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神内靖 背番号38 投手 左投左打 -球速以上に球の勢いで三振を取るタイプの投手で、ハマれば試合途中に2桁奪三振が取れることも珍しくない。&bold(){ハマれば。} -肩をつくるのが早いのかスクランブル登板もままあり、普通の登板機会よりむしろスクランブル時に安定したピッチを見せる貴重な存在。ビハインドよりリード展開で投げると、本人も自信に満ちた良い投球ができるようだ。 -ここ数年は、オープン戦で投げている神内と、シーズン中の神内は別人とされている。 -Yahoo!速報での紹介文は&bold(){「突進左腕」}。言い得て妙である。 -2001年ドラフト4巡目指名を受けて、宮崎の延岡学園高校から入団。高校時代から当時日南学園に在籍していた寺原とは、ライバル関係にあった。 -プロ3年目の2004年7月25日のロッテ戦で、プロ初登板初先発ながら7回無失点。試合は延長の末引き分けに終わったが、鮮やかなデビューとなった。 --いきなりの快投に、実況アナも慌てた様子で「ほとんどデータはありませんが」と前置きした上で、長嶋茂雄がアテネ五輪野球チームの監督だった際に、たまたま当時話題の中心だった寺原といっしょに投球練習をしていた神内を見て、「彼の左の球威はね本当に目を見張るものがありましたし、事実あのプレート上でね、押し込みがバーンとね。いいボールを投げてました』と、寺原以上の素質を感じとっていたようだと述べている。 -2005年には4月2日のロッテ戦で念願の初勝利を挙げる。この年3勝。 -2006年にはオフに&bold(){ムッキムキ}となった効果が出たのか先発初勝利。中日戦では、6回11奪三振、その後継投もあって&bold(){19奪三振の日本記録タイ}に並んだ(継投での19奪三振はこの時が初)。自身キャリアハイとなる6勝を挙げる…が、怪我も絡み、ここから急降下。ビハインドでの中継ぎ登板が増える。 -制球難に苦しみ、2010年は久しぶりに先発登板するも、フルボッコにされ檻ベンチ&扇風機を破壊。弁償することに。 -2012年シーズンは、中継ぎ陣が手薄になる中キャンプからまさかの安定したピッチを見せ、住民を狐につままれたような気持ちへとさせたが、ビハインドゲームで投げることが増えるにつれて、おお、もう…。 -シーズンオフには、[[タムさん>多村仁志]]、[[吉川>吉川輝昭]]と共にトレードへ出される。良いところもたくさん持っている投手なだけに、ぜひ活躍してほしい。 -2013年シーズンは春季キャンプ、オープン戦と中畑監督の前でロマン投球をし、たちまち心を掴むも徐々に低調し、翌年10月3日には戦力外通告を受けた。 **エピソード -あだ名は&bold(){「ギリシャ」}。ギリシャ彫刻のような顔立ちからこの名が付いた。 名付け親は川村コーチと[[馬原>馬原孝浩]]らしい。が、現在は良くも悪くも上半身がギリシャ彫刻である。チーム内では他に「神(ジン)」とも呼ばれているらしい。 -自身は[[馬原>馬原孝浩]]よりも年下ながら、馬原を「マーくん」呼びしているとのこと。馬原が仙台でトンカツを食べながら「このトンカツ美味いな。 仙台牛 かな?」と言った際には、&bold(){「トンカツねぇ……トンカツ……。マーくんこれ牛やなくて豚やで!」}と突っ込んだというエピソードも。おそろしいことにこのエピソードは楽天、日ハムの選手にまで広まったらしい。 -延岡学園出なことから宮崎出身と思われがちだが、出身は京都である。 -鴎の今江は同級生で、リトルリーグ時代から交流があったとのこと。プレゼンター気質を持つホークス選手らしく、神内は今江がプロ初HRを打った相手であったりもする。 -がホークスに在籍していた頃は、&bold(){神がかった好投をする杉内をたかせん内で「神内」と呼ぶ}ことがあった。また、神内が好投すると「何だ、今日は杉内が投げてんのか」とレスされることも。 -神様仏様稲尾様こと稲尾和久は、解説者として何かと気にかけていたようで、神内がプロ初勝利した時には「ようやく孝行息子が現れたな。神内がこれほどの投球をするとは正直、思わなかった。入団当時から素材は良かったし、特に縦に割れるカーブは目を見張るものがあった。ただ、その素材を開花できない大きな原因は、直球の走りにあった。変化球がいいから、その変化球に頼り過ぎる傾向があった。今年は体重を増やし、球速、球威も増した。今までより直球が走るから、直球主体の投球ができる。そうすると、変化球も余計に生きる」と新聞にコメントを寄せている。また、2007年夏にも「上半身に頼らず投げることができていて良い」と褒めていた。色々どうしてこうなった、である。 -2012年3月7日のオープン戦(VS阪神)では、[[レニエル・ピント]]の後に登板。2人の風貌に「同じ顔じゃないか」「神内-神内リレーじゃないか」などとたかせんで言われる。 -一人暮らしを始めた際に、[[川﨑>川崎宗則]]から『一人暮らしを始めたそうだね?ホント俺は心配です!&bold(){俺より部屋が汚いと思ったのは、お前が初めてです!!}』とローカル番組内でメッセージを送られている。 -ホークス時代、DeNA時代と2チームで同じ時間を過ごした篠原のことを慕っていたようで、篠原引退式の際には号泣する様子が見られたようだ。
