著:3スレ目>>397殿
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この男の名は工藤下総守虎豊、内藤修理亮の父である。
無類の硬骨漢として知られた武田家の老臣であった。
/ ^ω^ \虎豊「今帰ったぞ」
( ^ω^)「父上、お帰りなさいお」
/ ^ω^ \「おお、源左衛門。 武芸学問に励んでおるか」
この時、後の内藤修理亮は工藤源左衛門祐長と言い、まだ十三歳であった。
( ^ω^)「学問は好きじゃないですお。 武芸を磨き、早く父上と共に戦さ場を駆けたいですお」
/ ^ω^ \「そいつはいかん! ワシは若い頃から戦続きで学問に励む暇があらなんだ。
故に今となって学問の大切さがよぉ~く分かる! よいか、文武の両道を目指すのだ」
( ^ω^)「……はいお」
そう返事はしたものの、以降も源左衛門は槍弓の稽古ばかりして学問には興味が湧かなかった。
しかし、天文六年のある日……
(`メω・)虎昌「虎豊殿は……お館様のお手討ちに遭われました」
2
虎昌が告げた瞬間、虎豊の妻は泣き崩れた。
筵を被せられた父の遺体が工藤邸へと運ばれてきた時、源左衛門は呆然とするばかりで涙も流れなかった。
兄である長門守昌康は虎昌へ問い詰めた。
( ;Ω;)昌康「何ゆえ、何ゆえに父が討たれたのでござる!」
(`メω・)虎昌「虎豊殿はな、お館様へ諫言を致したのじゃ。 次の出陣を取止める様にと。
〝今の甲斐には戦などする様な余裕は無し、民を慈しみ力を蓄える時〟と申し出た……」
/ ^ω^ \「お聞き届け下さいお館様!」
信虎「黙れや! 海賊ふぜいの家が我が武田に拾ってもらった恩を忘れたか!」
工藤家は甲州の武士では無く、虎豊の四代前までは相模の三浦氏に仕える水軍であった。
先祖を海賊呼ばわりされた虎豊は顔に朱を注ぎ、声高に言った。
/ ^ω^ \「……海賊でも分かる、此度の出陣の愚にござる!」
次の瞬間、鞘走りの音が聞こえたかと思うと、
虎豊の肩から入った太刀は腰までを深々と切り開いていた。
3
(`メω・)「一瞬の出来事で我らが止める間も無かった……」
( ^ω^)「兵部様……」
(`メω・)「酷な事を申すが、そなたらは府中……いや、甲斐より落ち延びた方が良かろう」
( ^Ω^)昌康「我等にまで咎が及ぶと……」
(`メω・)「充分にありえる事よ。 ほとぼりが冷めるまで身を隠すのが良いだろう」
( ^Ω^)「……冷めるでしょうか」
(`メω・)「いずれな。 もし冷めぬ時はお館様を……」
( ^ω^)「お館様を?」
(;`メω・)「……ゲフンゲフン! それにしても武田はまた忠節の士を失った……」
信虎が手討ちにした家臣は虎豊だけでは無い。
馬場伊豆、山県河内、後に源左衛門が名跡を継ぐ内藤相模も直諫の末に手討ちに遭っていた。
(`メω・)「よいか、そなたらは力を合わせお袋様を支えるのじゃ。 いずれ必ず甲斐に戻れる日が来よう」
4
父の遺品をまとめていた時、源左衛門は帳面を見つけた。
( ^ω^)「何だお? これは」
捲ってみると、粗末な字で〝工藤下総守〟と何度も書かれてあった。他にも何やら書かれているが誤字が目に付く。
( ^ω^)「父上の日記かお」
興味が湧き、頁を捲っていくと今年行った源左衛門の元服の日が記してあった
○月×日
次男源左衛門元服ス 我至上ノ喜悦也
我ノヤフナ愚直無骨ノ侍ニ成ナラズ 願ワクバ文武両道ノ士ニ成リテ 武田ガ支エト成ルヲ欲ス
( ^ω^)「……ハハ、それにしても下手な字だお……」
( ^ω^)「ハハハ……」
( ;ω:)「ぉぉぉ……おっおお~ん!」
父の死の直後泣けなかった源左衛門は今、父の心からの願いを知って泣いた。
日記に記された粗末ながらも無骨な字が、父そのものを表しているようで源左衛門はどうしようもなく泣けるのだった。
5
