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岡島秀樹 - (2012/12/02 (日) 20:07:26) の1つ前との変更点

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岡島秀樹 背番号62 投手 左投左打 -日本での呼び名は「オカジ」「オカ」など。 -「あっち向いてホイ投法(by福本豊)」とも呼ばれる、&bold(){投げる瞬間にキャッチャーのミットを見ずに下を向く独特のフォームが特徴}の投手。 -独特なフォームは「キャプテン翼」でおなじみ高橋陽一の「エース!」という漫画からヒントを得たものらしい。 -紅白歌合戦のゲスト席に呼ばれたことがあるプロ野球選手の一人。 -京都府出身。東山高校時代は甲子園に2回出場。 -1994年、ドラフト3位指名で巨人に入団し、2000、2002年には日本シリーズに出場。2006年に日ハムへトレード。投手陣の一角として日本シリーズ、アジアシリーズに出場。 同年のシーズンオフにFAでMLB、ボストン・レッドソックスに入団。 -松坂大輔とメジャー挑戦した期間が近かったため、当初は「松坂の話し相手」ほどの期待しかされていなかったが、メジャー1年目からセットアッパーとして活躍。チームのワールドシリーズ制覇に貢献する。 -2012年に、抑えの[[馬原>馬原孝浩]]の調整事情もあり、ホークスに1年契約で入団。入団会見では、ファンへのメッセージが発せられるも、ナチュラルに「ソフトバンク&bold(){ス}」と言い間違え、たかせん民をざわざわさせる。 -背番号は「62」。曰く、昔からお世話になっている占い師の人にすすめてもらった番号なのだとか。 -オープン戦では、米国とストライクゾーンの違いもあるのか登板するたび調子が変わるという不安定投球。しかし迎えた4月4日の鷲戦ではビハインドでの登板ながら、1イニングを打者3人、わずか10球で封じるパーフェクト投球を見せた。 -[[吉川>吉川輝昭]]や[[カナザー>金澤健人]]など中継ぎ陣の不調が続く中、最初は他人の出したランナーをきっちり返す防御率詐欺を行っていたものの、シーズン前半終了頃にはすっかり「岡島で打たれたらしゃーない」と認識される人物にまでのし上がる。メジャー帰りパネェす。 -5月31日のDeNA戦では、ホームスチール+ボークを狙われるも、一度プレートを外してから冷静にホームに投げてアウトを取った。「あんなの初めて。せこいですね(笑)。でもアウトを一つ取れてラッキーでした」とは本人談。若手では作戦にはめられる可能性もあっただけに、大きなプレーとなった。 -6月22日には、セ・リーグの開幕からの無失点イニング記録「24」を地味に抜く(※パ・リーグ記録はないため事実上の参考記録となる)。同月28日&bold(){檻戦}&u(){}で記録が途切れたものの(今宮の走塁妨害として自責点つかず)、最終的に記録を&bold(){27イニング}まで延ばした。 -8月18日の&bold(){&u(){檻戦}}では、以前から&bold(){「絶対にやりたくない」}と語っていたクローザーを、帰国後初めてこなした。疲れもあるだろうが抑えとしての登板内容を見る限り、確かに得意ではない感が滲み出てないこともない。 -8月30日の&bold(){&u(){檻戦}}で、開幕から続いていた自責点0が47戦目にしてついに途切れて黒星も。とはいえ、頭が上がらない働きぶりであることは間違いなので、これからも期待してるバイ! -以上のように、あまりにも檻戦でいろいろ起きすぎなので、岡島×檻戦はちょっぴり鬼門なのかもしれない。 -9月11日に日米通算750試合登板を記録。 **エピソード -髪型がなんというか、ええと、&bold(){アグレッシブ…?}のため、登板のたびに「岡島の髪www」とたかせんで突っ込まれることしばしば。 -MLBに戻る予定か、奥様やお子さんをアメリカに残している単身赴任おとうさん。 -[[門奈>門奈哲寛]]コーチは、岡島にとって巨人時代からの兄貴分的存在。 -ホークス入団当初に、親睦を深めるために自ら中継ぎ会を開いたらしい。 -2012年の段階で、未だ先発投手をやりたいと思っていると語っている。 -メジャーでの生活経験によって、「打たれても(点を取られても)死ぬわけじゃないし」と良い意味で開き直ることに成功したらしい。
