筏(外村繁)前半

 近江路は雪であつた。
 早暁、その雪道を踏んで、近江國神崎郡五個莊村の郷里を發つた藤村孝兵衞が、途中駕籠を急がせ、江戸の街に入つたのは、丁度九日目の、天保十二年(西暦一八四一年)十二月二十五日のことであつた。
 流石に、度度の儉約令の故か、以前のやうに人目を奪うやうな飾り物は見られなかつたが、軒毎にすつかり松飾りが立ち並び、竹の葉が空風に鳴つてゐる江戸の街を、孝兵衞はいかにも旅馴れた足取りで歩いて行つた。
 日本橋を渡り、小田原町から伊勢町を過ぎ、堀留に出れば、新大坂町にある藤村店は直ぐである。この邊まで來ると、行き交ふ番頭や丁稚たちの姿にも、いかにも町人の街らしい空氣が漂つてゐたが、店先には客の姿も少く、ひどくさびれて見えた。
 孝兵衞が堀留の通を右に折れ、大丸新道にさしかかつた時、白い手が、さつと大丸屋の暖簾を掲げ、獨の若い女が出て來た。女は一寸孝兵衞の方を振り向いたが、そのまま急ぎ足で、孝兵衞の數間先を歩いて行つた。一瞬、黑ずんだ地色の着物の襟を落した項の白さが、目に映つたやうだつたが、孝兵衞は直ぐ目を外らした。
 突然、異様な氣配に、孝兵衞が顔を上げた時には、いかにもどこから湧いて出たかといつた感じで、咄嗟に逃げ出さうとしたらしい女を、三人の男が三方から取り圍んでゐた。
 女は左右を見配りながら、二三歩後に退つて、塀際に立つた。血の氣を失つた蒼白な顔。その切れ長い目は冷やかな光を帶びてゐた。
 「御趣旨によつて、取り調べる。女、帶を解け」
 「こんな所で、帶が解けますか。お調べなら、どこへでもしよつぴいて行けばいいぢやありませんか」
 「何言つてやがんだい。この忙しい年の暮に、一一そんなことがしてられるかつてんだ」
 「ぢや、御勝手に、いいやうになすつて下さいまし」
 女はまだ二十にもなつてゐないだらう。どこか幼い感じさへ残つてゐる。その口許には、それでも精一杯の冷笑が浮んでゐた。が、そんな女の勝氣さが、却つて女といふものを痛痛しく感じさせた。
 この騒ぎに、道行く人は足を停め、兩側の店先にも人影が動いた。いづれもいかにも臆病な善良さうな顔であつたが、等しくその顔は厭らしく歪んでゐた。
 「言ひやがつたな。しやら臭え」
 一人の男の手が女の着物の裾にかかつた。一瞬、女は無惨な姿を曝した。が、女は表情一つ動かさなかつた。
 「こ、これは何だ。おい、ひん剝くんだ」
 「友七さん、ぢやありませんか」
 孝兵衞が走り寄つて、流石にせき込んだ聲を掛けた。
 「えつ、旦那ぢやねえか。おや、今、お着きでござんすかい」
 「さうなんですよ。ちよいと親分」
 孝兵衞は友七を路次横に誘つて、驚く友七の手に一枚の小判を握らせた。
 「えつ、旦那の御存じなんですかい。旦那もなかなか隅におけねえ。凄え代ものぢやありませんか」
 「これでも、親分、さう見くびつたものでもないでせうが」
 「いや、どうも、恐れ入りやした」
 縞の引廻しに、脚絆を履き、荷物を振り分けに擔いだ孝兵衞の姿は紛れもない町人の姿に相違なかつたが、額は廣く、鼻筋が通り、口を堅く結んだその顔には、深い陰翳が刻まれ、ともすると憂悶の影さへ漂ふかとも思はれた。頻りに愛想笑ひを浮かべながら、孝兵衞の肩など叩いてゐる友七に、孝兵衞は無口に一禮すると、女の方へは振り向きもせず、歩き出してゐた。
 友七の指圖を待ち兼ねるやうに、女の両脇に身構へてゐた二人の男に、友七は目配せをして言つた。
 「裏は花色、襦袢は、棧留、湯文字は紅木綿だね。御趣旨に違わず、神妙ぢやねえか。久しぶりの上卵、にぬきに剝いてくれんとも思つたが、運のいいあまだ。旦那にお禮でも言つて、さつさと消えて失せやがれ」
 「お禮だつて。いらぬお世話だよ」
 女は吐き捨てるやうに言つた。
 「あんまり人を馬鹿におしでないよ。それともお前さんの目はガラス玉とでもいふのかね。棧留の長襦袢たあ、そりや一體、何のことだね」
 「おつしやつたね。全くだ。紅木綿の湯文字なんて、お召しになるやうな、殊勝な柄ぢやなからうが、そこがそれ御趣旨を守つて、格別、神妙だつてことよ」
 「何言つてやがんだい。意氣地なし。斷つとくがね、どこの馬の骨か、牛の骨か、あたしの知つたことぢやないんだからね」
 「それほど望みとありや、もつと涼ませてやらねえこともねえが、この寒空だ、どこかでちよいと溫まつて來る方が、賢からうといふものだ。おい、行かうぜ」
 友七も流石に引つ込みのつかないものを感じたのであらう。丁度、怯儒な小動物が虚勢を張るやうに、友七は二人の男の方へ勢よく顎をしやくつて、歩き出した。
 「チェッ、このまま行つちやふのかい。もつたいないぢやねえか」
 「こんな賣女、相手にするこたあねえ」
 「だつて、丁度頃合の師走風、俺、寒晒しに晒してくれんと思つてたんだがね」
 三人の男は口口に敗け惜しみを言ひながら、肩を寄せ合つて、歩き去つて行つた。
 悔しさが、一時に込み上げて來た。が、奇妙なことに、あんな男達への悔しさではなかつた。怒りと、男といふものに對する蔑みだけが、あのやうな凌辱にも堪へられてゐたのである。が、そんな女の必死の姿にも、あの見知らぬ男は見向きもしないで、立ち去つて行つてしまつたのだ。何か得體の知れぬ悔しさだつた。女はむしろ呆然と、孝兵衞の歩き去つて行つた方角へ目をやつてゐた。


 菱垣船積問屋共より是迄年々金壹萬貳百兩宛冥加上金致來候處問屋不正之趣も相聞え候に付以後上納に不及候尤向後右仲間株札は勿論此外とも都而問屋仲間竝組合抔と唱候儀不相成候
 右に付而者是迄右船に積來候諸品は勿論都而何品にても素人直賣買勝手次第可爲且亦諸家國産之類其外惣而江戸表へ相廻し候品々も問屋に不限銘々出入者共ら引請賣捌候義も是亦勝手次第に候右の通問屋共に不限町中不洩樣早々可相觸者也
  十二月
 右之通従町御奉行仰渡候間問屋商賣人者不及申町中家持借屋裏々迄早々可相觸候
  天保十二年十二月十三日                          町年寄  役所

 そんな觸狀の寫しを讀み終つた孝兵衞は、兄與右衞門の前にそれを置いた。
 「嚴しいお達しでございますな」
 「さやうさ」
 兄の與右衞門も額は廣く、鼻筋が高く通つてゐたが、孝兵衞とは反對に、ひどく太つてゐた。頰も豊かに脹らんでゐた。
 「いや、確かにお剃刀が輕すぎましたよ。十組全體で一萬二百兩では、いかにお上でも、大した重しにはなりませんからね」
 「さうなんだ。あんたは前からさう言うてられたが、この節の一萬兩、いかにお上でも、いらぬとおつしやるか。いかにお上でもな」
 與右衞門はいかにも孝兵衞の言葉が氣に入つたやうに、二度繰り返し、低く聲を立てて笑つた。
 問屋廢止の令を受けた與右衞門は、丁度郷里に歸つてゐた孝兵衞を、四日限早飛脚をもつて、呼び戻したのであつた。
 菱垣(ひがき)廻船積問屋といふのは、菱垣廻船が廻送する商品を取扱ふ問屋であつて、享保六年、(西暦一七二一年)江戸十組問屋が成立し、この菱垣積問屋を統轄するやうになつた。
 十組問屋は塗物組、内店組(絹・太物・麻布)、通町組(小間物・太物・荒物)、藥種店組(藥・砂糖)、釘店組(銅・鐡類)、綿店組、表店組(疊表等)、河岸組(油・紙)、奈良組(紙・蠟燭)、酒店組の十組に分かれてゐて、當時、内店組に屬し、近江國産布類並びに京呉服持ち下り商人仲間は、川並村塚本茂右衞門、町屋村市田太郎兵衞、位田村村松居久左衞門、同松居忠右衞門、七里村平田源次、山路村櫛田九兵衞、稲葉村渡邊淸十郎、大町村小西源次郎、京都布屋治右衞門と、この藤村與右衞門の十軒で、幕府への冥加上金の分擔額は年二十兩であつた。
 が、當時の老中水野忠邦は所謂天保改革の一つとして、物價を引き下げる目的から、問屋の獨占的暴利を防ぐため、問屋の解散を命じたのである。
 「素人直賣買などと申すものは、例へば、私どもが河岸へ魚を買ひに行くやうなもので、どうなるものでもございません。このやうなお觸れ出しではございますが、實際には、大したこともなからうかと、存じますが」
 「いや、しかし、一萬二百兩、あのお上がいらぬとおつしやるほどの御決心だ。今度はなかなかのことと思はれもする。まあ當分は觸らぬ神に祟りなしさ。謹愼してゐるより他はなからう」
 この年の五月、忠邦が享保・寛政の趣意にかへるべき旨を令して以來、質素儉約に關する令は次ぎ次ぎに發せられ、十月には物見遊山の華美な服裝を禁じ、十一月には下谷池の瑞辯天、上野山下車坂、淺草、深川、その他各所の盛り場を悉く取り拂ひを命じるなど、峻烈を極め、新興都市として、あれほど殷盛だつた江戸の街角も、急に活氣を失つてしまつたのである。
 「諸品直下げ、或は百姓町人共衣類は勿論何品にても都て高價の品使用申間敷棟嚴しく御仰出、鹿子之類山舞紋縮緬等賣買遠慮仕舞置候程の儀にて都而呉服物相手少く所持の縮緬半値位の相庭に相成莫大の損失相立つ」といふ風に、彼等問屋商人も相當な打撃を受けたのである。
 しかし、その取締は非常に嚴格であつたけれど、例へば川筋往來の日覆船が簾を下し、河岸や橋下に繫いで、中にて風紀を亂す者もあるやうに聞くから、寒氣の時でも必ず簾を捲き上げておくやうにとか、または、子供の手遊について近年高價な品が賣買されてゐるが、幼年より良い品を見馴れてゐると、自然と奢侈になるもとであるから、決して贅澤な品を賣り出してはいけないとかいふやうに、いかにも抹消的な小役人根性の、それで醫て徒に齒を嚙み鳴らすやうな、苛酷な苛立ちが感じられた。
 幕府は更に進んで問屋の禁止を命じたのである。奢侈、高物價、懦弱、頽廢、まるでそれらのこの時代の病源が、總て問屋の故であるかのやうに。が、その時代の問屋は卽に幕府から與へられた特權ではなかつた。つまり政治力の保護を必要とする、ギルド的な存在からは遥かに成長してしまつてゐた。彼等はいかなる困難にも堪へることの出來る資力と、いかなる困難をも乗り越えることの出來る精神力とを持つてゐた。しかし新興市民の感情を、つまり下情を、自らの身の中に知つてゐた彼等が、却つて當局者の焦躁を感じ取らないはずはなかつた。彼等は表面には謹慎を裝ひながら、内心驕慢な誇りを懐いて、竊かにその機の來るのを窺つてゐるやうだつた。
 「しかし……」
 孝兵衞が、その優しい、むしろ憂鬱さうな表情の、どこにそんな不敵なものが潜んでゐたかと思はれるやうな視線を向けて、與右衞門に言つた。
 「ひどく下りませうな」
 「うむ、下らうな」
 「買ひでございませうな」
 「それだよ。折角歸國中のあんたに、わざわざ下向願つたのは」
 「多分そんなことだらうとは思つてをりましたが、時機を見て、一艘、松前へ廻してみても、面白いかも知れませんね。廻船の連中も、相當こたへてをりませうからね」
 「さうだよ。全くこんな機會に、ぼんやりしてゐては、商人の冥加にかかはるといふものだよ」
 先刻、孝兵衞の視線に宿つてゐた不敵な翳はもう消えてゐた。二人はむしろひどく愉しさうでさへあつた。まるで、二人が顔を見合わせてをれば、どんな困難な事が起こつても、少しも恐しくないかのやうであつた。
 臺所方の久助が丁稚を連れて、夕食の膳を運んで來た。
 「すつぽん鍋にしましたよ。寒いからね」
 「それは結構ですね」
 「お疲れになつたらう、さあ」
 「いや、お注ぎしませう」
 二人は酒を汲み交はした。二人とも酒は嗜む方であつたが、與右衞門は何の屈託もなく、いかにも盃の酒を口の中へ放り込むやうな、豪放な飲み振りであり、それに反し、孝兵衞の飲み方はひつそりと、何かを味ひしめるとでもいつた風であつた。
 「この節は、いかがでございます。向島の方は」
 「御遠慮、御遠慮。神妙なものだよ」
 「どうですかな。そればかりは一寸信用致しかねますね」
 「ほんとだよ。この間も、きつい便りをよこしたけれどね」
 「それごらんなさい。越前さまも恐しいが、あちらさまのはもっと恐い」
 「いや、大きに」
 二人は聲を上げて笑ひ合つた。與右衞門は愛妾を向島に圍つてゐた。が、その時、ふと孝兵衞の頭に浮かんだのは、大丸新道の女の姿であつた。瞬間のことではあつたが、緋縮緬の强烈な色彩の中に、剝き出された二本の女の脚を、孝兵衞は見てしまつたのである。しかし女は表情も變へず、今も孝兵衞の頭の中で、彼の妄想を冷笑してゐるではないか。
 何といふ女であらうか。白晝の街上、腿のあたりまで曝し出された女の脚は、爬蟲類の膚のやうな生臭いものを感じさせたが、二つ並んだ膝法師の白さが、今もまだ頭に殘つてゐたのかと、孝兵衞は竊かに苦笑に紛らはせるより他はなかつた。


 年末の街には、人々が何か心忙しく行き來してゐたが、時節柄、藤村の店には客はなかつた。店先には二人の手代が坐り、その後に丁稚達が並んでゐた。次ぎの間には、一人の番頭が机に向かつて、算盤を彈いてゐる。その玉の音が寒冷な靜けさの中に單調に響いてゐる。
 奧帳場の、腰折障子の衝立の中では、與右衞門が目を閉ぢて、坐つてゐた。しかし眠つてゐるのではないことは、火鉢にかざしてゐる、太つた、柔かさうな手を、時時、開いたり、閉ぢたりしてゐることでも判る、孝兵衞は與右衞門の代理で南番所に出頭してゐるので、留守であつた。
 少し風があるらしく、薄い陽射しの中に、暖簾が鳴つてゐる。そんな晝下りの一刻、通りかかつた若い女が、暖簾の下から、意味ありげな視線を店先に投げて、行き過ぎた。
 二人の手代は殆ど同時に顔を見合はせ、少しあわてて顔をそらした。女はそれほど美貌であつたし、その容姿はこぼれるやうな艶しさがあつた。
 「何だい」
 「何だい」
 二人の手代は、寸時、ひどく腹立たしげに睨み合つたが、また急いで顔を帰した。風が竹の葉を鳴らし、暖簾を翻して、吹き過ぎて行く。
 再び、反對の方向から引き返して來た女は、店の前に通りかかると、また素早い一瞥を投げて行き過ぎた。女は素足だつた。
 「何だい」
 「お前こそ、何だい」
 二人の手代は堪りかねたやうに、噴き出した。が、急に眞面目な顔になつて、交互に奧帳場の方を伺つた。
 「何者だらう」
 「變だね。どうしたんだらう」
 輕い動揺が丁稚達の間にも傳はつた。次ぎの間から番頭が頭を上げ、店先の方へ目を遣つた。丁度、その時だつた。女が暖簾を分けて入つて來た。
 美しい素足だつた。指先から土踏まずのあたり、女の足といふものはこんなに赤いものかと思はれるほど、鮮かに血の色がさし、却つてその白さが目に染みた。女は、時節柄大膽にも鼠地七子の小紋の着物に、黄色地の天鵞絨の帶を締めてゐる。が、その眼には冷ややかな光を帶てゐた。
 「一寸伺ひますが、こちらさまに、孝兵衞さまつて、いらつしやるのでございませうか」
 二人の手代は思はず顔を見合はせたが、流石に商人らしい物馴れた調子で、互に言つた。
 「へえ、さやうでございますが……」
 「唯今は、一寸お出かけになつとりますが……」
 「さう、お出かけ?ぢや、またにしませう」
 「もしもし、失禮ですが、どなたさまでございませうか」
 「いいの、そんなことは。また、伺ふは。いえ、もう伺はないかも知れないわ。さうおつしやつといて」
 一瞬、女は口許に微かに冷笑を浮かべたかと思ふと、さつと身を翻すやうに、暖簾の外へ出て行つてしまつた。
 與右衞門は不格好に立ち上ると、その豊かな頰に、まるで大笑ひでも溜まつてゐるかのやうに、深い筋を寄せながら、呆然と女の去つた後を見送つてゐる手代達の方へ近寄つて行つた。
 「えらい別嬪さんだつたね。ええ文吉」
 「いえ、どうも」
 「だが金藏、確かに、尾つぽはなかつたらうな」
 「へえ?」
 さう言へば、女の出現はあまりにも唐突のことであつた。しかも、不意に消え失せてしまつた女の姿は、繪草紙の中の女のやうに美しかつたが、却つてひどく頼りなかつた。金藏は愚直さうな顔を上げ、怪訝らしく言つた。
 「確かに、なかつたやうでございますが」
 「ほほう、なかつたか。して、何と言ふんだね」
 「何だが、その、孝兵衞さまがいらつしやるかと、申されましたが
 「ええ?孝兵衞が。それはまた珍しいこともあるものだ。すると、やはり街道筋にでも棲む狐かも知れないね。名前は言はなかつたか」
 「お尋ね致しましたが、また伺ふ、いえ、もう伺はないかも知れない、つて……」
 「ふむ、そんなことを言つたか、こりや少々面白さうになるかも知れないわい。そ、そんな洒落臭いことを言ひをつたか」
 與右衞門はいかにも嬉しさうに、聲を上げて笑つた。
 七つ時、と言へば、冬の日の、もう夕暮れの色も濃い。
 「少し、遅いやうだな」
 與右衞門がさう呟いて、もう何度目かの顔を上げた。しかし孝兵衞がいつものやうに固く口を結び、靜かな物腰で歸つて來たのは、それから直ぐのことだつた。與右衞門は孝兵衞の姿を見ると、奧帳場から飛び出して來た。
 「孝兵衞、えらいことだ。凄い別嬪さんぢやないか。一體どうしたんだね」
 「ええ、別嬪さんですつて。こちらこそ、一體、どうしたんです」
 「そんなに白ばくれなくつたつていいんだよ。左様、齢は二十になるか、ならないか、とにかく素晴らしい美人が、あんたを尋ねて來たんだよ。いや、どうも、どうも」
 與右衞門はひどく上機嫌で、孝兵衞の肩を抱へんばかりにして、奧座敷へ入つて行つた。
 愛情といふものに、少しも恥ぢらひを感じない。そんな何の素直さに、孝兵衞はいつも心を打たれながら、そのまま兄に應へるには、孝兵衞はあまりにも面映ゆいのである。しかし與兵衞門はそんな弟の内氣さが一入いぢらしく、更に底抜けの愛情を注いで來る――子供の頃、肩に掛け合つた手の力の入れやうにも、そんな相違の感じられる、二人はいかにも性の合つた兄弟であつた。二人が座に坐ると、孝兵衞は苦笑を浮かべて言つた。
 「全く、美人どころぢやありませんよ。今日はきついお叱りでございました」
 「さうだつたらう。すまん、すまん」
 「矢部樣は昨日お役御免になられまして、桑名とかにお預けになつたと、承りました」
 「矢部樣では、手溫いといふのかね」
 「そのやうでございます。今日は、そのお後役の鳥居甲斐守樣からお小言をいただいたのですが、鳥居樣といふ方はなかなか學問はおありのやうにお見受け致しましたが、よほど商人といふ者がお嫌ひのやうでしてね、士農工商、士は身命を捨てて御奉公を致す。農は汗を流して耕作をする、工はそれぞれの仕事に骨を折る。しかるに商人は怪しからん、寢てゐて利を貪り、贅澤三昧に耽つてゐる。以ての他の不心得者と申されました」
 「一一、御もつとも」
 「いや、實際ひやりと致しましたよ。『例へば、すつぽん如き物を喰ひ』なんて、おつしやるぢやありませんか。もつとも、『すつぽんが鰯の如く澤山あるものならば、あんなものをうまいと思ふ者は一人もあるまい』とかいふやうな、一寸變つたお話ではありましたがね」
 「へえ、味と値段とをお間違へのやうだが、なかなか面白いことをおつしやるぢやないか。すつぽんが鰯のやうに多かつたら、勿論値は下る。しかし味は變るまい。すると、賣りか、買ひか、一寸面白いところだね」
 「遠山樣もお立會でございましたが、すつぽんの件では、にやにやお笑ひになつてをられましたよ」
 「さういふ方だよ。あの方には、人氣といふ大事なものがあるからね」
 「とにかく、追追と觸れ出される御趣旨を守り、儉約を致し、何品によらず、素人直賣買勝手、また明寅年元旦よりは、高價なものはきつと商賣停止、とのことでございますが、その御人相から申しましても、激しい御性格のやうですから、これからは益々うるさいことでございませうよ」
 「どうやら、商賣には勿論のこと、お政治向きにもお素人の樣子だから、何が飛び出すか判つたものぢやないよ。全く素人ほど恐しいものはないからね。素人には恐しいことも、恐しいとは判らない。まあ、こちらは當分高見の見物だ。その中に、向かふさまから、勝手にへとへとにおなりになつてしまふだらうよ。素人といふものは息の續かないものだからね。いや大へん御苦勞だつたが、そんなことはもういいだらう。それより、あの別嬪さん、どうしたんだらうね。本當に心あたりはないのかね」
 勿論、孝兵衞の頭に、あの驕慢な女の姿が浮かばないわけではなかつた。しかし、あの女は孝兵衞を懀んでゐる。さうして、あの場合、懀惡以外に、あの凌辱に耐へ得なかつたであらう女の感情も、孝兵衞には判るのである。
 「さう言へば、こんなことが、あつたんですがね」
 孝兵衞は一昨日の大丸新道での出來ごとを語つた。
 「若しも大丸屋さんに御迷惑がかかつてもいけないと存じましてね」
 「なあんだ、そんなことがあつたのか、その女だよ、その女にきまつてるよ。それを、今まで默つてゐるなんて、あんたもなかなか人が惡い」
 「しかし、そんなはずはないと思ふんですがね。あの時、女は私に對してひどく怒つてゐたやうですからね」
 「いや、その女に違ひないよ。女はあんたにぞつこん惚れてゐる」
 「女は確かに、いらぬお世話だつて、言つたのですからね。女は私の方など見向きもしませんでしたよ」
 「さういふ女なんだよ。あの目が、さういふ目だつたよ。ひどくきかん氣でゐて、内心は途方もなく人が好いんだね。だから、思ふことと、することが、いつも逆になるんだよ。『また伺ふ、いや、もう伺はないかも知れない』なんて、洒落臭いことを言つたつもりだらうが、いぢらしいものぢやないか。こいつもどうしても奢つてもらはなならんね」
 「しかし、考へてみると、江戸といふ所は恐しい所ですね。愛知(えち)川の宿からの早駕籠代が合はせて四兩足らずでせう。それが、どうです、店と目と鼻の所まで來てゐて、小判が一枚吹き飛んでしまふのですからね。その上奢れなんて、飛んでもない」
 與右衞門は愉快さうに腹を揺つて笑ひ出した。
 「なんの、この罰當り奴が。あんな別嬪に思はれて、小判の一枚や二枚、安いもんだよ。ね、ちよいとそこらまで出てみようよ。これぢや、祝酒と來なくつちや、何としても治まらんよ」
 さう言つたかと思ふと、もう立ち上つてゐる與右衞門を見上げながら、孝兵衞は危く噴き出すのを怺へるため、無理に怒つた風を裝つて言はねばならなかつた。
 「それこそ、飛んでもないこと。今も今、お叱りを受けて來たところぢやありませんか」
 「それなんだよ。だつて、來年からは、もうすつぽんもいただけなくなるかも知れないつて、言つたぢやないか」


 儉約令が更に嚴しく發せられた時節柄とは言へ、街には流石に江戸らしい正月の風情が漂つてゐた。麻上下や、羽織袴の年賀客が衣を鳴らして行き交ひ、のどかな羽子板の音のしてゐる横町からは、華やかな笑聲も聞こえて來た。 獅子舞の笛の音、猿曳の太鼓の音、白酒賣りや寶船賣りの賣り聲も、街街に流れてゐる。
 與右衞門の迎へを受けた孝兵衞は、そんな街街の賑ひの中を通つて、料亭「龜の尾」の門を潜つた。
 女中に案内されて、孝兵衞が一室に入ると、そこには與兵衞門の姿はなく、若い女が一人、後向きに坐つてゐた。それが大丸新道の女であることは、孝兵衞には直ぐ判り、いかにも與右衞門らしいいたづらと、苦笑された。
 「あなたでしたか」
 女は顔を上げた。瞬間、その白い顔が薄紅色に濡れて行くかと思はれるほど、鮮かな色に染まつた。
 「りうと申します」
 りうはちらつと孝兵衞を見上げてから、その大きい黑目の目を伏せた。
 「兄は歸つたのですか」
 りうは小娘のやうに頷いた。あの時の、あの凄艶な印象とは、あまりにも激しい變り方だつた。よく見ると、その唇のあたりには、まだ娘らしい翳さへ漂つてゐる。女の心といふものは、こんなに妖しく變るものかと孝兵衞には不思議に思はれた。
 女中が銚子を運んで來た。りうは銚子を受け取ると、それを胸のあたりに持ち、孝兵衞の顔を見上げて微笑した。いかにもほつとしたやうな、そんな心の底から思はず零れ出たやうな、あどけない微笑であつた。孝兵衞は靜かな表情で、盃を取り上げた。
 「さあ、あなたも一つ、いかがですか」
 「あたし、至つて不調法ですの」
 「まあ、いいぢやありませんか。お近づきになつたしるしに。一つ」
 りうは両手で盃を持つて、酒を受けた。
 「全く不思議な御縁でしたね。あの時、私は田舎から下り着いたばかりだつたのですよ。田舎者のいらぬおせつかいと、まあ、勘辯して下さい」
 「まあ、そんなこと」
 「いや、あの時の、あなたの氣持は、私には判らないこともないのです。後になつて考へてみると、あなたにとつては、全くいらぬお世話だつたんですものね」
 一瞬、りうの眉間のあたりに、險しい表情が走つた。が、あの時のやうな悔しさは、今はもうなかつた。むしろかうして孝兵衞の前に坐つてゐると、不思議なことに、優しい感情が頻りに湧いた。
 「いやですわ、もうそんなお話」
 りうはまた初心に頰を染めた。赤く染まつて行く左の頰下に、小さい黑子が一つ。孝兵衞も流石に美しいと、思はず口を噤んで眺めてゐた。
 孝兵衞は急いで盃を飲み干した。さうして、まるで自分自身に言ひ聞かせてゐるやうな調子で語り出した。
 「あの時、あなたに出來ることと言へば、何も彼も、無視することだけだつたんです。さうして、確かに、あなたはそれに成功してゐた。それに私のやうな者が横合ひから飛び出して來て、いらぬことをしてしまつたものですから、折角のあなたの氣持ちを亂してしまつたのです。あなたがお怒りになつたのも當り前のことです。あなたを辱めたのは、むしろ私だつたのです」
 孝兵衞の顔には、まだ少しも酒氣は出てゐなかつた。孝兵衞は思ひ返したやうに、微笑を浮かべながら、調子を改めて言ひ續けた。
 「しかしね、おりうさん。私は決してあなたをお助けしようなどと思つてしたのではないんですよ。大丸屋さんは、私どものお得意先ですからね、若しも御迷惑がかかつてもと思つたまでなんですよ」
 「いいえ、あなたは、あたしを助けて下さつたんです」
妙に勢込んだりうの姿は、却つてひどく無邪氣に見えた。
 「ほう、私が、あなたを、そんな譯がないぢやないか。しかし、さう言はれてみると、大丸さんのためばかりでもなかつたかも知れないね。つまり、私の町人の血がさせた業でせうよ。私はね、ああいふ場合に行き合ふと、この血が勝手にむらむらと荒ら立つて、どうしようもないのですよ。しかし私達町人に出來ることと言へば金より他にはないでせう。お武家さんに言はせれば、あまり品の良いことではないかも知れないが、それが逆に奇妙な滿足を與へてくれるんだ。ざま見ろ、つてね。つまり町人根性といふものでせうがね。さあ、もう一つ」
 「あたし、ほんとにいただけないの」
 「いいぢやないか。今日はお出會ひ出來てよかつたね。お詫びと言へば少し變かも知れないが、いろいろとお話したかつたんだよ」
 「それ、ほんと」
 「ほんとだとも、だつて、随分恐しい顔してたからね」
 冬の薄陽の差してゐる障子には、南天樹らしい葉影が映つてゐたが、その葉影もいつか消えた。薄暗い部屋の中には、目の縁も赤く染めたりうの顔が浮き出たやうに白い。そこへ、襖に大きく二人の影を映して、女中が燭臺を持つて來た。
 「いえ、あたし、怒つてなどゐなかつたわ。恥しかつたの。あなただけには、恥しかつたの。それなのに、あなたは私の方なんか、見向きもしないで、とつとと行つておしまひになるぢやないの。あの時は、あたし、悔しかつた。あたし、あなたの後姿見てたら、ひとりでに涙が出て來たのよ、そしたら……」
 りうは幾分苦しさうに、一氣に盃を飲み干した。
 「さうだつたの。ね、おりうさん、今夜は二人で醉はうぢやないか。さうして氣持よくお別れしようよ」
 孝兵衞も盃を干して、りうに差した。
 「そしたら、あたし、少しきまりが惡いなあ、けど、言ふわ、あたしのやうな女でも泣けるのかと、嬉しかつたわ。さう言へば、あたしつたら、いつから泣かなくなつてしまつたんだらう。だつて、あたしのやうな女が泣くなんて、第一をかしいぢやないの」
 「さうか、さうだつたのか、わたくしは怒つてゐるとばかり思つてゐたが、しかし、私の留守中、店へ來られたさうだね」
 「あたし、ね……」
 りうの顔に、再び怒りにも似た、險しい表情が漂つた。りうの負けぬ氣の反抗心が、目に見えぬ何者かへ、直ぐ挑みかからうとするかのやうだつた。
 「あたし、體を買つていただかうと思つたのよ。すると、やつぱり怒つてたのか知ら。さうぢやないわ。だつて、私のやうな女には、それより他にお禮のしやうがないのですもの」
 「さうか、やはり怒つてたんだね。そんな負ひ目を突き返したかつたんだね。しかし前にも言つたやうに、あなたのためにしたのではないだからね。負ひ目なんか、少しもありやしないんだよ。しかし、それぢやおりうさん、その後、どうして來なかつたの」
 「あたし、ね……」
 りうの白い顔から、薄霧の散るやうに、あの險しい相は消えた。りうは殊更小首を傾げて、暫く考へてゐる風であつたが、白い、綺麗な齒を見せて、微笑した。
 「あたし、いい子にならうと思つたの。あたしは、いけない女ですわ。だけど、あなたにだけは、さう思はれたくなくなつたの」
 幾度か新しい調子が運ばれた。しかし孝兵衞は醉へば醉ふほど、頭がますます澄んで行くやうな人であつた。りうはすつかり醉つてゐた。
 「もういいの。そんなお話、もういいの」
りうは孝兵衞の膝に寄りかかり、孝兵衞の指を弄んでみたり、その手を兩手で包んだりした。
 「綺麗にお別れしよう、か。冷い人、この人は」
 りうは盃を取ると、まるで口の中へ酒を流し込むやうにして飲んだ。
 「よう、誰よ、こんなにあたしを醉はせたのは。それなのに、こんな知らん顔、懀らしいわ」
 孝兵衞はそつとりうの手を取り、觸臺に向けて、その指先を見詰めた。醉眼にも、薄紅を差したりうの指先には美しい指紋が廻つてゐた。
 「これも綺麗に渦を巻いてゐるね。おや、これも」
 りうはその手を孝兵衞に委ねたまま、じつと孝兵衞の顔を見上げてゐたが、不意に、叫ぶやうに言つた。
 「この目だわ。この目が見たんだわ。いつそ、くり抜いてやらうか知ら」
 孝兵衞はあわててりうの手を下し、怪訝さうにりうを見た。酒に醉つたりうの頭が何か妄想を描くのか、りうは脅えたやうに一點を見据ゑてゐる。
 「目が、目が、澤山の目があつたわ。道の上にも、家の中にも光つてゐたわ。ぎらぎら光つてゐたわ。だけど、そんな目なんか、しようと思へば、佃煮にだつて出來るんだもの、どうだつていいの。この目よ。この目だけは違つてゐるんだもの。恥しい」
 りうは孝兵衞の膝の上に顔を伏せた。その膝に、りうの荒い呼吸が傳はつた。孝兵衞はりうの背に手を置いて、言つた。
 「おりうさん、目は、どれも違ひなしないんだよ。人間といふものはね、誰も同じものなんだよ」
 「嘘、嘘、振り向きもせず、とつとことつとこ行つちやつた。でも、それでいいの。私、善い女になるんだもの。綺麗な目、汚したりしてはならないの」
 りうはふらふらと揺れながら、立ち上つた。いかにも中心を取りかねる、その樣子で、りうがひどく醉つてゐることが判つた。
 「醉つたわ。ほんとに、あたし飲めないつて、言つてんのに、誰がこんなに醉はしたの、苦しい」
 「そりやいけない。少し休んだ方がいい」
 「何言つてんのよ。これつばかりの酒で、醉つ拂ふやうなあたしぢやないんだ。歸るわ、歸るわ。もう會はない」
りうは荒荒し襖を開けると、危なげな足音を殘して、立ち去つて行つた。孝兵衞は無言のまま、その後を見送つてゐた。