( ^ω^)源左衛門「府中ともお別れだお……」
工藤一家は府中を後にし、相模の三浦半島に向けて足を進めていた。
( ;ω:)「ううう……」
( ^Ω^)昌康「泣くでないわ源左衛門」
源左衛門が泣いていたのは故郷を去る悲しみではなく、父への不孝を悔やんでいた為だった。
あの時、父に言われていた通りにしていたらと思うと涙が溢れてくる。
( ;ω:)(府中ならまだしも、三浦の漁村では文を修めるにもどうすりゃいいお)
落胆する源左衛門の耳に馬蹄の音が聞こえてくる。
(;`メω・)虎昌「若様ーっ! 早すぎまする!」
(´∀` )「……!!」
( ^ω^)「ん?」
源左衛門の目の前で止まったその武士は、にこやかな笑みを浮かべて口を開いた。
(´∀` )「工藤下総が次男、源左衛門か?」
( ^ω^)「いかにもそうですお」
(´∀` )晴信「武田大膳大夫晴信である」
工藤一家は慌てて平伏する。
(´∀` )「よいよい、お忍びで参ったのじゃ」
(; ^ω^)(まさか若様自ら逆臣の家族をお手討ちに参られたのでは……)
危惧する源左衛門に馬から下りた晴信は頭を下げる。
(´∀` )「此度の一軒、真にすまなかった。 父の不徳、恥ずかしく思う」
(; ^ω^)「若様、頭をお上げ下さいお!」
(´∀` )「工藤下総が忠誠は父には伝わらなかったようだ。 しかし、この晴信がしかと見届けたぞ」
6
( ^ω^)「若様……」
(´∀` )「今年の内にはな、その方を我が近習として召抱えるつもりだったのだ。 だがこのような事になってしまった……」
(´∀` )「下総はいつも言っていたぞ。 晴信様の文を我が息子にも教えてやりたい、とな」
そこに遅れて虎昌が駆けつけて来た。
(;`メω・)「ゼヒィー、ゼヒィー」
(´∀` )「兵部、遅いぞ。 あれは持ってきたろうな」
(;`メω・)「は、これに」
包みを受け取った晴信は、それを源左衛門の前に差し出した。
(´∀` )「これをその方に貸して進ぜよう」
( ^ω^)「これは……孫子の〝計篇〟〝作戦篇〟〝謀功篇〟?」
(´∀` )「兵法書じゃ。 わしが書き写した物でな」
( ^ω^)「勿体のうございますお」
(´∀` )「与えるとは言っとらんぞ、飽くまで貸すのだからな。 返すのはその方が甲斐に戻って来た時じゃ」
( ^ω^)「若様……」
(´∀` )「では、さらばだ」
(`メω・)「あっちでも達者でな」
源左衛門は数冊の孫子を抱えたまま、二人の後姿が見えなくなるまで立ち続けていた。
( ^ω^)(晴信様……この御恩生涯忘れませんお)
7
甲斐より去った工藤一家は三浦半島の漁村で日を送っていた。
( ^Ω^)「相模は甲斐とは違い暖かくて良いな。 それに海の幸も味わえる」
( ^ω^)「とは申しましても、甲斐より持ってきた蓄えももうじき尽きますお」
( ^Ω^)「その事なんじゃがな……ワシは北条に仕えようと思っておる」
( ^ω^)「兄上……」
( ^Ω^)「此度当主になられた氏康様は中々の人物。 先代氏綱様も後見しておられる」
( ^ω^)「しかし、仕官した後では甲斐に戻れなくなりますお」
( ^Ω^)「もはやワシは甲斐に戻る気は無い。 父を殺した武田に仕えるなど真っ平じゃ。
お前もよくよく考えることだ、武人としてどう生きるかを」
確かに源左衛門にとって信虎は父の仇であり、許しがたい存在であった。
だが仇の嫡男である晴信に心より心服しており、晴信以外の主に仕える気などさらさら無い。
その日も晴信の書き写した孫子を読み上げ、書き写す源左衛門がいた。
( ^ω^)「百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり……」
( ^ω^)(これは戦わずして勝つ事こそが、兵を損なう事も無く合戦の最上たるものという意味だお!
……それが出来りゃ誰も苦労しないお!)
