とある世界の残酷歌劇 > 幕前 > 17

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とある世界の残酷歌劇/幕前/17 - (2012/08/04 (土) 20:08:45) のソース

「先生」

ようやく放課後となった教室を出ようとしたところで月詠小萌は呼び止められた。

「なんですか?」

月詠は努めて笑顔で振り返る。
視線の先には長い黒髪の少女が、どこか鬱々とした表情で立っていた。
必然的に見上げる形になる。身長差があるから仕方がないのだが。

姫神秋沙。
自分が担任を務めるクラスの生徒だ。

諸事情あって二学期からの転入生だが、クラスに馴染めるだろうかと不安になっていた事もある。
一時期は自分の住むアパートで共に暮らしていた。
そんな事もあって、他の生徒よりも多少――目を掛けている、かもしれない。

姫神は見上げる月詠の表情にほんの少しだけ眉を顰め視線を逸らす。
が、一呼吸を置いて再び月詠を見た。

「あの。……」

言いよどむ。

躊躇うような仕草だ。もしくは怯えだろうか。
月詠を見る姫神の瞳は揺れている。

口を開いてしまう事で何かよくない事が起こってしまうのを恐れているかのよう。
言葉にしてしまえばそれが現実となる。そう分かってはいるのだけれど、言葉にせずにはいられないような。

――予感はあった。

月詠も気付かない訳ではない。彼女はこのクラスの担任で、それも人一倍職務に忠実だった。
教師という職。子供に物を教える大人。彼女は教師であったし、そうであろうと努力している。
だからこそ月詠は優しげな笑顔を変えぬまま続く言葉を待った。



時間にしてみればほんの数秒ほどだろう。
姫神は意思を込めて息を吸い、言葉を吐いた。

「上条君。ずっと休んでるけど。大丈夫なの」

……予感はあった。

ここのところクラスの空気はどこか沈んでいた。
理由など簡単だ。少しでもこのクラスの事を知っている者が考えればすぐに思い至る。

教室が静かなのだ。
事あるごとに騒ぐ――と言えば語弊があるが、賑やかしがいない。
ムードメーカーと称すれば適当だろうか。笑顔の中心となっていた少年が、いない。

「上条ちゃんですか?」

もう一人、彼と同じく欠席を続けている少年がいるのだが、そちらはいいのだろうかと月詠は頭の片隅で考える。
二人とも一般的には遅刻早退欠席常習犯で、一般的には問題児とされるような少年だ。
けれど月詠からしてみれば皆同じ生徒である事に変わりはない。
多少個性的で困らせ物ではあるが可愛い生徒だ。

そんな時に頭痛の種になるような、それでも愛しいと思える生徒が二人、一週間ほど連絡を絶っている。

多少なりとも訳あり、それも特殊な類の事情を抱えた二人であることは認識している。

その一端を月詠が知り得ているのは自分が彼らからそれなりに信頼されている証だろうという自負はあるが、
だからといって不用意に踏み込めない酷く難しい事情であることも理解していた。



月詠小萌は教師である。

その立場はどこか医者にも似ている。
生徒から無条件に信頼されるような人物でなければならない。
極論、彼らのその後の人生に影響を及ぼす事が許されているのだ。
経験浅く未熟な彼らを先導する者として高潔でなければならない。そう思っているし実践に努めている。

姫神に対しても同じだ。
個人的な付き合いはあるもののここは学校で、教室で、二人の関係は教師と生徒だ。
だから――下手を打てない。
月詠が教師である以上は間違う事は許されない。不用意に問題を発生させ混乱させる事は絶対に出来ない。

職務に私情は許されない。

無条件に信頼されるためには、無条件に信頼せねばならない。
そしてその相互の関係においてのみ許される全てを、そうでない者に明かしてはならない。
守秘義務が存在する。彼らの心情、苦悩、葛藤、人生、そういった諸々を漏らしてはならない。

だから月詠は笑うことしかできなかった。

「もー、上条ちゃんも困ったちゃんですよね。
 最近サボりが目立ってきてますけど、これは一度しっかりお説教しないといけませんね」

時々ふらりとどこかへ消えて、帰ってきたかと思えば病院のベッドの上に括り付けられているような少年を思い返し月詠は笑う。

どこで何をやっているのか。問い質したいのは山々だが不用意な詮索はできない。
そこは踏み込んでいい場所なのか――月詠には判断ができなかった。

「上条ちゃん、時々ふらーっとどっかに行っちゃうクセがありますから」

だから困ったように笑うしかできなかった。



言葉にしてから、内心しまったと舌打ちする。病欠の連絡が入っていない事を暗に漏らしてしまった。
だが大丈夫だろう。姫神も彼らの悪癖は知っているはずだ。

今までは困りこそしたものの大して心配もしていなかった。
精々二、三日の後にはまた元気な顔で戻ってきてくれていた。

けれど今週、月曜から金曜までずっと教室に顔を出さなかった。
思えば先週末も姿を見ていなかった気がする。

最後に彼らの顔を見たのはいつだ――?

記憶を遡ろうとして、彼らの顔を思い出す。
彼らは髪が特徴的だから目に付きやすい。記憶にも映像として残りやすい。

黒と、金と、――青?

思い返そうとして、どうしてだか記憶にある日常の一コマが浮かばなかった。
一人一人の顔は思い出せる。だが、彼ら三人――いや、二人がいる風景が朧気だった。
どうしてだか滲んでしまったようにぼんやりとして、まるで夢の記憶を探るように霧中としている。

「……小萌?」

名を呼ばれ、はっと我に返った。

「もー。学校ではちゃんと先生って呼んでくださいよ」

意図的に子供っぽく振舞って誤魔化した。
こういうときだけは自分の外見も役に立つ。



「……。……」

姫神の表情は晴れない。
彼女の不安を取り除く事などできはしないと月詠自身も分かっている。
だが姫神もまた月詠の生徒だ。

「大丈夫ですよ」

何の根拠もなく、ほんの少し気休めになればいい程度の言葉だが月詠は笑顔で言った。

「きっと来週にはまた会えますよ。
 だって上条ちゃん、そろそろ本気で出席日数が拙いですからねー。本人にも言ってるんですけど」

はぁ、と嘆息し月詠は苦笑して姫神を見る。

「だからその時は、姫神ちゃんも一緒に怒ってくださいね。
 いい加減に危機感を持ってもらわないと進級できないかもしれませんから」

「それは……。……困る」

そう言う姫神の顔が少しだけ笑みを浮かべたように見えたのは気のせいだろうか。

「それじゃ、私はそろそろ仕事がありますから」

「うん」

「また来週。姫神ちゃんも、風邪とか引かないでくださいね? 入れ違いにお休みだなんて、嫌ですよ」

半ば強引に会話を断ち切り、月詠は教室を後にした。
そろそろ限界だった。引き際は肝心だ。

「上条ちゃん……土御門ちゃん……、……」

誰にも聞こえないような小さな声で名を呟く。
あまり口煩くは言いたくないが、来週になっても出席しないようだったら直接寮へと乗り込まなければならないかもしれない。
場合によっては第三者、彼らの同居人や妹からも言ってもらえるように頼まなければならないだろう。

そんな憂鬱と不安を抱えながら月詠は職員室へと急いだ。

顔に笑顔の仮面を貼り付けたまま。胸の中に何かしこりのような蟠りを感じながら。





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