 天保十三年(西暦一八四二年)正月四日、森田、市村、中村三座を淺草に移す。
 正月十一日、大納言德川齊莊、大納言徳川齊順、陸奥守松平慶壽三藩の廩邸に於て米券を賣買する會場を廢閉せしめ小網町第三街に於て武家の租米負擔賣買する會場廢閉せしむ。
 前者は、境町葺屋町にあつた芝居小屋や、俳優の住宅までも取り拂つて、淺草聖天町の、賊に姥ヶ池と言はれてゐる小出伊勢守の下屋敷へ移したのである。江戸市民文化の中心とも言はれる芝居が、このやうな場末の地に追ひ拂はれたのであるから、それに關係のある者の怨みを買つたことは言ふまでもなく、市民大衆の、つまり輿論といふものの、反感の强かつたことも想像出來よう。
 後者は、先の菱垣積問屋の禁止が、産業資本に對する壓迫であるとすれば、金融資本に對する彈壓であるといふことが出來よう。
 當時、諸大名の藏元が藏米の保管と販賣を行ひ、札差がそれの受取と賣却とを委せられてゐたのであるが、卽に財政が逼迫してゐた大名旗本は租米を賣つてから、代金を受け取るだけの餘裕がなく、租米を擔保にして札差から融通を受け、利息を拂つてゐる者が多かつた。近年、この金融には、札差ばかりではなく、町人も參加するやうになつてゐたのである。
 後三月、南北町奉行が、その部下の與力同心に對して、衣服の制限を設け、節儉を命じてゐるので判るやうに、この政令は一面武家の節約を金融面より强制する目的でもあつたやうだ。しかし問屋の禁止が、一時的ではあつたが、物價の暴落を來たし、資力ある町人達によつて商人の出廻りを阻止せられ、却つて一般消費者を苦しめたやうに、この米券賣買の會場の閉止によつて、困窮した者は、富裕な金融業者ではなく、下級の武士階級であつたのである。
 「いよいよ火の手が盛んになつて來たやうだね。そろそろ腰を上げるとするか」
 藤村店の奧の間で、與右衞門が孝兵衞にさう言つた。
 その部屋の壁には、日本地圖と、得體の知れぬ地圖のやうなものとが貼つてあつた。日本地圖は毛筆で描かれたもので、北海道の南部が比較的委しく描かれてゐるのは、一昨年蝦夷地に渡航した孝兵衞の意見に因るものであらうか。今一つの地圖は、與右衞門が半ば空想によつて描かせた世界地圖なのである。
 「今度は私が參ることに致しませう。御時節柄、あなたがお留守では、何かと案じられますから」
 「飛んでもない。そんなことをしたら、あの人に恨まれる」
 與右衞門は世界地圖に限らず、地圖といふものにひどく興味を持つてゐた。山があり、川があり、野があり、人が住んでゐる。土地には、米や、桑や、棉や、それぞれの産物を生じる。産物は舟や車で人の集まる所へ運ばれ、そのために、更に大勢の人が集まり、町が出來る。町はだんだん大きくなつて行くだらう。田や畑はどしどし拓かれて行くだらう。が、そのためには、廣い平野がなければならないだらう。大きな川がなければならないだらう。江戸、名古屋、大阪……。
 殊に、藤村家の墓地がある龍潭寺には、彦根井伊家の菩提所がある關係から、井伊家の家士に世界地圖を示されて以来、彼の地圖に対する情熱は倍加した。「大清」や、「天竺」や、「おらんだ」や、「大寒極、人住まず」等等、空想は更に空想を呼び、途方もない地圖を描くのだ。さうして、どんな出鱈目な地圖も、彼の空想の妨げには少しもならなかつたのである。
 「そんな、冗談ではないのですよ」
 「全く、冗談ぢやないんだよ。わしは却つてゐない方がよい。かういふ時には、わしのやうな氣性の者は、とかく氣が立つていかん。あんたの冷靜な頭でじつと見てゐてくれれば、それが一番だよ。こんな時には、何もすることはない。御趣意を堅く守つて、精精おりうさんをかはいがつてやつてくれてればいいんだよ」
 孝兵衞は地圖などといふものに、與右衞門のやうな興味はなかつた。山が聳え、川が流れ、海が寄せ、日が照り、雨が降り、風が吹く、この廣い日本の國國が、一片の紙の上に、何といふ空空しい形に描かれてゐることであらう。例へば、魔法使ひを封じ込めた小函のやうに、むしろ孝兵衞には無氣味でもあつた。
 まして得體の知れぬ世界地圖などといふものを見てゐると、小心な孝兵衞は、少年の頃、落葉の中に埋まつて、はてしもない大空を眺めながら、感じたやうな恐怖さへ覚えた。この生命の存在に對する不安なのかも知れない。あの時、强く鼻を衝いた落葉の香は、つつましい實感として、今も忘れられない。
 しかし、孝兵衞は與右衞門の子供のやうな情熱を羨ましいと思ふことはあつても、決して輕蔑することは出來なかつた。むしろ、孝兵衞は自分の女女しい執着が、ひどく厭らしく思はれることもあつた。
 「それはまた結構すぎるやうなお役目でせうが、私だつて町人の一人ですからね。時には、我慢ならない時も、ないと申せませんからね」
 「しかし、何と言つても、あんたにはおりうといふものがある。幾分は、氣も紛れようと言ふものだ。今度はどうしても私に行かせてもらひませうよ」
 「意地の惡いことをおつしやる。おりうとは、いやはや、飛んだ者が飛び出して來たものだ」
 「何を、この罰當り奴が。今度は、あんたの負けだよ。いや、これは愉快、愉快」
 與右衞門はいかにも樂しさうに、腹を揺つて笑ひ出した。
 その翌朝、下野、上野の機場を經て、信濃路、木曾路を越えて、名古屋に出る豫定で、新大坂町の店を發つた與右衞門と、それを見送る孝兵衞とは、二人肩を並べて、奥州街道を北をさして歩いて行つた。
 春はまだ淺かつた。空の色こそめつきり春めいて、紫がかつた、艶艶しい色を帶びてゐたけれど、北風は眞正面から吹きつけて來た。油紙裏の曳引廻しを翻しながら、頰を子供のやうに赤くした與右衞門は、ひどく上機嫌であつた。脚絆を履き、草鞋の紐を締め、着物の裾を帶の間に端折り、荷物を肩に振り分けると、與右衞門は、十四の時、初めて父に伴はれて旅に出た、あの初初しい感情が自然と蘇つて來るやうであつた。
 「信濃路はまだまだ御難儀なことでございませうな」
 「さやう、雪はまだ殘つてゐるような。しかし、信濃路の景色は大きくつてね、山は險しいしね、いいものだよ」
 「ほんとに、兄上は旅がお好きなんですね」
 「やはり親爺さんの子なんだらうね。もつとも、親爺さんのは旅より、商賣の方がお好きだつたのかも知れない。わしのやうなのは商人としては、邪道だらうがね」
 「いや、どう致しまして。兄上のは兩方とも、格別お好きなんですよ」
 「これはこれは。しかし、峠などを、一つ、一つ、越えて行く感じ、樂しいものだね」
 小塚原の刑場に近く來た時、與右衞門は足を停めて、言つた。
 「それぢや、ここらでお別れにしよう」
 「では、随分とお氣をつけられまして」
 「ぢや、留守中、頼みますよ。孝兵衞、おりうさんによろしく」
 いたづらつぽい微笑を浮かべてさういふと、與右衞門は引廻しを鳴らして歩き出した。與右衞門は、最早、振り返らうともせず、いかにも確かな足取りで、北風の中へ歩き去つて行つた。
 それから十數日後、孝兵衞は與右衞門からの手紙を受け取つた。意外にも水戸からの手紙であつた。

 水戸紅花、走り口上花七十兩位の相庭、栗橋善七樣此頃出府被致身と表殘花相應有之處二十兩方も下落、此處調候はば急度勝利之旨御勸有之、善七樣申分随分見込有之、豫定變更早速發足にて、水戸上町織右衞門樣方へ出張諸々引合値組致候處噂程下落無之、相庭よりも凡十四口下値の釣合を以て、上花相選二十駄斗相調御送付致候明日當地出發結城足利經て高崎可入候おりうさんによろしく

 以来、高崎から、信濃へ入つて諏訪から、木曾の福島から、名古屋から、最後に大垣から、與右衞門の通信があつた。

 御別候しは朔風膚刺頃に候しも以來水府寄道、野洲上州經信濃木曾山々越、無恙當地參着候へは櫻花も既に散果新綠之候と相成居候當地相庭存外手堅尾州三州共木綿見送名古屋孫九郎殿竝濃州竹ヶ鼻文助殿兩家にて桟留縞少少買付四日市へ積下し置候間左様御承知被下候おりう殿御機嫌如何や随分可愛がつておやり被下度候

 孝兵衞はこんな與右衞門の手紙を讀みながら、ふと地圖の方へ目が移り、あの與右衞門がこんな所を歩いて行つたのかと、ひとり苦笑されたりした。
 が、天保の政令はいよいよ嚴しくなつて行つた。
正月十九日  米價を貼紙に記載し各舂舗に會示せしむるの方法を定む。
三月  往來婦女子の服裝を取調ぶ。
同十八日  賣淫婦の取締りを嚴重にし、これを吉原に追ひ料理店の婦人を解雇せしめ男妾を禁ず。
四月  富興行を一切嚴禁し寄席の取締りを勵行し神社佛閣の見世物を禁じ文身を禁ず。
五月十五日  土弓場の禁規を令示す。
六月  風俗を害する猥褻の繪畫を痛禁す。
七月  人情本流行を禁ず。


 近江商人は中郡と呼ばれる湖東の蒲生(がまふ)・神崎・愛知・犬上郡がその中心地であつて、委しく言へば、日野商人、八幡(はちまん)商人、中郡商人と呼ばれるものである。
 が、それにしても、気候も溫暖で、土地も肥え、水利も良好な近江の湖東地方の農民の間から、何故特に近江商人と呼ばれるやうな商人の一群が發生したのか。
 第一に考へられることは歸化人説である。
 日本書紀巻第二七天智天皇の四年(西暦六六五年)二月「百濟の國の百姓男女四百餘人を以て、近江國神前郡(かむさきのこほり)に居く」とあり、同じく八年(西暦六六九年)「佐平餘自信(よじしん)、佐平室集斯(しつしふし)等男女七百餘人を以て、遷りて近江國蒲生郡に居らしむ」とある。また、これより以前、垂仁天皇の三年(西暦二七年)「新羅王の子天日槍(あめのひほこ)來歸けり。(中略)是に天日槍菟道(うぢ)河より沂りて、北のかた近江國吾名(あな)邑に入りて暫く住む。(中略)是を以て近江國鏡谷の陶人(すゑびと)は則ち天日槍の從人なり」ともあり、陶人、卽ち蒲生郡鏡山村須惠の地名として残り、附近より銅鐸が出土してゐる。
 萬葉集(巻第一、十三)には、次ぎの一首がある。

天皇蒲生野に遊獵し給ひし時、額田王の作れる歌
 茜さす紫野行き標野(しめぬ)行き
   野守(のもり)は見ずや君が袖振る

 また書紀(巻十四)、大泊瀬皇子が市邊押盤皇子を害しようとして、欺いて狩漁獵に誘つた條にも、次ぎのやうに書かれてゐる。

 「近江の狹々城(ささき)君韓岱(からぶくろ)(神崎郡觀音寺城主佐々木氏の租歟)言さく、今、近江の來田綿(くたわた)の蚊屋野(かやの)に猪鹿多に有り、其の戴(ささ)げたる角、枯樹の陶に類たり。其の聚まれる脚、弱木(もと)の株の如し」

 これ等によつて、當時の湖岸に蒲草が密生してゐて、猪鹿の走る原野だつたことが想像される。天智の頃になれば、多少水田も開けてゐたであらうけれど、朝廷は歸化人を蒲生、神崎の地に移し、更に土地の開墾に從事せしめたものと思はれる。
 以上の他、蒲生野、今の八日市附近に「狛の長者」の傳説がある。神崎郡には大字高麗寺があり、愛知川の水を引き、八日市、中野、市邊、老蘇の水田を灌漑したと思はれる狛川、一に狛の井、または筏川といふのがある。これは狛氏が蒲生野を開拓した遺跡であり、慶長元年(西暦一三一一年)の内野共有の田券には、この地方を狛野郷と書かれてゐる。
 前記の天日槍の從人の中に陶人がゐたことや、聖德太子が攝津四天王寺を建立する時、土を取つて瓦を作らせた土地に一寺を建て、それが神崎郡建部村字瓦屋寺であることなどから、彼等歸化人の中には、それぞれの技術を持つた工人がゐたことが察せられる。彼等は農耕に從事しながら、必要な器具を生産したであらうことも、同時に推せられる。
 從つて、彼等の製品に餘剰を生じた場合、これを交換、賣買することは自然のことであり、製品は商品として生産されるやうになり、座の発達を促し、市場商人の發生と見る。
 その代表的市場の一つである。八日市市庭の發生について、八日市市神之本記には次ぎのやうに書かれてゐる。

 「推古天皇の朝、聖德太子が難波の荒陵に四天王寺を建立せられし時、神崎郡白鹿山の東麓の土を以て瓦を作り給ひ(中略)且つ白鹿山の巽桴(いかだ)川の北に民屋數百戸を置き同天皇九年辛酉(西暦一三一八年)三月八日始めて市店を開き交易の道を教へ給へり云々」

 その眞否は不明であるが、瓦は百濟から傳へあっれたものであるから、歸化人開市攝ともさして抵觸はしない。
この八日市市庭も、奈良時代には東大寺、興福寺等、奈良寺院の、平安時代に入つて延暦寺の、下つて近江源氏佐々木氏の保護下に、殷盛を極めた。市庭は市場税(沙汰、オワシ、樽料と呼んだ)を、佐々木氏に納め、出座商人は權利金を市庭に納めた。

謹申上
  野の郷商人等市御わしの事
一、四十九院市七月五十文、十二月五十文毎年御わしいだし申候市奉行御とり候
一、長野一日市に七……同文
一、愛知川市同文
右德進申上分もし僞り申候はば堅御きうめいにあづかり可申候仍如件
  應永二十五年(西暦一四一八年)卯月一日

 當時、市庭の商品は、呉服、油、相物、鹽、海藻、海苔、ワゲモノ、麻苧、農具、金物、綿、紙、伊勢布、農産物等、他にも博勞座のあつたことから、牛馬の交換賣買のあつたことも推測される。
 尤も、近江國は海に接してゐないので、鹽その他の海産物を得る必要上、早くから伊勢や、若狹と通商してゐた商人も存在したことは、伊勢八風越の四本商人や、若狹越の五個莊商人のやうに、通商權を獨占してゐて、屢々座商人と紛争を生じたことでも明かである。足子商人と呼ばれる小賣行商人もあり、足子は貨物運搬者でもあつたと考へられる。が、その勢力は、特權を持つた座賣商人には比すべくもなかつたやうに思はれる。
 近江商人と呼ばれる行商人達が、全國的に活躍するやうになつたのは、永禄十一年(西暦一五六蜂年)佐々木氏が織田信長に亡されて以来のことである。保護者を失つた彼等が新しい道を開拓しようとしたもので、佐々木氏の滅亡は近江商人發生の直接原因ではあるが、その以前に、卽にある程度の商品が生産され、座商人によつて販賣され、行商人によつて、他國との通商も行はれてゐたといふことも、考へておかねばならないであらう。
 因に、南北五個莊村といふのは、山前の庄五ヶ村の意であつて、觀音寺山の南東山麓に、南北に連る各五ヶ村を指すのである。
 德川時代に入り、泰平の時代が續くと、わが國の産業は急速に發展し、從つて商業も極めて活發になつた。この商人商業時代に入つて、近江商人が最も顕著に活躍したことは、以上に述べたやうな理由によつて、當然のことであらう。
     (一)平安朝時代の蠺業分布表

上絲國 中絲國 麁絲國
關東地方 安房 相模、武蔵、上總、下總、常陸、上野、下野
中部地方 美濃、三河 尾張、遠江、越前、加賀、能登、越後、若狹 伊豆、駿河、甲斐、信濃
近畿地方 伊勢、但馬、和泉、攝津、河内、紀伊、山城、大和、近江 伊賀、丹波、丹後、播磨
中国地方 美作、備前、備中、備後、安藝 因幡、伯耆、出雲、長門
四國地方 讃岐、土佐 伊豫
九州地方 筑前、筑後、肥前、肥後、豊前、豊後、日向

(二)德川時代の蠶業分布表(文化年代)
主要蠶絲業地 準蠶絲業地
奥羽地方 陸奥、羽前 陸前、岩代、羽後
關東地方 下野、上野、武藏 常陸、相模、下總
中部地方 信濃、甲斐、美濃、飛驒、越前、加賀、若狹 越後、越中、遠江
近畿地方 近江、丹後、丹波、但馬 伊勢、河内、播磨、山城、攝津
中國地方 備中
四國地方 土佐
九州地方 豊前、豊後、肥後


右の表(一)により、平安時代の蠶業は東北地方を除き、他の殆ど全國に普及してゐたもので、就中、上絲國は近畿、中國地方に集中し、關東、中部地方はむしろ下絲國に過ぎなかつたことが判る。所が、表(二)により、德川時代の蠶絲業は東北、關東及び中部山間地方に移り、二表を比較すると、平安時代の上絲國で、德川時代の主要産地として殘つたものは、僅かに美濃、但馬、近江の三國に過ぎないことが判る。(美濃、但馬は山間地が多く、近江は湖北地方が北陸道と同氣候であり、冬季、多雪寒冷である)
この蠶業主要地の變化は、德川時代に入り、國民の經濟生活が向上するにつれ、綿(棉)、水油(菜種、棉實)、蝋燭(うるし、やまうるし、はぜうるし、こがの木の實)、藍、砂糖(砂糖黍)等の需要が增大したが、これ等の栽培、生産は東海、近畿以西の氣候溫暖な地方に限られ、從つて、これらの地方では、養蠶よりも、これらの農産物を作ることが、より有利だつたからである。これに反し、氣候の寒冷な地方や、山間地方では、これらの農産物栽培が困難であつたため、自然に養蠶に集中されたのであらう。
次の表(三)(四)により、その間の事情は明瞭である。


(三)德川時代の主要棉作地分布表
關東地方 武藏、下總、下野、常陸
中部地方 尾張、三河、遠江、美濃、甲斐
近畿地方 攝津、河内、和泉、大和、山城、播磨、淡路、近江、但馬、丹波、紀伊、伊勢、丹後
中國地方 備前、備中、備後、安藝、周防、美作、出雲
四國地方 讃岐

(四)德川時代の主要菜種産地分布表
主要産地 準主要産地
奥羽地方 羽前
關東地方 武藏、下總 常陸、下野
中部地方 加賀 尾張、美濃、信濃、越前、越中、越後
近畿地方 大和、攝津、近江、河内、伊勢 山城、和泉、播磨、紀伊
中國地方 備前 備中
九州地方 肥前、肥後、筑後 筑前、豊後

 表(二)(三)(四)により、德川時代の主要産物である蠶絲、綿、種油の主要生産地を兼ねてゐるのは近江一國だけである。また、當時、身分の低い大衆の衣服であつた麻及びカラムシは、近江の野洲、蒲生、神崎、愛知の地方を主要産地としたのであるから、近江の國が豊富な産物を生じたことも、近江商人が輩出した一つの原因であらう。
 藤村家の五代目與右衞門浄教が初めて行商に出たのは、元禄十三年(西暦一七〇〇年)のことである。藤村家に殘された記録には、次のやうに記されてゐる。

 「長吉事替名長次郎、一九歳の時、商心に思付、手前藤右衞門二人組合、布買問屋喜兵衞殿を頼ミ元銀少もなし、布一駄仕入、明石へ行、小賣、ひめぢへ藤右衞門行、所々參、賣れ不申、兵子〈庫)大阪へ歸り、問屋を頼候へ共拂へ不申、堺にて賣仕廻、歸申候其後算用仕上見所、六百餘損、手前分三百日、是を何とぞ親に知らせ不申候樣と存候時、おくり殿其外三所程にて内證借り調、問屋善兵衞殿を相濟せ申候」

 「手前廿一歳時、少々はた仕入心付、麻一束づつかり玉苧(カラムシ)仕入廿二歳秋迄少々元手相出來、麻三束、三軒町傳左衞門にて指銀に賣、それおり段々仕入、利助を賴、出來布質ニ入やす晒ニ出し、金田五兵衞殿銀借用、布晒上、夏に成候時、在所にて次郎右衞門に賴、致借用、銀子調、質物の晒先樣の御手紙申請出、此方にて賣、又は、伊庭(いば)村甚左衞門殿出來布、外買、少々づつ賣行、先樣へも念比ニ罷成候而其後者銀二貫目宛も致借用、盆後に元利返濟申候」
 「享保十一丙午年(西暦一七二六年)六月十二日立、布二駄、六月十八日晩關原に泊り、奧村半七外衆三人出合咄、半七の申候樣には、不景氣近國斗、東筋は賣申候と被致咄候ニ付、一人の商人、商物多く候はば半七殿を賴、同道にて東海道へ參候樣にと咄合相談ニ成候而、同道にて津島行、それより東海道罷越、江尻、三島、小田原迄少づつ賣、江戸迄何心得もなく參候時、宿の義ニ付、八幡人安兵衞と申仁出合、世話にててつぽう町宇田川孫右衞門荷物付參候四五日の内に少々商致候處、問屋不勝手、斷申出、何共分別ニ落不申、荷物引〆、飛脚ニ渡し、なごや送り爲登仕廻申候扨て賣拂布代金、十年賦と申候ニ付、段々斷立、三年の内ニ爲登申筈ニ極登り申候孫右衞門損四兩壹歩、半七日雇賃金二分替、外に謹拾貳両壹歩、江戸にて貸損〆十七兩、右江戸迄上下三十日程、半七生付惡敷物と不存ニ賴、迷惑至極ニ有之候」

 以来、六代目浄順、七代目浄秋(早世)八代目浄照と代代百姓の傍、行商に出てゐた。

 「私儀爲渡出當所産物布他國へ商賣仕來申候儀偏ニ御役所樣以御慈悲百姓相續他國往來仕候段難有仕合ニ奉存然候所私儀追々及老年病身ニ罷成諸事不自由ニ御座候而(中略)忰惣十郎與三郎と申者是迄之通他國往來商賣爲仕百姓相續仕度奉願上候云々」

 安永七年(西暦一七七八年)六代目浄順が代官所に差し出した願書である。德川幕府は百姓が猥に土地を離れ、耕作を怠ることを、嚴に戒めてゐたので、「百姓相續」の點を强調したのであるが、まだこの時代には、下男や日傭を雇つて、農業に從事してゐたのである。


 孝兵衞は顔を上げた。先祖達の亡靈の中から、漸く拔け出たやうに、故もなく吐息をついた。孝兵衞は兄の與右衞門に依賴された、藤村家の家乘を編するため、古い記錄や、反故を讀み耽つてゐたのである。彼は彼の住んでゐる世界同樣、先祖達の住んでゐた世界をあまり好まなかつたが、まるで嫌な夢の中に吸い込まれてゐるやうに、止めることが出來なかつたのだ。
 兄の與右衞門が家乘などといふものに興味を持つはずはなく、或は孝兵衞を少しでも永く妻子の許に置かせようとする、思ひ遣りではないかと、孝兵衞も氣づかないではなかつた。が、本家の嫂の所へ朝の挨拶へ行つて歸つて來ると、所在もないまま、長持の蓋を開けた。その長持は本家から届けさせたものである。尤も、第三者として、古い記錄などを讀むことは、孝兵衞には興味ないことではない。孝兵衞は一昨夕江州に歸つた。
 晴れた空に觀音寺山の緩い傾斜の峰と、明神山の急な傾斜とが、並んで見える。佐々木氏滅亡の際、逃げ迷ふ女達の姿が地獄のやうであつたので、地獄越と呼ばれてゐる峰の、一本松も見えてゐる。子供の時から、孝兵衞には見馴れた風景である。
 庭隅の夾竹桃の花が風に揺れてゐる。法師蟬が一匹、張りの强い聲で鳴いてゐる。孝兵衞は机に凭つて、暫く庭前の景色に見入つてゐた。萩の落花が點點と、靑い苔の上に白い。靜かである。
 孝兵衞は、りうのことを思ひ出してゐた。
 藍地の浴衣が强く張つた、りうの腰のあたりに、湯文字の色が映つてゐる。蒸し暑い夜のことだつた。りうは無言のまま坐つてゐる。
 「暑いね。川端へでも出てみよう」
 孝兵衞は盃をおいて、立ち上つた……
 長閑な鷄の聲が聞こえて來た。性來孝兵衞は武士嫌ひであつた。といふより、權勢といふものを好まなかつた。が、權勢への反抗が内攻してしまつたやうな、あくどい長湯文字風な江戸趣味にも、共感出來なかつた。江戸といふ新興都市には、狂はしい權力と、泥臭い金錢慾とが不消化のまま溷濁してゐるやうな、不潔さがあつた。從つて、そんな街の中から生まれ出たやうな街藝者などに、孝兵衞は好意が持てなかつたのだ。
 が、ここには、御趣旨もなく、長湯文字もなかつた。賣りも買ひもなく、掛け引きもなかつた。ただ秋風が萩の花を散らしてゐるばかりである。が、こんな靜けさの中にゐると、刻一刻、時が經つて行くのが判るやうで、却つて孝兵衞は奇妙な不安を感じた。
 子供の時から、孝兵衞はひどく臆病な性格であつた。
 幾歳の頃であつたか、彼は花びらの散つて來るのを、前掛を擴げて受けてゐた。花びらは、まるで心あるもののやうに、流れ、翻り、緩く、早く、散り去つて行く。ふと氣がつくと、彼は裏の小門の所に來てゐた。小門は開いてゐた。彼は恐る恐る外を覗いてみた。道には人影はなく、森閑と靜まつてゐた。急に、彼の體中が引き緊まつた。さうして、まるでさうしなければならないかのやうに門の外へ歩いて行つた。恐しかつた。
 彼は今まで一人で家の外へ出たことはなかつた。母の手か、兄の手に、いつも彼の手は握り締められてゐた。從つて、彼には精一杯の冒險だつた。夢の中で恐しいものに追はれてゐる時のやうに、彼の足は重重しかつた。
 「怖いことないぞ」
 何もない道の空白が、却つて體中の皮膚を縮めさせた。漸く、角を曲ると、表門が見えた。彼は一散に驅け出してゐた。
 「怖いことないぞ」
 長じてからも、旅にゐる日日を、孝兵衞はそんな思ひで過した。が、旅にゐるといふ焦慮が、却つて他の總ての不安を忘れさせた。そうしてそんな不安が、彼を突然血の狂つたやうな冒險に驅り立てた。一昨年、彼が松前に渡つたのも、幼い時、裏門を出て行つた時の感情と、それ程の相違はなかつた。
 孝兵衞に反し、與右衞門は子供の時分から、山に登ると、更に向かふの山に登りたくなるやうな性質であつた。が、長じて、山は存分に踏み歩くことが出來たから、彼は海に對して强い憧憬を抱くやうになつた。彼は例の地圖の海を眺めてゐるだけで、少し滑稽なほどの昂奮を覺えた。しかし與右衞門の海への憧憬はどうしても満足させることは出來なかつた。
 それは三十餘年昔に溯る。一人の修驗者風の男が藤村家の玄關に立つて、與右衞門の曾祖母に言つた。
 「通りがかり、表で遊んでゐる二人のお子の相を見ますに、不思議なほどよい御合性でございます。お二人とも勝れた相を持つてをられるが、別別では却つて禍を招く、二人力を合はせて進まれるならば、陰陽相如し、御當家の繫盛、火を見るより明らかでございます。唯、兄のお子は山中劍難の相、弟のお子には海上水難の相がごじあます。よくよくお氣をつけられますやう」
 曾祖母は厚く禮して饗し、軈て修驗者は立ち去つて行つた。
 ところが、老年で、幾分耄碌氣味であつた與右衞門の曾祖母は、どちらが、どちらであつたか忘れてしまつた。(從つて、前述の修驗者の言葉も不明である)確か、兄に水難の相があり、弟に劍難の相がある、と言つたやうに思ふと、その反對であつたやうにも思はれる。兄に劍難の相があり、弟に水難の相がある、と言つたやうに思はうとすると、またさうでなかつたやうに思はれて來る。與右衞門の曾祖母は、暫くの間、絕望感にも近い焦躁に陥つた。が、やはり年齢のためか、總てが「辛気臭く」なつてしまつた。丁度、行商の旅から歸つて來た與右衞門の父に、彼女はけろりとして、その反對(それも不明である)を告げた。
 孝兵衞はまだ江戸に下る日は決めてゐない。江戸を發つた時、與右衞門は孝兵衞の耳に言つた。
 「そら、おりうのことも氣にかかろうが、今度ばかりは、飛んで歸つて來てはあかんぜ。さうさう、御先祖樣の記錄だがね。纏めるだけでも纏めておいて貰ひたいね」
が、靜止してゐると、動いてゐrものの速さがはつきり判るやうに、こんな靜かな中に坐つてゐると、孝兵衞は時間がかなり早い速度で經つて行くのが感じられた。さうして、こんな平安さの中にゐることが、ひどく不思議に思はれ、旅にある怱怱の心に馴れてしまつた自分が顧られた。
 一瞬、松前箱館港の坂道を、何者かに從けられてゐるのを感じ、大股に驅け下つて行つた自分の姿が、孝兵衞の腦裡に浮かんだ。同時に、昨夜、一昨夜、彼の愛撫に對して、思ひも寄らぬ、激しい應へ方を示した、妻、とよのことを思ひ出した。まるで女の生きてゐる證を、彼女自身確認しようとするかのやうな妻の姿を。
 元禄と云へば、百數十年の昔になる。その百數十年の過去の中で、これらの先祖達も利を追つて、西に、東に、旅に出て行つた。
 「この峠がごわせんけりや、助かりますのにな」と言つた同行者に、
 「なあに、わたしやまた、こんな峠がもう二つ、三つごわしたらと思とりますが、そしたらわたし一人が、存分商ひさしていただけますからな」と答へたといふ何代目かの先祖もゐた。
 「天明三卯年(西暦一七八三年)七月六日、淺間嶽大燒にて大爆音とともに火石吹出し候折惡く手前輕井澤宿滯在にて、天日惣暗黑と相成候砂石降こと坂本松井田一尺五寸安中高崎壹尺段段東へ八寸、八日四ッ時吃音聞え恐しき事ニ候巾十里長さ二三里草木田畑靑葉無御座使者幾十萬共不知申と承り候」と書き殘してゐる何代目かの先祖もゐた。
 彼らは親も、子も、孫も、旅に出た。彼等はまるで故郷を失つた人のやうに、山を越え、川を渡り、野を歩いて行つた。さうしてまるで故郷を持つてゐる人のやうに、また山を越え、川を渡り、野を歩いて、歸つて來た。家には彼等の妻がゐた。
 五代目浄教の妻はいち、一男五女がある。六代目浄順の妻はしん、二男四女がある。七代目浄秋の妻はもみ、一男二女がある。(浄秋が早世したので、浄照が繼いだ)立ち代目浄照の妻はすよ、四男四女がある……
 だが、孝兵衞は郷里の、わが家の、わが部屋の中に坐つてゐても、何故このやうに白白しい時間が經つて行くのか。 先祖達の百數十年の旅の生活が、彼等から故郷を奪つてしまつたが。或は、彼等の遠い祖先は故郷を失うつた人達であつたか。不意に、孝兵衞は激しい郷愁を覺えた。
 「お茶に致しましよか」
 とよが茶道具を持つて入つて來た。とよは伏目勝ちの、つつましい顔立である。が、仄かに靑を引いた眉の剃り痕が、却つてひどく艶かしい。
 孝兵衞の横に坐つたとよの方へ體を向けると、いきなり孝兵衞はとよの體を押し倒さうとした。
 「あれ、いきまへん。どない、どない、おしやしたん」
 とよは開いた裾を押へ、立ち上らうとした。が、孝兵衞は狂つたやうに、とよを押し倒した。
 「いきまへん、ほんなこと、誰か、子供が來たら、いきまへん」
 が、孝兵衞はとよの肩を抱いて、その上に乘り、とよの胸を掻き開くと、その豊麗な乳房の上に、自分の胸を押し當てた。まるで妻の體の熱さだけが、自分の生きてゐる確證であるかのやうに。
 とよはもう抗はうとはしなかつた。とよは目を閉ぢたまま、夫の異常な激情に應へるやうに、孝兵衞の體を强く抱いたまま、動かなかつた。が、軈て、とよの白い脚が孝兵衞の脚に絡みついて行つた。


