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龍造寺隆信

龍造寺隆信

肥前龍造寺氏当主。華奢で病弱であり、いつも目の下に隈のできた顔が印象的であったため「肥前の隈」と揶揄される。
幼い頃に厄介払いのように仏門に入るが、その後一族がいなくなり、やむをえず担ぎ出される。
当主となってからもほとんど存在感は無かったが、名将鍋島直茂やなぜか5人いる四天王などの活躍により、龍造寺氏は大大名となる。
しかし1584年、有馬氏討伐の軍を(直茂が勝手に)起こした際、
「たまには殿も戦場にお出になってはいかがですか」との直茂の無責任な進言を受け
隆信は自ら出陣するが、本陣で落馬、打ち所が悪く死亡する。
総大将を失った龍造寺軍は兵力優位でありながら総崩れとなり、その後没落する。
一説には隆信の出陣自体直茂の陰謀であったとも言われている。

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最終更新:2007年07月25日 22:08