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小久保裕紀 - (2012/05/26 (土) 18:37:51) の最新版との変更点

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小久保裕紀 背番号9 内野手 -スレでの呼び名は「かぷてん」。 -他の追随を許さないホークスきっての、&bold(){おされ番長}である。 -1993年に青学からドラフト2位でホークスに入団。 -2004年から2006年までは色々あって兎球団の出張かぷてんに。しかし、大人の事情もあってホークスのかぷてんに復帰した。現在の応援歌に「鷹のプレイグラウンドに帰ってきたんだ」とあるのは、そのためである。 -その美しいアーチを描くホームランは人気が高く、2011年5月には400号に到達。 -2011年シーズン終了時点で、ベストナイン3回・ゴールデングラブ賞3回・最多本塁打・最多打点・カムバック賞、日本シリーズMVP(※[[アッキー>秋山幸二]]の記録を破り、歴代最年長で受賞。小久保「監督、すみません」)といったタイトルを獲得している。 -2010年CSでは、&bold(){ヒットをホームランと勘違いしてその場で大喜び}。すぐに塁へ走り出さなかったことで(※記録はシングルヒット)、[[本多>本多雄一]]に「罰金ものですよ」とからかわれる一幕も。 -2012年はシーズン前から2000本安打達成を期待され、持病の首痛完治のため手術を受け万全を期していたが、腰痛(後に腰椎椎間板ヘルニアと判明)を発症。&bold(){1999本安打}を決めたところで登録抹消となる。2000本のかかる試合では、王会長や斉藤和巳も現地観戦していたようである。ゆっくりでもいいので元気な復帰がのぞまれる。 **エピソード -喋りが残念なホークス選手が多い中、その喋りの上手さは群を抜いており、試合を冷静に振り返るヒロインはもはや、監督インタビューの域である。なお、当の監督の喋りは(ry。 -かぷてんしーに溢れ、gdgd投球をする[[大隣>大隣憲司]]や[[大場>大場翔太]]に、マウンドまで行って熱い説教をする場面も多い。 -2011年に[[内川>内川聖一]]が新加入した際には&bold(){「お前のその顎は、いじってもいいネタか?」}と質問。内川がOKを出すと、さっそく次から盛大にいじり、彼をチームに溶け込ませた。そんな経緯もあってか内川は非常にかぷてんを尊敬しており、曰く&bold(){「抱かれてもいい。どうにでもしてって感じ」}とのこと。 -球審の良川とは悪い方に縁があり、2010年には際どい打球がファウル判定された上、再三の抗議を行ってもビデオ判定が実行されずに幻の400号ホームランとなったことも。さらにその翌日は、その良川が主審をつとめる試合で、試合中ハーフスイングを塁審判断を仰がずにストライクと判断されたことで激昂。&bold(){「(塁審に)聞けやー!」}と怒鳴るも、「あ、しもた。つい怒鳴ってもうた。退場になるかもしれん。やばいやばい」とすぐ我に返るもムカつきがおさまらず、「ちゃんと聞いて&italic(){くださいよ}」と敬語で抗議。なお、本人は指摘されるまで自分が敬語で言い直したことに気づかなかったもよう。 -大変な読書家らしい。北方謙三作品を愛読しているらしく『楊令伝』5巻では解説までしている。 **おされ番長として -&bold(){上下白のスーツ}で登場。 -優勝後のローカル番組インタビューにて黒のシンプルなシャツ姿で登場「おっ珍しく普通か」と住民を油断させておいてからの首元にシルバーアクセサリー。 -自身の後援会パーティーでは、タキシード(蝶ネクタイ)に赤のインナーチラ見せ。 -2009年に開かれたファンサイト主催のパーティーに出席した際は、ドラキュラに扮する。&bold(){口に赤バラを加え、銀色の仮面に黒いマントを羽織ったタキシードのいでたちで登場}したらしい。切に画像求む。
