擧げて見せなければ、言葉だけでは人々は何とも思ひはしない。さうして公共的な仕事への關心がみんなの間に高まつて來れば、より立派なものは自ら生れ出ずにはゐないだらう。
村の諸團體や村當局を刺戟するものが必要である。駿介は自分がその役目を果さうと考へた。
何か仕事を始めようとすれば、先立つものは金であつた。託兒所の開設に要する費用は最初のうちは寄附によるしかなかつた。その寄附もはじめから廣く一般から集めるといふことは出來ない。そんなことをしても應募するものはないし、疑惑の眼をもつて見られるばかりだ。何か儲け仕事をするのではないかといふ風に。託兒所の第一期が終り、ある程度の實績が上り、これはいいものだ、自分達の生活に必要なものだと人々に認められるやうになつて始めて、その人々から何か寄附しようと自發的に云つて來る好意を受けることが出來る。それまでは、つまり第一期の入費は、駿介個人の狹い周圍からの寄附で調達しなければならぬ。
駿介が最初に相談に行つたのは森口であつた、金のこととなると、今の駿介としては、先づ森口の助力を仰ぐのほかはない。
森口は非常に乘氣になり、喜んで、その場ですぐに、少いが、と云つて三十圓出してくれた。
「豫算は組んでみたのかい?」
「いろいろ立ててみましたがね、だめなんです。立てても立てなくても同じことになりさうなんです。子供が何人來るかわからないし、場所がどこになるかもまだきまつてゐないんだから。しかし託兒所なんてものは、金があればあるやうに、無ければ無いやうにでやれるんでなけりや噓だと思ふんです。だから先づ無理をしないで集めてその集つただけでやらうと思つてます。いくら立派な豫算を組んでも、その豫算に從つて集めるといふことが出來るわけぢやないから。」
「第一日を開いてみりや、掛りもまア見當がつくわね。――村長や小學校長にはもう話して見た?」
「いやまだです。村長には場所やその他やその他のことで色々相談をしなけりやならないし、かういふことでは先づ村長のところへ行のが順序のやうだけれど、少し考へて後□しにしてるんです。岩濵さんていふのは好人物だけれど消極的な人ですからね。何でもこれは間違ひなくやれるといふ見込みが立つてでなけりや乘氣になつてくれない。今度の話もある程度お膳立てして、村當局の力を借りなくても私自身の力でもやれるといふ所を見せるんでなくちや、熱心にはなるまいと思ふんです。どうかな、と危ぶまれるものに、そんなら力を借さうと云ふのでなしに、力を借りなくても濟むものに却つて力を借さうといふやうな人です。さういふ人ですよ、あの人は。それで今度もただプランだけを持つてくんぢやなくて、ちやんとした實力を持つて行かねばと思つてね。それで金を準備することから始めたんですよ。」
「うん、たしかにさういふところがあるね、あの人は。――場所はどこを考へてるの。」
「さア、それは岩濵さんに口をきいてもらはうと思つてるんですが。しかし適當な場所が無ければ屋外でもいいと思ふんです。屋外だとすると、まづ天神さんの境內ですね。あそこは廣くて子供のためにはいい遊び場だし、立木が多くていい蔭もあるし、天氣のいい日はあそこにして、雨の日は、――もつとも雨で畑仕事は休みの日は託兒所も休むわけだが、休まない時は私の家をあてたつていいです。狹いだらうが。」
「期間は?」
「六月一日から二十日間ぐらゐがいいところでせうがね。しかし今年は準備や何かで少しおくれるでせう。」
「しかし大へんだね。君のとこは。ただでさへ手不足なのに。畑の方の仕事はおくれはしないか?」
「託兒所は開いて了へば僕よりはむしろ妹の仕事になるでせう。それに手傳つてくれる人もあるだらうし。畑の方は間に合はなくなつたら誰か人を賴みますよ。」
森口からの三拾圓に、駿介自身も七圓を加へた。その頃はもう農事が忙しくなつてゐたから、靑年達の定期の集りはなかつたが、遊びに來るものがそれからそれへと聞き傳へて、彼等の仲間で少しづつ寄附金を集めて、それが五圓になつた。嘉助がそれに二圓を加へた。ある日志村が立ち寄つたが、翌々日書留が來て、なかに拾五圓入つてゐた。拾圓は上原老人からで、五圓は志村からだつた。かうして十日ほどの間に五拾九圓の寄附金を得た。
駿介は奉加帳を作つてそれらの人々の名を記した。それから託兒所開設の趣意書の草稿を書いた。これはわかり易く書くことに非常に苦心をした。母や妹にも讀んで聞かせてその意見を聞いたりした。そしてある日駿介はこの二つを持つて、役場に岩濵村長を訪ねた。
村長には今さら主旨を説明する迄もないことであつた。しかし彼は一應説明して、
「趣意書の草稿も書いてみましたが、これは謄寫版で刷つてみんなに配らうと思ふのです。」と云つてそれを見せ、
「寄附金ももうこれだけ集つてゐるのですが。」と、奉加帳を開いて見せた。
