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内川聖一」を以下のとおり復元します。
内川聖一

背番号1 外野手

-いわゆるA-GOD。たかせんでの呼び名は「ウッチー」「顎神様」など。
-前球団に砂かけ発言をしたとして、野球chで「チック(※畜生のもじり)」と呼ばれることもあるが、たかせんでは蔑称と捉えられており、好んで使う人間はほぼいないので注意。
-早打ちなので三振・よんたま共に少ないが、広角に打ち分ける神懸かりのバッティングセンスを持つ。5年連続3割に加え、2011・2012年の統一球下で2年連続3割(他には長野と糸井だけ)という数字からも、そのセンスの高さが証明されている。
-ランニングホームランプレゼンターの才能がある。
-&bold(){投げるアゴ}門倉健に対して、こちらは&bold(){打つアゴ}と呼ばれる。口癖は&bold(){「僕自身」}。
-日本人右打者のシーズン最高打率.378の記録樹立者。史上21人めとなる全球団HR達成者でもある。

-2000年にドラフト1位で横浜に入団し、2010年オフにFA宣言。王会長の「そのままの君が欲しい。新天地と考えるのではなく、九州、地元に戻るという感覚でやってくれれば」という説得もありホークスに移籍。背番号は「24」。セ→パへの移籍や統一球の影響などによる不振が危惧されていたが、3番に完全に定着。[[川﨑>川崎宗則]]・[[本多>本多雄一]]の俊足1・2番コンビと合わさって、巧みなバットコントロールで息を吐くようにタイムリーを打ちチームの優勝に貢献し、&bold(){史上二人目の両リーグ首位打者}となる。
-2012年からは[[柴原>柴原洋]]の後を受け背番号「1」を背負う。が、柴原が背番号「1」を[[秋山監督>秋山幸二]]より継承後に腰が本格的にブレイクしてしまったこともあり、呪いが継承されないか不安が残る。
-本人には直接関係ないものの、2012年6月24日に、鷲のうっちーこと内村が横浜へトレード移籍することに。「ハマのウッチー…?うっ、頭が」と、頭痛や記憶障害を訴えるはません民続出。
-2012年シーズンは6月に打率1割を記録+夏場に剥離骨折するも、8月に&bold(){4割打つ}など帳尻で3割到達に間に合ったばかりか、&bold(){史上初の両リーグでの最多安打者、2年連続ベストナインに選出}となった。すごアゴ。
-2013年シーズンはWBCメンバーに選ばれ、結果走塁ミスはあったが打つ方でチームを引っ張った。シーズンでも&bold(){途中で肋骨3本を折りながらもそこから調子を上げる、というわけのわからない境地}に到達。自己最多のHRと打点をマークし、安打数でも長谷川に次ぐ2位をマーク。3年連続ベストナインに選出された。

-足に不安を抱えるため、守備は抜きん出ては上手くない。そのため、この人がライトの守備につくかレフトの守備につくかは大変重要である。なお、横浜時代は内野手をつとめていたこともある。
-良くも悪くも飾らない言動が特徴で、古巣やたかせんに緊張が走ることも。が、いきすぎたマスコミが暗に誘導している場合もあり、内川自身はそういった質問をかわしていることも多い。
-喋り慣れして[[松田>松田宣浩]]をよく突っ込んでいるものの、ボケ属性が拭いきれない感がある。
-固め打ちが多く見られ、打たない日は徹底的に打たないプロフェッショナルぶりを発揮する。鹿児島鴨池野球場との相性は滅法良く、&bold(){2年間で通算10打数9安打}と打ちに打ちまくっている。また、古巣横浜との相性も良く、交流戦ではヒットを量産している。
--2012年4月21日の鹿児島での試合も5打数5安打と大当たり。しかしお立ち台で、[[ムネさん>川崎宗則]]の代わりにと&bold(){呪いの言葉「チェスト」を叫んでしまい}、その後きっちり不振に喘ぐことに。もうチーム全体チェスト禁止にすべきである。


**ランニングホームランプレゼンターとして

-2011年9月24日の楽天戦では、鷲の「うっちー」こと内村の打球を追ってKスタのドアにぶつかり、ランニングホームランを献上(&bold(){本人は反動でドアの中へ})。
-2012年3月6日の阪神戦では、ブラゼルの打球を取り損ねてキック。再びランニングホームランを献上した。

どちらも打者がランニングホームランができるタイプではなかったことや、ツッコミ満載の内容に自他専で総ツッコミが起こる。




**エピソード

-奥様は元アナウンサーであり、&bold(){カープファン}の長野翼。奥様が飼っていた「はっさく」と「れんじ」という二匹の犬も内川家で暮らしている。2012年6月5日には、第一子となる長女が誕生ゥー!
-奥様談では肉料理が好きで、今日は肉ではないことを伝えると、あからさまにテンションが変わるらしい。トマトとピーマンが苦手。
--ニンジンなら食べれるらしく、ニンジンのポタージュにトマトを混ぜられた時は気付かず飲んだとのこと。
-第2回WBCでは攻守に渡り活躍をして、&bold(){愛子内親王の興味を惹く}。後日行われた平成初の台覧試合後には、愛子様に&bold(){ファンであることや、ブログを読んでいること、「内川さんの実家でも2匹ほど飼われているんでしょう」と言われたこと}を受け、「ビックリした。僕でいいのかな」とインタビューに答えている。…ひょっとして、日本シリーズ中に行った裸祭りのブログもごらんになった可能性が…?
-移籍直後から気を配ってもらったこともあって[[小久保>小久保裕紀]]を尊敬しており、小久保離脱時にはバッティンググローブを借りてホームランを打ったり、ローカル番組で&bold(){「もう抱いてって感じ」}と発言している。
-[[松田>松田宣浩]]とも大変仲が良く、2012年シーズン途中に松田が離脱した際には松田のバッティンググローブと松田の登場曲を使い、「どんだけ好きなんや」と住民を驚愕させた。
-鷲の鉄平とは昔からの知り合いで、「高校の頃からてっちんは不思議系だった」とコメントしている。
-顔はどうやらお母様似。
-お立ち台では大都会・大分弁でのインタビューが恒例になりつつある。その後お立ち台の機会が多くなったため、ネタが無くなって大分弁の本を読んで勉強。
-帰宅後に試合の映像を見る時1番にお立ち台から見る。
-ヒットを打った後のアゴタッチも恒例となっており、ベンチ前ではしゃぐ姿がよく見られる。
-2011年の開幕戦では、古巣・横浜が内藤雄太のサヨナラ打で勝利。それを聞いた際に、&bold(){「『お!ナイトゥー!」』と大喜びした」}と新聞に書かれる。以来、特にはませんでは活躍したキーマンや事象に対して「●●ゥー!」と使用ゥー!される。
-パーマっけがあるのか、アジアシリーズでは本人曰く「空気が日本と違うので」くるんくるんの髪になり、たかせん民を驚かせた。
-2011年日本シリーズで連敗したときに本多・松田と裸祭りを行う。&br()内川「見てれろこの手形、すごかろ~」&br()嫁「あんたたちバカじゃない?」
-横浜時代チームメイトであり、FAでホークスに復帰した寺原に「ホークス生え抜きの俺が外様のお前をビシビシ鍛えてやるから覚えとけよ!」とメールを送りつけ、「お前も外様やろ」とツッコまれる。



[[初の大分弁>http://www.ustream.tv/recorded/15076595]]
[[1・2・3ダー!>http://www.ustream.tv/recorded/16677960]]
[[内川聖一選手inシークレットトークライブ>http://www.ustream.tv/recorded/17324836/highlight/202117]]

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