 天保十四年(西暦一八四三年)閏九月、老中水野忠邦はその職を免ぜられた。
 忠邦の失脚の原因は、彼の改革政策があまりにも急激に過ぎ、世人の怨恨を買つたからであると言はれてゐるが、その直接の原因は、大名や旗本の領地の轉換を强行しようとして、その反對を受けたことに因る。
 領地轉換の令が廢止されたのが閏九月七日、その十三日、彼は「勝手方取扱の儀につき不行届の儀あり」といふ理由で罷免になつてゐるのであるから、忠邦の領地轉換策が蹉跌した機會に、上下の不滿が爆發したものと解することが出來よう。
 德川封建經濟は土地經濟、卽ち農本經濟であつた。當時は農業が主な産業であつたことにも因るが、德川封建經濟は各藩の割據經濟であつたから、各藩が食糧を自給しなければならなかつたこと、軍事經濟であつたから、殊に兵食の確保が必要であつたこと、鎖國經濟であつたあkら、外國からの供給を期待することが出來なかつたこと、等を理由に擧げなければならない。
 従つて、「年貢米」として農民から納められる米穀は、武士階級の主要な財源であつたから、米穀は特に貴重視され、金銀は比較的輕視された。所謂「貴穀賤金」の思想もそこから生じた。
 が、江戸開府によつて、新しく江戸といふ城下町が建設され、殊に寛永十二年(西暦一六三五年)參覲交代の制を定め、諸大名を交代に在府させたので、この新興都市は大消費年として、急速に發展して行つた。
 消費が生産を促し、需要が供給を刺戟するのは當然のことである。殊に幕府はその直轄地を經濟的に開放してゐたので、大阪や江戸のやうな大都市では、武士階級の需要に對する供給者である商人階級の勃興を促し、それらの大都市の經濟は著しく商品經濟化し、次第に資本主義經濟が發展して行つたのである。
 幕末江戸の人口は百四十萬と言はれてゐる。これを、當時最大の人口を有してゐた金澤藩の百二萬六千餘人、全國平均一藩の人口七萬四千餘人、人口一萬人に滿たないもの四十餘藩、といふ數字と比較する時、大都市の經濟がわが國の經濟に對して、どんな比重を持つてゐたかといふことが判るであらう。
 しかし、德川封建社會が封建經濟の上に構成されてゐる以上、どこまでも封建經濟は守らなければならなかつた。從つて、封建經濟の胎内に發生した資本主義は、經濟自然の法則に従つて、その母胎である封建經濟を徐徐に浸蝕しながらも、その中から出ることは許されなかつたのである。
 この矛盾した經濟が互に共存してゐたことが、幕府經濟を困難にした根本の原因であつて、いろいろ奇妙な現象も生じた。例へば、米はその大部分を年貢米として上納しなければならなかつたから、大名と百姓との關係は、消費者と生産者ではなく、領主と領民といふ封建關係であつたし、米は決して商品とはなり得なかつた。が、一旦上納された米は、大名や旗本の手によつて、市場に賣却されたのであるから、大名と商人の關係は、賣り手と買ひ手といふ資本經濟の關係であつたし、米は常にその價格を變動する、重要な商品となつてゐたのである。
 しかし、德川封建經濟は社會的、政治的統制によつて、暫くその矛盾を暴露うることはなかつた。殊にその前期から中期にかけては、長年の戦亂によつて荒廢してゐた土地も次第に囘復し、生産も興り、所謂「天下太平」の時代を現出した。つまり資本主義經濟の發達が、まだ封建社會の秩序を脅すまでに到らなかつた時代には、封建統制が直接前者の發展を妨げることはなかつたが、一度兩者の牴觸が生じると、社會的、政治的統制は强力に發揮され、その當然の結果として、生産は停滯しはじめる。
 例へば、前に述べた米のやうに、米價の昂騰は決して農民の生産意慾を刺戟しなかつたし、武士階級はその利潤を以て、田野の開發や、河水の改修に當てる者は殆どなかつた。また、燈油のやうに、需給の自由な商品であつても、その販賣價格の昂騰は政治力によつて禁止されてゐたから、その需要は增加するばかりであつたが、幕府のいかなる奨勵策にもかかはらず、その生産は增加することはなかつた。
 殊に、德川封建經濟は鎖國經濟であつたから、國内の需給が飽和狀態に達すると、資本主義經濟それ自身の作用で、生産が忽ち停滯するのは當然のことである。つまり、德川時代のわが國の資本主義經濟がある限度以上に發展出來なかつた理由は、封建政治の中に發達した資本主義は、必然的にその制約の中にあつたといふことである。
以上のやうな理由によつて、德川中期以後の生産力は停滯、或は退化の狀態を示してゐたが、これに對し消費の狀態はどうであつたか。
 德川封建經濟は軍事經濟でもあつたから、「年貢米」の名において、農民から奪取して得られた富は、再生産に投資されることなく、多く軍事のために消費された。もつとも幕府の勢力を脅されないため、武器の製造や築城などに制限を加へてゐたが、非生産階級である武士そのものの存在が、既に大きな消費であつたし、その人口增加も考へないわけには行かない。(德川中期以後、旗本の二三男の問題が云云されたことでも明らかであらう)
 また、幕府が各藩に對する疲弊政策として採用した參覲交代や、轉封によつても、莫大な浪費が行はれたが、根本的に言へば、幕府の太平謳歌の思想政策が、武士を奢侈柔弱にした精神的理由と、政治統制が物價の昂騰を常に抑止した經濟的理由とによつて、武士階級の消費は增大したのである。
 武士階級の莫大な消費は、その供給者である商人階級の擡頭を促し、商人階級は蓄積した富によつて、更にその勢力を伸張した。が、前に述べたやうに、徳川中期以後の資本經濟は停滯の狀態にあつた。從つて、その富を再生産のために投資する意慾を失つた商人達が、新しい消費階級として登場したのは、極めて自然のことであつた。
 このやうに、生産は停滯し、消費が增大した場合、そのアンバランスは過去に蓄積された富によつて補ふか、生産の增加を計るか、消費を節減するより他にない。が、生産を增加させるためには德川封建政治自體を脅かす危險がある以上、「天下太平」の下に晏如としてゐられない、「成すある」幕府の爲政達が多く後者を選んだのも、また止むを得ないことであつたろう。
 消費の節減を令する「節約令」は、二代家光の寛永年間に初めて發布されて以来、八代吉宗の享保の改革においても、松平定信の寛政の改革においても、屡々繰り返あsれたのであつて、「節約令」こそ、儒學思想に養はれた、當時の「眞面目」な爲政者達の一貫した、さうして唯一のイデオロギーの現れであつたのである。しかしこのやうな單純な儒學思想で、歴史の新興を阻み得るものではなかつた。
 當時の幕府の財政はどうであつたか。左に示すのは、天保三年から十三年に至る幕府の歳計表である。

年次 歳入 歳出 不足
萬兩 萬兩 萬兩
天保三 一二一、八〇一一 一五九、三九〇九 三七、五八九八
一二二、三二四一 一六四、六八三二 四二、三五九一
一一七、三九〇七 一七九、〇〇五一 六一、六一四四
一〇三、一七八六 一七六、〇二八八 七二、八五〇二
一六五、一五二七 一九六、三七五〇 七二、八五〇二
一九〇、一八一七 二四六、七九〇二 五六、六〇八五
二二〇、二四三六 二五一、二六六六 三一、〇二三〇
一七〇、六四五二 二一八、〇九二二 四七、四四七〇
十一 一四二、二四八七 二〇〇、一九五八 五七、九四七一
十二 一〇九、〇五九〇 一九六、二六八四 八七、二〇九四
十三 一二五、九七〇二 一九六、三九一一 七〇、四二九一

 この表を一見しただけで、幕府の財政がいかに逼迫してゐたかを知ることが出來よう。幕府はこの多額の不足を、惡貨鑄造によつて得た、所謂「出目(たしめ)」によつて辛うじて補つてゐたのである。

年次 歳計不足 出目 差引
萬兩 萬兩 萬兩
天保三 三七、五八九八 三九、四二〇〇 餘一、八三〇二
四二、三五九一 五四、〇〇〇〇 餘一一、六四〇九
六一、六一四四 四七、〇五九六 不足一四、五五四八
七二、八五〇二 六〇、〇〇〇〇 不足一二、八五〇二
三一、二二二三 四九、九八四四 餘一八、七六二一
五六、六〇八五 六二、九二六三 餘六、三一七八
三一、〇二三〇 一〇七、五九五〇 餘七六、五七二〇
四七、四四七〇 六九、四七四五 餘二二、〇二七五
十一 五七、九四七一 九九、七〇〇〇 餘四一、七五二九
十二 八七、二〇九四 一一五、五〇〇〇 餘二八、二九〇六
十三 七〇、四二九一 五〇、一四四五 不足二〇、二八四六
五九六、二九九九 七五五、八〇四三 餘一五九、五〇四四

 右のやうにこの年間の出目の累計七百五十五萬八千四十三兩は、つまり通貨の極印と實價の差額であつて、更に改鑄關係者の利益や賄賂等を考慮に入れるならば、それ以上の物價の騰貴を來たしても當然のことと言はなければならない。
 天保の改革が、德川封建經濟の迷路の中に陥つた幕府閣僚の、絕望的な――勿論、自ら意識しなかつたらうけれど、それ故に一層の狂暴性を帶びた――最後の足搔きであつたと言つても、過言でないことが、これによつても明かであらう。
 その極端な例としては、髪結ひの禁を犯し、髪を結はせた女が、剃髪に處せられたり、衣服の禁を犯した若妻が、着衣は燒却、本人は押込、その親と夫までが、罰せられたりした。
 一人の女は髪を鷲摑みにされ、顔を引き上げられ、その頭に今にも剃刀が當てられようとしてゐる。が、女はもう何の抵抗も試みようともしない。まつ靑な顔に僅かに瞼が動いたので、生きてゐる女の顔であることが判る。綿を含ませられてゐるらしく、唇の開いたその顔は、むしろ弛緩した、猥らな表情さへ呈してゐたことであらう。
 また、一人の女は着物を剝がれ、白洲の上にうつ伏してゐた。白い膩が透いてゐるやうな若妻の肩先には、一本の後毛が慄へてゐる。その目の前で、女の着衣が燒かれてゐた。豊麗な若妻の肌を離れた、黒七子の小袖や、紋縮緬の長襦袢が、ほの白い炎を立てて燃えてゐるのは、いかにも凄怨な感じでもあつたらう。
 「思ひ知つたか」
 法は天下の法である。從つて、法の施行を嚴格にすることは、卽ち天下の尊嚴を維持することである。法は絕對に守らなければならない。
 法は民を制する綱のやうなものである。綱が緊張してをれば、民は恐れてこれを犯す者はなく、犯す者がなければ、法はいかに嚴しくとも無いに等しい。これに反し、綱が弛緩してをれば、民は忽ち侮り犯し、却つて民を傷ける。法を嚴しくすることは、民のためでもあつた。
 今までの改革が多く失敗に終つたのは、法が嚴し過ぎたのではなく、厳しさに徹することが出來なかつたからである。憂ふることは、町人どもの呪詛の聲ではなかつた。このやうな婦女子までが、法の恐しさを輕んずることであつた。
 水野忠邦は四十九歳、その鬢髪には既に白髪を交へてゐる。太い眉、强く張つた顎骨、額には深い皺も刻まれてゐる。忠邦は端然と脇息に倚つたまま、身動きもしない。
 先刻から、時時、異様な音が聞こえた。もう申の刻頃でもあらうか。障子には夕ざれた秋の薄陽が南天樹の影を映してゐる。今年は、南天樹が見事な房をつけた。が、珊瑚朱の色に色づくのは、まだ少し早い。多くの儒學に養はれた権力者がさうであるやうに、忠邦も偏狭で、烈しい性格の人ではあつたが、決して私心ある人ではなかつた。彼は、最後に、領地轉換といふ難事業に着手した。
 忠邦は、全國に散在し、小區域に分れてゐる幕府の直轄地を、統合しようと計つたのである。先づ江戸十里四方と、大阪五里四方の地を幕府の直領とし、その範圍にある大名、旗本の領地は替地を與へて、轉換を命じ、同時に大名の飛地もなるべく統一しようとしたのである。
 忠邦は幕府の直領を整理することによつて、幕府の財政を根本的に確立しようとしたのであるから、大名、旗本へ與へられる替地が不利なのは當然のことであつた。しかも天下のためには、卑しい町人どもにも假借ない犠牲を强ひたのである。まして幕恩を蒙ることの厚い武士であるから、多少の不滿はあつても、必ず天下の大義に從ふであらうことを、忠邦は確信してゐた。謹嚴な精神主義者、忠邦は領地轉換を令するに當つて、先づ代代の御恩の有難いことを述べ、各自の利害を考へることなく、この令を奉じるやうに强調したのであつた。
 しかし、武士といつても、やはり人間である。大義名分などといふもので、腹の脹れるものではない。といふより、そんなものに耳を籍すには、或は當時の武士階級はあまりにも空腹過ぎたのかも知れない。忠邦の折角の期待にも叛いて、反對の聲は忽ち武士の間に湧き起こつた。
 誠に醜悪の極みであるとも言はれよう。が、そのやうなことは、他人の場合にこそ言つてられることであつて、一旦利害が自分の上にかかつて來るとなれば、また別である。大義がどうであらうが、名分がどうあらうが、頭上に降りかかつて來る火の粉は、先づ消さねばならない。最早、改革などといふことはどうでもよかつた。
 當初、改革の熱心な主張者の中からも、異議を唱へる者が續出し、やがて紀州藩のやうな親藩の動きも生じ、またそんな情勢を察した閣僚の中には竊かに政治的策謀を企てる者もあつて、遂に忠邦も失脚するに至つたのである。
しかし忠邦は悔いるところはなかつた。むしろ信じるところを心殘りなく行なった、といふ、滿足にも似た感懐であつた。彼は格別激しい性格ではあつたが、事終れば、却って心は平かであつた。
 障子に當つていた薄陽はいつか消えた。蟲の聲も一段と張りを增した。
 どうやら、何者かが屋敷の中へ石を投げ入れるらしかつた。礫の落ちる音が、また表の方で聞こえた。が、忠邦の顔には、怒りの表情は少しも動かなかつた。同じ武士の階級に屬する忠邦には、彼等町人等を怒る資格は今はない。と言ふよりは、自分一人正しかつたといふ滿足感が、彼をひどく寛容にしてゐたやうでもあつた。彼等のこんな兒戯に類する嘲笑が、忠邦にはむしろいぢらしくさへあつた。
 襖に、大きく彼の影を映して、女中が燭臺を持つて來た。また透析の音が聞こえて來た。忠邦の顔に微かに苦笑が浮んだ。
 「街の者どもか」
 「はい、そのやうでございます」
 女中ながら、まともにはこの主人の顔が見られなかつたのであらう。女中は兩手を突いて、顔を伏せた。
 「構ふな、と、藤十郎に申しおけ」
 その忠邦の聲は、女中が耳を疑ふほど、物柔い響きを持つてゐた。
 が、日が暮れるにつれ、投石の音は次第にその間隔を縮めて行つた。亂れた人聲も聞えて來る。
 群衆は、時時、町方の者にでも追はれるらしく、逃げながら投げ入れる礫の音が、邸の中を走る過ぎると、暫く、深い靜寂に返る。が、直ぐ、思ひも寄らぬ所で、屋根瓦の鳴る音が聞こえた。


 藤村與右衛門店の店先には、數人の客が上り込んでゐて、その客を相手に、番頭達は算盤を彈いてゐた。
 「さやう」
 番頭は算盤を客の方に裏向けにして立て、勢よく玉を鳴らすと、さつと客に示す。
 「うむ、なある……」
 この店のいかにも活氣のあるさまは、茶を運ぶ丁稚達のきびきびした動作でも判るやうだ。鴨居には次ぎのやうな値段表が貼つてあつた。達筆である。

木綿相庭引下ヶ候書上      一反値段
大阪生白木綿   上   銀 十五匁二分一厘
同           中   〃 十一匁三分六厘
同           下   〃  八匁七分七厘
尾州生白木綿   上   銀 十二匁八分七厘
同           中   〃  九匁九分三厘
同           下   〃  八匁一分
三州生白木綿   上   銀  十匁七分二厘二毛
同           中   〃  八匁二分六厘
同           下   〃  六匁三分九厘
晒木綿        上   銀  九匁八分四厘
同           中   〃  八匁一分五厘
同           下   〃  七匁二分八厘二毛
淺留縞木綿     上   銀 十七匁三分三厘
同           中   〃 十五匁三分四厘五毛
同           下   〃 十三匁七分八厘
下り縞木綿      上   銀 二十一匁七分二厘
同           中   〃 十四匁七分七厘
同           下   〃  八匁三分二厘
地廻り縞木綿    上   銀 二十匁九分五厘
同           中   〃 十八匁五分六厘
同           下   〃 十七匁七厘五毛
粉結城木綿     上   銀 三十三匁三分八厘
同           中   〃 二十六匁七分一厘
同           下   〃 二十三匁一分二厘
                        以上
                         (註。當時米價一升約銀八分)


 孝兵衞が奥帳場の腰折障子の中から立ち上り、店先に出て來て、客の前に坐つた。
 「いらつしやいませ。お景氣はいかがでございますか」
 五十がらみの、鬢髪の幾分薄くなつてゐる、一人の客が笑顔を孝兵衞の方に向けた。
 「まあね。これで少しはよくあつてくれませんとね。今までのやうぢや、全く顎が干上つてしまひまさね」
 「ほんとにひどい難儀でございましたからね」
 「土井さまのお屋敷が大へん賑つてるとか聞きましたがね」
 「大炊さまなら大したもんですぜ」
 隣りの客が剽輕な顔を出して、言つた。
 「わつしや、早速見物に行つて來やしたがね、まるでお祭のやうな騒ぎでさ、道の兩側にや、なんだ、その、干見世が出てやしたよ」
 「へえ、干見世が?そして、一體、何を賣つてるんですかい」
 「それが、尾張屋さん、貧乏德利の投げ賣りをやつてやした」
 「いや、おほきに」
 孝兵衞が微笑を浮かべて言つた。
 「しかし、桝屋さん、その德利は買ひでございませうな」
 「さて、物好きな、貧乏德利を買ふと仰せらるるか」
 「でも、越前守さまの御退却で、事によると、品不足になるかも知れませんからね」
 「いや、どうも、どうも」
 二人の客は声を合はして笑ひ出した。
 「ところが、こちらさんぢや、値下げとござつたが……」
 尾張屋と呼ばれる客が、改めて鴨居に貼り下げられてゐる書上げに目を遣りながら、言つた。
 「やつぱり先行きは、面白うござんせんかな」
 「いえいえ、そんなわけぢやございませんが……」
 「いや、尾張屋さん、商法といふものは、全くかうもありたいものでござんすな」
 「なんて、目から鼻へ抜けたやうなことをおつしやるが、桝屋さん、と、おつしやいますと?」
 「尾張屋さん、こちらでも、絹物は下げるとはおつしやらん。こいつはあんまり大きな聲では申されんかも知れないが、 それさ、『かるき身へ重き御極意の木綿物うらうらまでもきぬものはなし』その重し石がひつくり返つたんぢやありませんか。その着ぬものを着るやうになりや、どういふことになりますか」
 「いえ、いえ」
 孝兵衞は急いで桝屋の言葉を遮つた。
 「決して、そんなわけぢやございません。ただ、綿の方は少少持ちも致してゐるものですから」
 「いや、孝兵衞さん、全く御心配はいりませんよ。今度ばかりは大丈夫。どうしたわけか、お武家方まで大うかれでござんしてね。大炊さまのお屋敷へは、まつ晝間から赤いお顔の行列なんですからね」
 「いえ、實を申しますと、越前さまの御退陣の噂□は、上方では、大分以前から傳はつてをりましてね」
 「へえ、さうですかね」
 「全く、あちらは、萬事が早うございますからね。生絲なんかも、随分高いことを申してをるやうですが、綿の方もなかなかどうして、しつかりしてるんでございますよ」
 「へえ、だから言はないことぢやない、桝屋さんは全く目から鼻へ拔けていらつしやるわ」
 「おつしやいましたね。尾張屋さん、先行きはやつぱり面白うござんせんでせうな」
 「いや、どうも。しかし、孝兵衞さん、すると、こりやどういふわけなんでござんすかい、わたしは一向解(げ)せませんがな」
 「いえ、決してわけなんかございません。また强ひて申しますなら、手前どもの主人の物好きとでも申すより他はごさいませんでせうね」
 「物好き?と申しますと」
 孝兵衞はいかにも言ひためらふ風に、目を伏せた。その目許には、何か面映ゆさうな微笑が漂つてゐるやうだつた。が、孝兵衞は漸く口を開いた。
 「主人は、その、絹物は、きつい御法度故、値段をお下げしても、無用であらうが、せめて綿物だけでも、その、景氣なおしの、御祝儀に、一寸ばかり値を下げさしていただくのだ、と申してゐるのでございますが」
 「なあるほど、こいつはどうも。恐れ入りましたわい」
 「尾張屋さん、商法といふものは全くかうもありたいものでござんすな」
 二人は再び聲を上げて笑ひ合つた。兄、與右衞門のいかにも子供つぽい心意氣には、孝兵衞も十分の好感を持つてゐた。與右衞門は萎縮し切つた商人達に買氣を起こさせる誘ひ水だとも言つてゐた。が、このやうなことを口にしたり、大形な誉め言葉を聞いたりすることは、孝兵衞のひどく苦手とすることだつた。孝兵衞はまるで恥しいことのやうに、すつかり恐縮し切つてゐた。
 「それでは、尾張屋さん、遠慮なく、御祝儀を頂くことに致しますか」
 「いかにも、さういふことに致しますかな」
 桝屋は勢よく算盤を彈き、孝兵衞の方へ廻して見せた。
 「いかがでせう。孝兵衞さん、この御祝儀、ここまで御奮發願へませんかな」
 途端に、孝兵衞の顔から、あの弱弱しい表情は消えた。孝兵衞は、白い、綺麗な齒並を見せて微笑した。
 「ところが、桝屋さん、困つたことに、主人はお客さま方に御祝儀をお出し致しましたのではないのでございますがね」
 「はて、それぢや、一體、誰にお出しになつたんですかね」
 「それが、あなた、飛んでもない、この御祝儀は、大炊頭さまにお出しするだなんて、失禮なことを申してをるのでございますんで」
 「いや、どうも、こいつはおつしやいましたね」
 「全くだ、流石におつしやることが違ふわい、孝兵衞さん、久し振りに、きゆつと溜飲が下りましたよ」
 「いえ、これだけが、兄貴の惡い癖でございましてね。お恥しいことでございます」
 「どうして、恥しいどころか、わつしやすいつと氣に入りましたよ、全くおつしやることがでつかいわ」
 「全く、でつかい、でつかい、でつかい提燈」
 「ほい來た。ちつちやい提燈」
 二人は大聲を上げて笑ひ出した。が、二人の笑聲があまり大かつたので、却つて孝兵衞には、無力な人間が思はず發した馬鹿笑ひのやうな空しさが感じられるのだつた。


           (生絲)     (繰綿)
天保 九年   一六五匁   一、八〇〇匁
天保一一年   一三〇匁   二、〇五〇匁
天保一三年   二八〇匁   二、一〇〇匁
天保一四年   二一五匁   一、九二〇匁
弘化 元年   一八五匁   一、七二五匁
弘化 三年   一四五匁   一、三五〇匁


 右は天保一三年(西暦一八四二年)の前後の生絲及び繰綿の平均相場(一兩に付き匁相場)であつて、問屋禁止令が發せられ、儉約令が最も强化されたと思はれる十三年には、生絲も綿花も暴落してゐるけれど、その翌年から徐徐に囘復し、四年目の弘化三年には、天保九年度を上廻る高値を示してゐるのである。從つて、資本力を持つた江戸や大阪の問屋達は、問屋禁止令によつて、少しの痛痒も感じなかつたばかりでなく、十三年の暴落相場を買ひ續けた藤村店のやうに、その多くは却つて巨利を得てゐることが明らかであらう。
 このことは當時の問屋が、封建的政治統制力に守られた、ギルド的な制度では既になく、資本主義經濟の中から必然的に生れた存在であることを物語るものであつて、問屋禁止令によつて、輸入白絲時代から、政治權力に保護されてゐた京都和絲問屋がその獨占力を失つて衰微し、引いては西陣機業の著しい衰退を來した(天保改革前、二千八百軒、三千百六十四機あつた西陣機業が八年後の嘉永三年には、八百九十八軒、千六百六十四機に激減してゐる)ことを考へ合はせれば、前者の性格は明らかであらう。
 勿論、このやうなことを、當時の與右衞門達が知る由もなかつたが、問屋禁止令に對して、激しい闘志を沸かせた與右衞門達が、却つて自信に似た感情を抱くやうになつたのは事實であらう。が、與右衞門はこの結果を喜ぶといふよりは、このやうに動き變つて行く一日一日がひどく面白かつたのだ。木綿物の値下げなどといふこともつまりはそんな與右衞門の茶目氣の仕業に過ぎなかつたのであらう。が、そんな兄の稚氣の好さは十分知りながら、孝兵衞はとかく感情を露すことが恥しいのであつた。
 丁度、その時、與右衞門は臺所で、魚屋の淸吉が擔いで來た盤臺の中を覗き込んでゐた。
 「それ來た。久助さん、皿だ、皿だ」
 紺股引の膝を揃へて畏つてゐた賄方の久助が、頓狂な顔を上げて、强江州訛りで言つた。
 「淸さん、お皿どすかいな」
 「皿だ、でけい皿だ」
 淸吉は俎の魚を素早い手つきで料つてゐた。その鮮かな包丁の動きを與右衞門は興味深げに眺めてゐたが、心持ち體を乘り出すやうにして言つた。
 「ほう、珍しい、鱧だね。鱧は孝兵衞の好物でね。今晩は鱧ちりにでもするか」
 「惡うござんせんぜ。鱧つて奴は、上方のもんでね、京に入ると生き返るなんて言ひやすが、こいつばかりは全く包丁次第だからね」
 「へえ、京へ行くと、生き返りよるのどすかいな」
 「ぴちぴち泳ぎだすちふぜ、久助さん」
 「すると、盥にでも入れるのどすかいな」
 「苦勞はねえや、盥と來やがら」
 「だつて、こんな長い奴、盥にでも入れるより、しやうがなからう。なあ久助」
 「ほうどすがな」
 「ほう、その鯛、よささうぢやないか」
 「これなんですよ。ちよいと、旦那、この目を見てやつておくんなせい、全く、盥ものですぜ」
 「それぢや、盥がいくつあつても足りないよ」
 「全くだ。ところが、こいつは品も飛び切りなら、値も飛び拔けだ」
 「ほう、珍しく景氣のよい話ぢやないか」
 「だから、旦那のお祝ひに、思ひ切つて仕入れて來たんですぜ。どうです、こいつ一枚、八十五匁、と來やがらあ」
 「恐した、御趣旨を恐れぬ不届者、止めた、止めた」
 「ところが、その不届者は、お屋敷筋だと言ひますぜ、だから、直ぐ河岸の相場がぴんと來た」
 「うむ、河岸の相場がね」
 「全く河岸はえれい景氣ですぜ。何しろ荷は滅法少いと來てやがらあ、鯛き限らず、上物は全く天井知らずでさあね」
 「へえ、そんなかね」
 「あつしや、あんまり癪に觸つてね、こつちもかうなりや意地づくだつてんで、やつと一枚仕入れて來たんでさ」
 「淸さん、すまないが、一走り走つて行つてくれないかね」
 「ようがす。驅け出すのは何も火事見舞に限つたことぢやねえ。どこへだつてすつ飛んで行きますぜ」
 「神田口まで行つて來てほしいんだ」
 「神田口?成程、さう來なくつちや噓だ」
 「大炊頭さまでも魚は料れまい。お出入りのお前さんの仲間に、確めて來てほしいんだがね」
 「合點だ」
 淸吉は盤臺も放り出したまま、鉢巻を締め直して、驅け出して行つてしまつた。呆氣に取られた久助は與右衞門の顔を伺ひながら、呟いた。
 「猫でも來たら、どうしよと思て」