「かういふ仕事は個人よりは團體がやるべきものと思ひますが、まだ個人がやるにしても私などよりは適任者がほかに澤山ゐるわけです。しかしどうも誰かやるだらうと思つて見てゐるだけでは仕方ありませんから、それで皮切りに私がやらうといふわけです。はじめ二三期私がやつて見て、追々に經營の主體をもつと適當なものに移すといふ風にしたらと思つてゐるのですが。」
岩濵は、ふむ、ふむとうなづきながら話を聞き、見せられるものを見てゐたが、
「いや、じつに結構な計畫です。」と云つてにこにこした。岩濵は駿介が批評したやうに、なぜ最初に相談に來なかつたと云ふので、氣を惡くするやうな人間ではなかつた。「農繁期託兒所は近頃、他村でもぼつぼつ始めてゐる所がありましてな。これは非常に必要なことぢやから當村でも何とかしてこれは開設したいものだとかねて思つてゐた所ですが。どこか寺のお住持(じゆす)さんでもやつてくれんもんか、したら村當局としても後援したいと思つとつたのですが、かうしたことは人のすすめを待つてはじめてやるといふもんであつちやなりませんのでな。そのやうにして始めたものは失敗するにきまつとるけんなあ。それをあんたが始めて下さるといふことはじつに願つてもないことです。村としても出來るだけの助力は惜しまんつもりです。」
「そりやどうも、有難うございます。」
「取敢へず、村からの補助として拾圓だしておきませう。」と云つて奉加帳を擴げた。「やはりここへ書いときませうかな?村の補助金は寄進とは少し性質がちがひますがな。」と笑つた。
「さア、かまひませんでせう。」と、駿介も笑つた。岩濵は筆を取つて、達筆でさらさらと書いた。
「縣の補助を受けられるやう、私の方からも盡力致します。」
「縣の補助が受けられるんですか?」
「受けられますとも。もつとも、」と、彼は云ひ差して、
「あるひはもう申請手續きの時期が少しおくれとるかも知れませんがな。……今ちよつと覺えがありません。あとでよく調べてお返事しませう。まだ申請が出來るやうでしたら、こつちで書類を作つて上げますけに。」
「どうぞよろしくお願ひします。――ところで肝腎の場所のことですが、これについ一つ御心配下さいませんか。」と云つて、駿介は、適當な建物がなければ、屋外にしようと思つてゐるが、と天神の境內を擧げた。
「左様さなあ。」と、岩濵は考へ込んだ。「屋外といふのはやはり難がありますなあ。天氣のいい日はええが、風の强い日なんどはなあ。拜殿でも子供らの遊べんことはないが……。」それから不意に、
「ところで、子供らの垂れ流すものはどうします?」と訊いた。
「ええ?」と、駿介はやや面喰つた恰好だつた。この重大な問題について彼はついうつかりしてゐた。
「あそこには恰好な場所に便所は無いですよ。境內に垂れ流すやうなことがあつては神罰を畏れんければなりませんからな。――さう、さう。」と、彼はふと思ひ當つた。「淸月庵はどうです?」
「淸月庵?」駿介は鄰部落のその庵のある一帶の地が思ひ浮んだ。それは村に於ける一つの景勝の地であつた。歸郷した當座、それから先達ての病氣のあとにも、彼はよくそこに散歩の杖を曳いた。淸月庵はかなり古い尼寺である。
「あそこならそりや申し分がありませんけれど……。しかし借りられますか?」
「そりやわしから話せば大丈夫ですわ。今の庵主の婆さんはありやわしの家內の遠緣のもんですけに。――ただあすこはちつと遠いですな。それから庵まではかなり登らにやなりませんが、子供にはどうですか……。」
「なあに、構ひませんよ。却つて足が丈夫になつていいでせう。小さい子は眼が離せませんが、それはどこだつて同じことです。贅澤を云つちやきりがありません。あそこ以上のことは一寸望めないでせう。」
「さうですか。ぢやあさうしませう。早速今日にでも行つてわしから話しておきます。」
「何卒よろしく。場所のことがきまれば先づ一安心です。――庵主はどんな人ですか?」
「どんな人と云うて、六十ばかりのただの尼さんぢやが。」
「やかましい人ぢやないでせうか。何しろ子供のことですからね。泥足で上へ上つたりしますから。それを一々叱られでもすると……。」
「さういふことは大丈夫でせう。何と云つてもほとけに仕へとる身ぢやけに。慈悲忍辱といふことは心得とりますさ。汚したりなんかはするでせうが、謝禮として幾らかお布施を包みや結構ですわ。村の衆の力で立つとる庵ぢやけに、そのくらゐの奉仕は當然のことです。――それで何ですか、趣意書は村中に配りますか。」
「そのことですが、はじめからさうは一寸出來まいと思つてゐるんです。子供がどのくらゐ來るか、今から一寸見當もつきませんが、こつちの能力に餘る人數では困りますし、まアはじめ慣れないうちは三四十人も世話が出來れば精一杯のところだと思ひます。ですから村中だと範圍が廣すぎます。私んところ中心に二三の部落に限るられると思ひますが。」
