著:2スレ目>>580殿
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天正三年 長篠合戦
織田徳川連合軍の前に武田勢は敗走、山県昌景、土屋昌次、内藤昌豊は既に討死していた・・
( ;´_ゝ`)信綱「何!山県殿に続き内藤殿も討死とな!?」
( ´_>`;)昌輝「信綱兄者、流石の俺らも潮時やも知れぬな・・・」
( ´_ゝ`)信綱「うむ・・・ならばせめて最期に大暴れし、真田兄弟の武名をあげてやろうぞ弟よ」
真田兄弟はお互いの顔を見据えた。そして、静かに頷くと敵陣に目がけ突撃し、思うがままに槍を振るった。
( ´_ゝ`)信綱「敗勢の中これだけ敵を恐れさせるとは、流石だよな弟よ」
( ´_>`)昌輝「流石だよな兄者・・・最早思い残すこともあるまい」
( ´_ゝ`)信綱「うむ。殿と俺らにはまだ喜兵衛が居る。・・・さて、最期の時がきたようじゃ」
―真田信綱、昌輝兄弟 討ち死に
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悲報は昌幸の元にも届いた。数日後、勝頼を迎えに行った昌信が帰還、真田屋敷を訪れた・・・
(*’ー’)昌信「喜兵衛よ。こたびの戦で当家は多くの将兵を失ってしまった」
(・∀・)昌幸「兄者たちのみならず山県殿、内藤殿、馬場殿まで討死なされてしまった
武田家の行く末はどうなってしまうのでしょうか・・・」
(*’ー’)昌信「うむ、今日はそのことで参ったのだ。喜兵衛、勝頼様のことを頼む」
(・∀・)昌幸「しかし、高坂殿がおられるではありませぬか」
(*’ー’)昌信「私か・・?私はいささか老いた。これからは其方や昌恒が殿をお支えするのだ」
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(・∀・)昌幸「されど、それがしに勤まりましょうや・・・?」
(*’ー’)昌信「其方をおいて誰が居ると申す!よいか!?其方の兄たちは其方が居る
からこそ、其方に殿や真田家の行く末を託す事ができたからこそ、最期まで
戦い抜く事が出来たのではないのか!?」
(・∀・)昌幸「・・・・!!」
(*’ー’)昌信「正直申して、武田の行く末は相当厳しいものにやるやも知れぬ。織田や徳川は
言うまでもなく、上杉もおるし、北条も信用ならぬ。」
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(*’ー’)昌信「其方には真田の家もあろう。しかし、出来る範囲でも構わぬ、
殿の事を頼む・・・」
(・∀・)昌幸「・・・高坂殿!!」
(*’ー’)昌信「喜兵衛・・・其方、これを預かってはくれぬか・・・?」
(・∀・)昌幸「これは?」
(*’ー’)昌信「今は亡きお館様はじめ、道鬼殿、典厩殿、其方の父上らの軍略や、
三郎兵衛らの戦ぶりを書き留めておいたものじゃ。号して甲陽軍鑑」
(・∀・)昌幸「甲陽軍鑑・・・。」
(*’ー’)昌信「其方は亡き攻め弾正殿同様知略に優れておる。其方ならこれも己の物に出来るはずじゃ」
(・∀・)昌幸「・・・・分かりました。この昌幸、武田家ある限り、殿のため死力を尽くしましょう」
その夜、昌幸は一晩中甲陽軍鑑を読み耽った。そして・・・・・
(・_ゝ・)「このたび兄・信綱に代わり真田を継ぎ申した、昌幸でござる」
くミイX`д´K勝頼「喜兵衛、前より顔つきが変わってきたのぅ・・・」
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(*’ー’)昌信(喜兵衛め、だんだん策士らしくなってきたではないか。
あれなら殿の事も、武田の行く末も・・・・。私はもって
2、3年の命・・・。喜兵衛よ、頼んだぞ)
昌信はこの三年後、武田の行く末を案じながら世を去った。行年五十二。
そして武藤喜兵衛改め真田昌幸は武田勝頼の知恵袋として、武田氏の最期まで
仕えることになる。天正十年、彼は主君勝頼を上野へ脱出させるべく手を尽くすが、
勝頼は武運拙く最期を遂げた。そして昌幸もまた、決断を迫られる事になるが、それは
また後の話・・・・
最終更新:2009年12月15日 17:17