神内靖 背番号38 投手 左投左打 -球速以上に球の勢いで三振を取るタイプの投手で、ハマれば試合途中に2桁奪三振が取れることも珍しくない。&bold(){ハマれば。} -肩をつくるのが早いのかスクランブル登板もままあり、普通の登板機会よりむしろスクランブル時に安定したピッチを見せる貴重な存在。ビハインドよりリード展開で投げると、本人も自信に満ちた良い投球ができるようだ。 -ここ数年は、オープン戦で投げている神内と、シーズン中の神内は別人とされている。 -Yahoo!速報での紹介文は&bold(){「突進左腕」}。言い得て妙である。 -2001年ドラフト4巡目指名を受けて、宮崎の延岡学園高校から入団。高校時代から当時日南学園に在籍していた寺原とは、ライバル関係にあった。 -プロ3年目の2004年7月25日のロッテ戦で、プロ初登板初先発ながら7回無失点。試合は延長の末引き分けに終わったが、鮮やかなデビューとなった。 --いきなりの快投に、実況アナも慌てた様子で「ほとんどデータはありませんが」と前置きした上で、長嶋茂雄がアテネ五輪野球チームの監督だった際に、たまたま当時話題の中心だった寺原といっしょに投球練習をしていた神内を見て、「彼の左の球威はね本当に目を見張るものがありましたし、事実あのプレート上でね、押し込みがバーンとね。いいボールを投げてました』と、寺原以上の素質を感じとっていたようだと述べている。 -2005年には4月2日のロッテ戦で念願の初勝利を挙げる。この年3勝。 -2006年にはオフに&bold(){ムッキムキ}となった効果が出たのか先発初勝利。中日戦では、6回11奪三振、その後継投もあって&bold(){19奪三振の日本記録タイ}に並んだ(継投での19奪三振はこの時が初)。自身キャリアハイとなる6勝を挙げる…が、怪我も絡み、ここから急降下。ビハインドでの中継ぎ登板が増える。 -制球難に苦しみ、2010年は久しぶりに先発登板するも、フルボッコにされ檻ベンチ&扇風機を破壊。弁償することに。 -2012年シーズンは、中継ぎ陣が手薄になる中キャンプからまさかの安定したピッチを見せ、住民を狐につままれたような気持ちへとさせたが、ビハインドゲームで投げることが増えるにつれて、おお、もう…。 -シーズンオフには、[[タムさん>多村仁志]]、[[吉川>吉川輝昭]]と共にトレードへ出される。良いところもたくさん持っている投手なだけに、ぜひ活躍してほしい。 -2013年シーズンは春季キャンプ、オープン戦と中畑監督の前でロマン投球をし、たちまち心を掴むも徐々に低調し、翌年10月3日には戦力外通告を受けた。 -同年11月には引退を発表。&bold(){「いつかホークスとベイスターズが日本シリーズで戦うのを楽しみにしながら新しい道で精進していきます!」}とメッセージを綴った。お疲れさまでした。 **エピソード -あだ名は&bold(){「ギリシャ」}。ギリシャ彫刻のような顔立ちからこの名が付いた。 名付け親は川村コーチと[[馬原>馬原孝浩]]らしい。が、現在は良くも悪くも上半身がギリシャ彫刻である。チーム内では他に「神(ジン)」とも呼ばれているらしい。 -自身は[[馬原>馬原孝浩]]よりも年下ながら、馬原を「マーくん」呼びしているとのこと。馬原が仙台でトンカツを食べながら「このトンカツ美味いな。 仙台牛 かな?」と言った際には、&bold(){「トンカツねぇ……トンカツ……。マーくんこれ牛やなくて豚や!」}と突っ込んだというエピソードも。おそろしいことにこのエピソードは楽天、日ハムの選手にまで広まったらしい。 -延岡学園出なことから宮崎出身と思われがちだが、出身は京都である。 -鴎の今江は同級生で、リトルリーグ時代から交流があったとのこと。プレゼンター気質を持つホークス選手らしく、神内は今江がプロ初HRを打った相手であったりもする。 -がホークスに在籍していた頃は、&bold(){神がかった好投をする杉内をたかせん内で「神内」と呼ぶ}ことがあった。また、神内が好投すると「何だ、今日は杉内が投げてんのか」とレスされることも。 -神様仏様稲尾様こと稲尾和久は、解説者として何かと気にかけていたようで、神内がプロ初勝利した時には「ようやく孝行息子が現れたな。神内がこれほどの投球をするとは正直、思わなかった。入団当時から素材は良かったし、特に縦に割れるカーブは目を見張るものがあった。ただ、その素材を開花できない大きな原因は、直球の走りにあった。変化球がいいから、その変化球に頼り過ぎる傾向があった。今年は体重を増やし、球速、球威も増した。今までより直球が走るから、直球主体の投球ができる。そうすると、変化球も余計に生きる」と新聞にコメントを寄せている。また、2007年夏にも「上半身に頼らず投げることができていて良い」と褒めていた。色々どうしてこうなった、である。 -2012年3月7日のオープン戦(VS阪神)では、[[レニエル・ピント]]の後に登板。2人の風貌に「同じ顔じゃないか」「神内-神内リレーじゃないか」などとたかせんで言われる。 -一人暮らしを始めた際に、[[川﨑>川崎宗則]]から『一人暮らしを始めたそうだね?ホント俺は心配です!&bold(){俺より部屋が汚いと思ったのは、お前が初めてです!!}』とローカル番組内でメッセージを送られている。 -ホークス時代、DeNA時代と2チームで同じ時間を過ごした篠原のことを慕っていたようで、篠原引退式の際には号泣する様子が見られたようだ。

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