「さうですなあ。六七十人にもなりやもう、どこか大きな寺か小學校の中でも借り、世話する者も數が無けにややつてけませんな。――いや、しかし、段々そのやうに致しますわ。」
「世話する者は、今のところは、かかり切りにかかるものは二人だと思ひます。私の妹が一人と、それからもう一人は私の所へ遊びに來る靑年達や、その家族のものが代る代る來てくれると云つてゐます。私も無論時々行きますが。一人專屬で代らないものがゐなければ子供は懷きませんからね。これは妹にやつてもらはうと思つてゐるんです。」
「さうですか。そりやまあ御苦勞様です。」
大體話がすんだので、駿介は禮を述べて去らうとした。すると、岩濵が呼びとめて、
「寄附金のことですが……どうですか、村の物持ち衆にも少し話してみますか。」
駿介は少し考へてから、
「さうですね……しかしまア今度はこんなところでやつて見ませう。實績が上つて規模を擴張でもする時に、さうした方にはお願ひしませう。」
さう云つて彼は歸つた。
次の日の朝、岩濵はわざわざ駿介の所へ寄つて、淸月庵の老尼にはよく話して承諾を得たからと告げてくれた。
それで駿介は挨拶に淸月庵を訪ねた。
庵は山の尾にあつた。そのあたりは土地が一體に高いので特に山に登るといふ感じではない。しかし上つて見ると、展望のきくことで、かなり高いといふことがわかる。平野をはさんで指呼の間に、向うの山裾に杉野の家が見える。十二三段の石段があつて、上ると百坪ほどもある庭で、庵は背に森と竹林とを負つて靜かな感じであつた。
駿介は庵主の老尼に逢つて、挨拶し、禮を述べた。駿介の懸念してゐたやうな意地のわるさうな人柄ではなかつた。彼が懸念してゐたやうな事柄についても無頓着らしかつた。「わたしも子供が好きですから」といつて、庵の中を案內しながら、
「この二間でどうです?ここからすぐ庭へも出れますから。」
八疊と六疊の二間で續いてゐた。佛間と座數〔ママ〕を除いた全部を開放してくれるわけである。
「結構ですとも。子供等は大抵外で遊ばせるやうにしますから。しかしお部屋は汚れないやうにせめてうすべりでも敷くやうにします。」
彼は廣い庭を見渡して、
「じつにいい運動場になりますね、子供等には。――やはり遊戲の設備などもしてやらなければなりませんが、ブランコのやうなものを庭に作つても差支へないでせうか?」
「ええ、ええ、どうぞご遠慮なく。」
資金が集り、今またかうして場所がきまれば、託兒所開設の基礎はもうできたといふものだ。駿介は勇氣を得て庵の石段を下りて行つた。
その二日後の午後に、役場の書記が歸りがけに駿介の所へ寄つた。縣へ補助金の下附を願ひ出る時はもう過ぎてゐるのだが、特に受け附けてくれるといふからその手續をするやうにといふのだ。そして一枚の紙を渡して行つた。それには必要事項が書き込むやうになつてゐた。
それに書き込んで、それから半紙五六帖を持つて、次の朝、駿介は役場へ行つた。その紙を渡し、願書に判を捺して手續きをすました。それから部屋の片隅を借りて、謄寫版の原紙を鐵筆で切つて行つた。持つて來た半紙百枚ほどに趣意書を刷つて歸つた。
すると一日おいた次の日に、役場から給仕が使ひに來た。話があるからすぐ來てくれないかといふのだ。行つてみると、岩濵が、
「やあ、御足勞かけてすみません。」と云つて、話すのを聞くと、一昨日の願書が縣廰から戻されて來たといふのだ。
「一緒につけてやつた書類が不備だといふんですわ。わしもどうもうつかりしとつて知りませんかつたが、つまりですな、豫算の収入の部が大半寄附金といふことになつて居りますやろ。これぢや補助金は出せんのやさうです。で、これを村の補助金拾圓を差引いた殘額全部を主催者、つまりあんた自身の負擔に訂正してくれ、とかういふ話なんです。」
「ほう。」と、駿介は驚いた。「それぢや私がえらい金持になりますが。」
「はははは。」と岩濵は愉快さうに笑つた。「まア縣の方で折角さう云つてくれるんですから一つ直して出しませう。かうして出すと、公共團體の補助金額、つまり村から出す拾圓ですな、これを差引いた總支出額の半分が、縣の補助金として出ることになるんですから。」
「さうですか。そんなに出るんですか。そりや有難いな。ぢやあ、直しませう。」
駿介はペンを取つて書きはじめた。
「しかし何ですね、縣の係りの人はバカにひらけてゐますね。手續の期間が過ぎてゐるのを受けてくれたり、一ぺん出した願書を直させてまで、少しでも多くの補助金の出るやうにはからつてくれたり――ほかのことでもかうだといいんですがね。」
「はははは」と、岩濵はまた笑つて、
「まあ、さうまでして公共事業は少しでも助成したいといふお上の思召しでせうわい。」
總支出額の半分がつねに確實に財源を保證されてゐるとなると、仕事はやりよくなる。順調に經過して、より大きな規模に移るといふ場合にも安心して移れることにならう。