 その夜、二人の兄弟は鱧の鍋をつつきながら、酒を飲んでゐた。與右衞門は太い指で德利を握つて、孝兵衞の盃に酒を注いだ。
 「そんなら、わしは明後日、出發することにしようかな」
 「さうですか」
 「大阪は大分鼻息が荒らさうだから、少し長引くとすると、歸りは十月の末にもならうかな」
 「どうかごゆつくりなすつて下さい。全く、兄さんのは早いんだからな」
 「いや、いつも今度はゆつくりしようと思つてるんだがね。歸つてみると、さて、何もすることがない」
 「向島の方も氣にかかる」
 「おいおい、冗談ぢやないよ。全く、お前さんのとこのお琴とでも遊んでゐるより他に、しやうがないんだからね」
 與右衞門には子供はなく、孝兵衞に孝一郎と琴の二子があつた。
 久助が新しい銚子を持つて來た。
 「お加減はどうですやろな」
 「結構、結構、この味噌漬けなんか上加減。久助はなかなかうまいもんだよ」
 「ほやかて、旦那さん、わしはほれでおまんまいただいてますのやもん。うまうてあたり前、どすやろかい」
 「言ふわ、こいつ奴。しかし、まあそんな寝言のやうなことを言つてないで、あいた物でも下げてもらはうかい」
 「へいへい、鋸びき、鋸びき」
 「鋸びき」といふのは、鋸が物を挽くやうに、東海道の往復、上り船には東國の産物を積み、下り船には西國の産物を積み、行き歸りに商賣をすることで、與右衞門が好んで用ひる言葉だつた。一見、至つて鷹揚な與右衞門の、どこにそんな細心があるかと、不思議に思はれるのであるが、彼は勞力と、その効果について、奇妙なほどの關心を持つてゐた。例へば、與右衞門がひどく感心してゐるものの一つに、梃子がある。彼はよく孝兵衞に言つたものである。
 「これを考へついた人はえらい人やぜ、なあ、孝兵衞」
 久助が持つて來た熱い酒を、與右衞門の盃に注ぎながら、孝兵衞が言つた。
 「しかし、明後日に御出發だとすると、例の品物、上さなけりやなりませんね」
 「さういふことだね」
 「魚河岸の相場が狂ふやうぢや、今度は大丈夫でございませうよ」
 「大阪では、孝兵衞、今度はちよいと面白からうぜ」
 「面白うござりませうな。さぞ、浮き立つてゐることでございませうからね」
 「そうなんだよ。別に、冷や水かけることもないが、買つて、賣りだね」
 「では、上州から一廻り、誰か參らねばなりませんね」
 「うむ、行かねばならんな」
 去年、禁絹令の强化によつて、絹類が暴落したので、與右衞門は上州から、信州に入り、名古屋を經て、歸郷した。その時、及びそれ以來買ひ補つて來た生絲や絹布類は、大部分その産地に預けてあつたのである。
 「私が參りませうか。値頃いよつては、多少補つておかなくつちやなりませんでせうからな」
 「あんたには及ぶまいぜ」
 「では、勇造でも遣りませうか」
 「さういふことに願はうか」
 「早速、明日立たせませうか」
 孝兵衞が手を叩かうとした。その時、一人の丁稚が入つて來た。
 「友七親分がお見えになりましたが」
 「友七親分が?」
 孝兵衞は目を顰めて、兄の顔を見た。が、與右衞門はゆつたりと頰を染めて言つた。
 「ほう、丁度よい、ここへお通しするか」
 孝兵衞は立ち上り、部屋を出て行つたが、直ぐとも七を伴つて來た。
 「これはお珍しい。さあ、親分」
 與右衞門は盃を進め、孝兵衞が酌をした。友七はそれを一氣に飲み干して言つた。
 「實は、おりうがやられましてね」
 「おりう?」
 孝兵衞は當惑さうに、盃を手に持つたまま、言葉を切つた。その孝兵衞の脇腹を、與右衞門が子供のやうにつつ突いた。
 「まさか、旦那が知らねえつたあ、言はせねえぜ。ほら、しや(町藝者)のおりうですぜ」
 「ああ、あのおりうでしたか。この頃は、一向見ないので、どうしてゐるかと思つてゐたんですが」
 「ずつと、下谷の兄の家にゐたんですがね。早速、浮かれ出しやがつて、この始末だ」
 「さあさあ、親分、何の、重ねて、重ねて」
 與右衞門は友七に頻りに酒を進めながら、むしろひどく上機嫌なやうであつた。
 「しかし、親分、そいつは少し殺生ぢやないかね。何しろ、お屋敷の方で馬鹿騒ぎをなさるものだから、大方じつとしてられなかつたんだらうね。あの氣性だから、ねえ、孝兵衞」
 「全くだ。あつしが知つてりや、あんなへまはさせなかつたんだがね。下谷とばかり思つてたもんだから」
 「そりやさうでせうとも。しかし、親分、その、下谷とかの、兄といふ人は、どういふ人なんですかい」
 「浪人者でさ」
 「ほう、道理で、おりうもひどく變つたところがあつたね。な、孝兵衞」
 「變るも變らねえもねえ。腕だうて凄く出來るつてんだが、どうしたつて人に頭を下げることが出來ねえ」
 「ほほう」
 與右衞門はひどく嬉しさうに目を細め、太つたはらを乘り出した。
 「この節、そんなことを言つてりゃ、相手にする者はねえ。あつしも江戸を廣く歩いたが、まあ、あれほどの貧乏は見たことがねえ。いつそ胸のすくやうな貧乏ぶりだね」
 「へえ、それは今時、大したものだ」
 「全く、珍しい人間だあね。それに、おふくろが一人あるんだが、もつともおふくろが二人もあつた日にやたまんねえが、それがまたどうshて、しつかりした、全くの、それ、お武家風と來てやがるんだ」
 切れの長い目、白く通つた鼻、上品な口、しかもそんな古い、自らの血の亂れに堪へ難いやうに、りうの顔はいつも冷い怒りが含まれてゐるやうであつた。孝兵衞は何か悔しく、そんなりうの表情を思ひ浮かべながら、言つた。
 「いつも自分の體をはつてゐなければ、生きてゐられないやうな人ですからね」
 「さうなんだよ。孝兵衞」
 「でもね、孝兵衞さん、おりうの奴は、御趣旨を恐れるやうな女でもなからうに、ここんとこ、こはいみたいに神妙だつた。あつしや奇妙に思つてよ、それとなくお六に當らせてみたんですがね。どうです。願ひごとが叶ふまでは、誰にだつて指一本觸らせねえつて、噴き出すやうなことをのかしやがつた」
 「えつ、親分、おりう奴がそんなことを言ひましたかい。こりや、どうして、聞き捨てにならん」
 「ねえ、與右衞門さん、あれほどの女に、まるでおぼこのやうなことを言はせておいて、知らん顔たあ、世の中には罪な人もあるもんだね」
 「いや、それといふのも、つまりは兄貴に似たからなんでせうよ」
 「あれ、おつしやいましたね」
 二人はいかにも醉いに助けられたやうに、高高と笑ひ合つた。
 孝兵衞が最後におりうに會つたのは、昨年の暮のことであつた。その夜、歸らうとする孝兵衞を、おりうは醉眼で見詰めながら、言つたものだ。
 「歸るのか、さうか、やつぱり歸るのか。いえ、いいの、いいの、歸つていいの。あたし、きつとおもう會はない」
 「どうして、そんなこといふの」
 「だつて、こんな時節だもの。若しも、御迷惑をかけたらいけないわ。あたし、どこかへ行つちやふの。そして、待つてるわ。待ちぼうけだつていいの。あたし、きつと、待つてるわ」
 孝兵衞は決してそんなりうの言葉を忘れたのではなかつた。むしろ、彼が姿を隱したりうの行方を探さうとしなかつたのは、そんなりうの一言一句を忘れることが出來なかつたからでもあつた。
 「へえ、明日、お許しが出るんだつて」
 「さやう、一同、お構ひなしつて、ことになつたんでさ」
 「へえ、すると、世の中も、幾分、變つて來ますかな。さあ、親分、ぐつとお乾しになつて」
 與右衞門は友七の大きな盃に溢れるばかりに酒を注いだ。
 「おつ、とつとつと、お武家も御機嫌、町人も喜びや、藝者も浮かれる。かう來なくつちや噓だあね。與右衞門さん、さう言や、來年は辰の年、ぱつと景氣が立ちやすぜ」
 「成程、來年は辰の年。流石に江戸つ兒は氣が早い。さあ、さあ」
 與右衞門は德利を高く持ち上げて、かなり醉ひを發してゐるらしい友七と、それを奪ひ合つてゐた。


十一

 下谷坂本町の棟割長屋の一軒に、與右衞門は漸くその家を見出した。
 建てつけの惡い戸を、與右衞門が無理に抉じ開けると、障子の破れた間から、室内の様子が見えた。赤らんだ疊の上に、若い男が背を向けて坐り、何か手仕事をしてゐるやうだつたが、男は戸の開く音に振り向かうともしなかつた。
 「ごめん下さいませ」
 が、男は一切を無視してゐるかのやうに動かない。與右衞門は聲を强めて言つた。
 「ごめん下さい」
 漸く奥の方で、女の答へる聲がして、障子の破れ目に女の歩き寄つて來る姿が見えた。女は坐つて障子を開けた。
 一瞬、鷹揚な與右衞門の顔にも、かなり强い衝動の色が動いた。鋭く光る目、白く通つた鼻、固く引き緊まつた口許、りうの場合、その目は、不意に妖しくその光を變へたが、一目で、この婦人がりうの母であることが判つた。りうの母は格式高く一禮した。
 「失禮ながら、こちらは中井新之助さまのお宅でございませうか」
 「はい、さやうでございますが」
 「手前、布屋與右衞門と申す者でございますが、中井さまにお目にかかりたいのでございますが」
 「暫くお待ち下さいませ」
 りうの母は新之助の後ろからその由を告げた。新之助はなかば振り返つて言つた。
 「何か、用か」
 新之助も、りうに似て、色白く、顔立ちの緊まつた美丈夫であつた。
 「どうかお上り下さいませ」
 りうの母に進められ、與右衞門は閾際に坐つた。母親の性格を語るかのやうに、室内には塵一つなかつたが、濕りを帶びた疊の感觸が少し氣味惡かつた。壁には雨漏りの痕が染みてゐた。
 「手前、布屋、與右衞門と申しまして、日本橋新大坂町で布類を商つてをる者でございますが」
 「用事は何か」
 「實は、あなたさまの御高潔な御人格を承りまして、與右衞門がお迎へに參りました」
 「と申すと」
 新之助は流石に怪訝さうに與右衞門の顔を見た。が、與右衞門はゆつたりと頰を脹らませて言つた。
 「失禮ながら、あなたさまには、御仕官のお氣持が全然おありなさらんこともないやうにも、承つたものでございますから」
 「別に好んで浪人致しをるわけでもないが、この節、そのやうな物好きな御仁はをらんやうだな」
 「ところが、そのやうな物好きな人間がゐて、このやうにお迎へに參つたとすれば、いかがなされます」
 「何?」
 新之助は强ひて笑ひを浮かべようとした。が、その口許に微かな痙攣が生じたに過ぎなかつた。
 「お前は、新大坂町とかで、布類を商つてをる者を申したではないか。すると、そのお前が、この自分を召し抱へようとでも申すのか」
 「いかにも、手前は布類を商つてをります町人でございます。しかし、男が男を知る、お大名であらうが、町人であらうが、變るところはございますまい」
 「うむ、申したな。しかし、この自分のことを誰から聞いた」
 「お妹御のおりう殿から承りましてございます」
 「歸れ、無禮であるぞ」
 「何か、手前、御無禮なことを申したのでござりませうか」
 「無禮ではないか。りうの如き、知つたものではない」
 「手前も、直接おりう殿から承つたのではございません。手前の弟、孝兵衞と申します者、おりう殿と昵懇に致してをりますので、その孝兵衞より、あなたさまの御高潔な御人格を承つたのでございます」
 「默れ、弟とても同じこと。金で買つた客、金で買はれた者には違ひあるまい。穢らはしい、寢物語りに、わが貧乏を嗤ひをつたか」
 「失禮なことを申すやうでございますが、あなたさまはあたなさまの妹御をそのやうな女と思し召しますか、手前は手前の弟をそのやうな男とは決して存じてをりませぬ」
 「言はせておけば、先刻から憎げなことばかり申してをるわ」
 「おりう殿はどのやうなことを致してをられませうとも、御氣性は至つて御綺麗な方でございます。或はあんまりお心が美し過ぎるのかも知れません。手前の孝兵衞も氣立ての至つて優しい男でございまして、家業も熱心にやつてくれますのですが、困つたことには、女と申せば、國元にをります女房の外には、まるつきり知らないといふ變り者なんでございますよ」
 「すると、商人という者は、妻の外にも、仇女を持たねば困るとでも申すか」
 「さうぢやごじあませんか。お武家方でも、女に惚れもせず、惚れられもしないやうな男に、大した仕事は出來るもんぢやございません。まして商人でございますからね」
 「一一、異なことを申すやうだ」
 「ところが、その孝兵衞も、流石おりう殿には、尋常ではないと、睨んだのでございますよ。あのやうな美しい女に思ひ思はれますれば、一八、男の勵みにもなりませうと、手前はすつかり喜びまして、二人がその氣なら、家でも持たせたいと存じまして、孝兵衞に申しますと、孝兵衞は笑つて相手に致しません。ある機會を得ましたので、そつとおりう殿の耳に傳へますと、おりう殿つたら、いきなり手前の頰つぺたを打つたんでございますよ。多分、おりう殿は恥しかつたんでございませうが、これだけが玉に疵、全くおりう殿はいいきつぷの方でございますからね」
 「新之助」
 男の頰を打つ、このやうなはしたない所業からも、りう達の生きてゐる世界のさまも想像されよう。りうの母は、その白い眉間に不快の色を漂はせて言つた。
 「歸つていただきませう。このやうな穢らはしいお話を聞く耳は持ちませぬ」
 「母上、相手になされますな。穢らはしい、全く犬畜生にも劣る。しかし、そのりうも、このやうな者の圍ひ者になることは斷はつたか」
 新之助は内心の空しさに打ち勝つやうに、高く笑つた。が、彼の笑聲は自らをさげすむやうで、直ぐ止んだ。その後には、破れ障子の秋風に鳴る音が、再び鈍く響き續けてゐる。
 「ほう、犬畜生にも劣りますか。しかし、さやう致しましても、一體、誰方さまが、あのおりう殿をそのやうな女になされました」
 「何、我我のせゐとでも申すのか」
 與右衞門は暫くじつと考へてゐるふうであつたが、漸く口を開いた。
 「いえ、多分、あの音のせゐでございませうよ。ほら、お聞きなさいませ。あの破れ障子の鳴つてゐる音を、あの侘びしい音は、昨日も今日も、片時も止むことなく、おりう殿の耳底に鳴り響いてゐたことでごさいませうよ。こんなお暮し、お若いおりう殿には、いえ手前どもでも、一日だつて、我慢出來ませぬ」
 「いかにも、町人どもとあれば、さもあらう。しかし、人間は金と物ばかりに生きるものではないわ」
 「仰せの通り、お武家方ともあれば、このやうな破れ疊の上ででも、人格とやら申す痩せ臑を齧つてもをられませう。現に、かうしてお迎へに參る物好きもごさいます。母上に致しましても、御立派な昔の誇りもございませう。が、若いおりう殿に何かございます。生きる、何の誇りがございます。手前は決して金や物のことを申すのではございませぬ。一人高しとして、安んじてをられるが、その實、すつかり張りを失つた御日日、一刻、一刻、何の御希望もない時の經つて行く中に、破れ障子の音だけが耳を離れない。若い女にとつて、これほどの甲斐ない生き方がございませうか。いつまで經つても生殺し、あの烈しい御氣性の妹御には、失禮ながら、こんな暮しを續けて行くよりは、我とわが身を打ち碎いてしまふ方がましだつたのでございませう。そんな女の必死の氣持さへ、あなた方のお目には、犬畜生とより映らないのでございませうか」
 「何だか、異なことばかり申すやうだ」
 「異なことではございませぬ。武士は食はねど高楊子、などと申しますが、憚りながら手前飢ゑ死になさつたお武家さまを存じませぬ。高楊子などとは大嘘。この度の越前守さまの御失敗も、お換へ地のお爭ひが、元のやうにも承りますが」
 「されば、與右衞門殿、このやうな世に用ひられずとも、自分は決して恥ぢとは思はぬ。こんな世に節を屈してまで、用ひられようとは思はぬ」
 「今時のお武家さまには珍しいそのお志、與右衞門、感服致しまして、お迎へに參つたのでございます。力といふものを持ちませぬ町人には、節と申しますか、信義と申しますか、そればかりが頼りなのでございますから。しかし、町人ではお氣に入らぬ」
 「しかし、と申して、この自分には算盤など持つことは出來ないが」
 「算盤など持つていただかうとは存じませぬ」
 「すると、一體、何を致せばよいのか」
 「手前どもにお出でいただいて、さやう、遊んでゐて下されば、それで結構なのでございます」
 「すれば、居候、それこそ無爲徒食……」
 新之助の口許には、一瞬、冷やかな微笑が漂ひ、その目には鋭い殺氣さへ帶びた。
 「いかにも、妾の兄にふさはしいとでも申すか」
 「先年も、鳥居甲斐守樣から、商人は寢てゐて利を貪り、贅澤三昧に耽つてゐると、きついお叱りをいただきましたが、商人は決して寢てなどをりませぬ。舎弟孝兵衞は、一昨年、蝦夷の地へも渡航致しました」
 「ほう、蝦夷地へまで渡航致すか」
 「明年三月、再び參ることになつてをりますから、若し御退屈なやうでしたら、御同行願つても少しも苦しうございませぬ」
 「ああ、さやうであつたか。つまり舎弟達の用心棒に、この新之助を望まれるか。そのやうなことならば、いと易いこと 
ではあるが……」
 「いえ、そのやうな失禮なことを、與右衞門は毛頭考へてをりません」
 「と、申すと」
 「一體、町人と申す者は、いかにも算盤ばかり彈いて、利を貪る者のやうにお考へでございませうが、決してそんなものではございません。例へて申しますならば、この着物を造る棉と申すものは、溫暖の地でなければ育ちにっくい。ところが蠶を飼ふ桑の木は、山間寒冷の地いも適するのでございます」
 「成程、さういふものでもあらうな」
 「從ひまして、東の地に適する産物を、西に運び、西の地に適する産物を、東に運びますれば、それぞれの地に最も適する産業が發達致します理でございまして、これが我我商人の一番大切な仕事であらうと存じてをります。ところが、この蝦夷の地と申しますは、先づこれを御覧下さいませ」
 與右衞門はさう言つて、懐中から、と言ふよりは、太つた腹の間から、一枚の紙片を取り出して、新之助の前に擴げた。蝦夷地の地圖であつた。


 安永元年(西暦一七七二年)俄羅斯(ガラス)(ロシヤ人)約六十人ウルップ島に渡來し、漁獵を營む。
 同二年、蝦夷人、俄羅斯國人とウルップ島にて闘爭し、雙方死傷あり。
 同七年、俄羅斯國人ケレトフセメチリヤウコヘツと云ふ者三十餘人を率ゐ、東蝦夷地イキタッフの浦ツカマの運上家に到り、通信通商を請う。
 天明四年(西暦一七八四年)俄羅斯人カラフト島に渡來す。俄羅斯人ションノスケ、イシコヨハ、タカチノ、三名ウルップ島に渡來す。
 同八年、俄羅斯國人アウス、オランダ國加比丹を以て、松前及蝦夷地柬察加(カムチツカ)に至る國權上の要害怠慢あるべからずと忠告す。
 寛政元年(西暦一七八五年)五月、江戸久奈支里島メマキライ、ユナヌカ、ナルカマツ、アマツ、トラワイン等九ヶ所の夷人亂をなす。松前氏之を鎭す。
 同二年、クナジリ島擾亂後、松前藩より初めて士人高橋某を遣し、再び交易所を建つ。
 同三年六月、俄羅斯國人三名カラフト島トンナイに渡來し、松前藩の家臣應接す。
 同四年、俄羅斯國人イワノフ、カラフト島に渡來す。普請役之に應接す。七月、松平定信、蝦夷地警備の事を議す。 九月、我羅斯國の大船東蝦夷地ネモロに着し、勢洲の漂民幸太夫等三名を護送し、通商を乞ふ。
 同五年六月、石川忠房等、俄羅斯國使アタムラクスマレ、根室より來るに會し、漂民を請取り、書簡を與へて、長崎に廻航せしむ。書に曰く、
 「今度渡來ノ所書翰一ツハ横文字ニシテ我國の人知ラザル所ナリ一ツハ我國假名文字ニ似ルト雖モ其語通ジ難キ所多ク文字モ亦ワカリ難キニ依ッテ一ツノ失意ヲ生ゼンモ又憚ルベキヲ以テ詳シキ答ニ及ビ難シ依ッテ皆返シ與フ此ノ旨能ク可心得モノナリ云々」
 同七年俄羅斯國人グレトフセッシングマンネニチ以下男女六十餘人大船に乘じてウルップ島ニナウに渡來す。
 同八年八月、英吉利國船一艘(船體の長さ三十餘、大砲二十門、乘組員百餘人、船主ブラウンなり)東蝦夷地シラヲイ沖よりサハラ、アブタ、エトモへ渡來す。松前の家臣應接し、薪水を給す、
 同九年七月、英船ヱトモに渡來す。是歳俄羅斯國人頻りに蝦夷に渡來し、邪宗門に於て信ずる所の十字木をエトロウ島に建設したり。
 同十年四月、幕府吏を遣し、蝦夷地を巡察せしむ。十月十七日、夜阿蘭陀船猛風の爲め天鹽國ウイエベツ沖に漂着す。甲必丹死すと傳ふ。十二月、老中松平定信蝦夷警備を管す。是歳、箟津重藏、蝦夷を巡視す。
 同十一年正月、幕府、石川定房羽田正養を蝦夷取締御用掛とし、松前氏の所管東蝦夷の地を幕府の直轄となす。十一月、幕府、南部津輕の二藩に令し、兵を出して、蝦夷地を衞らしむ。
 同十二年四月、伊能忠敬蝦夷を測量す。十二月、ウイエベツ浦へ寧波船漂着、船長劉然乙、江晴川外水主八十六人、是歳、幕府高田屋嘉兵衞に命じ、エトロフ航海の針路を試ましむ。
 享和元年(西暦一八〇一年)正月、間宮倫宗樺太、北韃靼を探檢す。六月、支配勘定富山元十郎、中間目付深山宇平太の兩名、ウルップ島に渡り、島内ヲカイワタラに至り、「天長地久大日本屬島」と刻したる木杭を岡に樹つ。
 同二年二月、羽田正養、戸川安倫を蝦夷奉行として、尋いで函館奉行と改む。七月、幕府東蝦夷を永久収公す。是冬、近藤重藏エトロフ島の動靜を視察し、復命す。
 同三年二月、幕府函館奉行戸川安倫をして初めて任地に赴かしむ。六月、俄羅斯國の屬島ラシヨア島の長夷アキセン、コレウリツを始め男女十四人、エトロフ島のシヘトロに着す。
 文化元年(西暦一八〇四年)四月、俄羅斯船蝦夷地ソウヤに來泊す。九月、家齊、伊能忠敬の「日本全圖」を觀る。
 同二年七月、遠山景普、村垣定行を遣して、西蝦夷地を檢察せしむ。是歳、函館奉行戸川安倫請ひて、蝦夷アブタに牧場を開く、同奉行羽田正養蝦夷地を開拓し、四百四十餘町を得たり。
 同三年正月、幕府諸藩に命じ、露船の上陸を禁じ、懇諭するも命を用ひざれば打ち拂はしむ。九月十一日、俄羅斯國船西蝦夷地カラフト島の東ヲフイトマリの沖に來り、上陸して亂暴を極む。クシュンコタンへも上陸し、運上小屋を燒き、番人四人(源七、富五郎、西藏、福松)を捕ふ。同十八日退去す。
 同四年二月、幕府西蝦夷地を収公す。四月、俄羅斯國人エトロスに寇す。五月二十一日、同じくカラフト島ルウタカの番所を侵し、二十九日、ワイシリ島を掠し、六月七日、西蝦夷地ソウヤ附近を窺ふ。六月、堀田正敦、中川忠英、遠山景普、近藤重藏を遣し、蝦夷地を巡視せしむ。七月、函館に着す。十月、函館奉行を廢し、松前奉行を置く。
 同五年正月、仙臺會津の二藩に東西蝦夷地を鎭戍せしむ。四日、幕府、松田元敬、間宮倫宗に樺太奥地を檢せしむ。十三日、倫宗ソウヤを發す。秋、仙臺會津二藩の兵、軍を撤して歸る。
 同六年六月、樺太を改め、北蝦夷と稱す。七月、間宮倫宗樺太ラッカ崎を發し、韃靼アルコエに達し、マンコ川を沂り、遂にデレン府に抵りて還る。
 同八年四月、幕吏深山右平太(調役也)石坂武兵衞(下役也)小舟二艘に乘りてウルップ島へ行かんとす。偶外船渡来來し、武兵衞が舟に來り詞を發す。ヲロキセ、ラショウを通詞となして曰く「俄羅斯の交易舟なり」と。武兵衞曰く「交易は國禁なり。許すべからず。去る卯年、汝等蝦夷に來りて寇す。今復た來つて寇せんとならば、爭闘心に任すべし」と。俄羅斯人曰く「斷じて爭闘心に訴へんとするにあらず。交易を願ふなり。許さるべし」と。武兵衞曰く「事此處に於て決すべからず。是より十日路にして官廳あり、宜しく往きて訴ふべし。然りと雖、輕々しく舟を寄せば砲を以て撃たるるならん。我汝に印を與ふべし」と。即ちアトイヤに於て會所に來るべき旨を告げ、石坂武兵衞と記したり。俄羅斯國人ヲロキセを載せ本船に歸る。武兵衞は殘餘の者を小舟に載せクルップ島に至る。六月露船國後灣に來る。戍兵艦長ゴロウビン等八人を捕へ、松前に送致す。
 同十年九月、ゴロウビン等を還す。
 同十一年、沿海實測圖成る。
 文政元年(西暦一八一八年)伊能忠敬歿。
 同四年十二月、松前奉行を廢し、松前章廣にその奮領を復し、南部津輕の戍兵を撤せしむ。


 右のやうに、寛政文化年間、蝦夷地の事情は既に世人の注目を引き、伊能忠敬、間宮倫宗等によつて、極めて精密な測量圖が出來上つてゐた。從つて、與右衞門の地圖もかなり正確なものであつたが、サガーレンや、カムチャカや、千島の北方の島島になると、彼の例の奔放な空想も加はつて、微笑の浮かぶやうなものもあつた。
 「ここが函館の港でございます。上方の船の多くは江差、福山の港へ入りますが、江戸の船は先づこの港に錨を下すのが普通なやうでございます。ほら、御覧なされませ、四つの半島に圍まれて、灣内深く灣を抱きまして、誠に自然の良港かと存じます。申すまでもなく、函館御奉行所のござりました所で、戸數一千とも申しますから、既に數千の人間が住んでゐるものと存じられます。然し、ある譯がございまして、孝兵衞は奥地に入ることを堅く禁じておきましたので、孝兵衞は海路を、かう福山城に參つたさうでございます。福山城は松前志摩摩守さまの御城下町でございまして、外濠、内濠を廻らし、南に向つて大手門がございまして、御道幅十間二尺、石垣の高さ一丈二尺、堂堂たるお城ださうでございます。戸數三千と申しますから、お城下町も相當な賑はひでございませうね」
 「ほほう、さやうに開けてをるか」
 「流石に、お城下町ともなると、御興味も一入のやうでございますな」
 「いや、さうでもないが」
 「ここが江差でごあいますな。戸數二千と申します。フトロ、シマコマキ、シツツ、オタスツ、カムヰ岬、ここより北には和人の婦女は行くことが許されないのださうでございますよ。その岬を廻りますと、ウシュロ、タカシマ、ツタル、更に進むと、イシカリの河口に達します。先にも申しましたやうに、ある譯がございまして、孝兵衞には奥地へ入ることを嚴禁致しておきましたので、孝兵衞はここから引き返したのでございますが、ね、どうでございます。このイシカリ河は大きい川ぢやございませんか」
 與右衞門が愉しげに指差す圖上に、カムロヰ山、オシュロベシ山、ユラップ嶽等の高峰の連なる中央山脈にその源を發した諸川を合はせて、イシカリ川は蜿蜒と流れ、海に注いでゐる。與右衞門は眞面目な顔で言つた。
 「この川の流れやうから察しますと、この邊は相當廣い平野のやうに思はれます」
 「うむ、賢察であらうな」
 「恐れ入ります。では、更に北に參りますと、ホロトマリ、ルルモッペ、トママイ、この邊からそろそろオロシヤ船の出没するところでござりますな」
 「成程、ここがサガーレン、ここがカムチャカ」
 「さやう、ラコースク海でございます。どうでございます。この海の色は」
 「凄いだらうな。氷の山が流れて來るともいふ。成程、このやうに島を傳はつて、オロシヤの船はやつて來るか」
 「さやう、島傳ひにやつて來るのでございますよ。その、ウルップ、エトロフ、國後、色丹、ここがネモロでございますよ」
 「うむ、成程」
 「御意、些か動きましてござりますか」
 新之助は苦笑を浮かべて言つた。
 「お蔭で、飛んだ所まで參つたものだなう」
 「嘸お疲れでございましたでせう。しかし、開けてをりますのは僅かに海岸地方ばかりで、御覧のやうに、この廣大な土地が殆ど白紙のままに殘されてゐるのでございます。實を申しますと、このイシカリ川の流れも、山山の名も、手前の出鱈目でございます」
 「これはしたり、カムロヰ山も、ユラップ嶽も出鱈目であつたか」
 「いかにも、全くの白紙のままでございます。どれほど寒冷の地と申しましても、今も海上から御覧になりましたやうに、その全土は見事な密林に蔽はれてをります。人の住めぬはずはございません。それにもかかはらず、何故人が住まないか。もつとも、アイノと申します蝦夷は多く漁獵に從つて、農耕を好みませぬにもよりませうが、第一、交易が殆ど行はれてゐないからでございます。例へば、蝦夷地には棉は獲れませぬ。アイノ達は『オヒヤウ』と申します木の皮で織りました『アツシ』と申すものや、獸皮で辛うじて寒さを凌いでをるさうでございます。蝦夷地で獲れます豊富な海産物と、彼地では獲れませぬ綿類や、鹽類と交換致し、漸次に寒冷の地に適する農産物を栽培致して行けば、いかなるものかと存じてをるのでございます」
 「いや、與右衞門殿、初對面の貴殿から、今日は愉快な話を承つたものだ、胸中、一陣の淸風が吹き入つたやうだ」
 「そのお言葉を承つて、與右衞門は滿足でございます。失禮の數數どうかお許し下さいませ」
 「町人と申しても、貴殿のやうな者ばかりでもなからうが、いや、全く間違つてをつたやうだ。殊に、蝦夷へは是非とも參りたいものだな」
 「蝦夷地開拓のことは、若いあなたさまには幾分がお氣散じにもならうかと存じますが、それにはお願ひがございます。商人は何と申しても利を追ふ者、時に山に入つて山を見ないやうなこともございますから、彼地御見聞の上は、あなたさまのやうなお素人の腹蔵臟ない御意見を承ることが出來れば、とも存じてをるのでございます」
 「いや、御高見、感服致した。早速、御好意をお受け致さう」
 「新之助」
 急に晴れやかな顔を上げた若者を、母は制した。
 「御親切なお言葉は有難く承りましたが、新之助、いささか輕率ではありませんか。御先代のこともよく考へねばなりません」
 「母上、私は……」
 「いえ、母上さまの仰せ、まことに御尤でございます。とくに御考慮の上、萬一にもお氣が向きましたら、手前方へお顔をお見せ下さいませ。三度も、四度も、お迎へに參るのが當然でございますが、手前、明日、西國へ上りますので、孝兵衞に萬事申し傳へて置きますから。いや、突然伺つて、飛んだお邪魔を致しました」
 いかにも怪訝な表情の解け切れぬ新之助親子に見送られて、與右衞門は飄然と立ち去つて行つた。その後には、破れ障子が鈍い唸りを立てて鳴り續けてゐた。