岡島秀樹 背番号62 投手 左投左打 -日本での呼び名は「オカジ」「オカ」など。 -「あっち向いてホイ投法(by福本豊)」とも呼ばれる、&bold(){投げる瞬間にキャッチャーのミットを見ずに下を向く独特のフォームが特徴}の投手。 -独特なフォームは「キャプテン翼」でおなじみ高橋陽一の「エース!」という漫画からヒントを得たものらしい。 -紅白歌合戦のゲスト席に呼ばれたことがあるプロ野球選手の一人。 -京都府出身。東山高校時代は甲子園に2回出場。 -1994年、ドラフト3位指名で巨人に入団し、2000、2002年には日本シリーズに出場。2006年に日ハムへトレード。投手陣の一角として日本シリーズ、アジアシリーズに出場。 同年のシーズンオフにFAでMLB、ボストン・レッドソックスに入団。 -松坂大輔とメジャー挑戦した期間が近かったため、当初は「松坂の話し相手」ほどの期待しかされていなかったが、メジャー1年目からセットアッパーとして活躍。チームのワールドシリーズ制覇に貢献する。 -2012年に、抑えの[[馬原>馬原孝浩]]の調整事情もあり、ホークスに1年契約で入団。入団会見では、ファンへのメッセージが発せられるも、ナチュラルに「ソフトバンク&bold(){ス}」と言い間違え、たかせん民をざわざわさせる。 -背番号は「62」。曰く、昔からお世話になっている占い師の人にすすめてもらった番号なのだとか。 -オープン戦では、米国とストライクゾーンの違いもあるのか登板するたび調子が変わるという不安定投球。しかし迎えた4月4日の鷲戦ではビハインドでの登板ながら、1イニングを打者3人、わずか10球で封じるパーフェクト投球を見せた。 -[[吉川>吉川輝昭]]や[[カナザー>金澤健人]]など中継ぎ陣の不調が続く中、最初は他人の出したランナーをきっちり返す防御率詐欺を行っていたものの、シーズン前半終了頃にはすっかり「岡島で打たれたらしゃーない」と認識される人物にまでのし上がる。メジャー帰りパネェす。 -5月31日のDeNA戦では、ホームスチール+ボークを狙われるも、一度プレートを外してから冷静にホームに投げてアウトを取った。「あんなの初めて。せこいですね(笑)。でもアウトを一つ取れてラッキーでした」とは本人談。若手では作戦にはめられる可能性もあっただけに、大きなプレーとなった。 -6月22日には、セ・リーグの開幕からの無失点イニング記録「24」を地味に抜く(※パ・リーグ記録はないため事実上の参考記録となる)。同月28日&bold(){檻戦}&u(){}で記録が途切れたものの(今宮の走塁妨害として自責点つかず)、最終的に記録を&bold(){27イニング}まで延ばした。 -8月18日の&bold(){&u(){檻戦}}では、以前から&bold(){「絶対にやりたくない」}と語っていたクローザーを、帰国後初めてこなした。疲れもあるだろうが抑えとしての登板内容を見る限り、確かに得意ではない感が滲み出てないこともない。 -8月30日の&bold(){&u(){檻戦}}で、開幕から続いていた自責点0が47戦目にしてついに途切れて黒星も。とはいえ、頭が上がらない働きぶりであることは間違いなので、これからも期待してるバイ! -以上のように、あまりにも檻戦でいろいろ起きすぎなので、岡島×檻戦はちょっぴり鬼門なのかもしれない。 -9月11日に日米通算750試合登板を記録。最終的に、防御率0.94、WHIP0.84という神助っ人っぷりを見せつけた。 -ポストシーズン終了前に米国移住権を取得。11月30日に自由契約となる。 **エピソード -髪型がなんというか、ええと、&bold(){アグレッシブ…?}のため、登板のたびに「岡島の髪www」とたかせんで突っ込まれることしばしば。 -MLBに戻る予定か、奥様やお子さんをアメリカに残している単身赴任おとうさん。 -[[門奈>門奈哲寛]]コーチは、岡島にとって巨人時代からの兄貴分的存在。 -ホークス入団当初に、親睦を深めるために自ら中継ぎ会を開いたらしい。 -2012年の段階で、未だ先発投手をやりたいと思っていると語っている。 -メジャーでの生活経験によって、「打たれても(点を取られても)死ぬわけじゃないし」と良い意味で開き直ることに成功したらしい。 -ホークスの2012年を飾る最終セレモニーでは、CSの意気込みを選手一人一人が語ることになる中、「時差ぼけで」とあくまでもマイペースっぷりを炸裂させた。

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