何日から開所するか、その日がきまるまで趣意書は配らずにゐたが、愈々六月十日を開所日にし得る見込みがついたので、空白にしておいた日時の下へその日を書き込んで、趣意書を配ることにした。趣意書は駿介と靑年達が總動員で手別けして配つた。部落にはどこにも五人組みたいなものが自然に出來てゐるから、その組の一人に渡して來さへすればみんなに行き渡るわけだが、それでは主旨が徹底しないおそれがあるから、一軒一軒配つて説明して歩いた。靑年達は忙しい最中であるにも拘らず、この仕事を喜んで、熱心にやつた。歸りに駿介の所へ寄つては、人々がどんなに喜んでゐたかといふことを詳しく話した。
小學校長と警察とへは、駿介自身が趣意書を持つて挨拶に行つた。
駿介をめぐる村の靑年達のうち、この時こそおれの出場所だと、別して奮ひ立つたのが桐野だつた。彼の大工の腕がものを云ふ時なのだ。彼は駿介から少しの金を受け取ると、それで木を買つて、シーソーを作つた。滑り臺を作つた。それから淸月庵の庭に柱を打ち込んで、ぶらんこを作つた。彼は尚そのほかにさまざまな、木で出來る遊び道具を作るつもりでゐる。
挨拶に行つた次の日に、小學校長のところから、うちの子供の使ひ古しですが、と云つて、繪本を十册ほど届けてくれた。それからフットボールを二個、ただ轉がして遊ぶにはいいでせう、しかしこれは學校のですから、お貸しするのです、御用がすみましたら何卒お返し下さい、とこれはそれを持つて來てくれた學校の小使ひの口上だつた。
繪本類は靑年達の間からも古いのが集つて來たし、又買ひもした。お手玉や色紙やおはじきの類も集つて來た。玩具も、男の子向きのものも女の子向きのものをまぜていろいろと買つた。
一通りの準備が整つたところで、六月十日の朝を迎へたのである。
第一日目だから杉野の家では一家が總出で事に當つた。じゆんは一足先に淸月庵の方へ行つてゐた。駿介とお道とは家で子供達の來るのを待つてゐた。庵の近所の人は眞直ぐ庵の方へ行くやうに、杉野の近所の人は七時頃までに一應杉野の家へ集つて、勢揃ひした上で出かけよう、と觸れておいたのだつた。おむらは家にゐて、集つた人數の報告を受けて、お晝のおむすびを握つたりするのが仕事であつた。
朝起きた時から天氣が氣になつた。開所日にふさはしくいい天氣に惠まれた日であつて欲しかつた。しかしあたりの白み方で、駿介の願ひは達せられさうに見えた。
六月の夜明けは早い。六時少し前に飯をすまして待つてゐる駿介達の所へ、間もなく、野良着姿の親達に連れられて子供等がぼつぼつやつて來た。イの一番に來たのは、近所の谷村で、これは夫婦で、六つの女の子と四つの男の子とを連れて來た。
「此度はどもお世話様でござんす。」と、夫婦は改つた挨拶をした。「お蔭様でどんなに助かるか知れやしません。したがどうも二人とも手數のかかる奴でござんしてな。なんぼか御厄介なこつたらうと存じますが。」と、父親は云つて、それから子供の方を見て、
「すゑも義(よし)もおとなしうして、よつくをぢさんをばさんのいふことを聞かにやあかんぞ。」と、一向にききめの無ささうな、威嚴をつくつた聲で叱つた。
子供は二人とも聞くか聞かぬに向うの緣側の方へ走つて行つた。お道は緣側の板の間に坐つて持つて行くものを調べたり、風呂敷に包んだりしてゐた。
子供は溝がねの上に手をおいて、飛び立つやうにからだをゆすぶりながら、お道に向つて何か云つてゐる。お道も笑つて相手になつてゐる。子供はじゆんやお道にはふだんからなついてゐた。夫婦はその樣子を見てゐたが、やがて、
「どうぞ宜敷うお賴申します。」と繰り返して、麥刈りに畑へ出掛けて行つた。
同じやうにして子供等は次々送られて來た。六つ七つの子で、親が附き添つて來る必要のない者にも親は附いて來た。はじめての日だから、駿介達に逢つて挨拶し、禮を述べて行きたいといふのである。彼等はさういふ點はおそろしく禮儀正しく、几帳面である。子供は三つから七つまでだ。さういふ子供等が十五人集つた。
集つた子供等は、かう一所に集つたからだらう、びつくりしたやうなへんな顏をしてゐた。どこへ行くかといふことを、ちやんと知つてゐる子もゐたが、これから何が始まるんだ、といふやうな顏をしてゐるものもあつた。だから今のうちはおとなしかつた。はにかんでゐるやうな女の子もあつた。
駿介は、「坊やいくつ?」「名は何ていふの?」「いい子だね」などと月並みなことを云つて子供の頭を撫でたりして、彼等にかこまれてにこにこしてゐた。
山羊がのんびりした聲で啼いた。
「やあ、山羊がゐらあ。」
六つの男の子で、ぢつとしては居れなくて、何かいい對象はないかとうずうずしてゐたやうなのが、喜んで小屋の方へ駈けて行つた。三四人そのあとに從つた。がやがや云ひながら小屋の前にかたまつて、てんでに木の葉をのべてやつたりしてゐた。
「どこさ遊びに行くんだい?」と、味噌汁を口もとにくつつけて、それがそのまま乾いて了つてゐる男の子が、洟をすすりすすり訊いた。