十二

 孝兵衞は氣持がすつかり動轉してゐた。まるで自分が曝し者になつてゐるかのやうに、羞恥が却つて一種の狂暴な血となつて、體の中を驅け廻つてゐるやうだつた。かつと頭が熱くなつたかと思ふと、急に頭から血が驅け下つた。丁度、大きな波の上から舟が波底に落ち下る時のやうに、跨間に空虚な感覺があつた。檢擧された女達が釋放されるのを見物しようとする群集の中に、孝兵衞も交つてゐたのである。
 「何かあるんですかい」
 四角い、下駄のやうな顔をした男が立ち停まつて、尋ねた。顔の中央が突き出た、狐のやうな顔をした男がさらに口を尖らせて、答へた。
 「賣女どもが出て來rんだよ。町藝者の綺麗どころだつていふぜ」
 「するてえと、藝者にお許しが出たんですかい」
 「急にお構ひなし、つてなことになつたんだとさ」
 「へえ、随分御趣旨も穏やかになつたもんだね」
 「今までと來ちや、無茶だつたからね」
 「全くだ。茄子の走りを賣つたと言つちや、絹の湯文字をしめたと言つちや、押し込みぢや、たまつたもんぢやありませんよ」
 「言つてるぜ。まるで、手前の嬶に絹の褌でもっはかせてるみていぢやねえか」
 「いや、どうも」
 「煮染め昆布の綿晒、洗ひ晒の紅木綿ぢや、ひん剝いてみても罪ねえが、緋縮緬の長湯文字、御趣旨を恐れぬ不届者と來りや、少少譯は違はうな。全くうめえことをしやがつたのは、お役人ばかりだよ」
 「そんなひでえことをするものかね」
 「揚屋入りともなりや、太夫さんの揚屋入りとは違はうぜ。隱し物でもしてゐねえかと、褌まで調べるつちふぜ。おいおい、何て面してやがるんだ」
 だらしくなく唇の緩んだ四角い顔。が、それを罵る狐のやうな顔も醜く歪んでゐる。そんな顔と顔が並んでゐる間に、孝兵衞もその顔を並べてゐた。女の淺ましい姿を見ようとして、犇き合つてゐる男達のその顔も、等しく淺ましいに相違ない。が、孝兵衞はこんな男達の間に顔を並べてゐることによつて、せめてりうと同じ悔しさの中にゐようとしたやうでもあつた。
 幼い時から、人一倍臆病だつた孝兵衞は刑罰といふものが恐ろしかつた。肉體が受ける苦痛が恐しいばかりではない。人間が人間に自由を奪はれるといふことが、ひどく慘酷なことと思はれるのだ。どんな强い人間でも、どんな弱い人間でも、人間が生きてゐ姿は哀しいものであらう。その人間の哀しみさへも、刑罰は少しも容赦しない。孝兵衞はそつと兩手を後に廻してみる。直に兩手は繩で縛られるだらう。一匹の蚊が飛んで來て、歯だに止つて血を吸ひ始める。哀しいことに、どんな兇惡な人間でも、蚊に吸はれた後は痒いに相違ない。蚊は二匹、三匹と飛んで來る。が、そんなにしても、自分で自分の手を動かすことは出來ないではないか。
 縛られると知りながら、手を後にさせるものは、一體、何物の力か。孝兵衞の恐怖は、倒錯した。一種の情慾さへ伴つてゐた。
 「そら出て來たやうだぜ」
 急に男達の間に動揺が起つた。孝兵衞は後から押し分けて來る男の體を厭らしく感じた。
 「あつ裸足だ」
 一つの顔が言つた。
 「それがお定めだ」
 女は裸足だつた。女は一瞬、夥しい男の視線に躊躇した。が、躊躇してみても、どうなるものでもない。女は不貞腐れたやうな冷笑を浮かべて、大跨に歩き出した。
 續いて、また一人出て來た。化粧の剝げた、靑ざめた顔を伏せて歩いて來た。三人、二人と、引き續いて、女は出て來た。その二人の中にりうがゐた。
 土を踏んで動く、りうの裸足の白さが、孝兵衞の目に無慘だつた。が、りうは殆んど表情を動かさなかつた。りうは門を出ると、立ち停り、空を見上げた。空には、一團の黑雲がその緣を朱色に輝かせて、横たはつてゐた。丁度、その時だつた。俄か雨が烈しい音を立てて降つて來た。女達は褄を紮げて、走り出した。
そんな不意の變化が、丁度、表面張力のやうに辛うじて保たれてゐた重苦しい沈默を破つて、一時に罵聲となつて迸り出た。
 「うへつ、凄えところを見せやがらあ」
 「全くだ。飛んでもねえ、お江戸のまん中に大根畑が出來やしたわ」
 「いやはや、小便藝者にかかつちやたまんねえや」
 「なんておつしやつて、お前さん、涎を落しちやいけませんぜ」
 「いや、見るは法樂、こいつは滅法緣起がいい。たつぷり儲けが見えやすぜ」
 目が、男達の目が、重なり合つて光つてゐた。が、りうは軽く褄を取つて、雨の中を無表情に歩いて來た。黑地に秋篠牡丹を染め出した。時節柄大譫極まるものを着てゐたが、白い素顔がくつきりと映え、その表情には少しの汚れも殘つてゐなかつた。りうの姿は忽ち男達の目を奪つた。
 「おいおい、凄えのがやつて來たぜ」
 「お前のは、直ぐ凄えと來るからな。うん、こりゃ凄え別嬪だ」
 「おら、あの氣つぶが氣に入つたね。雨なんか、どこに降つてるつて、顔してやがらあな。少少、嬉しくなるぢやねえか」
 「何を、しやら臭え、あれがほんとの『蛙の面に水』つてことよ」
 孝兵衞はそつと人群れから離れ、りうの後を追つて、足早に歩いて行つた。
 數刻後、大川端の料亭の一室で、孝兵衞はりうと向き合つて、酒を飲んでゐた。先刻から、二人とも口數は少なかつた。二人とも感情が高ぶつてゐるので、それを言葉に現はすことが憚られたからである。岸を打つ川波の音が聞こえてゐる。
 が、孝兵衞はりうの目を見てゐると、彼女の感情が激しく變つて行くさまが判つた。りうの目は怒つてゐたり、甘えてゐたり、强がつてゐたり、弱つてゐたりした。黑い、いかにも瑞々しい目である。孝兵衞は杯を乾して、りうに差した。。りうはちらつと孝兵衞と視線の會つた目を伏せて、杯を受けた。
 「兄さんの所にゐたんだつてね」
 りうは頷いてから言つた。
 「だつて、あたし面倒臭くなつちやつたの」
 りうは激しく顔を左右に振つた。が、直ぐ杯を返して酒を注いだ。
 「でも、不思議ね。いつもかういふ時になると、あなたつて人、現れるのね」
 「現れるのねえ、どころぢやなかつたんだよ。恥しかつたよ。あの下駄を懐に入れて、あの人達と一緒に、お前さんの出て來るのを待つてたんだぜ」
 「あたしだつて、後から名を呼ばれて、びつくりして、振り返つて見ると、あなたぢやありませんか。あたし、體中がかあつとなつちまつた」
 ぱつと、りうは再び顔を染めた。不思議にも、艶かしいといふには、あまりにも初心な風だつた。孝兵衞は頻りに杯を重ねた。
 「手拭を渡して下さつて、下駄を並べて下さつて、『早く、履くんだ』なんて、恐しい顔をして、おつしやつたわ」
 ひとり言のやうに言ひながら、孝兵衞を見上げてゐるりうの目には、今までの妖しい感情の亂れは最早ない。あの時、汚れを拭いたりうの足の裏は紅をさして、美しかつた。
 禁絹令の吟味の有無をりうに聞くやうに、孝兵衞は與右衞門から依頼されてゐた。が、このりうにそれを聞くことはひどく慘酷に思はれた。孝兵衞は酒を茶碗に注いだ。
 「あら、大丈夫。そんなことして」
 孝兵衞は一氣に酒を飲み、重ねて酒を注いだ。
 「よし、あたしも飲む」
 「いけない。あなたは直ぐ苦しくなるんだから」
 「いいの」
 りうは茶碗を奪ひ、目をつむるやうにして、飲み乾した。
 「ね、ね、何考えてるの」
 すつかり醉つたりうは、孝兵衞の顔を見上げながら、甘えるやうに言つた。しかし、その目には孝兵衞の視線を拒まうとする冷ややかな光があつた。りうの目の、そんな濡れたやうな冷たさは、却つてりうをなまめかしくして見せた。まるで、 冷ややかな目の奥には、より深い感情が湛へられてゐて、視線の角度によつて、二つの相反する感情が妖しく交錯して見えるかのやうであつた。
 「これは濱縮緬ぢやないか」
 孝兵衞はりうの膝の上に手を置いて、言つた。
 「よくもこれでお許しが出たものだ」
 「あたしなんか、お六さんとこで話してただけなんだもの、馬鹿にしてるわ」
 「すると、着物の方のお調べは大したことはなかつたの」
 黑縮緬の、腰から臀部にかけての强い張りを見てゐると、漸く醉ひを發した孝兵衞の頭には、いつかの、りうの無慘な姿も朦朧と思ひ浮かぶ。
 「でも、ひどい目に會つたわ」
 こんな體で、どんな凌辱に堪へたかと、孝兵衞はりうの體をいとはしむ激情が込み上げて來た。
 「かはいさうに……」
 「助平」
 不意に、りうは聲を殺して笑ひ出した。
 「何だ、何喰はぬ顔をして、先刻からそんなkとおを考へてゐたのか」
 「何喰はぬ顔なんてしてやしないよ」
 「してる、してる。いつだつてさうぢやないか。厭らしい目であたしの體を舐めずり廻しておきながら、いざとなると逃げちまふんだ。穢ならしいつたらありやしない」
 「今日は逃げない」
 「嘘だ、嘘だ、いつも女の氣持を弄り物にしておいて、逃げちやふんだ」
 「逃げない。りう、今日は逃げない」
 「逃げない?ほんと?」
 「ほんとだ」
 りうは光る目で、孝兵衞を見据ゑてゐた。が、不意に、その兩眼から大粒の涙が溢れ出た。瞬間、りうは綺麗な微笑の浮かんだ顔を孝兵衞の膝の上に伏せた。
 「ごめんなさい」
 りうは肩を搖つて泣いた。孝兵衞はその肩を强く抱き寄せた。
 川舟の上つて行く、櫓の音が聞こえてゐたが、軈て岸を洗ふ波音が一段高く響いて來た。


十三

 葦簀障子は庭に向かつて開かれ、部屋の一隅には、大輪の花を開いた朝顔の一鉢が置かれてゐる。花の色は白く、僅かに一筋の紅色が差し、その花影を鮮かに紫壇の臺の上に映してゐる。
 今日も、水野忠邦は書院の机に向かつてゐた。微風もなく、今日の暑氣を思はすやうに、庭前の白砂の上には、眞夏の太陽が照りつけてゐたが、潤葉樹の木立は深い蔭をうくり、その綠蔭の中には、絕えず蟬の聲があつた。
 天保十四年(西暦一八四三年)閏九月、忠邦は老中の職を免ぜられて以來、殆どこの一室に引き籠り、醫學、天文學、兵學、砲術學、獣醫學等の蘭書の飜譯書を讀み耽つてゐることが多かつた。忠邦が蘭學の書に興味を持つやうになつたのは、澁川六藏に負ふところが多い。六藏は、忠邦の老中在職中、天文方見習から書物奉行に用ひられた人物であつた。
 幼少の時から儒學を修めた忠邦には、最初の中、蘭學の書を讀むことはかなり苦苦しい感情を伴つた。殊に、婦女子の胎内を剖き、その内景を圖示するやうな醫學書の如きは、士君子の目にすべきものではなく、このやうな人間の、或は神佛といつてもいい、尊厳を侵して憚らない蠻夷の所業に、忠邦は憤りをさへ感じた。
 が、次第に、忠邦は西洋の實學の輕視することの出來ないことを知るやうになり、軈て、それは驚異の感情となつた。
解き開かれた人體の中には、それぞれの機能を持つた臓腑が、それぞれの形態をして、それぞれの位置を占めてゐる。先年、前野良澤、杉田玄白等が千住小塚原で刑人の屍を腑分けするのを見、蘭書の教へるところと寸分も相違ないことを確かめたとも聞いた。
 いかなる貴人も、いかなる美女も、萬人異るところはない。最早、どんな感情もさしはさむことの出來ない嚴肅な事實である。不潔なのは眞實ではなく、眞實を隱さうとする人間の甘さであつた。
 かって、結髪の令に叛ゐた女の髪を剃り、服飾の令を犯した女の衣服を燒くことを、彼が許したのも、法の嚴正を守る强い意慾のためであつた。眞實を知るためには、人體の神聖をさへ、敢て犯す、西人の意慾の强靭さに、忠邦は驚異と同時に、共感似た感情を抱くやうにもなつてゐた。
 醫學といひ、天文學といひ、兵學といひ、砲術學といひ、忠邦はそんな蘭學の書を讀むに從つて、愈々西人の侮ることの出來ないことを知つた。彼等の最も恐るべきは眞實を知らうとする、非情にも近い、精力的な意慾であつた。それに引き換へ、わが國の、天下太平、御治世萬歳的政治家が最も恐れたことは、眞實を知ることではなかつたか。
天保十三年(西暦一八四二年)異國打拂令の緩和を令したのは、忠邦が幕閣の首座にあつた時のことであることは注目すべきであらう。同時に、攘夷、國防の急先鋒であり、忠邦が推服してゐた水戸の齊昭に對しては次ぎのやうな處置を執つてゐる。

 「水戸中納言殿昨年來國政格別に被(ニ)行届(一)、文武は不(レ)絕研究被(レ)在(レ)之候趣、一段之事に被(ニ)思召(一)候猶此上御在邑中、御領分末々迄、公儀御德化に相靡き、被(レ)遊(ニ)御安心(一)候様、厚く御世話可(レ)被(レ)成候、依(レ)之御傳來之一振被(レ)遣候、永く御秘蔵可(レ)被(レ)成候、且御領分中巡見之節御用候様、御鞍鐙被(レ)遣、幷 何か御用途之為、黄金被(レ)遣候、源義殿(註、光圀)之遺志を被(レ)繼、益勵(ニ)忠誠(一)候様可(レ)被(レ)成候、(傍點筆者)」

 しかし、右の「御在邑中」とあるのは、その前年「水戸殿御領中、土地方改正も不(ニ)行届(一)、且御住居向燒失後普請も出來不(レ)申に付、當年中在所之通被(ニ)仰付(一)候處、土地改正幷 文武之儀骨折御世話有(レ)之旨入(二)御聽(一)、不(ニ)一方(一)御配慮之儀と思召候に付、別段之譯を以て、五六年御在邑被候、御世話被(レ)在(レ)之候様被(ニ)仰出(一)、(傍點筆者)」といふものを指すものであつて、齊昭を巧みに水戸に敬遠し、その急鋒を避けたかと解されなくもない。忠邦は齊昭と等しく國防論者であつたが、決して開國論者ではなかつたから、齊昭に對して、敬遠策をとつたのは、その極端な攘夷論と、水戸学風である、儒學的精神主義を恐れるやうになつてゐたからではなからうか。
 一方、忠邦等の反對派であり、改進論を以て御治世を亂す危險思想であるとする保守派は、忠邦を斥けた翌年、齊昭に蟄居謹愼を命じてゐる。

 「水戸中納言殿御家政向、近年御氣随之趣相聞、且御驕慢に被(レ)爲(レ)募、都而御一己之御了簡を御制度に被(レ)觸候事共有(レ)之候、御三家方は、國持始め、諸大名之可(レ)爲(ニ)模範(一)所、御遠慮も不(レ)被(レ)在(レ)之候始末、御不興之事に被(ニ)思召(一)候、依(レ)之御穩居被(二)仰出(一)駒込屋敷へ御住居、穩便に急度御愼可(レ)在(レ)之、御家督之儀は、鶴千代麿殿へ被(ニ)仰出(一)」云々。

 右によつても、改新、保守の兩派が常に淸涼を爭ひ、激しい省長を繰り返してゐたことが判る。更に當時の改新政策さへも鎖國封建經濟の矛盾の中にあつたことも明瞭であらう。例へば、彼等の主張する國防にしても、既に疲弊した封建經濟の耐へ得るものではないはずである。忠邦がその矛盾を察知してゐたとまでは思はれないが、先年來の改新政策の失敗によつて、その矛盾に直面したことは確かであらう。
 天保十五年(西暦一八四四年)五月、江戸城の本丸が燒失した。幕府は老中首土井利位(としただ)を掛部官に任じ、本丸の再建っを計らせた。が、勿論幕府の財政に餘裕があるわけはなかつたので、例によつて、利位は諸大名や大阪江戸の商人達に、内願といふ形式で、献金を命じなければならなかつた。しかし諸藩の財政も封建經濟の埒外にあり得るはずはなく、その多くは極度に困窮してゐたので、これに應じるものは少かつた。その上、海外の形勢も漸く切迫するものがあつたので、幕府の内部から忠邦の復活を容貌する聲が起つた。
 が、忠邦は硬く辭して應じなかつた。忠邦は嚴格、單純、自ら信じることの强正確であつたけれど、流石に先年來の經驗によつて、自分達の階級がいかに信頼するに足りないかを知らされたし、野に在つた一年の生活は、内外の時局がいかに困難であるかを沈思する時間を與へられた。
 しかし時局の困難が忠邦を尻込みさせたのではない。「天下」のためには、この謹嚴な彼が一身の保全を計るやうなはずはなかつた。むしろこの困難に際し、彼に對する信望の起ることは、五十男の政治家にとつては至つて滿足なことでもあつたらう。すれば忠邦が固辭したもの、彼自らの比重を試みようとする、儒教的政治家の常套手段でもあつたと解するより他はないかも知れない。
 「大岡主膳正樣、お見えになりましてござります」
 一人の侍臣が敷居越しに兩手を突いて言つた。大岡忠固は忠邦の腹心の士である。或は内心彼の心待ちしてゐた人かも知れない。が、彼にはそのやうなことを表情に表すやうな愛敬はない。忠邦は殊更永い瞑想から醒めたやうに、顔を上げた。
 「さうか。客間へお通し申せ」
 客間は三十六疊、淸淸しい靑疊の上を、微かに風が吹き通つた。若年寄大岡忠固は淺黄小紋の上下を着け床を背にして坐つてゐた。忠邦は薄茶色の上下を着け、相對して坐つた。
 「格別の暑氣でございますな」
 「なかなかきびしうございますな」
 腰元が高杯を捧げて、茶菓を獻じた。その間、忠固は堅く口を結び、靜に扇を使つてゐたが、自分の帶びてゐる使命の重大さにいかにも滿足な樣子であつた。腰元が去つた。漸くにして、忠固は重重しく口を開いた。
 「越前殿、御決心願へましたでせうな」
 「決心とは」
 「申すまでもないこと。今日の場合、いかに致しましても、貴殿の御決心をお願ひ致すより他はございません」
 「そのことならば、幾度申されても、御無用でございませう」
 「いえ、手前と致しましても、いかに仰せられましても、今日は引き退るわけにはまゐりません」
 「しかし、大炊殿は」
 「大炊殿は、ここ數日、御登城ございません。御病氣の由でございますが」
 忠固は低く聲を立てて笑つた。不意に、忠邦の胸中を苦苦しいものが走つた。昨年、封地轉換のことに關し、武士階級の反對にあいひ、進退に窮した時、忠邦も同じく病氣と稱し、登城しなかつたことを思ひ出したからである。幕閣に列るほどの武士が何といふ道化たkとおを繰り返さねばならないのか。暫時、忠邦は何者かの嘲笑する不吉な聲を聞いてゐるやうな思ひの中にゐた。
 「そのことでござりますが、實は本丸再建の御上納金のことにつきまして、仙臺より、先例がないといふ理由で、お斷りでございました」
 「先例がない?」
 「いかにも、御本丸御造營に際しまして、諸藩に御上納せしめれました御先例はないやうでございます」
 「うむ、先例がないか」
 「取り敢ず、右筆組頭の休藏に、御役御免、仰せ出されましたが、御外聞を汚し、誠に醜態の極でございます」
 「いかにも、先例はない」
 本丸は百有餘年罹災することはなかつたので、先例などあらうはずはなかつた。しかしこのやうな事態に際しても、諸藩の財政の疲弊を憂ふるのではなく、幕府の威令の凋落を嘆ずるのでもなく、問題はその先例の有無であつた。明敏で、性急な忠邦がこのやうな保守派の遣り方に對して、寸刻の躊躇も許さないやうな憤懣の感情を抱いたのも、また當然のことであらう。
 「つきましては、この際、越前殿の御決心を願ふより他に、収拾の途はないと阿部殿初め、等しく御一同の御意見なのでございます」
 「阿部殿が、そのやうなことを申されたか」
 阿部伊勢守正弘は封地轉換の反對者ではなかつたが、忠邦失脚後、その反對者であつた。土井大炊頭とともに、幕閣に列してゐた人である。
 「この度は阿部殿が終始御熱心に主張なさるのでございますが」
 「うむ」
 「昨年の御無念のほども、決して忘れてはをりませんので、堀殿に致しましても、きつと御自重、時機の來るのをお待ちになつてゐたのでございますが」
 堀大和は忠邦が最も信頼した人であつて、忠邦の退職の後も、御側御用人として、留任してゐたのであつた。
 「越前殿、昨日御内旨仰せ出されたのでございます」
 「え、御内旨でございますと」
 「さやう。越前殿に曲げて出仕致すやう、御内旨がございましたので、畏れながら、拙者参上致しました次第でございます」
 「さやうでございましたか」
 忠邦は精神の激しい動搖を怺へてゐた。阿部伊勢の言動にも信頼しがたい節も感じられなくもなかつたが、最早、何も言ふえき時ではない。不意に、蟬の鳴く聲が彼の耳に聞こえて來た。
 いふよりは、蟬時雨の中に坐つてゐる自分に、忠邦は初めて氣がついたやうであつた。


十四

 藤村與右衞門は中仙道の松並木道を歩いてゐた。街道には晩夏の太陽が照りつけてゐたが、あちこちの木立には法師蟬が鳴き廻つてゐた。振り返ると、白銀色の雲の峰を背景にして、彦根城の天守閣が聳えてゐる。先日、與右衞門は江戸店の孝兵衞から、次ぎのやうな手紙を受け取つてゐた。

 「(略)水野越前守樣御老中に御再勤被遊候由、何者か『それ出たぞ油斷をするな土用水』などと落首致候者有之、所説忿紛々、市中一時は大い驚愕致候共、今日迄の所さしたることも無之、世上無事、大いに安堵候致(略)」

 與右衞門は懐中から手拭を取り出し、顔の汗を拭ひながら、歩いて行つた。與右衞門は肥滿してゐたので、汗は拭く後から流れ落ちた。靑田の間を、街道は低い山なみに沿つて、南北に通じてゐる。軈て、與右衞門は街道を右折し、つまり山に向つて折れ、爪先上りの道を上つて行つた。
 井伊家の菩提所であり、藤村家の墓のある龍潭寺はその山裾にあつた。元來、藤村家は淨 土眞宗門徒であり、私有の墓地を持つことは許されなかつたが、與右衞門の父は長濱の出であり、その實家が落魄した後は、與右衞門が繼承した形になつてゐた。
 山門の前には、老樹が鬱蒼と老い茂り、深い木蔭の中には、絕えず涼しい空氣が流れてゐた。
 「おお、冷やつこい」
 與右衞門は思はず足を停め、襟を開いて、汗を拭いた。與右衞門はもうはつきりと季節の移つてゐるのを感じた。
山門を入ると、人影のない境内は森閑と靜まり、紅蜀葵の花が咲いてゐた。甍の上を傳つて行くと、箒目の綺麗に入つてゐる砂地を不意に黑い影が掠め過ぎた。與右衞門が振り仰ぐと、靑い空の中を一羽の鳶が大きく弧を描いて舞つてゐた。
 與右衞門は玄關へ向かはず、庫裡の方へ廻つて行つた。
 「これは、これは、與右衞門さん、お久し振りで」
 庫裡の中は薄暗く、急激な光線の喪失した中で、與右衞門の目には奇妙な光彩に覆はれてしまつたやうであつたが、聞き覚えのある寺男の聲が聞こえた。
 「ほほう、甚さんもお元氣で」
 「お蔭さんでな。丁度よいとこ、中野さまがお見えになつてゐるやうでございまするがな」
 「ほう、それはよいとこ、後ほど御挨拶に伺ふとして、とにかくお墓参りをすませて來ませうわい」
 「はいはい、直ぐ持つて來ますほん」
 甚助は線香や、藤村家の抱茗荷の定紋のついた閼伽桶などを持つて引き返して來た。
 與右衞門は線香の細い煙を靡かせて、經堂の横を過ぎ、兩側に萩の花が咲き亂れてゐる石段を上つて行つた。その後から閼伽桶を提げた甚助が從つた。
 「與右衞門さん、旦那がお参りやす時は、不思議に中野さまがお見えになつとりますな」
 「これも御緣 と申すものやろかい」
 「ほんまに、ほうでございますな」
 井伊家の苔蒸した大小の墓石の立ち並んでゐる間を進んで行くと、一番奥まつた所に、與右衞門の父の生家である岡嶋家の墓地と並んで、藤村家の墓はあつた。
 「甚さんや、お墓はやはり古うならんと、値打ちがないね」
 「ほんまに、旦那さん、ほうどすがな」
 至極簡単な禮拜を終つて與右衞門は何かひどく面白さうに、閼伽桶の水を柄杓で汲んでは墓の上から掛け續けてゐた。
 墓參を終つた與右衞門は、龍潭寺の書院で、井伊家の家臣、中野右近と對坐してゐた。
 「この度は、格別のお働き、一段のことであつた」
 江戸城本丸再建の上納金の一端に、與右衞門が井伊家に獻納したことに對する禮を、右近は述べたのである。
 「身に餘るお言葉、恐縮至極に存じます」
 「いづれ何分の御沙汰もあらうが、殿にも御滿足のお思召しと拜されたぞ」
 「恐れ入りましてございます。しかし、そのやうなお言葉を頂くほどのことでもございません。金などと申すものは、今時の商人には有り餘つてゐるのでございますから」
 「またしても、早早から豪儀なことを申しをるわ」
 「いえ、豪儀どころではございません。手前ども商人はつくづく困つてゐるのでございます」
 「與右衞門殿、冗談もよい加減に致されい。金が餘つて困るとは、右近寡聞にして聞いたことがない」
 「ところが、でござりまする。金と申すものは、おあしとも申しますやうにぐるぐると廻つてゐてこそ利を産むもの、商人にとりましては、餘つてゐる金ほど役に立たぬものはございません」
 「では、ぐるぐると廻せばよいではないか」
 「ところが、さやう簡單には參りません。つまり商人と申すものは、利のないところへ金を出さうとは致しません。逆に申せば、金を出したいやうな商賣がないといふことでもございませう。賣れないから買はない。買はないから金が餘る、と申した道理。當節の金はすつかり怠け者になつてしまひてございます」
 「はて、これは奇妙な、手前達のところへ來る奴は相變らず至つて足まめの者ばかりだが」
 「厭ぢや、厭ぢや、と申しますか。いや、これはどうも、恐れ入りました。
 右近は三十半ば、與右衞門の氣性を好ましく思つてゐるらしく、二人は低く聲を合はして笑つた。
 「もつとも、皆舎弟孝兵衞の申すことでございますが、このやうな狀態は俗に申します頭打ちの狀態でございまして、産業も行きづまり、お國のためにも至極憂ふべき狀態だとも申してをりました」
 「いかにも御舎弟らしい申しやう。御健在のやうだね」
 「至つて元氣にしてをりますが、おりうと申す女に惚れられて、弱つてをります」
 「またさういふことを、いきなり飛んでもない者が出て來たわ」
 「全く、飛んでもない、凄いほどの別嬪で、町藝者なんでございますよ」
 「ほう、町藝者か」
 「孝兵衞は、手前同樣、格別の變人でございますから、そのをかしいつたら、なんのつて……」
 與右衞門はひとり面白さうに笑ひ出した。
 「ほほう、お手前同樣にね。して、あのやうな固い御仁が、どうしてそのやうなことになつたものか」
 「と申しますのが、また野暮つたいお話でございまして、先年の御改革の砌、おりうなる女が、往來で衣類お調べを受けてをりますところへ、孝兵衞が通り合はせ、偶然町方を見知つてをりましたので、一寸口を利いたのが始まりなんでございますが、それがその飛び切りの代物なんでございますよ」
 「成程、すると、御改革で、兄貴殿、飛んだものに當てられたか、いや、お察し申す」
 今度は右近がひとり聲を上げて笑ひ出した。
 「いや、何とも彼とも阿呆なことでございましたが、御改革と申せば、この度、越前樣再度お出ましのやうでございますな」
 「そのやうだね」
 「江戸では『そら出たぞ』などと、大分騒いでゐるやうでございますが」
 「そのやうだね。しかし流石の與右衞門殿も、水越公はちと苦手のやうだが」
 「苦手も苦手。また何が飛び出すか判つたものぢやございませんよ」
 不意に、木の葉の鳴る音がして、大粒の雨が降り出して來た。
 「ほほう、夕立だね」
 右近はさう言つて、庭の方へ目をやつた。さう言へば、遠く雷鳴がしてゐたやうであつたが、いつの間にか空はまつ黑い雲に覆はれ、雨は屋根を叩き、木の葉を鳴らして、激しく降つて來た。
 「與右衞門殿、これは極祕のことに屬するのだが……」
 右近は急に緊張した顔を與右衞門の方へ向けた。が、頰の下脹れした與右衞門の顔には殆ど何の變化も起らなかつたので、却つて右近の表情には心安らげなものが見えた。
 「この度の越前守の御再任は、御本丸御普請のこともあらうが、御内政の問題といふより……・」
 一瞬、電光が閃き、激しい雨音の中に、雷鳴が轟き渡つた。
 「實は、この四月來航したオランダのカピタンが長崎奉行に差し出した書面によるとだね。イギリス、フランスの兩國がわが國に正式に通商を求めようとしてゐるので、オランダの國主が心配して、使者をわが國に派遣するといふ」
 「へえ」
 「その使者は、今までのやうに通商のためにやつて來たカピタンの類ではなく、國主の正式の使者であるから、軍艦に乘り、兵を率ゐ國書を日本大君に呈さうとしてゐるのであるから、そのお心得ありたい、といふので、長崎奉行がすつかり驚いて、急報して來たやうなんだが」
「して、それは近近のことなのでございませうか」
 「使者はもう本國を發したといふ」
 一閃の電光とともに、激しく雷が轟いた。
 「へえ、それはまた一段と面白いことになつてまゐつたぢやございませんか」
 「このやうな事態に立ち到つては、土井樣も御老中に留るわけにはまゐるまい」
 「さういふものでございませうか」
 「土井樣は先きに御治世を亂すものとして、水戸公に御隱居を命じてゐる。若しもカピタンの書簡のやうに、オランダ國の使者がまゐつたとすれば、そのお立場は全然ない。それに比べると、越前守のやり方は些か違ふ。異國船打拂令を廢すると同時に、水戸公の御機嫌も取り結んでゐる。この場合、越前守より他に先づ人はないではないか」
 「成程、さやう致しますと、この度は御改革どころの騒ぎではないと仰せられますか」
 「さやう、その點は與右衞門殿の御賢察に任せよう」
 雷は幾分遠くなり、空も少し白らんで來たやうであつたが、雨はまだ激しく飛沫を上げて降り續いてゐる。
 「勿論、御通商などと申すことは、容易なことで行はれるものとは存じませんが、若しもそのやうなことともなrますれば、手前達こそ大事、御改革どころの騒ぎぢやございません」
 「どうして」
 「さうぢやございませんか。通商を許すか、許さないか、水戸樣がどうのかうの、とお騒ぎなさるのはお武家方でございませんが、肝腎の通商を致すものは、我我商人ぢやございませんか」
 「また、そのやうなことを申すわ」
 「いえ、これも孝兵衞の受け賣りでございますが、假りに通商が開かれた場合、二つの場合が考へられます。一つの場合、こちらのものがむかふのものより安いと致すしますれば、こちらもものはどんどん出て行きまして、品不足の高値が生じませう。もう一つの場合、逆にこちらのものが高いと致しますれば、むかふのものがどんどん入つてまゐりまして、不引合の安値となりませう全く以て、我我にとりましては大へんなことなのでございます」
 「すると、どちらにしても、面白くないと申されるか」
 「ところが、さやうではございません。孝兵衞が申しますには、買ひ手があれば、賣り手がある。つまり使ひ手があれば作り手がある。品不足の高値になりますれば、どんどん作り手が出來ます。逆に不引合の安値になりますれば、どんどん使ひ手が出來ます。かうしてわが國の産物は大發展を遂げ、近年の焦げつき相場も打ち破られ、あの怠け者も大手を振つて歩き出すことでございませう」
 「なかなか難しいことのやうだが、はたしてそのやうに好都合にはゐるものか」
 「萬事は手前どもにお任せ下さいませ。お國のために、一つ大儲けを致して進ぜませう。世界を相手に金が歩けば大きな利を生じます。その利を蓄へ、その上で、大砲を買ひ、軍艦を買ひ、攘夷なり、打拂ひなり、お好きなことをなさればよろしいではございませんか」
 「言ふわ、與右衞門」
 「與右衞門は大きな船を造ります。その大船に打ち乘つて、アメリカ、オランダ、イギリス、フランス、ポルトガル、天竺、大明國、コーライ、サガレン、オロシヤ……」
 不意に、庭前の光景が急變したやうに思ひ、右近は庭の方へ目を遣つた。既に雨は止み、西の空の雲が破れたのか、夕陽が差し入つたところだつた。折から、風が吹いて來て、斜陽の中に白い雫を散らした。淸涼の氣が肌に染みるやうだつた。
 ふと見ると、與右衞門は船上にでもゐるつもりであらうか。至極眞面目な顔をして、小手をかざしてゐる風に見えた。その時、廊下に足音がして、老僧 が現れた。
 「お話はおすみになつたかな」
 「いえ、相變らずの馬鹿話、飛んだ失禮を致しました」
 「どうして、馬鹿話どころか、與右衞門の大氣焔を承つたところですわい」
 老僧は涼しげに笑つて、
 「では、早速、お食事を進ぜよう」


十五

 「一金壹萬兩也
  右者此度下歩之金子相働調達致呉候ニ付御上御滿足御思召候
  尤右御返濟之儀候ハ翌乙巳より甲寅迄霜月晦日、返濟金壹千兩也利足月六歩霜月と六月支拂候也」


