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巽真悟 - (2015/01/07 (水) 23:27:01) の1つ前との変更点

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巽真悟 背番号25 投手 右投左打 -名字の読みは「たつみ」。チーム内では「タツ」と呼ばれているそう。 -格好いい名字の持ち主だが、たかせんにおける元々の印象は&bold(){「炎上してばっさんに励まされた人」}とどこか地味。しかし2012年シーズンからは&bold(){「プロじゃない投手」「ピントの後に投げた投手」「サンドバック」}(※すべて後述参照)とある意味、一躍有名になってしまった。どうしてこうなった。 -檻の平野に顔が少し似ているという意見も。 -2008年ドラフト1位指名で近大からホークスに入団。入団時の背番号は「20」。 -同大の先輩には、[[甲藤>甲藤啓介]]や[[となりん>大隣憲司]]がいる。甲子園出場経験はないものの、大学三年の春にはリーグ戦でノーヒットノーランを達成している。 -最速150km/hのストレートとキレのある縦のスライダーを武器にし、カーブ、自ら名付けたタツミボールと呼ばれる揺れながら落ちるチェンジアップ、カットボール、ツーシームも投げ分けるとされ、入団当初は「西口二世」と言われた。 --しかし調子が悪くなったり、思い通りのピッチングが出来なくなるとプロじゃない投球をしてしまうメンタルの弱さが弱点。 -2011年は二軍で無双し最多勝を獲得するも、近年ないほど先発投手が充実した年であったため一軍で投げる機会を与えられずと、やや不憫な役回り。アジアシリーズでは好投するも、日本では地上波での中継がなかったため然程目立たず。 -2011年オフにウィンターリーグ派遣を断り、肉体改造に取り組む。2012年春季キャンプではA組で結果を出したが先発争いがあまりに激しかったため、&bold(){無失点なのにB組落ち}になるという、やっぱり不憫な役回り(その数日後には再びA組に上げられる)。 -2012年3月18日には中継ぎとして初登板。安定した内容に、普段冷静な[[高山投手コーチ>高山郁夫]]が「巽がいい味を出している。リリーフの資質は今まで見ていなかった。もしかして、もしかするかも」と興奮気味にまくしたてたそう。安心と信頼の中継ぎ再生工場長の発言なだけに、今後の巽の動向が注目された&bold(){…のだが。} -4月11日、北九州市民球場で行われた日ハム戦で、大量失点した[[ピント>レニエル・ピント]]の後を受けて登板。が、ある意味ピントがかすむくらいフルボッコされ、晒し投げ状態に。試合後&bold(){「ピントの後に投げた投手はプロじゃないね」}と、怒りを暗示する「クン付け」を超えた&bold(){「名前すら呼ばない」}コメントが[[監督>秋山幸二]]からあったという釣りネタまで出てそのまま定着してしまった。その後ピントと共に即2軍行きを命じられた。おお、もう…。 -4月17日、2軍で先発登板するも北九州の後遺症か&bold(){初回7失点}。味方打線の援護により試合は9-9の引き分けで終了。負けこそつかなかったものの…。 -楽しいGW真っ盛りのはずの5月4日楽天戦に登板するが、4回5失点と案の定。も、降板後の巽コメント&bold(){「球は悪くなかった」} に、たかせん住民驚愕。もちろん即2軍sage。 -2012年シーズンに西武戦であわやノーノーをくらいかけると監督が「サンドバックが欲しいな」とご所望。以上の経緯もあり、別に&bold(){この日先発でも何でもなかったのに}、たかせんどころか野球ch全体で&bold(){サンドバックの中身=巽}と理解が深められてしまった。 -二、三軍では人数不足により野手として打席に立つこともある。打撃センスがあり俊足なことから、巽が炎上するとしばしば野手転向待望論が住民より出る。巽の明日はどっちだ!? -しかし2011年の2軍戦で最多勝、2012年で5勝2敗と物足りない成績だが規定投球回数に到達。2013年シーズンは久々の一軍登板を果たし、初勝利こそ得られなかったものの地味な成長を見せた。 -2014年シーズンより、背番号が「25」に変更となる。 **エピソード -入団後は、[[ばっさん>大場翔太]]に&bold(){「ライバルなんで話はしません!」}と宣言されるも、紅白戦で派手に燃え上がると「俺なんかもっと大事な最後のオープン戦で5回で8点とられた。次頑張ればいいよ」と&bold(){普通に励まされる。}