「お寺だい。山の上のお寺だい。さうだらう、をぢさん。」と、他の一人が云つて、「早く行かうよ、をぢさん。」とせがみ出した。おとなしくしてゐた者もそろそろ退屈して來さうに見えた。田舎の子供は無口で、都會の子供のやうに感情の表白にたくみでなく、表情の動きものろい。しかし、「もうちつと待つんだよ。今、みんなのお友だちがもう一人來るからね。」と云つて頭を撫でてやつたりしてゐる小さな子供にいきなりわッと泣き出されでもしさうな不安心な氣持が駿介はして來た。當然來る筈のある家の子供がまだ來ない、それを彼は待つてゐるのだ。その時おむらが來て、小さな子供の機嫌を取り始めたので駿介は助かつた。
「わたし一寸迎へに行つて來るわ。」と、お道が下の道の方へ走つて行つた。が、行つたかと思ふとすぐに引き返して來た。子供とその親と一緒であつた。すぐそこの所で丁度出逢つたといふのだ。
まだあとから來る者があるかも知れない。その人達はおくれたと知つて眞直ぐ庵の方へ來てくれるだらう。それで、駿介達は出かけることになつた。
「さア行くぞう、みんな」と、駿介は叫んだ。散らばつてゐた連中もバタバタと走つて來て、子供等は一つにかたまり、不揃ひな列を作つた。
「さアさア行きませう。」と、お道が笑ひながら、小脇に風呂敷包をかかへ、もう一方の手にも包を下げて出て來た。必要なものは大抵、昨日のうちに庵の方へやつてあつたが、それでもまだ持つて行かねばならぬ細々としたものは殘つてゐた。
「おらア、持つてくんだ。」と、一人の子が包みを下げたお道の腕にぶら下つた。
「いやあ、おら持つてく。」と、もう一人が負けずに云つて、飛びつくやうにして、お道にからみついた。
「駄目、駄目、そんなに引つぱつちや。なかの本がくちやくちやになつてしまふやないの。」お道は二人に押されてたじたじとなりながら、子供のやうにきゃつきゃつと笑つた。「駄目、喧嘩しちや。ぢやあ、これはね、大きい人が持つてくことにしませう。信坊、お前さんが持つてきなさい。三郎はがまんするの。ねえ。」
子供はやうやく云ふことを聞いて、七つの信坊が風呂敷包を持つた。
「どれ、わしもどんな樣子か見るだけは見て來よう。」と、おむらも行くことになつた。
三人の大人は、一番小さな三人をそれぞれ背におぶつた。否かの子供は早くから野放しだから、三つぐらゐでもかなりの遠道をして平氣でゐるが、途中に坂などもあるし、おぶふことにした。おぶさりたいといふものが我も我もと出て來て、また一もめもめたあとで愈々出發となつた。
それはいかにも愉快な一隊だつた。駿介は先頭に立つて、右手に女の子の手をひいてゐた。背中の子は嬉しがつてぴよんぴよん跳ねるやうにした。おむらは子供のなかにはさまつて列の中程に、お道はしんがりだつた。かうして隊を組んで歩くなどといふことは、まだ小學校前の小さな彼等にとつては變つた經驗だから、子供達は大はしやぎだつた。遠くへ遠足にでも來たやうで、毎日見慣れてゐる道も畑も山も、何か變つた新鮮な感覺で眺められるらしかつた。一隊はさうして田舎道をねつて行つた。それは初夏の、風も薫る、よく晴れたさはやかな朝であつた。
「みんなうたつて行かう!」と、駿介が叫んだ。「鳩ポッポならみんな知つてるだらう。鳩ポッポをうたはう。」
そして彼は大きな聲で鳩ポッポをうたひ出した。その声について子供等もうたひ出した。調子はづれの聲や舌足らずの聲やいろいろであつた。背中の子の跳ね方が一層はげしくなつた。
麥畑には麥が色づき、すでに刈取りが始まつてゐた。賑やかな歌ひごゑを聞いて、麥を刈つてゐる人達は、腰をのばし、手をかざしてこつちを見てゐた。
「やあ、お父うだ。お父う、お父う!」
「おつ母ア、おつ母ア!」
彼等のなかに父や母を認めた子供達は、金切聲で叫んだ。親達は汗に光る眞黑な顏に、白い齒を光らせて笑つて、鎌を持つ手を高く上げて振つて見せた。
「吉や、おとなしうせな、いかんぞ。」
大聲で、そんな風に叫ぶ親もあつた。
淸月庵の下の道まで來ると、庵の石段の下に立つて、手を振つてゐるじゆんともう一人の若い女の姿が、かなり遠くから見えた。元氣づいた子供達は、もう駈け出してゐた。息を切らしてハアハア云ひながらもゆるやかな上り道を駈けて行つた。途中で一度や二度轉んでもすぐに起き上つて元氣に駈けて行つた。背中の子供もそこで下ろしてやつた。近づいてみると、もう一人の大柄な若い女は、工藤靑年の妹のお峰だつた。今日の第一日が、彼女の手傳ひの番だつた。
「どう?こつちへは何人位來た?」と、駿介はじゆんに逢ふなり訊いた。
「十四人です。」
「さうか。すると合して丁度三十人だね。」第一日目にこれだけの子供が來たと思ふと駿介はうれしかつた。
庵の廣い庭へ出ると、子供達は歡聲をあげてそこら中を駈け□つた。さきから來てゐた十四人とすぐに入り混つてしまつた。彼等の一隊が着いて暫くしてから、なほ三人の子が親達に連れられて來て、總勢三十三人になつた。