 月六歩とすれば念七割二歩、可成の高利といふべきであらう。それを殊更下歩といつてゐるのは、當時は月一割が普通であつたからである。町人が大名への貸金をいかに危險視してゐたがが判る。(別に、請取金が地帶した場合には、直接百姓へ引合宰配致す旨を承諾した城主の裏印も得てゐる)
 上州安中城主に對する右のやうな用立を終つた與右衞門は、一旦高崎の質店に歸り、それから、伊勢崎、桐生、足利等を經て、結城の町へ入つた。上州路の秋は次第に深く、靑く澄んだ空を赤蜻蛉の群れが飛んでゐるやうな旅の日が續いた。
 新しく建增したとはつきり判る建物の中からは、梭(ひ)の音が聞こえて來た。その軒下を通つて、與右衞門は織屋萬兵衞の店先きに入つて行つた。
 「これは、與右衞門さん、よくお着きになりました」
 低い格子障子の帳場の中から顔を上げた四十恰好の男が、さう言ひながら店先へ出て來た。萬兵衞である。
 「寅吉、早くお濯ぎを持つて來う」
 足を濯ぎ終つた與右衞門は萬兵衞に言つた。
 「いや、萬兵衞さん、早速ながら織り場の方を見せていただきませうか」
 「さやうでございますか。では、御案内致しませう」
 工場の中には、二十臺ばかりの織機が動いてゐた。襷を掛け、前掛を締めた、機上の女が紐を引くと、梭は固い音を立てて經絲の中を走り、女が足を踏み交はす毎に、筬は、絹絲の摺れ合ふ音を立てた。二十數臺の織機の立てる噪音は場内を壓し、紐を引く女の手には力が入つた。
 與右衞門の姿を見ると、機上の女達は目禮した。與右衞門は滿足げに一一頷き返した。
 仕掛臺には、錘から絲卷へ、絲卷から太鼓へと經絲が巻きつけられ、太鼓を緩く廻はすと、數列に並んだ錘と絲卷が早い速度で廻轉した。
 「ほほう」
 窓から差し入つてゐる秋の日光の中を、谷川の流れるやうに絹絲が動いて行くのを見上げながら、與右衞門は思はず感嘆の聲を發した。
 京都西陣では早くから絹織業が發達し、貞享二年(西暦一六八五年)、幕府が生絲輸入に制限を加へてからも、所謂「登せ絲」と言つて、京都へ送られる國内生絲は著しく增加し、絹織物の生産を促したのである。
 この上州、野州の地方でも養蠶は早くから盛んであつたが、未だ西陣のやうな分業化は見られず、百姓は自分で蠶を飼ひ、繭を取り、絲を繰り、絹に織つて、僅かにそれを販賣する狀態であつたやうである。「足利織物沿革誌」によると、「當時足利には未だ專業の織屋少く、何れも農間の副業として、婦女子の家穡の餘暇を以て、蠶兒を飼ひ絲を製し、或は草綿より絹絲を紡ぎ方言之をビンビン絲といふを用ひ、居坐り機脚を以て織りたるものにして、云々」とある。
 が、德川中期以降、絹布の需要が激增するにつれ、地方の機業も次第に發達し、專業の織屋が出來るやうになつた。彼等は自家の生産だけで間に合はなくなると、從來の副業的な機業者に生絲を供して賃織りさせ、或はその婦女を臨時に雇ひ入れるやうになり、その結果、製絲製織行程が分離され、小規模ながら製織工場が起つた。
 しかしながら、天保年間を劃して、絹布の需要は漸く飽和點に達したもののやうで、その結果、西陣機業は新興の地方機業の壓迫を蒙るやうになつた。そのことは西陣の機業者達が度度「田舎端物」の質的、量的の制限を當局に請願してゐることによつても明らかであらう。
 左に掲げるのは西陣機織の戸數概數である。


延享年間     六三〇軒
文化年間    一一一七軒
天保改革前  二二一七軒
嘉永三年     八九八軒(休織八二軒)

 天保改革後の西陣機業務の牛激な衰退は、禁絹令もその一機因であつたかも知れないが、享保二十年(西暦一七三五年)「向後問屋の他には猥に絲直買仕候者有之急度可相咎候」といふ、生絲直買の獨占權を持つてゐた京都和絲問屋が、問屋廢止令によつて受けた打撃の間接の影響とも見られ、嘉永年間になつても、その囘復がはかばかしくないところから見れば、地方機業の壓迫が增大したことも考えられなくもない。
 與右衞門は奥の客間に通され、萬兵衞の饗應を受けてゐた。
 「辛子漬、うまいですな」
 與右衞門は盃を乾して、萬兵衞に差した。
 「いや、江戸のお口には合ひませんでせうが」
 「上手に漬けてある。萬兵衞さん、おかみさんを大事にしなされや、飴煮も、こりや、うまい」
 「いつも家内とも話して居るのでございますが、與右衞門さんに上つていただくのが一番張り合ひがございますよ。つまらんものを氣持よう上つて下さつて」
 「いやいや、生まれつきの遠慮なしでござつてな」
 「どう致しまして、その方がどんなに嬉しうございますか。時に、この度は、お國の方からお下りでございましたか」
 「さやう、實は國にをりまして、越前守樣が再び御出馬の由を承つたものですから」
 「いつに變らず、お早いことでございますな」
 「ところが、どうして、さうは柳の下に泥鰌はをりませんわい。これが全く慾張り損のくたぶれ儲け、いやはや笑止なことでござんしたわ」
 與右衞門は腹を搖つて笑ひながら、さも愉快さうに言ひ足した。
 「絲だつて、けろりとしてゐるぢやありませんか」
 「さやう、存外しつかり致してをりますな」
 「もつともこれで當り前、物の相場といふものが恐れながらお上のお觸れ一本で動くやうぢやしやうがございませんからね」
 「全くございますよ。越前守樣も先年の御失敗にはよくよくお懲りになつたことでございませうよ」
 「商人にとつては、緋縮緬のお湯文字を買つて下さるお女﨟が相手ぢゃない。一本の犢鼻褌を買つてくれる何十萬何百萬の八公が相手ですわい。この景氣などと申すものは、丁度、利根川の水のやうなもので、何千のお觸れだつて、どうなるものでもありませんよ」
 「全くその通りでございますよ」
 「問屋だつて、自然の必要で出來たもの。そいつを無理に潰さうたつて、さうはまゐりませんよ。必要がなくなれば、自分から潰れてしまひますよ。現に一番困つてござるのは、お上の力に頼らなければやつて行けないやうな連中ばかりぢやありませんか」
 「さう承れば、西陣は大分ひどいやうでございますな」
 「ひどいですよ。機屋もひどいが、問屋筋はもつといけないでせうな」
 「この邊でも、今年は大阪の問屋がめつきり多かつたやうですが」
 「當り前でせうよ。商人のくせに、お上の力に頼らなければならないなんて、商人の風下にも置けぬ代物、なんて、言つてみたくもなるぢゃありませんか」
 「全くですよ。『地方端物』などと言つておきながら、二つ目には『恐れながら』なんでございますからね」
 「時勢ですよ。時勢に逆ふことは出來ない。いや、時勢に逆はなければならないやうになつたら、おしまひですよ。萬兵衞さん。大いにおやんなさい。失禮ながら、御必要ともあれば、手前も出來るだけのことは致しませうからな」
 「布屋さんのそのお言葉を承つただけで、まるで大船に乘つたやうでございますわ」
 その時、十六七の娘が燭臺を持つて入つて來たので、いつか部屋の中も薄暗く、庭には蟲が鳴き頻つてゐるのに、與右衞門は初めて氣がついた。娘は燭臺を置くと、一禮した。萬兵衞が言つた。
 「手前娘、かよでございます」
 「おや」
 與右衞門は寸時不思議さうな顔をして、言つた。
 「この娘御には、先刻織場でお目にかかつたやうに思ひますが」
 「いかにも仰せの通り織場の方を手傳はせてをります」
 「これは嬉しいことを承りましたわ。萬兵衞さんもよい娘御を持たれたものだ。こりや、この小父さんがよい婿殿を探さねばならんわい」
 「いや、恐れ入ります。さあ、さあ、お重ねなすつて」
 「いや、一つお受けなすつて」
 バサッと强い音がして、何か障子に當つたやうだつた。軈て、透き通るやうな聲で、蟲の鳴く音が耳近く聞こえて來た。 が、二人の商人は、時には高い笑聲さへも交へて、酒を土掬い交はし續けてゐた。


十六

 弘化二年(西暦一八四五年)二月、水野忠邦は在職僅か九箇月、再び老中の職を免ぜられ、出羽山形に轉封され、蟄居を命じられた。彼の配下である鳥居耀藏の不正に因ると言はれてゐたが、そのやうなことは與右衞門には最早關心なかつた。果してオランダ國王の使節は國書を持つて來朝したのであらうか。
 三月二十七日未明、與右衞門は目を覺ました。表を亂れた足音が走り、急き込んだ男の聲が聞こえてきた。
 「近いぞ」
 「うん、神田の美倉橋あたりだぜ」
 與右衞門は起き上り、行燈の灯を强めて、着物を着換へ、部屋を出て行つた。
 臺所には、賄方の久助が大きな鼾を立てて眠つてゐた。
 「久助、久助、起きてくれないか」
 久助は殆ど反射的に飛び起きた。
 「どうやら、火事のやうだから」
 「えつ、火事、火事でございますか」
 「そのやうだから、皆を起してもらはうか」
 店の間には丁稚や手代達、次ぎの間には番頭達が眠つてゐる。
 「火事や、火事や、起きたり、起きたり、。ほれは、また、何をぼやぼやしてるんやい」
 國訛りの强い聲で、久助は頻りに呼び立ててゐる。孝兵衞は歸國中で不在だつた。與右衞門は雨戸を繰つた。月はなく、四邊はまだまつ暗だつた。
 「あつ、まつ赤だわ」
 不意に、どこかで、女の叫ぶ聲が聞こえた。が、その後は、また深い闇に包まれてしまつた。こんな靜けさの中で、人の家が燃え續けてゐるのであらうか。與右衞門はじつと闇の中を見入つてゐた。
 四邊や往來が騒騒しくなつて行つた。藤村店の表戸は開かれ、軒下には店名の書かれた提灯が吊るされ、店先には與右衞門を中心にして、番頭や丁稚達が居並んで居た。そこへ棟梁の大藏が驅けつけて來た。
 「旦那、火元は神田豐島町でさ。今、富松町が燃えてをりますぜ」
 「風はどちらかな」
 「そいつが生憎、東なんで」
 「そいつは、一寸いけないね」
 「どうも面白くござんせんよ。いづれ、また伺ひやすが」
 大藏が立ち去ると、手代達は立ち上り、提燈に火を入れて、それぞれの得意先を見舞ひに驅け出して行つた。
 「馬喰町が危いぞ」
 「いんや、四丁目は燃えとるぞ」
 さう言つて、人人が驅け去つて行く頃には、それ等の人人の顔も見分けられるほど、夜はすつかり明けはなれてゐた。 空は一面に曇つてゐ、その東の空には黑い煙に覆はれ、かなり强い風が黒い粉を撒き散らしてゐた。
 大きな握り飯にかぶりついてゐる丁稚達を、與右衞門は眺め、頷きながら、自分も握り飯の朝食をとつてゐた。
 「握り飯つて、うまいもんだね。久助のはまた格別なんだらうがね」
 幾分薄くなつた頭に鉢巻をしめ、飯を握つてゐた久助が、臺所の落ち間から顔を上げて言つた。
 「そやかて、旦那さん、こつちは熱うて、熱うて、手の皮が剝けてしまひましたがな」
 「道理で、うまいはずだよ。久助さんの皮つきと來たわ。さあ皆どつさり喰べておくんだぜ」
 右に左に、往來を驅け違ふ人の群れがその數を增して行き、藤村店の店頭にも火事見舞ひの客が驅つけて來るやうになつた。三度目に、大藏が左官の久松と共にやつて來たのは卯の刻も少し過ぎてゐたやうであつた。
 「どうもいけませんや。橋本町まで燃えて來やしたよ」
 「ほう、大分近うなつて來よつたわい」
 「風もいけねえから、お藏の方、ぼつぼつ始めるとしませうかい」
 「ぢや、さう願はうか」
 藤村の土藏は、與右衞門の夢のやうな空想を、孝兵衞と大藏とが設計して、特別の仕掛が出來てゐた。もつとも左官の久松は、
 「俺の塗つた壁の中に、火の粉でも入るつていふのか。馬鹿馬鹿しい」と、ひどく不滿な樣子であつたが。
 與右衞門が命じると、番頭が丁稚達を引き連れて、土藏の中へ入つて行つた。土藏の片隅の床板を上げると、その下は地下室になつてゐるらしく、一人の番頭が梯子を下すと、二人、三人、素早く梯子を傳ひ下りた。丁稚達は一列に並んだ。
 「ようし、始めた」
 「よし、行くぞ」
 土藏の中に積まれた商品は、丁稚の手から手に順順に渡されて行き、地下室の下り口まで來ると、掛聲とともに穴の中へ落される。途端に、反物を受け止める音が地下室の中に響いた。彼等の動作は、幾度も訓練されてゐたもののやうに、極めて敏捷に行はれた。
 「落ちよ落ちよと、それ」
 「よいしよ、落しておいて……」
 「落ちたお千代を……」
 「抱いて寢もせずに……」
 反物の山は次ぎ次ぎに低くなつて行つた。漸くその大部分を運び終り、最後に帳場の手箪笥が吊るし下されると、大藏が與右衞門に言つた。
 「それぢや、もうようござんすね」
 「うむ、よからう」
 二重になつてゐる地下室の下り口が閉ざされ、大藏と久松が掛聲とともに栓のやうなものを引き拔くと、突然異樣な音がして、土藏の床と地下室の間に砂が滑り落ちて來た。
 與右衞門が振り仰ぐと、兩刀を佩した中井新之助が立つてゐた。與右衞門が新之助を訪ねて以來、新之助は時時藤村店へやつて來るやうになつた。與右衞門が月月の附け届けを怠らなかつたことは言ふまでもない。
 「これは恐縮、早早にお見舞ひ下さつて」
 「大火と承り、早速に驅けてまゐりましたが、これはまた大したものでございますな」
 「いやいやお恥しい。素人の戯れと、いつも左官屋さんには笑はれてをりますわい」
 その時、大藏が幾分聞こえよがしに言つた。
 「久さん、そろそろ水栓抜いて貰はうか」
 果して新之助は聞き咎めた風に言つた。
 「水栓とは、何か、水でも」
 「はい、ちよぼり、ちよぼりと、砂に濕りをくれてやりますわ」
 與右衞門はいかにも得意げに、聲を立てて笑ひ出した。丁稚達はまた一列の列を作り、店の商品を倉の中へ運び入れてゐた。
 最後の土藏の中の五つの桶にも水を張られると、一尺にもあまる分厚い白壁の觀音開きが與右衞門の手で締められた。久松は梯子に上り、同じく白壁の窓の扉をとざし、床下の通風口にも蓋を當て、その合はせ目に漆喰を塗つて行つた。
 その頃、街上には、非難を急ぐ人人や、荷物を積んだ荷車が押し合つてゐた。
 「何をうろちよろしてやがんだい」
 「こら、その車、横にしちや駄目ぢやないか」
 「ちよいと、そこのねえちやん、手を引いてやらうか」
 混雑の間を縫つて、二人の若い女が逃げて行く。
 與右衞門を初め、藤村店の人人は店頭に集まつてゐた。隣りの丸幸店も、向かひの西宇店も避難を始めるらしかつた。荷車には既に荷物が積まれ、小僧達は紺風呂敷の包を背負つて立ち騒いでゐる。藤村店の丁稚が言つた。
 「丸幸さんとこはもう逃げるんかい。随分あわてん坊だよ」
 「そんなこと言って、煙に巻かれるなよつてんだ」
 西宇店の人人も五臺の車を連ねて、逃げて行つてしまつた。その頃になると、路上には次第に人の數は少くなり、無氣味な風が吹き過ぎ、大小の焦げ屑を飛び散らした。
 蒼白な顔をした一人の男が、いかにも火に追われて來たやうに、振り返り、振り返り、驅けて來た。
 「鞍掛橋が……」
 男は意味のない言葉を呟くやうに、繰り返しながら驅けて行く。
 「燒けてるぞ」
 男は一生懸命に走つてゐるやうであつたが、足はすつかり縺れてゐた。威勢よく車を連ねた人達が、却つて虚ろな車輪の音を響かせて、その後から追ひ拔いて行つた。
 「そろそろ腰を上げねばならないか。皆、揃つてゐるな」
 與右衞門はさう言つて立ち上つた。
 「久助さんがゐません」
 「さう言へば、先刻から、久助の姿が見えないな。ありあ、全く、さういふ風に出來てゐるんだね、長生きするよ」
 丁稚達は久助の名を呼んだ。久助は隱しきれぬ風に、人の好い微笑を浮かべながら、走り出てきた。
 「ぢや、行くぞ。はぐれうやうにな」
 與右衞門を先頭にして、皆外へ出た。火は近くまで燃え移つて來てゐて、振り仰ぐと、數軒の向かふの家根の上に立てられた「に」組の纒には、早黑煙がまつはりついてゐる。火の粉が激しく落ちてくる。
 不意に、與右衞門は踵を返して歩き出した。
 「主人、どうなされた」
 新之助が、驚いて尋ねた。
 「一寸忘れ物ですがな」
 「忘れ物なら、手前がとつてまゐらう」
 「いやいやそれほどのものでもござんせんわい」
 與右衞門は引き返し、店の中へ入つて行つた。仕方なく、新之助達もその後に續いた。
 流石に幾分急ぎ足で店の間に上ると、與右衞門は閾の上に落ちてゐた前掛を拾ひ上げて言つた。
 「やれやれ、もう少しで燒いてしまふところでしたわ」
 「うん、前掛でござつたか。いや、御長命なことでせうな」
 新之助の高い笑ひ聲に誘はれ、與右衞門も笑ひ出した。その意味を解することは出來なかつたが、皆の顔にも一齊に笑ひが傳はつて行つた。


十七

 數刻後、與右衞門は藤村店の燒け跡に立つてゐた。餘燼が煙を立てて燃えてゐる。その强い火氣が頰に痛いくらゐだつた。大藏が鳶口で燒け柱などをかきのけると、火の粉が飛び散り、一瞬、焔を立てて燃えた。
 四邊は一面の燒け野となり、神田川のあたりまで見渡された。その焦土の中に、商店の土藏があちこちに燒け殘つてゐる。中には、火が入つたと見え、盛んに黑煙を吹いてゐるのもあつた。が、藤村店の土藏は白壁を僅かに汚したばかりで、何の異狀も見られなかつた。大藏はその土藏を見上げながら、誇らしげに言つた。
 「どうだい、久さんの土は違はうな」
 「土が違ふと申すと」
 新之助も土藏を見上げながら尋ねた。
 「この壁の色を御覧なさいまし。あれだけの火を浴びて、まるで雪の肌ぢやござんせんかい」
 「やはり秘法でもあるのであらうな」
 「さやう、勿論土質も違げえやすが、久松と來た日にや、練り土を半年以上も寝かしておきやすぜ」
 「その道によつて、賢し、か。さやうなものかな」
 丁稚達はまた列を作り、手渡しに手桶を運んで、焼け跡に水を掛け始めた。水を掛ける度に、激しい音がして、白い煙が立ち上つた。
 與右衞門は大藏を呼んで言つた。
 「差掛けで、直ぐにもかかつて貰ひたいんだが」
 「へえ」
 「藏からかう差掛けで、藏の冷え次第、開店と致したいのだ」
 「旦那さん」
 そこへ久助が一層赤くした顔を差し出して言つた。
 「お茶でも沸かしませうか。もつたいない、こないに火種が仰山ございますでな」
 「うむ、さう言へば、ひどく喉が渇いたね、いかにも火種には事缺かぬか」
 「へえ、早速、熱いとこを差し上げませう」
 久助は小走りに走つて行つた。
 「では、棟梁、早速に取りかかつて貰はうかい。大工さんの音は勇ましいもんだからね」
 「合點だ。この焼け跡第一番に、あつしが鉋の音を立てやせう」
 何か怪訝そうに考へてゐた新之助が、その引き緊つた口許に苦笑を浮かべて口を挾んだ。
 「いやはや、全く驚き入つた。いかにも火種には事缺かぬであらうが、一體、何で湯を沸かさうと申されるか」
 「いや、これは迂闊な、うつかり久助奴に乘せられましたわい」
 その時、丁稚達の間から笑聲が湧き上つた。久助が燒け跡の上に坐り、掘り起した穴の中から、何かを取り出してゐるところだつた。
 「あつ、一升德利だ」
 「ほら、今度は、お釜の中から、茶碗だ」
 「わあつ、土瓶だ」
 一面焦土の中で、色彩も格別鮮かな靑土瓶の、丸丸と太つたやうな胴を兩手に抱いて、久助は顔中の相好を崩してゐた。
 「中井さん、その道によつて賢し、でせうがな」
 與右衞門は愉快さうに腹を搖つて笑ひ上げた。その時、魚屋の淸吉が例の大仰な勢ひで驅けつけて來た。肩に乘せた大皿には、見事な鯛が載つてゐた。
 「旦那、お見舞いでござんすよ」
 「それは御丁寧に」
 「ところが、手前からぢやねえんで。『御存知より』と來やがらあ」
 與右衞門の前に据ゑられた大皿の鯛の上には、「御見舞」と記された紙片が添へてあり、小さく「御存知より」と書き加へてあつた。確かに女の筆蹟であることが判つた。淸吉は口を尖らせて言つた。
 「火元は富松町でさあな」
 「おや、わしは豐島町と聞いたが」
 「どうして、あつしや『火事だ』つてんで、ふつ飛んで行つてみると、富松町が燃えてるところだ。チェッ、富松町なら大丈夫だつてんで、河岸へ行つちやつたんでさ。もつとも野郎が汚れ褌振つてみたつて、どうなるもんでもなし、商賣は一日だつて休めねえ」
 「そこだよ、淸さんの嬉しいところは」
 「ところが、どうも危えてんで、すつ飛んで歸つて來てみると、全く、驚き入谷の時鳥、くろ煙の立つてゐる燒け跡に、凄え別嬪が立つてるぢやねえか」
 「そいつは淸さんも、驚いた」
 「こつちは『御存知』とは知らねえや、天から降つたか、火の中から湧いたかと、目を白黑してるていと、いきなり『御存知』が言ひやがるんだ。『何をぼやぼやしhてるんぢ。藤村の旦那はあの氣性だからね、女房なんか探すのは跡でいいよ。さあ、景氣よく飛んで行つておくんなさい』つて、畜生、肩をぽんだ」
 「すると、淸さんとこもいけなかつたのかね」
 「家ですかい。そんなもの、いい按配に、こんごり燒けてをりましたよ」
 「そいつは少少し態(ざま)なしだつた」
 「態があるも、ねえも、全く、旦那、罪といふもんだ」
 「でも、淸さん、一寸別嬪だらうがね」
 「あれ、あんなことを、おつしやつてござるわ」
 二人は高高と笑ひ出してしまつた。
 與右衞門はひどく上機嫌であつた。彼は懐中から半紙をとり出し、土藏の石段に腰を下した。が、石段はかなり熱してゐたらしく、あわてて尻を上げた。彼は手拭を敷き、その上に腰を下した。漸く熱さを防ぐことが出來たのか、與右衞門は矢立の筆を取つて、いつもの奔放は筆勢で、孝兵衞への手紙を書き出した。
 「當三月二十七日、寅刻豐島町(或富松町共云)より出火」
 與右衞門はまた尻に熱さを感じて來たのか、一寸腰を上げた。が、直ぐ腰を下して、書き續けた。
 「折柄風强く、辰刻店燒失、尤充分手廻取片付、土藏無難、其外諸道具鍋釜に至迄(是は久助働也)一切不申燒」
 「與右衞門はまた腰を浮かせた。
 「店中怪我も無之、下火打消、藏冷え次第、土藏前差掛普請にて商内可申相始、引續土藏塗替可致、店普請之儀大工大藏へ申付、土藏塗替之儀左官久松へ申付候右樣御承知被下度候」
 「なかなか熱いもんだわい」
 與右衞門は再度腰を上げ、暫く尻を撫でてゐた。
 「新之助殿早早よりお手傳、尚『御存知』殿より火事見舞第一番にて、見事なる鯛一尾頂戴、今夕、刺身、宇志保汁(目肉は手前ちやうだい)、盬燒にて、新之助大藏等にも振舞、大いに可致賞味、貴殿不在殘念の事に御座候乍併來四月松前御渡海之儀不致變更、且又當方至極達者、復興差支無之候間、豫定之通緩々御休養可被成候」
 與右衞門は急いで立ち上り、ひとり笑ひを洩らしながら、鯛の皿に添へてあつた紙片を取り上げ、それを二つに折つた。
 そこへ、久助が土瓶を提げてやつて來た。久助は與右衞門に茶碗を差し出しながら、のんびりと言つた。
 「なんせ、火種がよいで、早う沸きますわい」
 「これは有難い。おや、中井さんはどこへ行かれたかな」
 「先刻、あつちの方へ歩いて行かれましたがな」
 「ふむ、さうかい。折角、熱いお茶、沸かしてくれたのにね」
 「ほんまに、ほうですがな。旦那さん」
 與右衞門は再び石段の上に腰を下し、半紙を開いて、書き足した。
 「二伸、新之助殿、急に姿不見相成候非情際無斷消失不届至極、吃度叱言可申候歟、呵々」


十八

 浦賀港の番所で積荷の檢査を受け終つた竹生丸は、浦賀水道を過ぎ、房總半島の沖を廻ると、稍々取楫を取りながら、進路を東にとつて進んで行つた。つまり竹生丸は楫を少しく北にとりつつ、ひたすら沖合に向かつて乘り出して行つたので、晩春の霞に包まれた房總半島あ、いつか渺渺とした空と海の中に消えてしまつてゐた。
 竹生丸は二十二反帆、九百五石六斗積の帆船で、絹布、麻布、絹絲、綿絲、麻緒、眞綿(近江産袋綿、岩代産羽綿)、打棉(青梅綿、蒲團綿)等の他に、米、酒、鹽等を滿載した。風は至つて順風で、眞帆に風を孕んだ竹生丸は、七丈三尺餘寸の檣頭に丸に與の字を朱色に染めた船旗を翻しながら、快速に進んで行く。
 先刻から、孝兵衞は眞向(まむき)に腰を下し、じつと海上を眺めてゐた。空に白雲があり、蒼黑くその影を映した海面には緩く、大きなうねりが起伏して居た。突然、孝兵衞は烈しい慾情を感じた。
 とよはいつものやうに孝兵衞の耳朶を撮まんでゐあ。とよは二十九、眉の剃り痕が竹の葉のやうに靑い、至つて内氣な妻女であつたが、孝兵衞は二人の體の間には一筋の紐も介在することを許さなかつた。
 「また、永い、お留守になるんやわ」
 孝兵衞は無言で、しつかりととよの體を抱いてゐた。孝兵衞の皮膚は最早とよの皮膚を感覚しないまでになつてゐたが、强く力を入れれば入れるほど、とよの鼓動はどこか遠くへ消えて行くやうでもあつた。
 「この人」
 不意に、とよが手と足とで孝兵衞にしがみついて來た。二人の體が激しく搖れた。
 とよの喰ひしばらうとする口が開き、醜く痙攣した。途端に、そのとよの口から空氣の拔けて行くやうな呻く聲が斷續して、とよは兩足を硬直させた。
 「あれ」といふ風に、りうは小さう舌を出して、おどけてみせた。近くに見ると、りうの顔はむしろ淺黑く、肌理も幾分荒い方であつたが、その體は際立つて白く、肌理も至つて細かかつた。りうは仰臥してゐるので、その乳房は二つの緩い隆起を作つてゐるに過ぎなかつたが、靜脈が靑く透いてゐるまつ白い膨らみには快い緊張感があつた。孝兵衞は更に上體を持ち上げた。りうの腹部の眞中には深い窪みがあつた。
 「いや、そんな淋しい顔をするの、いや」
 孝兵衞は叱られた子供のやうに急いで體を伏せた。大柄なりうの體は溫く、豐かな肉感があつた。が、孝兵衞は一種の寂寥感ともいつた、奇妙な感情に捉はれてゐた。
 とよはりうに比べると小柄であつたが、意外なほど豐麗な乳房を持つてゐた。が、二児を哺育したとよの乳房は黑く、その先は肥大してゐたし、とよの臍の窪みは柿の花のやうに淺かつた。が、とよも、りうも、同じところに同じものを、同じ數だけ持つえゐることに變りはなかつた。大きいのや、小さいのや、白いのや、黑いのや、が、一つとして同じものはありはしない。目も、耳も、鼻も、指も、その指の爪さへも、二人はそれぞれに「わたしのもの」を持つてゐる。孝兵衞は二人の女のそんな「わたし」が哀れだつたのだ。が、多くの男を知つてゐるりうの體は彼の體に同じことを感じてゐるかも知れなかつた。
 不意に、孝兵衞の耳許にりうの微かな笑ひが聞こえたかと思ふと、りうは兩手を彼の首に絡ませて來た。
 「いや、何を考へてるの。しとにこんなことをさせておいてさ。馬鹿、馬鹿」
 孝兵衞もそんな妄念を振り拂ふやうに、りうの首に腕を巻いた。
 が、何も彼も同じことであつた。初めのうちは、羞恥を隱さうとしてか、却つておどけてみせたりしてゐたりうも、やはりしどろもどろの姿だつた。孝兵衞も變りのあるはずはなかつた。あのやうな激しい孤獨感も、その後には、いくらかの悔恨を伴つた懈怠と化してしまつたではないか。
 水押(みよし)の切る水の音、轆轤の軋む音、果てもない海の上を渡る孤舟の上で、淫らな人の姿を求めてみても總て空しい。
 漸く、孝兵衞は顔を上げた。そこへ新之助が歩み寄つて來た。孝兵衞は少しあわてた風に、微笑を浮かべて言つた。
 「いかがですか。海の旅は」
 しかし、孝兵の微笑は全然反對の感情の中から湧いたやうに、ひどく淋しげに見えた。新之助は孝兵衞の言葉には答へないで言つた。
 「どうかなされたか。お體でも惡いのぢやありませんか」
 「私はね、船にはあまり强い方ぢやないんですが、今日はこんなに穩かですからね」
 「全く、海つて素晴らしいものですね。しかし、顔色もよくない」
 「いや、實はね、この果てもない海つてものを見てゐましたらね、私がこんなところに、かうしてゐるといふことが、ひどく頼りなくなつてしまつてね。いや、全くつまらない話なんですよ」
 新之助は怪訝さうに、一寸孝兵衞の顔を伺つたが、急に輕い口調で言つた。
 「孝兵衞さん、下で、一獻始めようか」
 「まだ、少し日が高いやうぢやありませんか」
 船は稍々北に偏しつつ、東に向かつて走つてゐる。從つて、既に西の空に傾いた太陽は、船尾から左舷へかけて照らしてゐた。
 「しかし、私は主人から言はれてゐるんですよ。『船に乘つてら船頭まかせ、あなたの酒の相手だけしてくれればよい』つてね」
 「へえ、そんなことを言つてましたか」
 孝兵衞は笑ひながら、腰を上げた。
 「面白いことを言つてられましたよ」
 二人は並んで歩き出した。
 「『弟は舟にはあまり强くないらしいが、酒さへ入れば大丈夫。それ、船がいくら千鳥足にならうと、千鳥足と千鳥足とぢや、お合ひ子だからね』なんてね。全く面白い人だよ。とつても弟思ひなんですね」
 「あれで、なかなか苦勞性なところがありましてね」
 「いや、大したものだ。正に快男子ですよ。いつかも『商人には惜しい人物』つて言つたら、怒つたわ、怒つたわ」
 「へえ、そんなことがありましたか」
 二人は海口(かいのくち)から胴間(どうのま)の方へ下りて行つた。
 三間(さんのま)と二間(にのま)の狹い間を通つて行くと、屋形(やかた)では數人の若い水夫達が轆轤の柄についてゐた。挾間(はさみのま)の右舷の方は船頭藤吉の居間である。二人は左舷の部屋の戸を開けてその中に入つた。
 天井は至つて低く、床の上には上敷きが敷いてある。部屋の隅には、ごつい金具をつけた。孝兵衞の船箪笥が一つ、その鍵は新之助の腰に提げられてゐる。孝兵衞の腰には一寸三分の阿彌陀佛が唯黑の厨子の中にあつた。
 新之助は二つの茶碗を揃へ、一升德利から酒を注いだ。孝兵衞は合はせ行李から曲げ物を取り出して開いた。りうから贈られたものの一つである。蛤の時雨煮であつた。二人は茶碗を高く差し上げてから、口に當てた。
 「よいと捲け。よいと捲け」
 若い水夫達の轆轤を捲く聲が聞こえて來た。竹生丸はこの邊から進路を北に變じるやうだつた。
 新之助は蛤を口にほうり込んでから言つた。
 「随分、沖へ乘り出すものなんですね。私はまたもつと陸地に沿つて、航するものかと思つてをつたが」
 「沖乘りとか申hして、渡海の新法の由で、藤吉はかなり得意のやうですが」
 「ほほう、渡海の新法ですか」
 「陸地の近くは却つて波も高く、磯岩に打ち上げられる危險もあるとかで、このやうに一氣に沖合ひ遠く乘り出してしまふのですが、どうやらここらで方向を變へるらしうございますわい」
 轆轤の軋む音とともに、船尾の方で、水の渦巻くやうな音が聞こえてゐる。新之助は茶碗の酒を飲み干した。孝兵衞はそれに酒を注いだ。新之助は孝兵衞達のやうには酒を嗜まなかつた。その秀麗な顔の目の緣は、早薄く染まつてゐた。
 「しかし、見渡す限り、空と水ばかりの海上で、いかにして方向を定めるものでせうな」
 「太陽の日影によつて、定めるさうです」
 「では、夜は」
 「夜は、星辰によつて、定めると申してをりますが」
 「雨の日は、曇りの日は」
 「磁石、オクタント等と申すものを用ひるやうですが。渡海の術は天文學とも深い關係がありまする。手すきともなれば、藤吉は面白い話を聞くことに致しませう」
 孝兵衞は靜かに茶碗の酒を傾けた。その口から、ほつと深い吐息の洩れるのを聞いたやうに新之助は思つた。が、孝兵衞は穩やかな微笑を浮かべていた。不意に、新之助が若若しく目を輝かせて言つた。
 「孝兵衞さん、あなたは私の伯父に非常によく似てゐます」
 「さうですか。あなたの伯父御さまにね」
 「ええ、叔父は讒を得て、切腹を仰せつかつたのですが、實に立派な人でした」
 「ほう、切腹とは困りましたが、私はそんなえらい方ぢやないから、安心ですがね」
 「さつき、甲板にをられました時ね、なんて淋しい人だらうと思つたのでしたが……」
 「つまり大へんな臆病者なんですね」
 「不意に、すつと、どこかへ消えてしまふんぢやないか、と思つたりしたのですが、かうして二人でお話してゐると、却つてこちらの氣持が安まるやうで、いつかすつかりあなたに寄りかかつてゐるんです」
 新之助は気負つた風に酒を飲んだ。その目には靑年らしい喜色があつた。
 「伯父がそんな人でした。切腹を仰せつかつた時も、實に從容としてゐましてね。却つて周圍の者の方が、伯父のそんな姿を見ると心が落ち着いたほどでした」
 「餘程、立派な方だつたのですね。そんなえらい方に似てゐるなんて、飛んでもない」
 「いえ、同じです。十年前、伯父の前に坐つてゐた時の氣持を思ひ出したんです。不思議なほど、その時の氣持と同じなんです」
 孝兵衞は茶碗を取り上げ、なかば恥しげな、なかば信愛な微笑を浮かべて言つた。
 「しかし伯父上は、このやうに茶碗酒は召し上がらなかつたでせうが」
 すると新之助もまつ白い齒を見せて微笑した。孝兵衞はふと、りうの、微笑がきらきらと零れ散るやうな、綺麗な笑ひを思ひ出してゐた。
 「ところが……」
 新之助は無邪氣に笑ひ續けながら言つた。
 「伯父も御酒は無類の好物、その靜かな飲み振りまで似てをりました」
 「さうでしたか。しかし私のは見せかけだけで、本當は大へんな臆病者なのですよ」
 「いえ、お一人の時は実に淋しさうだが、かうして對坐してゐると、非常に溫いものを感じます。伯父が、やはりさうでした」
 「飛んでもないこと、伯父上は死に際しても從容としてをられたさうだが、私など生きるだけで、うろうろしてをりますわい」
 「失禮ながら、町人にこのやうな人があらうとは夢にも思はなかつたのです。初めて、與右衞門殿にお會ひ致した時も驚くには驚いたが」
 「或は町人だから、こんな男が出來たのかも知れませんよ。町人は何一つ力を持つてをりません。そんな人間が、毎日、こんな遠い旅を續けてゐんえばならんのですからね」
 孝兵衞は茶碗の酒を飲み干した。さうして、更に手酌で酒を注いだ。
 「しかし兄は違ひます。兄は常に何かを求めて、歩き續けてゐるやうな人です。私のは何かに追はれて、逃げ迷うてゐるやうなものです。大した違ひですよ」
 「しかし、わが頼んだお方は……」
 新之助はふざけたやうに言つた。が、孝兵衞の顔を伺ふ新之助の目には孝兵衞に對する若者らしい信頼の色があつた。
 「少し、勇まし過ぎはしないでせうか」
 「いや、そんなことはないでせう。あれが兄の本心なんだから、兄は赤ん坊のやうに邪氣のない男ですよ。一寸ばかりいたずらつてはありますがね。とにかく、兄貴には敵ひませんよ」
 「しかし、變な言い方ですが、私には逆のやうにも思はれるんですがね。あなたの方が、どこか强い……」
 「さうね、强いといふより、しつつこい、自分ながら厭な男ですよ」
 「そ、そんな意味ぢやありません」
 「いや、しかし、一寸醉つたやうだな。少し風に當つて來ませうか」
 孝兵衞はさう言つて立ち上つた。新之助はその後に從つた。
 海口から左舷に出ると、竹生丸は確かに進路を北に變じてゐて、眞正面の水平線の上に、大きな太陽がゆらゆらと搖れてゐた。落日の他には、一點の視野に入るものもなく、海上は一面、七彩の反射光に輝き、いかにも絢爛とした西海の感じだつた。
 思はず、二人は肩を並べて、立ち止まつてゐた。流石に新之助は靑年らしく、初めて見るこの壯大な風景を前んして、昂然と肩を張つてゐた。軈て、太陽は水平線下に徐徐に没し始めた。
 不意に、新之助が昂奮した聲で言つた。
 「確かに、丸い。確かに地球は丸いですね」
 「確かに、そんな感じだね」
 孝兵衞は、新之助の肩に手をかけ、勞るやうにさう言つた。
 太陽は眞紅の櫛となり、眞紅の眉となり、軈て一點の眞紅となつて、水平線に没した。いつか海上のきらびやかな光線も消えた。しかし、孝兵衞と新之助はいつまでも洋上の幽玄な變化に見とれてゐるやうだつた。
 竹生丸は稍々面楫を取りながら、進路を北にとつて、快速に進んで行く。


