発生国 |
ウクライナ・キエフ |
犯人 |
ヴォロディミル・コンドラチェンコ他3名 |
死者数 |
16(自白では20+) |
発生期間 |
1991 - 1996 |
現在 |
解決済み |
1994年7月18日、キエフの警察署に通報が入った。工場労働者であったエフゲニー・オセチキンが銃撃され殺害されたというのだ。通報者は匿名であり、現場に警察が急行した時点では既にいなかった。オセチキンは銃撃されたとされていたが、弾痕の他に複数の刺し傷があった。弾痕から、使用された銃は22口径のライフルと判明した。肝心の犯人だったが、オセチキンは特段恨みを買うような相手がおらず、また給与袋が持ち去られていなかったため強盗でもないと判断され、特定はできなかった。
この「22口径」が、大きなカギとなる。実は、数か月前にも22口径のライフルによりホームレスが殺害される事件があったのだ。しかも、オセチキンが殺害された現場のすぐ近くだった。こののちに数名の容疑者が逮捕されたが、全員にアリバイがあったためこの時点での解決はできなかった。
2週間後のことである。地元の名医として名高かったアレクサンダー・エゴロフが射殺された。これの凶器も22口径ライフルであった。この事件には目撃者がおり、30歳くらいの男性であるとの証言が得られた。
不幸なことに、この事件のすぐのちに、またも別の男性がナイフで刺され、22口径ライフルで銃殺されるという事件が発生してしまう。この事件では多数の指紋が現場から検出されたが、過去に犯罪を犯した人物のデータに一致するものはなく、捜査は停滞してしまった。
2週間後、こんどはアレクサンダー・シュパックなる人物が殺害される。彼は事件直前、2名の男性と口論になっていた。そばにいた友人の証言により、相手のうち1人の名前が「ウラジーミル」であったということが判明した。
後日、またも男性の遺体が発見される。現場にあった薬莢から、一連の事件との関連性が確実視された。
そして9月28日。事件は大きく進展する。
この日、ピョートル・グロモフという人物が殺害された。刺されたのちに頭へ2発の弾丸を撃ち込まれたのである。この事件の目撃者であった女性は、「隣人の男が怪しい」と証言する。この男こそがヴォロディミル・コンドラチェンコであった。コンドラチェンコは当初事件との関連を否定したが、指紋の一致により観念し、以前に起こした事件も含め20件以上の犯行を自白した。
その後共犯者が続々と逮捕される。
自動車強盗及び殺人を共謀したとしてアンドレイ・ティモシン、自動車の提供や犯行計画に関わったとしてルゲイ・トレチャチェンコ、そして殺人の共犯であるウラジスラフ・ヴォルコヴィッチが逮捕された。
主犯格のうち、コンドラチェンコは裁判開始以降、獄中で処方薬による自殺を図り、2度目で成功し死亡した。一方ヴォルコヴィッチは全ての罪をコンドラチェンコになすりつけようとしたが聞き入れられるはずもなく、終身刑を言い渡された。他2名にも懲役刑が下された。
ちなみに、コンドラチェンコとヴォルコヴィッチの担当弁護士であったヴィクトル・カバノフが判決を不服として控訴したが、恐らく棄却されたものと思われる。
記事:東海林めぐる
最終更新:2022年12月07日 13:54