「今日はどうも御苦勞様――どうです?うまく行つてますか。」と、駿介はお峰に訊いた。
「ええ、みんなもうとつても喜んで遊んでますわ。」
駿介は庵主のところへ行つて挨拶してから、母と並んで緣先に腰をかけて、汗を拭きながら子供達の戲れをしばらく見てゐた。
庭の一隅には蓆が敷いてあつて、繪本や玩具の類がその上に散らばつてゐた。女の子が、爼代りの板の上で、ブリキの破片の庖丁で、草や木の葉を切り刻んでまま事遊びをしてゐる。男の子が、腹ばひになつて、足をバタバタさせながら、繪本を見てゐる。大聲で何か出鱈目を讀んでゐる。繪から來る勝手な聯想を讀んでゐるのだ。しかし蓆の上の彼等は少なくて、大抵は土の上に飛び出してゐた。
ぶらんこ、シーソー、滑り臺は何れも劣らぬ盛況であつた。子供達の中にはかうした遊戲が全くの初めてのものもあるらしい。やつて見たくはあるし、こはくはあるしといふ恰好でもじもじしてゐる。さういふのは三人の保姆が抱くいて乘せてやつてゐた。こつちではまた比較的大きな子供が三四人づつ兩方に別れてフットボールを轉がし合つてゐる。ボールは兩方の列の間をただ行つたり來たりするだけだが、轉がつて來るボールをとらへる時は我を忘れた嬉しがりやうだ。みんなから離れて、おとなしくお手玉をとつてゐる女の子もある。
不意に向うの方で、わーい、わーいと叫ぶ聲が聞えた。見ると、庭の一方の隅に、廣い枝を張つた大きな櫻の木がある。いつの間に登つたか、かなり上の方に、綠の葉陰から顏を出して、子供がひとりゐた。ぶらんこの側で子供を見護つてゐたお道が、驚いてその木の下へ走つて行つた。氣をつけんとあぶないぜえ、と叫ぶのに、子供は笑ひで答へながら、ほかの枝へと移つて行く。
三つになるひよわさうな男の子が、誰の中へも入らずに、蓆の片隅にえんこして、ぼんやりみんなの遊ぶのを見てゐた。さつきお道におぶさつて來た子だ。駿介はその子を肩車に乘せてやつた。皆の方へ行くと、子供達は一せいにわーツと囃し立てた。そして遊びをやめて後ろからついて來た。駿介は走り出した。子供達は益々高く叫びながらそのあとから追つかけて行く。
駿介はやがて母の側へ來て、
「おつ母さん、今日はもうこれできまつたやうですね。三十三人です。」
「さうな。ぢやあ、わしは歸つてぼつぼつ晝の支度にかからうかい。」
「ぢやあ、どうか。もう少ししたらじゆんを手傳ひにやります。二三日中にはここの臺所で間に合ふやうにしますから。」
おむらは歸つて行つた。
駿介は、當分は、子供達をただ自由に遊ばせておくだけでいいと思つてゐた。唱歌を敎へるとか、童謡踊りを敎へるとか、お話を聞かせるとか、さういふことも必要かも知れないが、必要としても何も急ぐことはないと思つてゐた。そして自分としては、子供といふものをよく見てよく知ることが第一だと思つた。
九時に第一囘の間食を與へることになつた。
「みんな來いよう、お菓子だぞう。」
「みんなお出でよう、お菓子を上げるけん。」
駿介とじゆんが大聲で觸れた。子供達は、お菓子だ、お菓子だ、と口々に叫んで集つて來た。
彼等に列を作らせ、裏の井戸端へ連れて行つて手を洗はせた。手拭ひなど下げてゐるものは少ないから、大人が手を拭きに□つた。しかし男の子の多くは、自分の所へ□つて來ないうちに、着物に濡れた手をこすりつけてさつさともとへ走つて來てしまつた。
「さア、みんなずーつとここへ坐るのよ。」
子供達は蓆の上へ三列にならんで坐らせられた。坐るまではここでも亦一騒動だつたが、坐つてしまふとびつくりするほどの神妙さだつた。大きい子も小さい子もきちんと膝を揃へて坐つて、聲一つ立てなかつた。洟をすすり上げる音だけがきこえた。お道とお峰とが、小さな子の洟を一々かんでやつた。風呂敷包が解かれ、煎餅の大きな紙袋がガサガサ云ひ出すと、子供達の緊張ぶりは頂點に達した。固唾を呑んで、じゆんやお道の一擧一動に從つて眼が動く。
やがて煎餅が配られる。かしこまつて、お頂戴をして貰ふものなどもあつて、全部行き渡らぬうちに手をつけるものは少なかつた。「さア、おあがり。」と云はれてから、うまさうにパリパリ音をさせてたべはじめた。
「水の欲しい人はここにお出でよ。注いで上げるけに。」
茶碗をのせた大きな盆と藥罐とを持つて來てそこにおいた。煎餅を配る時だけはちんと並ばせても、食べる時には、三度の食事とはちがふし、何も畏まつた姿勢でゐることを强ひる必要はないと思つたが、みんな貰つた時のままの姿勢で食べてゐた。遠慮ぶかく神經質な子もあることだから、みんなの食べるところはなるべく見ないやうにして、前の方に坐つた。明るい性質の腕白な子供と、「うまいか」「うまいなア」「お晝すぎにまたあげるよ」「をぢさんは欲しくはないんか」「をぢさんはもう腹一杯食べちやつた」そんなやうな會話を駿介はしてゐた。
