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岡島秀樹 - (2014/12/10 (水) 23:05:53) の最新版との変更点

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岡島秀樹 背番号37 投手 左投左打 -日本での呼び名は「オカジ」「オカ」など。 -「あっち向いてホイ投法(by福本豊)」とも呼ばれる、&bold(){投げる瞬間にキャッチャーのミットを見ずに下を向く独特のフォームが特徴}の投手。だが前は見えているのか、ピッチャー強襲の打球も冷静に処理するなど、フィールディングには問題がない様子。 -独特なフォームは「キャプテン翼」でおなじみ高橋陽一の「エース!」という漫画からヒントを得たものらしい。 -紅白歌合戦のゲスト席に呼ばれたことがあるプロ野球選手の一人。 -京都府出身。東山高校時代は甲子園に2回出場。 -1994年、ドラフト3位指名で巨人に入団し、2000、2002年には日本シリーズに出場。2006年に日ハムへトレード。投手陣の一角として日本シリーズ、アジアシリーズに出場。 同年のシーズンオフにFAでMLB、ボストン・レッドソックスに入団。 -[[松坂大輔]]とメジャー挑戦した期間が近かったため、当初は「松坂の話し相手」ほどの期待しかされていなかったが、メジャー1年目からセットアッパーとして活躍。チームのワールドシリーズ制覇に貢献する。 -2012年に、抑えの[[馬原>馬原孝浩]]の調整事情もあり、ホークスに1年契約で入団。入団会見では、ファンへのメッセージが発せられるも、ナチュラルに「ソフトバンク&bold(){ス}」と言い間違え、たかせん民をざわざわさせる。 -背番号は「62」。曰く、昔からお世話になっている占い師の人にすすめてもらった番号なのだとか。 -オープン戦では、米国とストライクゾーンの違いもあるのか登板するたび調子が変わるという不安定投球。しかし迎えた4月4日の鷲戦ではビハインドでの登板ながら、1イニングを打者3人、わずか10球で封じるパーフェクト投球を見せた。 -[[吉川>吉川輝昭]]や[[カナザー>金澤健人]]など中継ぎ陣の不調が続く中、最初は他人の出したランナーをきっちり返す防御率詐欺を行っていたものの、シーズン前半終了頃にはすっかり「岡島で打たれたらしゃーない」と認識される人物にまでのし上がる。メジャー帰りパネェす。 -5月31日のDeNA戦では、ホームスチール+ボークを狙われるも、一度プレートを外してから冷静にホームに投げてアウトを取った。「あんなの初めて。せこいですね(笑)。でもアウトを一つ取れてラッキーでした」とは本人談。若手では作戦にはめられる可能性もあっただけに、大きなプレーとなった。 -6月22日には、セ・リーグの開幕からの無失点イニング記録「24」を地味に抜く(※パ・リーグ記録はないため事実上の参考記録となる)。同月28日檻戦で記録が途切れたものの(今宮の走塁妨害として自責点つかず)、最終的に記録を&bold(){27イニング}まで延ばした。 -8月18日の檻戦では、以前から&bold(){「絶対にやりたくない」}と語っていたクローザーを、帰国後初めてこなした。疲れもあるだろうが抑えとしての登板内容を見る限り、確かに得意ではない感が滲み出てないこともない。8月30日の&bold(){やっぱり檻戦}で、開幕から続いていた自責点0が47戦目にしてついに途切れて黒星も。 -以上のように、あまりにも檻戦でいろいろ起きすぎなので、岡島×檻戦はちょっぴり鬼門なのかもしれない…とか何とか思っていたら以降は&bold(){対檻戦の登板機会自体が0}となった。 -9月11日に日米通算750試合登板を記録。最終的に、防御率0.94、WHIP0.84という成績を残した。 -ポストシーズン終了前に米国移住権を取得。11月30日に自由契約となり、その後アスレチックスとマイナー契約を結んだ。その活躍ぶりと立つ鳥跡を濁さないっぷりに、たかせんでは外国人助っ人のような扱いを受けている。 -2014年になると「わがままでアメリカに行かせてもらい、感謝の気持ちでいっぱい。