小久保裕紀 背番号9 内野手 -名前の読みは&bold(){「ひろき」}。スレでの呼び名は&bold(){「かぷてん」}。由来は「チームのキャプテン」であるから。 -他の追随を許さないホークスきっての、&bold(){おされ番長}である。 -その美しいアーチを描くホームランとバット投げの美しさは球団随一との声も。2011年5月には400号HRを達成している。 -1992年にバルセロナ五輪に参加し、銅メダルを獲得。 -1993年に青学からドラフト2位でホークスに入団。翌年には28本塁打を放ち本塁打王に。1997年に打点王に輝く。1999年、2000年にはダイエー優勝に貢献。 -2003年オープン戦で大けがをし、シーズンを棒に振ると、2004年から2006年までは色々あって兎球団の出張かぷてんに。しかし、大人の事情もあって2007年にFAでホークスのかぷてんに復帰した。現在の応援歌に「鷹のプレイグラウンドに帰ってきたんだ」とあるのは、そのためである。 -2010年CSでは、&bold(){ヒットをホームランと勘違いしてその場で大喜び}。すぐに塁へ走り出さなかったことで(※記録はシングルヒット)、[[本多>本多雄一]]に「罰金ものですよ」とからかわれる一幕も。 -2011年シーズン終了時点で、ベストナイン3回・ゴールデングラブ賞3回・最多本塁打・最多打点・カムバック賞、日本シリーズMVP(※[[アッキー>秋山幸二]]の記録を破り、歴代最年長で受賞。小久保「監督、すみません」)といったタイトルを獲得している。 -2012年はシーズン前から2000本安打達成を期待され、持病の首痛完治のため手術を受け万全を期していたが、腰痛(後に腰椎椎間板ヘルニアと判明)を発症。&bold(){1999本安打}を決めたところで登録抹消となる。驚異的な回復力で6月24日のハム戦で復帰すると、ヤフドの観客に見守られながらセンターにヒットを放ち、&bold(){史上41人目・歴代3番目の年長記録で2000本安打達成}。本当におめでとうございます。ちなみに、客席から観戦する[[レジェンドエース>斉藤和巳]]の様子もばっちりカメラに抜かれた。斉藤本人によると、12年前の今日は自身が初勝利を決め、ホームランを打った小久保とお立ち台に上がった日であったとのこと。 -体の調子もあり、2012年シーズンはベンチスタートも増えていたが、8月14日の試合後に記者会見を開くと、今季限りで引退することを表明した。 -本来ホーム最終戦となるはずだった9月30日のハム戦で、3回裏にHR(2ラン)を放ちヤフドスタオベのお祭り騒ぎ。「もうホームランを打てないと思っていたのでうれしいです!でも、これが本当に最後かもしれませんね」というHR談話が伝えられている最中に5回裏の打席でまたもHR(2ラン)を放った。&bold(){「まだまだ出来る!!小久保!!」}とは実況の談。&bold(){※今季限りで引退する選手です。}もちろん住民の鳥肌涙腺フル活動。ヤフドで1試合に2本は自身10年ぶりとのことである。しかし次の打席で大きく空振り三振してしまったことを、試合後のヒロインで聞かれ、「ここまできたら三打席連続(HRを)打ってやめたれと思ったけど、そんなに甘くないです(笑)」と発言。笑いと感動を誘った。 -引退表明後は、昔と現在の応援歌を交互に流すように。また、対戦相手との最終試合になると各地の球団ファンが試合後小久保コールを起こすなど、温かく迎えてくれた。感謝感謝。 -2012年10月8日、&bold(){誕生日兼ホーム最終戦に引退セレモニーが敢行}。自身が特集された&bold(){呪いの番組「アスリートの魂」の放送日}であり、ばっちり呪い(檻・西によるノーノー達成)を受けつつも、ファンにハッピーバースデーを歌われたりしながらチームメイトに9度胴上げされ引退。[[和巳>斉藤和巳]]や[[川﨑>川崎宗則]]もやって来る。セレモニーでは目を潤ませるくらいだったが、王会長の花束贈呈になると顔をくしゃくしゃにさせて泣き、たかせん民も涙、涙…。19年間お疲れさまでした。 -2012年10月20日のハム戦では、&bold(){現役最終打席をラストバッターとして迎えるミラクル}発生。試合後には両軍によるサプライズ胴上げが起き、共に一時代を築いたハム稲葉らと抱き合って涙、涙再び。客席からは小久保コールも起こった。ありがとう、ハムの人たち。ありがとう、かぷてん。お疲れさまでした。 --ちなみに、それから&bold(){ちょうど2年後}の2014年10月20日にホークスがCSを制覇すると、両軍による引退する稲葉・金子誠へのサプライズ胴上げが敢行。