食べ終ると、子供達は、水を飮むものは飮んで、またそれぞれ遊びに飛び出して行つた。
おやつの時間がすむと、じゆんが、晝の支度にかかつてゐる母の手傳ひに家へ歸つた。
お峰とお道とは、ひとりで兩便の出來ない小さな子供をよく注意して、次々に便所へ連れて行つた。彼等も大抵は自分の方から云つて來た。しかし一人大便をしくじつてゐる三つの男の子をお峰が見つけて、「おやおやおや、この子は。」と、ぐんぐん引つぱるやうにして、井戸端へ連れて行つて、洗つてやり、着物も汚れたところだけ洗つて乾した。襦袢一枚になつた子供は、却つて嬉しがつて、ぴよんぴよん跳ねるやうにあたりを飛び□つてゐた。
「困たなあ、こりや着ものの代りはないし。」
お峰のところ來て子供の方を見ながら駿介は云つた。當然豫想されることなのに、うつかりしてその時の爲の備へを考へなかつた。
「なに、構やしませんが、すぐに乾きますよつて。」
「しかし子供が風邪でも引いたら。」
「風邪なんぞ引きますもんか。こんなぬくとい日に。百姓の子はもつと寒い日だとてしよつ中かうですぜえ。」
お峰は一向氣にもとめずにゐた。それはさうだらうと駿介も思つた。そして託児兒所にゐる間だつて、一般の百姓の子と日常とべつに違つた風にする必要はないことだ。しかし裸に近い恰好で飛び□つてゐる子供を見ると、初夏の暑い日の下ではあつても、駿介はやはり氣になつてならなかつた。その子が部落で、家は庵の前の道を右の下へ下りたすぐのところだと聞いて、駿介は一走り走つて行つて、家にゐた婆さんに云つて、着替の單衣を持つて歸つて來た。明日からは小さい子何人かの着替だけは、それぞれの家に話して、用意しておかねばならぬと思つた。
今日は開所第一日目の日なので、仕事の少しの休み時間を利用して、樣子を見に來る村の人が多かつた。靑年達も來たし、子供の親達も來た。子供の戲れてゐる樣を見、駿介といろいろ話をし滿足をして歸つて行つた。午後には、森口や、村長なども訪ねて來るだらう。
晝まで、たつた半日の間に、駿介はじつに多くを見、また多くを子供について知つた。彼は先づ、子供の世界が案外に規律正しく、秩序立つてゐるのに驚かされた。お菓子をもらふ時に行儀がいい、といふやうなことではなく、それは彼等の遊戲の上などにもはつきり見ることが出來た。たとへばぶらんこに乘るにも、我勝ちに爭つて乘り、强い者勝ちで、一度乘つてしまふと彼が飽きて降りるまで獨占狀態が續く、といふ普通に豫想されることは、意外にも全く見られなかつた。彼等は一列にならんでゐた。そして先のものから順に乘つて行つた。一人が乘ると、次のものは乘つたものを搖り動かしてやつてゐた。しかも數をかぞへて、三十乃至四十往復ぐらゐで交代してゐるのだ。七つの子供の音頭取りでそれをやつてゐる。三つ四つの小さな子で、自分の力でぶらんこをゆすぶる力の無いものは、その七つの子がうまい工合に押してやつてゐた。シーソーに乘るにしても、把手のあるところには、ちやんと小さな子供を乘せるやうにしてゐた。
遊んでゐる子供は、のどが渇くと見えて、よく水を欲しがつた。それで藥罐と茶碗をのせた盆とは緣先においてあつた。そこでも大きな子供が小さな子供に茶碗に水を注いでやつてゐるのを見ることが出來た。そればかりではなく、遊んでゐる最中に、小さな子供が用便を云ひ出すと、大きな子供は、お峰やお道を待たずにさつさと自分でその子を便所に連れて行つて用を足させたりした。それが兄弟姉妹といふのではなく、必ずしも今まで毎日一緒に遊んでゐた仲間といふのでもなく、今日はじめてここで一緒になつたといふのが多いのだから、駿介はおどろかされた。そしてさういふ子供の行爲は、必ずしも、大きなものは小さなものをいたはらねばならぬ、といふ氣持からだけ來てゐるものではないと駿介は見た。無論さういふ氣持はある、しかしそればかりではなく、みんなで一緒にやる遊びを、圓滑に行ふためにはさうせねばならぬといふことを知つてゐるのだと思はれた。
そして彼等は今迄にもつねにさうであつたであらうか?無論託兒所の半日がさういふ彼等をつくつたなどといふのは滑稽であらう。しかし託兒所の生活が、その第一日目から、彼等に何か新しい特異な感じを與へてゐることは事實である。そしてそれは今云つたやうな子供の傾向を助長させることに役立つてゐる。さう云へると駿介は思つた。彼等は共同生活を意識してゐるとは云へない。しかし少くとも、ここでは家庭に於けるやうに、甘へたり、氣儘を云つたりは許されるのだといふことを、□責の眼におびえていふのではなしに、子供心にも感じはじめてゐるのだと思つた。そしてそこから、自然に一つの秩序も生れるのだと思つた。次第にこの秩序に意識的な形を與へて行くことが考へられる。たとへ短期間の訓練ではあつても、この經驗は、この子供達の將來にとつては大きなものではないであらうか?
