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山名豊国

山名 豊国(やまな とよくに、1548年(天文17年) - 1626年
1560年、父が死に兄やその家臣に領国を追い出されたがそれを自らの手で取り戻し山名家の家督を継いだ
その後は毛利家の家臣として各地を転戦する
しかし1580年、羽柴秀吉の大軍が鳥取城に押し寄せた 秀吉は得意の兵糧攻めをしようとしたが豊国は準備万端で力で攻めようとも巧みに守ったため秀吉は手が出せなかった
だが時期を見て豊国は秀吉に降る 妻や娘が人質にとられたとも言われているがそうではない、豊国は秀吉が天下を取る人物だと見ていたのだ
そして豊国がいなくなったことにより鳥取城は陥落する 兵糧攻めに対し準備万端だった鳥取城が、である 如何に豊国の存在が大きかったかがよくわかる
秀吉が天下を取った際には秀吉の御伽衆となり、秀吉が死ぬと家康に仕えた
豊国は秀吉や家康が天下を取る人物だと見抜いていたのだ 的確な主換えにより豊国は遂に6700石の旗本 領土持ちとなった
征夷大将軍となった家康に山名氏当主に贈られた羽織を着て参上して家康から賞されたという逸話もある

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最終更新:2007年07月25日 22:25