(; ^ω^)「だけどこれ文って言えるのかお!? 文とは和歌とか短歌やる事じゃ無いのかお?」
8
四年の月日はあっと言う間に流れた。
( ^ω^)「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず……」
( ^ω^)「……いつまでもこんな〝にぃと〟みたいな生き方は出来ないお」
この頃は兄昌康は北条家の将となっており、源左衛門は食わせてもらう立場であった。
葛藤する源左衛門のもとに母が書状を携えて、駆け込んできた。
母「……源左衛門、これを!」
その書状には、先月晴信が父を追放し甲斐国主並び武田家当主に就いた事と
それに伴い父に追放された家臣とその遺族を呼び戻す旨が書かれてあった。
( ^ω^)「おおお!! 若様が!」
源左衛門は喜び勇んで兄のもとへ伝えに行った。
( ^Ω^)「ワシはもう北条の者じゃ。 甲斐には帰らん」
( ^ω^)「では兄上とは敵になるやも知れぬということですお……」
( ^Ω^)「乱世の習いじゃ、致し方あるまい。 戦場で会うたら遠慮なく挑んで来い」
( ;ω:)「兄上……さらばでございますお」
その日、源左衛門と母は相模を後にし甲斐へと旅立った。
源左衛門が兄と再会するのはずっと先の事である。
9
( ^ω^)「四年経っても府中は変わらないお……いや、あの頃より人の表情が明るいような」
当時の記録には信虎の追放と晴信国主就任を牛馬までもが喜んだ、とある。
源左衛門は府中に入った翌日、晴信と対面した。
(´∀` )晴信「苦労をかけたのう、源左衛門。 四年もかけてしまって済まなかったな」
( ^ω^)「勿体無きお言葉ですお」
(´∀` )「慎重かつ念入りに準備せねば、無血での父追放は出来なんだ。 親子で国を割って争う事になるからな」
( ^ω^)「若さ……いや、お館様。 長きに渡りお借りしまして申し訳ありませんでしたお」
そう言って源左衛門は晴信書き写しの孫子を差し出した。
(´∀` )「ふむ……随分繰り返し読んだのだろう」
( ^ω^)「諳んじられる程には」
(´∀` )「見事よ。 そなたは板垣駿河のもとに付き、存分に働いてもらおうか。 源五郎」
(’ー’*)「はい」
(* ^ω^)(ウホッ、いい男……)
(’ー’*)「これはお館様よりの支度金にございます。 お納め下さい」
( ^ω^)「有難くいただきますお。 あ、そうそうお館様、ゴニョゴニョ……」
(´∀` )「何? そなたはそれでいいのか?」
( ^ω^)「もちろんですお」
源左衛門は晴信の期待に応えようと懸命に働き、やがて上田原合戦で板垣信方が討死すると侍大将になった。
忙しい日々が続いたが、暇を見つけては本を読み、文を修めることを忘れなかった。
( ^ω^)「孫子軍争篇に記すところ兵は疾き事風の如く……」
10
´∀` )(ほう……源左衛門め。 合戦も上手いが、荷駄を率いるのは抜群じゃな)
晴信は人の長所を見抜くのが天才的だったと言われる。
伊那攻めの際に源左衛門に荷駄奉行を務めさせたところ、優れた手腕を示した。
荷駄隊は地味な割に苦労が多く、兵站の最重要部を担う。言わば軍団の生命線であった。
(´∀` )(細かな心配り、やはり苦労した分だけ人の気持ちが分かると言う事か)
以降、重要な合戦では源左衛門が荷駄隊を務めることが常となる。
激戦となった四度目の川中島合戦でも荷駄隊として妻女山攻撃部隊に加わったと言われる。
(;`メω・)虎昌「こ、これは!」
(’ー’*)昌信「本陣がもぬけの空……」
彡`Д´ミ信房「いかん! 政虎に一杯食わされたぞ」
( ^ω^)「おそらく敵は八幡原。 急がねば数に劣る本隊は総崩れになりますお!