わづか半日のかうした觀察は駿介は喜ばせ又勇氣づけた。農繁期託兒所に對する新たな興味と熱意とが涌いた。農繁期に於ける親達の足手纏ひを、何とかその期間だけ親達から隔離しておけばいいといふだけのものではない、託兒所は子供達のために獨立した使命を持つてゐる、といふことを、今更のことではないが深く感じた。同時に彼は自分の責任の大きさをも深く感じた。
人々は、今日のこのよく晴れた日に、寸刻も惜んで麥を刈つてゐる。自分の畑の麥もよく實のり、黃に色づき、もう刈り取るばかりになつてゐる。しかし今日は刈れない。明日も刈れないだらう。我家の農事はかうして後れるだらう。損失はあるだらう。しかしそれはこの責任を果し得る大きな喜びの前には何の事でもない。今の自分は一人の百姓である以外の何ものでもあらうとはしてゐない。自分はこの村に住む一人の百姓だ。だからこの村の百姓の生活にとつて意義があり、必要な仕事は考えへないわけにはいかない。考へて我が力に適ふと思つたら即時に實行する。力に餘るもののために夢想して、力に適ふ目前の實行を怠ることはしまい。これは明日の日もためを思ひ煩つて、今日の日を空しくするなといふことでもある。實行することが大切なのだ。考へたことが生活にとつてどんな意義があるかも實行して見て初めて知れる。新しい發見がそこにはあらう。ある實行は石を積んで又崩すの類に終るだらう。しかしある實行は必ずしたらしただけのものを地上に殘すだらう。この殘すものの上に信をおかう。このやうな素朴さに生きるのほか、今の自分には生きやうはない。そのやうに駿介は思つた。
やがて晝近くなつたので、お道が家へ歸つて行つた。晝の辨當を運ぶためだ。豆の粉をまぶした握り飯を入れた重箱の重ねは、二つにわけて、これは二人で運んで來なければならなかつた。
子供達はそろそろ空腹を感じはじめてゐた。駿介とお峰とに向つて、空腹を訴へるものも出て來た。二人もしきりにせかれる氣持で、待ち兼ねて、庵の門の所へ立つて、南の方を見てゐた。子供達も二人を取りまいて、二人が見てゐる方へ、眼をやつてゐた。
眼の下の平野には、明るい光のなかに、點々と黑く人々の動く姿が見える。麥を刈つてゐる人の姿だ。その平野を越えて向うに、ここの高さよりはやや低く、山裾に、離れ離れに家が三四軒立つてゐる。その一軒が杉野の家だ。その家のあたりの人影が、ここから見えるといふ距離ではなかつた。
「おつさんの家、どれ?」と、子供の一人が訊く。
「あれだ。」と、駿介は指差して、
「あれ、あの右から二つ目の家。」
「なあんだ。近いやないか。呼んだら聞えやせんか。」
「聞えるかも知れん。呼んでごらん。」
子供は手を喇叭にして、家の方へ向つて、
「おーい。おーい。」と、力一ぱいの聲で叫んだ。
「おーい。おーい。」と、ほかの二三人の子供も前へ出て來て、さきの子供とならんで、聲を揃えて叫んだ。顏を眞赤にして力みながら叫んだ。
「おーい。御飯(ごはん)早う持て來いよーツ。」
駿介とお峰は思はず笑つてしまつたが、子供達は大眞面目だ。
「來た、來た。」と、その時、道路の方を見てゐた子供達が叫んだ。見ると、道のずつと下の方から、じゆんとお道とが並んで登つて來るのが見える。
「來た、來た。あねさんだ。」
子供等は期せずして、わーつと歡聲をあげて、兩手を上げて振り始めた。
登つて來る二人は、二人とも右手を重さうに箱形の包みを下げてゐた。うつむいてひたすら急いでゐた二人は、子供達の聲に顏を上げた。につこりしたのがここからも見えた。あいてゐる方の手を上げて、打ち振り打ち振り、續いて起る歡聲に答へた。
「早う、持つて來いよーツ。」と、子供達が叫ぶ。
じゆんとお道とは走り出した。

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最終更新:2018年12月28日 15:26