もう(現役は)日本で終えるつもり。ホークスで終わってもいい」とホークスがメジャー行きを容認したことに恩義を感じ、出戻ることが決まる。新背番号は巨人時代に長く付けていた「37」。おかえり!が、一方で報告のブログに&bold(){「ソフトバンク・ホークス」}と記載したりと、球団名を正確に覚えているかについては若干の怪しさが残る。迎えた4月8日に通算500試合登板を白星で飾ると「できすぎでしょう。ホークスを選んでよかった」とコメントを残した。この年のオフに契約満了で退団。 -2015年シーズンからは横浜DeNAベイスターズでのプレーが決まる。なお、同年から入来コーチがホークス入りすることも決まっており、実質&bold(){岡島⇔入来トレード}との声も。 **エピソード -誕生日は12月25日で、チームメイトの[[松中>松中信彦]]とは一日違い。 -2012年シーズンは髪型が&bold(){強いて言うならアグレッシブ}であったため、登板のたびに「岡島の髪www」とたかせんでしばしば突っ込まれていた。 -MLBに戻る予定か、奥様やお子さんをアメリカに残している単身赴任おとうさん。 -[[門奈コーチ>門奈哲寛]]は、岡島にとって巨人時代からの兄貴分的存在。 -ホークス入団当初に、親睦を深めるために自ら中継ぎ会を開いたらしい。 -2012年の段階で、未だ先発投手をやりたいと思っていると語っている。 -メジャーでの生活経験によって、「打たれても(点を取られても)死ぬわけじゃないし」と良い意味で開き直ることに成功したらしい。 -ホークスの2012年を飾る最終セレモニーでは、CSの意気込みを選手一人一人が語ることになる中、「時差ぼけで」とあくまでもマイペースっぷりを炸裂させた。なおCSでは(ry -2014年シーズンから鷲に所属のユーキリスとは米大リーグとレッドソックス時代の5年間、ずっとチームメートで、家族ぐるみの付き合いをしていたのだそう。
岡島秀樹 背番号37 投手 左投左打 -日本での呼び名は「オカジ」「オカ」など。 -「あっち向いてホイ投法(by福本豊)」とも呼ばれる、&bold(){投げる瞬間にキャッチャーのミットを見ずに下を向く独特のフォームが特徴}の投手。だが前は見えているのか、ピッチャー強襲の打球も冷静に処理するなど、フィールディングには問題がない様子。 -独特なフォームは「キャプテン翼」でおなじみ高橋陽一の「エース!」という漫画からヒントを得たものらしい。 -紅白歌合戦のゲスト席に呼ばれたことがあるプロ野球選手の一人。 -京都府出身。東山高校時代は甲子園に2回出場。 -1994年、ドラフト3位指名で巨人に入団し、2000、2002年には日本シリーズに出場。2006年に日ハムへトレード。投手陣の一角として日本シリーズ、アジアシリーズに出場。 同年のシーズンオフにFAでMLB、ボストン・レッドソックスに入団。 -[[松坂大輔]]とメジャー挑戦した期間が近かったため、当初は「松坂の話し相手」ほどの期待しかされていなかったが、メジャー1年目からセットアッパーとして活躍。チームのワールドシリーズ制覇に貢献する。 -2012年に、抑えの[[馬原>馬原孝浩]]の調整事情もあり、ホークスに1年契約で入団。入団会見では、ファンへのメッセージが発せられるも、ナチュラルに「ソフトバンク&bold(){ス}」と言い間違え、たかせん民をざわざわさせる。 -背番号は「62」。曰く、昔からお世話になっている占い師の人にすすめてもらった番号なのだとか。 -オープン戦では、米国とストライクゾーンの違いもあるのか登板するたび調子が変わるという不安定投球。しかし迎えた4月4日の鷲戦ではビハインドでの登板ながら、1イニングを打者3人、わずか10球で封じるパーフェクト投球を見せた。 -[[吉川>吉川輝昭]]や[[カナザー>金澤健人]]など中継ぎ陣の不調が続く中、最初は他人の出したランナーをきっちり返す防御率詐欺を行っていたものの、シーズン前半終了頃にはすっかり「岡島で打たれたらしゃーない」と認識される人物にまでのし上がる。メジャー帰りパネェす。 -5月31日のDeNA戦では、ホームスチール+ボークを狙われるも、一度プレートを外してから冷静にホームに投げてアウトを取った。「あんなの初めて。せこいですね(笑)。でもアウトを一つ取れてラッキーでした」とは本人談。若手では作戦にはめられる可能性もあっただけに、大きなプレーとなった。 -6月22日には、セ・リーグの開幕からの無失点イニング記録「24」を地味に抜く(※パ・リーグ記録はないため事実上の参考記録となる)。同月28日檻戦で記録が途切れたものの(今宮の走塁妨害として自責点つかず)、最終的に記録を&bold(){27イニング}まで延ばした。 -8月18日の檻戦では、以前から&bold(){「絶対にやりたくない」}と語っていたクローザーを、帰国後初めてこなした。疲れもあるだろうが抑えとしての登板内容を見る限り、確かに得意ではない感が滲み出てないこともない。8月30日の&bold(){やっぱり檻戦}で、開幕から続いていた自責点0が47戦目にしてついに途切れて黒星も。 -以上のように、あまりにも檻戦でいろいろ起きすぎなので、岡島×檻戦はちょっぴり鬼門なのかもしれない…とか何とか思っていたら以降は&bold(){対檻戦の登板機会自体が0}となった。 -9月11日に日米通算750試合登板を記録。最終的に、防御率0.94、WHIP0.84という成績を残した。 -ポストシーズン終了前に米国移住権を取得。11月30日に自由契約となり、その後アスレチックスとマイナー契約を結んだ。その活躍ぶりと立つ鳥跡を濁さないっぷりに、たかせんでは外国人助っ人のような扱いを受けている。 -2014年になると「わがままでアメリカに行かせてもらい、感謝の気持ちでいっぱい。もう(現役は)日本で終えるつもり。ホークスで終わってもいい」とホークスがメジャー行きを容認したことに恩義を感じ、出戻ることが決まる。新背番号は巨人時代に長く付けていた「37」。おかえり!が、一方で報告のブログに&bold(){「ソフトバンク・ホークス」}と記載したりと、球団名を正確に覚えているかについては若干の怪しさが残る。迎えた4月8日に通算500試合登板を白星で飾ると「できすぎでしょう。ホークスを選んでよかった」とコメントを残した。この年のオフに契約満了で退団。 -2015年シーズンからは横浜DeNAベイスターズでのプレーが決まる。同年から[[入来コーチ>入来祐作]]がホークス入りしたこともあり、実質&bold(){岡島⇔入来トレード}との声も飛んだ。故障もあり移籍後の登板は6月9日とずれ込む。その日は無失点で移籍後の初登板を飾ったが、思うような成績を残せず10月に戦力外通告を受けた。 -2016年2月にオリオールズとマイナー契約を結んだことが発表されるなど、流浪ぶりは相変わらず。だったものの、同年3月29日には戦力外となった。 -2016年8月11日に、古巣レッドソックスの本拠地ボストンで行われた始球式に引退登板。選手生活に区切りをつけた。おつかれさまでした。 **エピソード -誕生日は12月25日で、チームメイトの[[松中>松中信彦]]とは一日違い。 -2012年シーズンは髪型が&bold(){強いて言うならアグレッシブ}であったため、登板のたびに「岡島の髪www」とたかせんでしばしば突っ込まれていた。 -[[門奈コーチ>門奈哲寛]]は、岡島にとって巨人時代からの兄貴分的存在。 -ホークス入団当初に、親睦を深めるために自ら中継ぎ会を開いたらしい。 -2012年の段階で、未だ先発投手をやりたいと思っていると語っている。 -メジャーでの生活経験によって、「打たれても(点を取られても)死ぬわけじゃないし」と良い意味で開き直ることに成功したらしい。 -ホークスの2012年を飾る最終セレモニーでは、CSの意気込みを選手一人一人が語ることになる中、「時差ぼけで」とあくまでもマイペースっぷりを炸裂させた。なおCSでは(ry -2014年シーズンから鷲に所属のユーキリスとは米大リーグとレッドソックス時代の5年間、ずっとチームメートで、家族ぐるみの付き合いをしていたのだそう。

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