十九

 弘化二年(西暦一八四五年)奮五月三日、福山、函館で商用を終つた孝兵衞は新之助とともに、アイヌの通詞サンキチに馬を引かせて、函館を出發した。
 函館の街を離れると、意外にも爽快な風景が展開した。空氣が乾燥してゐる故か、風が一入肌に涼しく、トドマツ、エゾマツ、カラマツ等、内地では見馴れぬ喬木が綠の枝を伸ばし、ヨモギ、フキ、トリカブト、タチツボスミレ、ハナウド、ツリガネサウ、カヤ、オニンモッケ、クサノワウ、カサスゲ、ヨシ、ススキ等が群生してゐる、一望の原には、赤や白や黄や紫の草花も咲いてゐる。孝兵は新之助を顧て言つた。
 「蝦夷地とは申しながら、意外にも晴れやかぢやございませんか」
 「全く、風の故か、氣持がせいせい致しますな。それに、もう一里餘りも歩いたでせうが、見渡す限りの草原、いかにも新地淸涼の感じですね」
 「成程、新地淸涼とは、ぴつたりその感じでございますな」
 二人は輕快な足取で歩いて行つた。その後から、和人の服裝はしてゐたが、濃い髭を垂らしたサンキチが、馬の手綱を引いて行く。孝兵衞はこんなにも遠くへ來てしまつた故か、却つてあの手に負へない寂寥感に陥るやうなことはなかつた。むしろ彼は快活な風にさへ見えた。或は蝦夷地の新鮮な初夏の風物が、彼にひたすら「前へ」と命じるのかも知れない。
 孝兵衞は松前家に對して、豪華な西陣織を初め、諸品とともに獻上金した。その返禮として、松前家から渡島(としま)半島東海岸の砂原(さはら)附近の魚權を譲與された。孝兵衞は竹生丸を砂原へ廻航させ、自分は新之助と陸上を砂原へ向つたのである。
 「孝兵衞さん、これ、みんな桔梗ぢやありませんか」
 「さうですね。驚きましたね。桔梗ばかりなんですね。花時にはさぞや綺麗なことでせうよ」
 サンキチが深い髭の中の厚い唇を動かして、言つた。
 「ヤキヨーノと、ここを申します」
 孝兵衞はサンキチに頷いてから、新之助に言つた。
 「しかし、蝦夷地のものは、何に限らず、大規模のやうでございますな。内地では、一つのものが、こんなに群つて生えてゐることは珍しうございませう」
 「地味もなかなかいいやうぢやありませんか」
 「そのやうですな」
 孝兵衞達は更に二里近くも歩いたであらうか。太陽は彼等の頭上に輝いてゐる。この邊も平坦な草原であつたが、次第に沼澤地が多くなり、エゾノリフキンクワ、ミツバセウ、イドリトクサ、ヤナギトラノヲ、エゾノカハチサ、エゾノミヅタデ、ヒロハエビキ等の、見慣れぬ好濕性の植物が群生してゐた。
 孝兵衞達は數本の大木が濃い蔭を作つてゐる、草叢の中に腰を下し、晝飯を取ることにした。新之助がその一本の巨木を見上げて言つた。
 「ほう、これは何の木でせう」
 「ナラぢやないでせうか」
 その時、サンキチが怪訝さうに呟いた。
 「おう、オヒョウ」
 「オヒョウ?」
 新之助が聞き咎めた風に言つた。
 「何、オヒョウだつて、どの木だ」
 「「これでございます。山の中にはたくさんございますが、こんな所には珍しうございます」
 新之助が見上げると、橢圓形の葉をつけた喬木の枝先には、淡黄色の小さな花が咲いてゐた。
 孝兵衞はサンキチに馬の背から一升德利をおろさせ、それを抱へて言つた。
 「さあ、輕く一口」
 新之助は笑ひを浮かべて茶碗に受けた。
 「お好きなんだなあ」
 「いや、こればかりが、疵に玉」
 孝兵衞も笑顔で茶碗を差し出した。孝兵衞はサンキチにも酒を注いだ。サンキチは髭を掻き分け、その口に茶碗を當てて、一氣に飲み干した。その髭の根もとには小さな雫が白く光つて見えた。
 「さうか。これが、オヒョウか」
 「オヒョウ、オヒョウと、先刻から、馬鹿にお氣にかかるやうですが」
 「と、申すには譯がある。實は、與右衞門が初めて下谷のあばら屋にお見えになつた時、このオヒョウの話が出たのです」
 「成程」
 「その時も、與右衞門殿は商賣の理を説き、蝦夷地の開拓を語られて、大氣焔だつたんですが、今、そのオヒョウの木の下で、かうして、あなたや、サンキチと酒を酌み交はしてゐる。感慨無量なものがあるぢやありませんか」
 「さうでしたか。考へてみると、人間つて不思議なものなんですね。今、こんな所でこんなことをしてゐるが、みんなほんの僅かな運のつながりで、來年の今、どこで、どんなことをしてゐるか、お互に判らないんですからね」
 こんな遠隔の地に來てゐるといふことが、孝兵衞の心の中に人間の運命といふものを一入强く感じさせたやうであつた。が、その感情はいつもの虚無的なものとは稍々異り、例へば漂泊者の懐くやうな、不思議な勇躍の思ひにも似たものが、彼の心の底に微かに動くのを覺えた。
 「しかし、手前はそろそろ飯にしませう。大分、腹がすいたやうだ」
 さう言つて、新之助は藤の飯盒の蓋を取つた。が、孝兵衞は德利の首を握つて、酒を自分の茶碗に滿たし、サンキチの茶碗にも注いでやつた。
 樹蔭に中には、絶えず爽やかな風が吹いてゐた。といふより、淸冽な空氣の流れの中に、孝兵衞は體を浸してゐる感じだつた。肌が風に濡れてるやうにも快かつた。
 「少し、寒いくらゐだ」
 孝兵衞は微笑して、心持ち冷えた體を日の當つてゐる方へ動かした。初夏の日差しに、風に濡れた肌が乾いて行くかとも思はれた。
 「わあ、滿腹した」
 新之助はさう言つて、いきなり草叢の中に大の字に寢轉んだ。靑く澄んだ空に、白雲が浮かんでゐる。どこかで小鳥の囀る聲が聞こえてゐた。
 思ふともなく、新之助の頭に、江戸の陋港に明け暮れる、日日の生活が思ひ浮かんで來た。以前の習慣通り、新之助は毎朝早く起きた。が、きまつて最初に思ふことh、母に朝の挨拶をする以外には、何もなすべきことがないといふことであつた。與右衞門といふ風變りな男を知るまでは、それでも貧苦の中に生きる張り合ひのやうなものがあつた。しかし、與右衞門から援助を受けるやうになつてからは、それさへもなくなつた。彼は若い體をもてあますやうに、時時、木刀を振つてみることもあつた。が、その彼を見る人人の目は、軽蔑と憐憫以外のものではなかつた。彼は時には日本橋の藤村店に赴いてみることもあつた。與右衞門の語る商賣の理はひどく洪大なものであつたが、その實際には何の興味も持つことは出來なかつた。勿論、失祿の身であつた。が、當時の武士の生活がどんなものであつたかといふことも、彼は知りつくしてゐたのである。


    何事もはいはい左様御尤も
     仰せの通り申付ましよ
    いや夫れは先規範なき事御勘辯
    然るべからずけつして御無用

 しかし、今、中井新之助は蝦夷渡島國の大草原の中にその身を横たへてゐた。空は靑く、太陽は輝き、風は絶えず彼の頰に戯れてゐる。いつか、白雲は少しくその形を變へたやうでもある。新之助の身中にも、何か新しく目覺めるものがあつた。新之助は心氣の昂ぶるのを押へるため、殊更、寢轉んだまま言つた。
 「孝兵衞さん、イシカリへ行つてみようぢやありませんか」
 「イシカリへね。どうして、また、突然に……」
 孝兵衞は新之助の方へ目をやつた。が、新之助は組み合はせた兩手の下に頭を乘せ、じつと空の一角を見詰めたまま、語り出した。
 「あの時、與右衞門殿は蝦夷地の地圖を示されましてね。圖上で方方へ御案内下さつたのですが」
 「成程、兄らしいやり方ですね」
 「ところが、イシカリ川は蝦夷地第一の大河で、その源を中央山脈に發し、多くの支流を合はせ、蜿蜿と流れて、海に入つてゐました。與右衞門殿はこの川の流れ具合から察すると、その流域はかなり廣い平野があるに相違ないとも申されました」
 「へえ、そんなことを申しましたか」
 「ところが、その地圖は與右衞門殿の出鱈目で、本當は人跡未踏、未だ白紙のままに殘されてゐると申されたのです」
 「全く、呆れた人です。しかし……」
 「私はその白紙の上に正しい地圖が描きたいのです。孝兵衞殿、江戸の毎日、手前がどんな日を送つてゐたが、察して下さい」
 「存じてをります」
 新之助は起き上つた。
 「無爲徒食、與右衞門殿の憐れみに縋り、乞食同然の生活……」
 「新地淸涼、もうそのやうな話はお止しなされませ」
 「さうだ、この自分の手で、與右衞門殿の出鱈目の地圖を、イシカリの正しい流れに書き直してみせる。カムロヰ山があるか、ないか……」
 「えつ、カムロヰ山?」
 「與右衞門殿の地圖によれば、イシカリ川はカムロヰといふ山から發してゐる」
 「そ、そんな兄の出鱈目の地圖など、どうでもよろしいぢやございませんか」
 「さうだ、イシカリの流域を踏み歩いて、この自分の足で、人跡未踏の大平野があるか、ないか、調べてみよう」
 「さやうでございますよ。それこそ、昨年の印旛沼の御開墾、越前守さまさへ成功しなかつたほどの、いえ、それにも遥かに勝る大事業でございませうよ」
 「行かう。孝兵衞殿、砂原を見分した上、イシカリへ渡らうよ」
 「はい、參りませう。願乘寺お住職のお話によりますと、砂原よりユウフツの濱に船を廻し、それより道を北にとるのが上策ださうでございますよ」
 「それぢや、至つて好都合ぢやありませんか。ぢや、出かけませうか」
 新之助は勢ひよく立ち上つて、袴の塵を拂つた。見ると、草叢の中で、サンキチは立てた膝の上に顎を乘せ、低い鼾を立てて眠つてゐた。


二十

 茫々たる茅原を、孝兵衞は掻き分けて進んで行つた。茅は内地のものより丈高く、時には全身を覆うてしまふやうなこともあつたし、足を濕地に踏み入れて、ひどく難澁したやうなこともあつた。函館より五里餘りも來たであらうか。茅の間から振り仰ぐと、太陽は中天より稍々西に傾いてゐた。
 この邊から、森林も次第に深くなるやうで、トドマツ、エゾマツ、の他に、ゴヨウノマツ、カシ、ナラ、カバ、シナノキ、イタヤ、ハンノキ、ランコ、アスナロ、アカダモ、ドロノキ、等が繁茂してゐるのが見られた。それらの木木の幹の間に、シラカバの白い幹の交つてゐるのが、異國的な風景にも感じられた。
 孝兵衞が漸く茅原を離れようとした時、右手の守蔭に、裸馬に乘つたアイヌ人が彼等の方をじつと眺めてゐるのに氣がついた。サンキチがいきなりアイヌ語で異樣な聲を上げた。すると、そのアイヌ人は不意に馬を翻して、茅原の中へ驅け入つた。茅原の上に見えるアイヌ人の上半身には、明らかに和人の目を意識した、いかにも得意げな風があつた。アイヌ人は茅の中を迂囘するやうに驅けてゐたが、突然、手綱を持つて、馬の背の上に立ち上つた。孝兵衞と新之助は思はず足を止めて、顔を見合せた。アイヌ人は流石に後を振り返るやうなことはしなかつたが、立ち乘りのまま、軈て森の向かふへ驅け去つた。
 暫くの沈默の後、新之助が言つた。
 「なかなかうまいものぢやありませんか」
 「しかし、なかなか愛敬もある人達のやうですね。子供がよくやる『これ出來るかい』あのつもりだつたんでせうね」
 「いかにも、いかにも」
 新之助は靑年らしく聲を上げて笑つた。
 孝兵衞達が林を通り抜けた所に、二人のアイヌ人が待つてゐた。一人は今し方馬に乘つてゐた若者らしく、格別に毛深いもう一人はその父親であることが直ぐ判つた。若者は父親の腕を取り、二人のアイヌ人は腰を屈め、手を差し出して、頻りに誘ふ風に見えた。
 サンキチの通詞するところによると、「是非お立ちより願ひたい」と言つてゐる由で、父親の服裝から推察しても、最大級の敬意を表してゐるものであるとのことであつた。父のアイヌは薄茶の地色に、鮮やかな藍色の模樣のある、筒袖の羽織風のものを着てゐた。オヒョウの皮で織つたものらしく、麻よりも更に手ごはい感じの布であつた。
 新之助が言つた。
 「いかがいたしますかな」
 「折角の好意を受けないわけにもまゐりますまい」
 孝兵衞はサンキチに「好意をお受けするであらう」旨を告げさせ、アイヌの後に從つた。二人のアイヌはいつも腰を屈め加減にして、ひどく謙譲な態度だつた。
 「しかし、どうしてこんなに好意を示すのでせうね」
 「餘程の、人懷しがりかも知れませんね」
 「成程、新之助さま、イシカリ開拓にはこのこともお忘れになつてはならないことのやうですね」
 「ごもつともです」
 アイヌ達は何を思つたか、恭しく一揖した。新之助には言葉が通じないといふことも、なかなか便利なことでもあると思はれた。新之助はいたづらつぽい笑顔を作つて言つた。
 「酒は二升も進ぜますか。一升でもよろしいぢやありませんか」
 「でも、三升は致さねばなりますまいて」
 やはりアイヌ達は大眞面目な顔をして、一揖した。孝兵衞の顔からも、暫く微笑が消えなかつた。
 背後を木立に圍まれて、アイヌの家はあつた。全體が茅で葺かれ、丸木の柱や桁で支へられてゐるやうだつた。一切、竹が使用されてゐないところからすれば、蝦夷地には竹類は生育しがたいものか、と孝兵衞は思つた。途中、熊笹の群生してゐるのは度度見たが。破風口の前に、一見して親子らしいアイヌの女が待ち受けてゐた。娘は同じく母親の腕をしつかりと握つてゐる。丁度、子供等が手を取りたがるやうに、親愛を表はす、素朴な習慣かと思はれた。
 同じく茅で作られた窓が開けられてゐるので、家の中はかなり明かるかつた。片隅には、圍爐裏が切つてあり、中央に例の鮮明な模様のある莚を敷き、兩側が床になつてゐた。神棚と思はれる所や、圍爐裏の中には、巧みに木を細工した削花(けづりはな)風のものが立ててあつた。内地人の幣(ぬき)に相當するものではないかと思はれた。注連(しめなは)にも似た、木を細く削つたものを綯ひ合はせたものも掛けてあつた。
 孝兵衞と新之助が座に着くと、四人のアイヌ達もその向かひに控へ、父親が何ごとかアイヌ語で言ふと、四人は同じやうに右手を差し出して、恭しく一禮した。サンキチが次ぎのやうに通詞した。
 「手前、オシキネと申します。妻、ニシマク、忰、ホニン、娘、イヨケと申します。本日は貴人方の御光來をいただき、非常なる光榮にござります」
 「手前は藤村孝兵衞、こちらな中井新之助と申します。本日は、思ひも寄らぬお招きに預り有難うございました」
 孝兵衞はさう言つて、新之助とともに一禮した。同じくサンキチが通詞した。オシキネ達は右手を前に差し出して、何囘となく頭を下げた。
 酒三升、鹽一袋、縞木綿男物二反、女物二反、紺木綿四反、特にオシキネ夫妻には袋眞綿二包み、ホニンには短刀一振、イヨケには裾模様の振袖小袖が贈られた。短刀にもホニンを滿足させるに十分であつたが、振袖の小袖はイヨケばかりでなく、オシキネ夫妻をひどく喜ばせたやうであつた。
 「ヨソンデ!」
 「ヨソンデ!」
 表情の少ないアイヌ達としては精一杯の喜びの表現のやうであつた。オシキネ夫妻は何か口口に喋り合つてゐたが、むしろひどく緊張した表情で立ち上がつた。(後になつて、それが重大な決意を促し合つてゐたのであらうといふことは、返禮として、孝兵衞と新之助に熊の皮が贈られたことによつて推察された)孝兵衞はサンキチの方へ顔を向けて言つた。
 「今、コソンデといつたやうだが、アイノ語でもさう申すのか」
 「さやう申します。常のものをアミップと申します。『自分達の着物』といふ意味でござります。木綿のものをチニンニップ、絹物をコソンデと申し、寶物のやうに珍重ござります」
 「さうか。『自分達の着物』か。コソンデはどんなに珍重しても、『自分達の着物』ではないか」
 孝兵衞は微笑を浮かべた顔を新之助の方へ向けた。
 「つまり商業が發達しないからですね。昆布や、鰊がアイノだけの食物でないやうに、小袖が日本人だけの着物であるはずがありませんからね」
 「それが藤村兄弟の、終始變らぬ信念とでも申すものでございませうな」
 新之助は微笑した。孝兵衞は年甲斐もなく、むきになうた自分が照れ臭く、笑ひに紛らはして言つた。
 「いや、どうも、これは一本取られましたわい」
 酒宴は孝兵衞達の希望によつて、家外にアヤキナ(文莚)を敷いて行はれた。シントコといふ行器(ほかい)のやうなものに酒を入れると、物差しのやうなものを持つたオシキネが立ち上つて、酒の中を掻き廻し、それを恭しく捧げた。サンキチが言つた。
 「まづ、日の神を祭ります」
 オシキネは再び同じ動作を繰り返した。サンキチが言つた。
 「次ぎに海の神を祭ります」
 三度、オシキネは繰り返した。サンキチが三度言つた。
 「最後に、川の神を祭ります」
 漸く、そんな儀式を終つてから、酒盛りは初められた。食器はトウベ(盃も、イトニブ(銚子)も、サゲ(片口)も、ソロ・ニシユ(平槽(ひらふね))も、タカサラ(天目臺)も、イタンキ(椀)も、ペラ(匙)も總て木を刳つて作つたもので、例へばペラの柄の先きのやうなところまで、精巧な模様が彫つてあつた。
 酒宴になつてからも、アイヌ達は何か囁き合つては、さも怪訝さうに孝兵衞達の方へ目をやつてゐたが、恐る恐るサンキチを通じて申し入れた。
 「まことに失禮ながら、伺ふ儀がござりますが……」
 サンキチまでひどく憚られることのやうに一寸、言葉を切つたが、サンキチ自身も好奇心にかられる風に言つた。
 「いかがして、お武家さまと、町人さまとが、このやうに仲良く旅をなさつてゐるのでござりまするか」
 一瞬、孝兵衞の顔には當惑の色が浮かんだが、新之助は若若しい笑聲とともに言つた。
 「そのやうに仲良く見えるか。二人は兄弟だよ」
 が、サンキチは何も腑に落ちかねる顔付きで言つた。
 「さやうでござりまするか」
 「手前の妹が、この人の嫁なんだよ」
 新之助はさういふと、思はず顔を赤く染めた。が、サンキチは急に滿面に喜色を浮かべ、得意氣に通詞すると、アイヌ達も頷き合ひ、手を擦り合つて、人間の情愛といふものが、階級や、人種を越えて存在することを、喜び合つてゐるかに見えた。改まつた様子で、オシキネがサンキチを通じて言つた。
 「實を申しますと、忰、ホニン、近日嫁を取ることになつてござりますが、その折用ひまする酒が格別上上に出來上ましてござりまするで、客人をお招きした次第でござります。まことに失禮ではござりますが、一獻召し上つていただく儀にはまゐりますまいか」
 孝兵衞が言つた。
 「それはめでたい。そのやうにめでたい酒、喜んで頂戴致さう」
 サンキチが通詞すると、早速、別のシントコが運ばれ、酒三滴を神神に捧げてから、孝兵衞達のトウベにその酒が注がれた。酒は透明で、口にすると强烈であつた。
 「これは强い」
 思はず、新之助が悲鳴を上げた。孝兵衞は新之助を指さしてから、刀を使ふ眞似をして、
 「この方は滅法强いが」
 酒を飲む眞似をして、
 「この方は至つて弱い」と、手を振つた。サンキチの通詞を待たずに、その意味が判つたのか、オシキネは大きく頷いてみせたりした。
 「いや、これはなかなか結構、上上に造れましたわ」
 孝兵衞はさう言つて、一氣に酒を呑み干した。サンキチの通詞を聞くと、オシキネは濃い髭の中で、ゆつたりと頰の筋肉を緩め、妻の方を見た。ニシマクが急いでイトニブを取り上げた。
 孝兵衞はトウベを置くと、新之助に言つた。
 「では、失禮することにしませうか」
 「さやう致しませう」
 が、二人の氣配に、アイヌ達は總立ちとなり、何ごとか口口に言ひながら、頻りに押し止める様子であつた。娘のイヨケまでが兩手を下に押しつけるやうにして、いかにも、「坐れ」といふやうな恰好を繰り返してゐるのは、ひどく可憐でもあつた。
 「御厚志は重重有難いが……」
 「この先は峠路にもさしかかることなれば……」
 が、二人の言葉がアイヌ達に通じるはずはなかつた。(この時、サンキチが振舞酒を取り逃すことを惜しんで、通詞の勞を怠つたとすれば、なかなかの利口者といふべきかも知れない)孝兵衞と新之助とは暫く苦笑の顔を見合はせてゐたが、アイヌ達のいかにも眞情の溢れる引き止めに會つては、再び腰を下してしまふより他はなかつた。
 アイヌ達は寄聲を上げて、滿足の意を示した。數の子、鮭の卵の鹽漬け、鹿の乾肉の燒いたものなども運ばれて來た。酒に關しては、オシキネも、ホニンも、サンキチも、孝兵衞に劣らぬ剛の者のやうで、酒宴はいつ果てさうにもなかつた。
 太陽は既に山の向かふに隱れ、西の空が赤く夕映えてゐる。氣溫急に下つたらしく、夕風に葉枝の搖れてゐるニレの梢に、三日月が白く光つてゐた。
 枯木を集め、ニシマクがそれに火を移した。焔は次第に赤く、その色を增して行つた。不意に、オシキネが立ち上り、イヨケの唱ふ、哀調を帶びた歌聲に合はせて、踊り出した。かなりの醉を發した孝兵衞の顔には、前後の切れた一齣のやうに、焚火の焔に照らされて躍つてゐるオシキネの姿だけが映つてゐた。