この日の担当解説者として、自身の恩返しを兼ねた胴上げを見守るというミラクルに恵まれた。 -引退後はNHKの解説に就任。2013年10月9日には、&bold(){監督やコーチ経験が一切ないにも関わらず、日本代表「侍ジャパン」の新監督に就任}することが決定した。 **エピソード -喋りが残念なホークス選手が多い中、その喋りの上手さは群を抜いており、試合を冷静に振り返るヒロインはもはや、監督インタビューの域である。なお、当の[[監督>秋山幸二]]の喋りは(ry。 -かぷてんしーに溢れ、gdgd投球をする[[大隣>大隣憲司]]や[[大場>大場翔太]]に、マウンドまで行って熱い説教をする場面も多い。 --インタビュー内ではちょくちょく「(大隣に切れたのは)期待する選手だから」と述べている。なお、大隣が黄色靭帯骨化症から復帰した2014年、檻との優勝をかけた最終戦「10.2」ではNHK-BSの解説を担当し、「大隣は今、ホークスで一番安定している投手」と小久保なりの賛辞の言葉を送っている。 -リハビリを共に過ごした[[和巳>斉藤和巳]]からは特に慕われており、和巳引退セレモニーにかぷてんが登場すると、和巳の両目からは大量の涙があふれた。 -2011年に[[内川>内川聖一]]が新加入した際には&bold(){「お前のその顎は、いじってもいいネタか?」}と質問。内川がOKを出すと、さっそく次から盛大にいじり、彼をチームに溶け込ませた。そんな経緯もあってか内川は非常にかぷてんを尊敬しており、曰く&bold(){「抱かれてもいい。どうにでもしてって感じ」}とのこと。 -球審の良川とは悪い方に縁があり、2010年には際どい打球がファウル判定された上、再三の抗議を行ってもビデオ判定が実行されずに幻の400号ホームランとなったことも。さらにその翌日は、その良川が主審をつとめる試合で、試合中ハーフスイングを塁審判断を仰がずにストライクと判断されたことで激昂。&bold(){「(塁審に)聞けやー!」}と怒鳴るも、「あ、しもた。つい怒鳴ってもうた。退場になるかもしれん。やばいやばい」とすぐ我に返るもムカつきがおさまらず、「ちゃんと聞いて&italic(){くださいよ}」と敬語で抗議。なお、本人は指摘されるまで自分が敬語で言い直したことに気づかなかったもよう。 -プロ野球人生で一番印象に残ったHRは、巨人移籍後に[[斉藤和巳]]から放ったHRであるらしい。 -大変な読書家らしい。北方謙三作品を愛読しているらしく『楊令伝』5巻では解説までしている。  だからといって、[[あの人>大場翔太]]に本5冊と読書感想文を書かせるのもどうかと・・・ -2008年10月8日、王監督最後の試合では「自分に勝て 誇り高き戦士になれ」と言葉をかけられたとのこと。 -[[ギータ>柳田悠岐]]に背番号「9」の継承を正式にお願いされた日、食事に行くことになるも&bold(){待ち合わせ時間を間違えた}ギータによって2時間待たされた。 -2014年7月26日に解説をしていた際、NHK-BSのうっかり実況に&bold(){「ノーノーの場に居合わせたことはありますか?」}と尋ねられた。 **おされ番長として -一度着た服は着ないとの噂。アスリート体型と、素材自体は良いのだが、おされセンスで毎度野球ファン全体をびっくりさせている。興味ある方は「小久保 ファッション」で画像検索を。 -ちなみに[[松田>松田宣浩]]曰く&bold(){「小久保さんは私服も格好いい。真似したい」}とのこと。ダメ絶対。 -&bold(){上下白のスーツ}で登場。 -優勝後のローカル番組インタビューにて黒のシンプルなシャツ姿で登場「おっ珍しく普通か」と住民を油断させておいてからの首元にシルバーアクセサリー。 -自身の後援会パーティーでは、タキシード(蝶ネクタイ)に赤のインナーチラ見せ。 -2009年に開かれたファンサイト主催のパーティーに出席した際は、ドラキュラに扮する。&bold(){口に赤バラを加え、銀色の仮面に黒いマントを羽織ったタキシードのいでたちで登場}したらしい。

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