巽真悟 背番号25 投手 右投左打 -名字の読みは「たつみ」。チーム内では「タツ」と呼ばれているそう。 -格好いい名字の持ち主だが、たかせんにおける元々の印象は&bold(){「炎上してばっさんに励まされた人」}とどこか地味。しかし2012年シーズンからは&bold(){「プロじゃない投手」「ピントの後に投げた投手」「サンドバック」}(※すべて後述参照)とある意味、一躍有名になってしまった。どうしてこうなった。 -檻の平野に顔が少し似ているという意見も。 -2008年ドラフト1位指名で近大からホークスに入団。入団時の背番号は「20」。 -同大の先輩には、[[甲藤>甲藤啓介]]や[[となりん>大隣憲司]]がいる。甲子園出場経験はないものの、大学三年の春にはリーグ戦でノーヒットノーランを達成している。 -最速150km/hのストレートとキレのある縦のスライダーを武器にし、カーブ、自ら名付けたタツミボールと呼ばれる揺れながら落ちるチェンジアップ、カットボール、ツーシームも投げ分けるとされ、入団当初は「西口二世」と言われた。 --しかし調子が悪くなったり、思い通りのピッチングが出来なくなるとプロじゃない投球をしてしまうメンタルの弱さが弱点。 -2011年は二軍で無双し最多勝を獲得するも、近年ないほど先発投手が充実した年であったため一軍で投げる機会を与えられずと、やや不憫な役回り。アジアシリーズでは好投するも、日本では地上波での中継がなかったため然程目立たず。 -2011年オフにウィンターリーグ派遣を断り、肉体改造に取り組む。2012年春季キャンプではA組で結果を出したが先発争いがあまりに激しかったため、&bold(){無失点なのにB組落ち}になるという、やっぱり不憫な役回り(その数日後には再びA組に上げられる)。 -2012年3月18日には中継ぎとして初登板。安定した内容に、普段冷静な[[高山投手コーチ>高山郁夫]]が「巽がいい味を出している。リリーフの資質は今まで見ていなかった。もしかして、もしかするかも」と興奮気味にまくしたてたそう。安心と信頼の中継ぎ再生工場長の発言なだけに、今後の巽の動向が注目された&bold(){…のだが。} -4月11日、北九州市民球場で行われた日ハム戦で、大量失点した[[ピント>レニエル・ピント]]の後を受けて登板。が、ある意味ピントがかすむくらいフルボッコされ、晒し投げ状態に。試合後&bold(){「ピントの後に投げた投手はプロじゃないね」}と、怒りを暗示する「クン付け」を超えた&bold(){「名前すら呼ばない」}コメントが[[監督>秋山幸二]]からあったという釣りネタまで出てそのまま定着してしまった。その後ピントと共に即2軍行きを命じられた。おお、もう…。 -4月17日、2軍で先発登板するも北九州の後遺症か&bold(){初回7失点}。味方打線の援護により試合は9-9の引き分けで終了。負けこそつかなかったものの…。 -楽しいGW真っ盛りのはずの5月4日楽天戦に登板するが、4回5失点と案の定。も、降板後の巽コメント&bold(){「球は悪くなかった」} に、たかせん住民驚愕。もちろん即2軍sage。 -2012年シーズンに西武戦であわやノーノーをくらいかけると監督が「サンドバックが欲しいな」とご所望。以上の経緯もあり、別に&bold(){この日先発でも何でもなかったのに}、たかせんどころか野球ch全体で&bold(){サンドバックの中身=巽}と理解が深められてしまった。 -二、三軍では人数不足により野手として打席に立つこともある。打撃センスがあり俊足なことから、巽が炎上するとしばしば野手転向待望論が住民より出る。巽の明日はどっちだ!? -しかし2011年の2軍戦で最多勝、2012年で5勝2敗と物足りない成績だが規定投球回数に到達。2013年シーズンは久々の一軍登板を果たし、初勝利こそ得られなかったものの地味な成長を見せた。 -2014年シーズンより、背番号が「25」に変更となる。 **エピソード -誕生日は1月10日で、チームメイトの[[明石>明石健志]]とは一日違い。 -入団後は、[[ばっさん>大場翔太]]に&bold(){「ライバルなんで話はしません!」}と宣言されるも、紅白戦で派手に燃え上がると「俺なんかもっと大事な最後のオープン戦で5回で8点とられた。次頑張ればいいよ」と&bold(){普通に励まされる。} -2015年1月7日に、かねてから交際を続けていた幼馴染の女性との結婚を発表している。

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