二十一

 部屋の隅に、アツシを織るらしい機が置いてあるのに孝兵衞は氣がついた。地機、或はゐざり機といはれてゐる類のやうで、内地の機のやうに、腰を掛けて、足で踏むところはない。緯絲を打ち込むと、經絲の通つてゐる筬を一一交叉させるもののやうであつた。その傍には、これは内地と同様に、アツシ糸を紡錘形に卷いた絲卷が轉がつてゐた。こんな幼稚なもので、あのやうな精巧なアツシが織れるのかと、孝兵衞はひどく興味を引かれた。
 家の外で、アイヌ達の叫び合ふ聲が聞こえてゐた。先刻出て行つた新之助が何かしてゐるらしかつた。昨夜、孝兵衞はセツ(床)の上で寢た。アイヌ達はどこで眠つたのか、今朝、目を覺ました時には、アイヌ達の姿は室内にはなく、片隅にサンキチだけが高い鼾を立てて寢てゐたのであつた。
 外に出ると、淸涼な朝の空氣の中を新之助が馬を乘り廻してゐた。
 「ほほう、流石にうまいものですね」
 近づいて來た新之助に、孝兵衞が聲をかけた。すると新之助は白い齒並びの微笑を浮かべて言つた。
 「和人でも、愛敬のあるところを見せようと思ひましてね」
 新之助は手綱を取つて、馬の背の上に立ち上つた。アイヌ人の間に感歎の聲が起つた。
 「孝兵衞さん、これ出來る?」
 新之助は流石に正面を向いたままさう言つたかと思ふと、今度は手綱を話、兩腕を組んで、馬を緩く驅けさせた。アイヌ達は殆ど同時に一層高い歎聲を發した。
 巳の刻、孝兵衞達は愈々出發することにした。家の傍に、ムルクタウシカモイと呼ばれてゐる、床の高い、同じく茅葺きの小屋があつた。極めて神聖視されて居たが、穀物を貯へておく所のやうであつた。ニシマクとイヨケはその小屋の前まで送つて來たが、そこで別れねばならないことになつた。イヨケは母の腕を握り、二人は二度、三度と會釋した。孝兵衞も別れを惜しんで、二度、三度と振り返つた。
 オシキネとは昨日出會つた林のところで、漸く別れることにした。
 「いつまで名殘りを惜しんでも限りのないこと、ホニン殿とともここでお別れすることにしよう」と、孝兵衞はサンキチを通じて言はせた。が、オシキネは、
 「この峠路っは格別難儀でござりますれば、是非ともホニンに案内致させまする」とサンキチに言はせて、聞かなかつたのである。
 オシキネは手を擦り、足を踏んで、惜別の情を示した。孝兵衞達は心に强ひて歩き出したが、格別大男のオシキネが一人、壯大な風景の中に突つ立つて、いつまでも動かうとしないのは、ひどく異様な光景に見えた。
 路は次第に坂路になり、クマザサや、ヤマブダウや、ツタウルシ等の雑草が路を埋めて密生してゐ、オシキネの言つたやうな難路になつて行つた。特に孝兵衞達を驚かしたのはイタドリの大群生だつた。そのイタドリは莖の周り三、四寸、高さ八、九尺に達するものもあつた。ホニン、孝兵衞、新之助、サンキチの順に列んで、そんなイタドリの叢中を登つて行く。ホニンは昨日贈られたエモンジ(短刀)の切れ味を試すかのやうに、バサリ、バサリ、とイタドリを切り倒したりした。新之助が後から聲を掛けた。
 「大丈夫ですか。呆れましたね」
 「全く、こちらのものは何も彼も大形ですわい」
 「新之助が振り返つて、サンキチに言つた。
 「これは何といふ草かね」
 「ドテガラと申します」
 孝兵衞が前を向いたまま言つた。
 「やはりイタドリなんだね。奥州ではイタドリのことをドテガラともいふやうだから」
 漸くイタドリの群生を外れると、路はすつかり山徑になり、兩側には、といふより、一方は崖の上から、もう一方は崖の下から、木木が枝を交へてゐる木の下徑を、孝兵衞達は登つて行つた。山徑はあるかないか、或は横に山腹を傳ひ、或は谷底に渓流の音の聞こえてゐる絶壁に沿つて、上つてゐる。
 いつか孝兵衞達は鬱蒼たる密林の中へ入つてゐた。木木の枝は完全に日光を遮り、堆積した、落葉や枯枝が厚い腐蝕土となつて、雑草さへ生えることが出來ないやうであつた。歩く度に、强い濕氣が鼻を撲つた。白骨のやうに無氣味に白く横たはつてゐるのは、シラカバの枯木であつた。突然、鳥がけたたましく鳴き聲を殘して、飛び去つた。その姿は見えなかつたが、羽音の强さで、かなり大きな鳥であることが察しられた。また、新之助が後から言つた。
 「いかにも『千古鉄鉞を知らず』といつた感じですね。少年の頃、あの伯父から、鉄鉞といふのは、をの、まさかりである、と教へられたことがあるんですが、全くまさかりぢやなくつちや駄目つて感じですね。鋸なんかおつつきませんよね」
 「全く、こんなになると、木だつて、それぞれ風格を持つてゐますからね。あれはブナでせうか。あるで田舎の豪族のやうぢやありませんか」
 「ありや、大きいですね」
 「眞夜中にでもなつたら、物でも言ひさうぢやありませんか」
 「ほら、あれも凄いぢやありませんか」
 「うん、大きい。しかしね、地圖でも判るやうに、渡島と言へば、ほんの入口なんでせう。奥地へ入つたら、どんなでせうね。蝦夷地といふのは、こりや、大へんなものらしい」
 「よし、手前はどうしたつてイシカリへまゐりますからね」
 「まゐりませう」
 峠下から、もう一里餘りも登つたであらうか。が、樹林の深さは少しも薄くなるやうなことはなかつた。ホニンを先頭にした孝兵衞達の一行は木木の間を縫つて、默默と登つて行つた。
 更に半時間ばかりも登り續けたやうであつた。木の間から、明るい光線が洩れて來、振り仰ぐと、靑い空も窺はれたので、さしもの密林も漸く淺くなつて來たことが判つた。坂は急坂になり、孝兵衞達が岩に匐ひ、木の枝につかまつて登ると、徑は林の中へ入つて行く。その邊から、徑は再びクマザサ等が生え初め、赤い花をつけた、名も知れぬ草が密生してゐるところもあつた。
 再び急坂を登ると、俄かに眺望が開け、漸く峠の頂に達したやうであつた。
 「わあつ、素晴らしい」
 新之助が若者らしく歎聲を發した。前方に雄大な山が聳え、その山麓には大小三つの沼が見られた。山は信州の淺間山にも似て、山肌はむしろ黑紫色に近く、西端には尖つた峰が屹立し、東部には緩い二つの隆起があつた。西端の尖峰から山麓へ快い傾斜を描いてゐるので、噴火山であることが直感された。沼は山の南麓にあつて、小さな島のやうなものが點在してゐた。
 孝兵衞達は草や石の上に腰を下して、休息した。
 「これが内浦嶽でございますな。あの時の與右衞門殿の地圖も、これだけは正しかつたわけですね」
 「さうですよ。あの地圖の原圖は國のお殿さまのところにあるのですが、その元は伊能忠敬先生のを寫したもののやうで、非常に正確なはずなんですよ。普通は駒ヶ嶽と呼んでゐるらしいが、なかなか面白い形ぢやありませんか」
 「雲でせうか、煙ではないやうですが。いや、雄大な景色ですね」
 山頂には、霧のやうな薄雲が緩く流れてゐた。が、今日は風もなく、雲の他には動くものはなかつた。ホエンも、サンキチも草叢の中に方肱をついて、無口に横になつてゐる。時時、土を蹴る馬の蹄の他には耳に聞こえるものもなかつた。
 「蟬でせうか」
 新之助がさう言つたので、耳を澄ますと、蟬のやうな鳴き聲が聞こえて來た。
 「山蟬であらうか」
 蝦夷地に蟬がゐるものか、ゐないものか。が、その聲は、いかにも小さい生命の存在を主張するかのやうに、精一杯に張り上げて、却つて哀切極まる感じだつた。
 不意に、孝兵衞が顔を上げて、言つた。
 「ホニンどの、御苦勞だつたな。ここまで送つてもらへば、最早大丈夫、ここでお別れすることにしよう」
 サンキチが通詞すると、孝兵衞はホニンに銀若干を與へた。この白い光を放つ、「何でも好きな物を手に入れることの出來る」鑛物は、近く結婚するといふ靑年を喜ばせるに十分であつた。ホニンは昂奮のためか、少しく顔を赤くして、何度も頭を下げてゐたが、不意に、身を翻して、一散に坂路を驅け下りた。新之助は暫く、右手を固く握つて、驅け下りて行くホニンの姿を見送つてゐたが、孝兵衞の方へ振り向いて、聲を上げて笑ひ出した。
 「出會つた時も無言だつたが、別れも、やはりだんまりか」
 「餘程の恥しがり屋と見えるな。二度と會ふこともなからうに。では、まゐりませうか」
 「まゐりませう」
 孝兵衞と新之助は輕快な足取りで、小石交りの坂路を下つて行つた。その後から、サンキチが馬の手綱を引いて行く。


二十二

 新之助は蒼白な顔を上げて言つた。
 「强い、全くお强いですね」
 「いや、それといふのも、皆これのお蔭ですよ」
 孝兵衞はさう言つて、手に持つてゐた茶碗を差し上げてみせた。その途端に、大きなうねりに乘つた船は大きく上下動して、危く茶碗の中の酒を零さうとしたので、孝兵衞はあわてて茶碗に口をつけた。
 「どうです。藤吉の腕は確かなものでございませうが。うまく波に乘つてをりますわ」
 「さういふものでせうかな」
 孝兵衞達の乘つた竹生丸は陰暦五月六日卯の中刻(午前七時頃)、帆を上げて、砂原の濱を發した。風は弱かつたが、順風で、殆ど波はなく、甲板からは爽快な風景が見られた。南方には、駒ヶ嶽の裾野が綺麗な傾斜を引いてゐたし、北方には、白雪を頂いた蝦夷富士を主峰とする後志(シリベシ)の山山が連つてゐた。
 一時間ばかりも航海したであらうか。風はぴたりと止み、帆は萎え凋んだやうに垂れてしまつた。
 「をかしいぢやねえか」
 「何だか、變になつて來やがつたぜ」
 行き交ふ水夫達がそんなことを言ひ合つてゐたが、果して、暫くすると、風は南東の逆風に變り、海上にも白波が立ち騒ぎ出した。藤吉は取り敢ず片帆を取楫に廻し、沖へ出ることを命じた。
 竹生丸は南の風を片帆に孕んで、辛うじて膽振(イブリ)の半島を過ぎ、沖へ乘り出すことに成功したが、風は益々激しく吹き募り、波は荒れ、空もすつかり曇つて、不意に、驟雨を降らした。
 「蝦夷の地には梅雨はありませんが、内地は今、梅雨の最中でせうね」
 甲板を跳り越えた波が、海口を覆うてゐた合羽の隙間から、瀧のやうに流れ入つた。物の落ちる激しい音。海水をスッポンで汲み上げてゐるらしい水夫達の立ち騒ぐ聲。
 「梅雨は竹が美しい季節でしてね。雨が降つてゐても、どんより曇つた空の下でも、竹だけは、實に新鮮なんですよ。故郷を立つときは、まだ筍は出てませんでしたが、毎年、随分澤山出るんですよ。今年竹ともいひますが、實際、若竹の幹の色は何とも言はれませんからね」
 最早、船が進行してゐるのかどうか、彼等には判らなかつた。船體は無氣味に軋む音を立てて、ググッと頭を持ち上げ、波の荒れ狂ふ音が下の方に聞こえたかと思ふと、忽ちスーッと頭を振り下げて行き、波の音は上の方に聞こえた。少し滑稽なほど鈍い音を立てて、德利が倒れた。孝兵衞はそれを引き起こすと、片手で押へた。不意に、新之助が起き上つて、身を悶えた。孝兵衞は轉ばぬやうに、新之助の方へ匐ひ寄つた。
 「さう、吐いてしまつた方が、いつそ樂ですよ」
 新之助は小盥の中に吐いた。その背を撫でながら、孝兵衞はひどく優しい調子で言つた。
 「新之助さん、あんたは女を知つてゐなさるか」
 その時、、德利が倒れ、ごろごろと轉がり出した。孝兵衞は急いで拾い上げると、膝の間に置いた。
 「全く、こ奴と來たら、轉がるやうに出來てをりますて」
 再び、孝兵衞は新之助の背を撫でた。
 「すみませんね」
 「なんの、お互いさまですよ。私はね、新之助さん、家内の他には、女を知らなかつたんですよ」
 「さうださうですね」
 「兄貴が、またそんなことを言つたんですか」
 「妹からも、聞きました」
 「えつ、あの人が、そんなことを言ひましたか」
 今まで、孝兵衞は新之助の前ではりうのことは一言も口にしなかつた。純眞な靑年の心を傷つけてはならないと思つたからである。が、かうして新之助の背を撫でてゐると、その手にひどく親身なものが傳はり、自分の氣持を話しておく、よい機會のやうにも思はれたのだ。しかし、この兄妹は孝兵衞のことを既に話し合つてゐたやうであつた。
 「有難う。よほど樂になりましたよ」
 「いや、もう少し。それでね、人からは變人のやうに言はれてゐたし、また事實、私もあまり興味を持つてなかつたんですよ」
 「妹もさう言つてましたよ。初めの中は、それがひどく癪にさはつたんだつて。あいつも變り者ですからね」
 「そんなことを言つてましたか。私も面白い性格の人だとは思つてゐましたが」
 「有難う。もう本當にいいんです」
 「ぢや、一寸、横になりますか」
 船の動揺は勝るとも、劣らず、ごろごろと轉ばないため、新之助は脚を曲げて横になつた。孝兵衞は匐つて、先刻から轉がり續けてゐる枕と、茶碗を取つて來て、枕を新之助の頭に當がつた。再び孝兵衞はその枕許に坐つて、茶碗に酒を注いだ。
 「少し申し憎い話だが……」
 孝兵衞は茶碗の酒を飲んでから言つた。
 「私も至つて恥しがりなんですが、りうはそれに輪をかけた恥しがり屋なんですよ」
 りうの名を口にしたことが、突然、孝兵衞にりうの體を實感させた。こんなに荒れ狂ふ北海の嵐の中で、りうの見事な裸身を思ひ浮かべてゐる自分が、奇怪なやうでもあり、何か哀れなやうでもあつた。
 「そんな二人が、何故こんなことになつてしまつたか。りうにも、私の妻にも、すまぬことだとは思つてゐながら、どうにもならない。ほんとに男女の仲といふものは判らないものだと、私にも初めて判つたんですよ」
 「ところが、不思議なことにね、妹からあなたのことを聞いた時、妹もそれほど惡いばかりの女でもないやうに、私は初めて思ひ直したんですがね」
 「しかし、口で恥しがりなんて言ひながら、何故あんなことをしなければならないか。人間つて、馬鹿なもんです。でも、その馬鹿らしさが、いぢらしくも思はれましてね、少し厭味な言葉かも知れないが、宿縁に結ばれて、同行二人、とでもいつた感じなんです。と、いつて、私は妻を疎ましく思つてゐるわけではありませんが、りうとの場合、夫婦のやうな普通の結ばれ方でないといふことが、却つてその感じを深くするのかも知れないんですがね」
 「難しいことなんですね。私等にはよく判らないが」
 「兄などからは、不粹者の骨頂のやうに笑はれてゐますが」
 「さうでせう。あの方のは同行が四人も、五人もあるのでせうからね」
 「兄は天眞爛漫なんです。羨ましいくらゐです」
 「さうでせうか。でも、私はやはり眞面目に考へたいんです。實は、私も、一度、悪友に誘はれて、遊んだことがあるんですよ」
 「さうですか。初めて承りましたね」
 「その時の相手といふのがひどい女でしてね。それ以來、私は女といふものに懲りてしまつたんでせうね」
 「ところが、人間といふものが、さう簡単にいけばいいのですが、懲りても、懲りても、こればかりはどうしやうもないんですよ」
 「少し、耳が痛いかな。さう言へば、あなたのお話を聞いてゐたら、笑つちやいけませんよ、そんなに打ち込めるものなら、私もその同行者とやらを、持つてみたくもなりましたよ」
 「こりや、素晴らしいことになりましたね」
 「しかし、大嵐の最中に、飛んだ話になつてしまつたものですね」
 「いや、船醉ひには、色話が何よりと申しますからね」
 「いや、どうも、これは」
 新之助は初心らしく顔を染めた。その時、海口から流れ落ちる海水の音がして、船は左右に激しく搖れた。今まで、ギー、ギイーッといふふうに決まつた周期をおいて聞こえてゐた船體の軋む音が、急に周期の破れた音を立て、不氣味な衝撃を感じさせた。
 新之助が言つた。
 「これは、凄いですね」
 物の落ちる音や、水夫達の甲高い声も聞こえて來た。
 「かなりひどいですね」
 「これでは、今日中には、着けさうもありませんね」
 「そりや、無理でせうね。こんな時に、岸に近づけば、忽ち磯波にやられてしまひませうからね」
 「ぢや、この船は、一體どこへ行かうとしてゐるんです」
 「勿論、當てなどありませんでせう。唯、船を毀さないやうに、うまく波に乘つてゐるだけでせうね」
 「すると、つまり漂流してゐるやうなものですね」
 「少し違ふのぢやないでせうか。この船はしつかりした意志を持つてゐます」
 「こんな嵐の中で、こんな小さい船が意志などを持つことが出來るでせうか」
 「意志といふのは、少しをかしいかも知れないが、こんな無常の世の中に生きてゐる人間さへ、やはり意志を持つてゐるとは言へないでせうか」
 「さうか。解りました。あなたの强さは、つまりそこから來てゐるのですね」
 「いや、强さぢやない。弱さが居直つてゐるやうなものですよ」
 「だから、餘計强いのです」
 「しかし、もうこんな話は止しませう。それより、海に出れば、萬事藤吉任せ、酒でも飲みながら、また色話でも致しませうよ」
 「さうおつしやると、いかにも粹なやうにも聞こえますな」
 「さうお見下げになるものでもありませんよ」
 「でも、孝兵衞さん、宿縁に結ばれて同行二人、なんて、あまり粹筋のお話のやうにも伺はれませんがね」
 「いや、これは、どうも」
 僅かに水色を殘した灰色の空には、黑雲が雲脚速く走つてゐた。既に海上にや夕色が濃かつたが、風は少しも衰へる氣配もなく吹き荒れ、蒼黑い波は、所所に白波を立てて崩れ落ちてゐる。その波の上を、竹生丸は絶えず水押を振り立てながら、波頭に上り、波底に沈んで、乘り越えて行く。
 その竹生丸の甲板の矢倉には、藤吉が突つ立つてゐた。年齡はもう五十に近いであらう。目は鋭く光り、無口な頑固者らしく、口は堅く結ばれてゐた。顔はびつしよりと水に濡れてゐたが、孝兵衞が言つたやうに、その表情にはいかにも堅固な意志があつた。


二十三

 夜が明けると、竹生丸は濃霧の中にあつた。或は、濃い霧の中で、竹生丸は朝を迎へた。寒冷な、白い霧で、一尺先も見分けることは出來なかつたが、太陽が上るにつれ、日光はどのやうに屈折して入つて來るのか、霧の深さと、その色を教へた。風はすつかり靜まつたやうであつたが、海には大きなうねりが殘つてゐた。
 「早、御起床でしたか」
 孝兵衞は床の上に起き上り、手鏡で髪を撫で上げてゐる新之助を見ながら、さう言つた。新之助は含み笑ひの顔を鏡に寫したまま言つた。
 「よくお休みになられたやうですね。凄い霧ですよ」
 「ほう、霧ですか。寒いですね」
 「海上、一面の霧で、何も見えませんが、全然濕氣が感じられないのですね。ひやつとしてゐて、とつても肌に冷いんですよ」
 數刻の後、孝兵衞と新之助は上甲板の眞向に腰を下してゐた。濛々と霧は立ち籠めてゐて、向き合つた二人の顔にさへ霧がもつれ、時には黑い影法師のやうになつてしまふこともあつた。竹生丸はどちらの方向を取つてゐるのか、孝兵衞達には全然判らなかつたが、かなり速度を落して進んでいるやうだつた。時時、風が霧を吹き分けるので、僅かにぼんやりと帆の形が見えた。
 「何でせう」
 突然、新之助がさう言つた。確かに、遠く、鈍い音が切れ切れに響いて來た。孝兵衞も怪訝さうに聞き入つてゐるやうであつたが、答へはなかつた。が、軈て、その音も止み、濃い霧の中を進んで行く竹生丸の、水押の水を切る音ばかりが聞こえてゐた。
 「また、聞こえて來ましたね」
 今度は孝兵衞が言つた。まるで霧の中の住人が發する歌聲のやうに、その音は切れ切れに聞こえてゐたが、軈て、濃霧の中に長い尾を曳くやうに消えてしまつた。二人は不思議さうに顔を見合はせてゐた。そのまままた暫く時間が經つて行つた。
 「あつ、靑空だ」
 新之助が叫んだ。孝兵衞が振り仰ぐと、霧の切れ間から、意外にも靑い空が覗かれた。靑空は立ち昇る霧のために忽ち掻き消されてしまつたが、さう言へば、甲板の上に動く人影もぼんやりと見えるやうになり、霧が幾らか薄れたことが判つた。
 孝兵衞と新之助は胸の脹らむやうな期待を抱いて、濃霧の霽れて行く、この壯大な風景に目を見張つてゐた。その日に、薄衣を纏つたやうな空の靑さが染み入つたし、波間に輝く日光が霧の中で五彩の光に反射するのが見えたりした。
 が、その時、三度、あの異様な音が響いて來た。最早、濃霧の中の溜め息のやうな響きではなく、その音はひどく現實的な感じを持つてゐた。そこへ、藤吉が緩りした歩度で歩いて來た。藤吉はいつものやうに極めて不機嫌な顔をして言つた。
 「異國船だがね」
 「ほほう、異國船か」
 「ジョウキちふもので走る、鐵の船だ。奴の鳴らす笛なんだよ」
 「流石に、遠方まで來た甲斐もあつて、珍しいものにお目にかかれるといふもんだ」
 「どうするかね」
 「と言つて、まさか逃げ隱れも出來まいて。ねえ、新之助さん」
 「その通り」
 新之助は靑年らしく肩を張つた。
 「後難は知らねえぞ」
 「勿論、迷惑はかけぬ。手前が全部責任を持つ」
 「それも面白からう」
 藤吉はいかにも大膽な微笑を浮かべて、頷いた。
 「ほら、あれだ」
 霧の切れ間から、藤吉の指さす方を見ると、確かに異様な大船が白波を蹴る立てて、こちらの方へ進んで來るところだつた。思はず、上體を乘り出して、既に薄霧に包まれようとしてゐる黑船の姿に見入つてゐた新之助に、孝兵衞が言つた。
 「新之助殿、せめて髭でも當つて來ませうか。どんな工合になるかも知れませんからね」
 「やはり、伯父がさうでした。伯父も身嗜みのやかましい人でしたよ」
 孝兵衞の後から、新之助も海口を降りて行つた。
 新之助は袴を履き、肩衣を掛け、大小の二刀を佩した。白晳の額に、眉は秀で、いかにも凛然として見えた。孝兵衞は黑羽二重の着物に、紋付きの單羽織を着た。兄、與右衞門は文政十二年に、孝兵衞は天保十三年にそれぞれ苗字帯刀を許されたが、孝兵衞は殊更刀は帶びなかつた。
 不思議なほど、霧はすつかり霽れ上つてゐた。その海上には、四十間ばかりもあらうかと思はれる、全體まつ黑い大船が横たはつてゐた。竹生丸は帆を下し、既に停船してゐるらしく、甲板の上では水夫達が立ち騒いでゐる。
 「うるせえ。手前達は引つこんどれ」
 藤吉は水夫達を呶鳴りつけると、手を後に組んで、歩き出した。孝兵衞は取楫(左舷)の方へ進んで行った。新之助はその後に從つた。
 船には二本の帆柱が高く聳えてゐた。帆柱には何本も綱が渡され、前方の綱は、嘴のやうに突き出た水押の先きに結ばれてゐた。煙突はまん中に二本、薄い煙を吐いてゐる。船の横腹には、大きな車がついてゐる。帆柱の先には、空色の旗が翻り、甲板の上では、人の動いてゐる姿もはつきり見えた。
 新之助は昨日以來の出來事が、といふより、江戸を發つて以來の日日が、夢のやうにも思はれた。が、現に、この城のやうな異國船を前にして、このやうに立つてゐるのである。次ぎの瞬間、何が起こるか、流石に、若い武士の血の勇躍するのを覺えた。
 しかし、それにしても、この一見弱弱しい孝兵衞が一體何を考へてゐるのか、新之助は不思議だつた。今も、孝兵衞は少しも氣構へた風はなく、その柔和な横顔には、微笑を含んでゐるかのやうでもあつた。孝兵衞が新之助の方へ振り返つて言つた。
 「ね、水車は水の力で動きませう。丁度、その逆、あの車の廻る力で、海水を押して、船が進むのでせうね」
 「成程ね。しかし、その車をどうして廻すのでせうね」
 「それが、ジョウキの力なんでせうが、しかし、あのやうな大船を動かすなんて、强い力のものなんでせうね。まさか、蒸氣のジョウキではあるまい」
 「あつ、舟を下すらしいですよ」
 甲板から、小さな舟が吊り下げられ、舟が海上に浮かぶと、忽ち梯子が渡され、頭に變なものを冠り、櫂のやうなものを擔いだ男達が乘り込んで來た。
 「こちらへ、やつて來るつもりでせうか」
 新之助はいよいよ面白くなつて來たと言はんばかりである。
 「さうでせう」
 男達は一齊に背中を海老のやうに曲げたかと思ふと、仰向けざまになつて、舟を漕ぎ出した。兩舷に突き出た櫂はよく揃うひ、舟は走るやうに早かつた。丁度、アイヌの車返しの漕法の理に似てゐたが、彼等は櫂を横にして水を掻くのであつた。
 小舟は竹生丸の近くまで進んで來た。變な冠りものの下には、彼等の頭髪の赤い色も見分けられ、一人だけこちらを向いてゐる男の顔も、異様なほど赤かつた。
 彼等は小舟を竹生丸の取楫の下に停め、甲板の上を振り仰いで、手を振つた。孝兵衞と新之助も同じく手を振つて、それに應へた。一人の男が立ち上り、兩手を口に當てて、何事か叫んだ。勿論、その意味を解することは出來なかつたので、孝兵衞は分らないといふことを示すために手を振つた。若い新之助はひどくいたづらつぽい氣持になつてゐた。激しい好奇心の故もあつたが、新之助は、アイヌの時と同じく、言葉が通じないのも、なかなか便利なものであるといふことを思ひ出したからである。
 「馬鹿野郎とでも言ふてやりませうか」
 「どうそ、その邊は御随意に」
 新之助は兩手を口に當てがつて言つた。
 「おてんてんのとんちき野郎」
 どつと、笑聲が水夫達の間に起つた。が、その紅毛人は孝兵衞と同じ意味を示すらしく、手を横に振つた。先刻から、藤吉は手を後に組んだまま、甲板の上を行つたり、來たりしてゐる。前方の異國船の甲板の上にも、大勢の人がこちらの方を眺めて居るのも見えてゐる。
 すると、今度はその男が孝兵衞の方を指さしてから、頻りに小舟の中をさし示した。さうして同じ動作を繰り返した。
 「乘れといふのでせうか」
 「さうでせう」
 「どうなさいます」
 「折角の好意、受けないわけにもまゐりますまい」
 「孝兵衞さん、その意氣で行きませうや」
 新之助は意氣軒昂として言つた。が、孝兵衞はきまり惡げな苦笑を浮かべながら、自分の顔を指さしてから、小舟の方をさし示した。紅毛人はいかにも滿足した風に片手を高く振り上げると、大聲に叫んだ。すると、漕ぎ手は輕く櫂を動かし、竹生丸の舷側に寄つて來た。


二十四

 がばと、とよは跳ね起き、あわてて裾を合はせた。が、別に異狀はなく、何の音も聞こえては來なかつた。行燈の鈍い火影が天井に圓く映つてゐ、兩側の床で、孝一郎と琴が安らかに寢息を立ててゐる。確かに、とよは襖の開く音を聞いたのである。或は、あの夜以來、病的に鋭くなつてゐるとよの神經の錯覺であつたのであらうか。
 とよはその全神經を耳に集めてゐるかのやうに、じつと床の上に坐つてゐた。その顔は蒼く、とよは頰に垂れてゐる亂れ毛も搔き上げようともしない。
 が、不意に、とよは思ひ切つた風に立ち上り、手燭に灯を移すと、足音を忍ばせて行つて、襖をあけた。途端に、とよの持つてゐる手燭が音を立てて激しく慄へた。
 「誰や」
 とよの聲は喉にひつついたやうにしやがれてゐた。
 「誰や、そこにゐるの」
 とよは心を取り直し、手燭を差し出すと、その火先に一人の男がうつ伏してゐた。
 「えつ、五郎七やないか。ほんなとこで、なんしてんや」
 五郎七と言はれた男は無言のまま、續けて頭を下げた。
 「ああ、びつくりするやないか。なんしてんや」
 が、五郎七は深く頭を垂れて、物を言はない。よく見ると、その體は小刻みに慄へてゐる。
 「をかしな人やな。なんしてるんや、いうたら」
 下男の五郎七は平素から至つて無口ではあつたが、ひどく實直な男であつた。孝兵衞ととよが世帶を持つた最初から下男として働いてゐるのであるから、十年以上になる。その間、五郎七は曲つたことは一度もなく、孝兵衞の信用も篤かつたのである。
 「こない眞夜中に、をかしいやないか。なあ、五郎七」
 が、さう言へば、この頃の五郎七の素振りには不審なところのあることに、とよは漸く氣がついた。五郎七は妙にとよを避けてゐるやうであつたが、さうかと思ふと、思ひがねぬところで、とよは五郎七の姿を見かけたりしたのである。
 「五郎七、何とかいひ。ほれとも、口にいへんことやとでも、いふんか」
 「その通りでございますのや」
 五郎七は、とよの前に頭を垂れた。
 「何やて。もう一ぺんいうてみ。ほの口が曲らなんだら、どうかしてる」
 「お家はん、口が曲るかも知れんけんど、わしは十年の間、思ひ續けてゐましたんや」
 「何やて、ほんな穢らはしいこと、聞く耳、うちは持たん。向こ行つて、行つて」
 「わしがどない阿保やかて、わしみたいな男衆が、こない分限者のお家はんに懸想したかて、どないにもならんくらゐは、知つてますが。かうして、働かしてもろてるだけで、わしは幸せや思とりましたんや」
 「ほんなら、おれでよい。早う向こ行つたらどうや」
 「ほのわしを、誰方さんが、こないにしとくれたんや」
 「えつ」
 一瞬、恐怖がとよの頭を掠めた。五郎七の素振りが急に變つたのも、あの夜以來のことではなかつたかと、とよは氣づいたからである。とよは體が慄へるのをどうにもすることが出來なかつた。
 「今まで、わしは、お家はんに、使うてもろてるだけで、堪能しとりましたんや。わしには、お家はんは、菩薩さんみたいなもんやつたんや。ほれが、ほれが……」
 「ほれが、ほれが」
 とよは突然力が體から抜けて行つたやうに、その場に坐り込んでしまつた。五郎七はそのとよをむしろ憎憎しげに見据ゑてゐた。とよの膝許の手燭の灯が、急に變貌した二人の姿をぼんやりと照らしてゐる。最早、とよの顔には血の氣はなかつた。
 昨日の夕方、とよは背戸口から出て行つた。便所の横の軒下に、とよはいつも自分の下着類を干すことに決めておいた。が、とよが今朝ほど確かに干しておいた腰卷が見えないのであつた。
 「あの、これ、入れといておくれたんか」
 とよはそこへ通りかかつた女中のかねに、何氣なく聞いた。が、かねはけろりとした顔をして言つた。
 「いんえ、ねつから存知まへんが」
 竹竿の濃い影ばかりを映して居る白壁の前に、とよは呆然と立つてゐた。不意に、あの夜の恐しい傷痕に、更に穢らはしい手で觸れられたやうに思はれ、ひどく不吉なものがとよの心に殘つたのであつた。
 「ほれが、この目で、この目で、見てしもたんや」
 「えつ、見たつ、何を見たんや」
 「白ばくれてもあかん。お家はん、女ちふもんは、こない厭らしいもんかといふことを見てしもたんや」
 「えつ、見たんか。ほんまに、見たんか」
 いきなり、とよは兩手で膝の上に突いてゐる五郎七の腕を摑み、激しくその腕を搖すぶつた。同時に、とよは見上げてゐる顔を振り立てたので、涙が飛び散るのもはつきり見えた。
 「お家はん、ほないに命て惜しいもんかいな」
 「お家はん、この手行燈持つて、先きに立つて、賊はほの後から……」
 「ほやかて、子供等、目覺ましてゐやはるやないか」
 「ほすと、お家はんは、このお家はんが、自分から……」
 「五郎七、堪忍して、もう堪忍して。うちら、もう氣がひつくり返つてて、何が何やら、判らへなんだやもん」
 「あんなん、手ごめやない」
 「ほんな、ひどいこと、ひどいこと……」
 再び、とよは狂はしく五郎七の腕を搖すぶつた。すると、五郎七はまた急に首を垂れ、弱弱しい聲になつた。
 「もうほれからといふもんは、悔しいことに、前のような目で、お家はんを見ることは出來んやうになつてしまうた。拂うても、拂うても……」
 「五郎七……」
 「むらむら、むらむら湧いて來て、昔のやうな五郎七にならうと思うても……」
 「五郎七、もう、ほんな……」
 「ほして、ほして、たうとうこんな格好を、見られてしまひましたんや。阿呆と笑うてやつとくれ」
 「ほうか、けんど、このとよは、どうしてお前はんを笑ふことが出來ましよいな。五郎七、堪忍しとくれや」
 とよも五郎七の前に深く首を垂れてしまつた。さうして、そのままの姿勢で、無言の時間が經つて行つた。
 とよの前には、兩手を膝に突き、悄然と坐つてゐる五郎七の姿があつた。畏つた膝の着物がはだけ、僅かに膝小僧 が覗いてゐる。自分で自分を持てあましてゐるやうな五郎七を見てゐると、とよは彼を憎むことは出來なかつた。むしろ責められなければならないとすれば、とよ自身のやうであつた。あの夜、とよは盗賊のために手ごめにされたが、すつかり動轉指定て、あの夜のことはいかに言はれても、羞恥さへも感じやうがない。が、おの五郎七がとよの腰卷を盗む取つたことは確かであらう。とよはそんな五郎七が、といふより彼の中に棲んでゐる男といふものが判らなくなつて來た。が、現に、その男の前にとよはゐた。不意に、とよは恐怖を感じた。が、咄嗟に、動いてはならないと、とよに教へるものがあつた。少しでもこの均衡を破つてはならない。
 五郎七の前には兩手を膝に置き、愁然と坐つてゐるとよの姿があつた。小柄な體を寢卷に包んで、僅かに腰に結んだ紐の色が艶かしい。自分の召使の前でさへ、こんなしをらしい姿を曝してゐるとよを見てゐると、五郎七は彼女を責めることは出來なかつた。むしろ自分の淺ましい恰好あ、道化じみてさへ見えた。昨日、白壁にその色を映して居たとよの腰卷を、五郎七はついふらふらと手にしてしまつたが、幸ひにも誰にも氣づかれなかつたやうであつた。が、あの夜、極度の恐怖のため、却つて弛緩してゐたやうなとよの顔を五郎七は笑ひをさへ含んでゐたと見たのである。その上、最早、逃れることの出來ない運命に向かつて、とよは夢遊病者のやうに自ら進んで、その身を投げ入れたのであつた。五郎七はそんなとよが、といふより彼女の中に棲んでゐる女というものが判らなくなつて來た。が、現に、その女の前に五郎七はゐた。不意に、五郎七は狂暴な感情が湧いた。瞬間、崩壊する傾斜の中で、笑つてゐるやうなとよの顔が、彼の眼に映つた。とよの喘ぐやうな聲が聞こえた。
 「やつぱり、堪忍して、くれやはら、へんのか」
 が、次ぎの瞬間、五郎七は疊の上に四つ匐ひになつてゐた。彼はその手を折つて、疊にうつ伏すと、そのまま動かなくなつてしまつた。それからどれだけの時間が經つたか。五郎七は忍び足で近寄つて來る足音を聞いた。
 「五郎七、二人さへ默つてたら、あの晩のことも、今晩のことも、誰にも判らへん。うちかて言はへんで、お前はんも言はんといてな」
 絶望の中にゐた五郎七の耳に、その聲は惡魔の囁きのやうな甘美さを持つてゐた。思はず、五郎七は不潔な聲を發した。
 「若しも、お家はんのおそばに、いつまでも、おいといておくれるのやつたら」

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最終更新:2017年07月24日 19:07