荷駄隊は最後尾を進みますゆえ、皆様は疾き事風の如く進みなされ!」
彡`Д´ミ信房「すまぬ。 頼むぞ」
(’ー’*)昌信(源左衛門殿の冷静な事よ。 私も見習わねばなりませんな)
翌年、関東攻めで先陣を務めた源左衛門は一日に二つの城を落とした。
更に五年後、箕輪城を落とした晴信改め信玄は源左衛門を城代として置き、途絶えていた名家の後を継がせた。
( ^ω^)「内藤修理亮昌豊……」
(´∀` )「どうじゃ、いい名であろう。 語呂も良く呼びやすい」
( ^ω^)「有難くお受けしますお」
箕輪城代として昌豊は西上野七郡に善政を敷いたと言われる。
群馬県群馬郡箕郷町には内藤塚と呼ばれる墓があり、今でも大切に守り続けられている事がそれを伝えている。
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さらに時は流れて元亀二年のこと
(´∀` )「修理、北条と和睦・同盟したいのだ。 全権をお主に委ねるゆえ何とか出来ぬか」
(`・ω・´)「北条とは一昨年小田原、三増峠で戦ったばかり。 氏康公亡き後とは言え難しゅうございませんか」
(´∀` )「修理ならばまとめられよう、頼む」
( ^ω^)「お任せ下さいお」
幸い和睦同盟は北条家も望んでいたことからあっさりと決まる。
信玄名代として大切にもてなされていた昌豊の宿舎へ、一人の老人が尋ねて来た。
その老人の指は数本欠け、足も悪いのか引きずるように歩いている。昌豊は川中島で死んだ山本道鬼を思い出していた。
( ´Ω`)「ゲホゲホ、内藤修理亮様でございますね」
( ^ω^)「そうですお。 あなたは北条家のお方ですかお?」
( ´Ω`)「分からぬのも無理は無いのう……源左衛門」
( ^ω^)「あなたはまさか!」
( ´Ω`)「そなたの兄、昌康よ。 三十年ぶりかのう」
( ;ω;)「あ、兄上……」
( ´Ω`)「立派に成ったな、源左衛門。 見事に文武両道の士ぞ」
( ;ω;)「兄上、その体は……」
( ´Ω`)「望郷の思いを封じるため、戦場に身を置き続けて来たたのじゃ」
( ;ω;)「お痛わしや……」
昌豊は涙を拭うと、人を呼んで酒を持ってこさせた。
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( ´Ω`)「一昨年にそなたら武田が攻めて来た時にもな、老体をおして戦場に出たのよ」
( ^ω^)「そうだったんですかお」
( ´Ω`)「武田の矢はいかんなぁ。 矢尻にかえしが付いておって刺さると中々抜けぬ。 おかげでこの足じゃ」
( ^ω^)「……」
自分の隊が放ったものが兄の足に刺さったのかもしれないと考えると、昌豊は申し訳なかった。
その顔を見て、兄は告げる。
( ´Ω`)「気にする事は無いぞ。 三十年前に言っただろう、そなたが甲斐へ戻る時に」
〝戦場で会うたら遠慮なく挑んで来い〟
( ´Ω`)「……それにしても酒が美味い」
( ^ω^)「まことに」
夜明けまで二人は酒を酌み交わし、やがて昌豊は甲斐へと戻った。この兄弟が再び会うことは無かった。
違う道を選んだ二人が再会出来たのはこの一夜のみであり、昌豊は四年後に設楽が原で討死する。
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ある戦の論功行賞での事……
(´∀` )「馬場美濃守、此度の働き抜群のこと……。 秋山伯耆……」
合戦で手柄を挙げた者へ感状と労いの言葉が掛けられる。
(´∀` )「山県三郎兵衛……。 以上じゃな」
信玄の言葉を受け、一同がざわめく。今回の戦で抜群の働きをした昌豊が呼ばれていない。
彡`Д´ミ「恐れながら申し上げたき儀がございます。 修理がまだ呼ばれておりませぬ」
( ^ω^)「……」
信春が問い掛けた。しかし当の昌豊はいつものように微笑を浮かべ、黙ったままでいる。
(´∀` )「何を申しておる」
彡`Д´ミ「?」
(´∀` )「修理亮ほどの者ならば、常人を抜く働きがあってしかるべし」
一同はあっとなった。つまり今回の軍功は昌豊ほどの器量人ともなれば当然であるという事だ。
(´∀` )「それに修理は感状は一切いらぬと甲斐に戻った時申してな」
( ^ω^)「おっしゃる通りですお」
当時の武士にとって感状は武功の証明書兼履歴書のようなもので、再仕官の時に必要なものであった。
感状が要らないという事は、武田家以外には仕えるつもりは無いという意思表明でもある。
昌景は昌豊を評してこう言ったと言われる。
(`・ω・´)「古典厩信繁、内藤修理こそは毎事相整う真の副将なり」
最終更新:2009年12月16日 01:21