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明石健志

背番号36 内野手

打撃はシュアー、送球はフワー。

-名字は「明石」だが、兵庫県ではなく北海道出身。山梨学院大学付属高校卒で、内村(DeNA)は当時の同級生。先輩には巨人松本がいた。
-2003年にドラフト4位指名でダイエーホークスに入団。同期の[[城所>城所龍磨]]、[[金子>金子圭輔]]と&bold(){顔の区別がつかない}とファンからよく言われた。
--2人とは「全員B型で気が合う」らしく、特に城所とは「とべとべホークス」内で&bold(){“俊足青春アミーゴコンビ”}と言われたことがある。
-NPBの1打席ファウル数記録保持者。


-コーチらから&bold(){「天才」}と呼ばれる打撃センスを持ち、特に三塁打の多さから「ミスタースリーベース」とも呼ばれる。元チームメイトの[[森本学]]は「初めて見た時から天才や、敵わんと思った」と折に触れて語っている。そのため、明石がヒットを放つと「天才」とスレに書き込まれることも。
-俊足と巧みなバットコントロールが武器だが、故障に悩まされたこともあってか、&bold(){やや?}送球に難がある。ショートで出場した際にはゆるふわ系送球でたかせん民の胸をときめかせる(悪い意味で)。
-応援歌は「暗い」「渋い」「地味」と言われる重低音が特徴。「ドームに響く声を受けて 今だ明石振り抜け」という歌詞であるが、2009年頃より屋外球場の場合は歌詞の「ドームに響く」のところが変わるように。
#region
-Kスタ宮城→「仙台に響く」
-千葉マリン→「千葉に響く」
-横浜スタジアム→「浜に響く」
-秋田球場→「男鹿に響く」
-帯広球場→「道東に響く」
-帯広6回限定→「六花亭に響く」
#endregion

-ルーキーイヤーに1軍デビュー。ミスタースリーベースの片鱗を見せる(下記参照)。も、2軍にいることが多かった。
-2009年にロッテ小林宏からプロ入り初ホームラン。この年、楽天岩隈に対しては、5打数5安打1四球2三塁打と&bold(){シーズン対戦打率10割}を残す。なお、この件で契約更改で微妙にゴネるも「岩隈以外からは別段打ってない」とあしらわれる。
-2010年は内外野7ポジションを守るもレギュラー定着ならず。
-2011年は故障もあって出遅れたものの、ベテラン勢の調子が上がらない中、シーズン終盤は[[福ちゃん>福田秀平]]と共に、明福コンビとして大活躍。
-2011年10月14日には、2年ぶり第2号のホームランを放つ。
--解説黒木「手首がしっかり回ってるので、球が内側にくるとライト方向へ強い打球を打てますね」→まさに内側に入ってきた変化球をライトスタンドへホームラン、というもので、黒木のドンピシャ預言に観ていた者騒然。黒木ドヤッ。
-2012年シーズンは、[[川﨑>川崎宗則]]がメジャー挑戦する中、オープン戦では大活躍で開幕スタメンショートの座を勝ち取った。が、ゆるふわ送球や疲れ、故障者続出に、なまじ基本器用なだけにたらい回しにされ、シーズン後半は[[今宮>今宮健太]]にその座を明け渡すこととなってしまった。
-2012年6月5日の巨人戦では、相手山口の開幕から24連続無失点というセ・リーグタイ記録、さらに球団ワースト記録となる連続本塁打なしを右越えソロで阻止。「記録のことは知りませんでした」とのことだが、試合結果はryだったため、正しく&bold(){実質勝利}の一振りとなった。
-2012年7月7日のハム戦で、9回2死走者なしから&bold(){19球粘って1打席最多投球数の日本記録タイを記録}(結果は四球)。65年ぶり、2リーグ制では初の記録となった。なお、15ファウルは&bold(){日本記録更新}となる。[[鳥越コーチ>鳥越裕介]]からはその後、「“前に飛ばないTシャツ”を明日から発売やな」とからかわれたもよう。
-日ハム・スレッジ故障により、補充選手という形ではあるがプロ9年目にして初のオールスターに出場決定。オメ。
--主に守備に対し住民がビクビクする中、第2戦ではセンターに抜けそうな当たりに飛び付く 超 フ ァ イ ン プ レ ー を敢行。たかせん民「奇跡」「いつもそれやれや」「あのショート欲しい」など騒然。&s(){他にめぼしい選手がいなかったこともあり}まさかまさかの敢闘選手賞をゲット。なお、第3戦ではいつも通りの守備ry


**エピソード

-ホークス選手の多くと同じように、釣り好き。優勝旅行先のハワイでも釣りをしていた。
-その外見から、チームメイトに「チャラ男」と呼ばれることも。特に、鴎に西岡が在籍した時は&bold(){「西岡と入れ替わってもバレない」}と言われたりもした。
--2012年始めは髪を染めていたものの、曰く&bold(){「師匠に言われて」}(たかせんの見解では[[小久保>小久保裕紀]])黒髪に戻している。
-オフのトークイベントで、スタッフが着ていた緑色のどん兵衛のハッピを着ることに。実際に観に行った住民曰く「とても似合っていた」とのこと。また「普通の兄ちゃんにしか見えない」とも。イベント中は、「(内川の顎に触ることができて)&bold(){うらやましいでしょ~?}」などと、不思議テンションでお送りしていたもよう。
-お立ち台では「~&bold(){ね}」と言うことが多く、&bold(){友達に対するようなインタビュー}とスレで言われる事も。なお、この件に関しては、出身の北海道方言ではないかという見方がなされてもいる。
-外見や今一つ成績が残せないためか、「熱さが足りない」と言われることもしばしばだったが、2011年8月19日ではヒロイン後のベンチ裏インタビューで涙を流したことを、球団公式Twitterに暴露されている。
>ヒロインを終えてベンチに戻ってきた明石選手。笑顔で「ああー、おもしろいコト言えなかったです!」
>しかし、ベンチ裏のインタビューでは感極って号泣!?気味に涙。「……カッコワル。(笑)」と泣き笑いでロッカーへ……
>「今年はリハビリだったり、正直辛いことが多かったです。でも、自分を信じて頑張ってきて良かったです。大好きな野球ができない、本当に苦しかった。大声援、たくさんの勇気をくれてます。全てのファンの方に感謝です。」
-内外野に限らず、その気になれば&bold(){捕手もこなせる}器用な選手。
--2011年8月26日の鷲戦で[[細川>細川亨]]が怪我をした際、万一に備えて細川の防具を身につけると、何事もなく[[ムヨン>金無英]]の球を受けている姿が目撃されている。なお、本人は小中時代も本格的な捕手経験はないが、ムヨン曰く「直球も変化球も普通に取れてましたよ。安心して全力で投げ込めました」とのこと。明石△である。
-入団当時から凡退時は悔しさを露にし、[[城所>城所龍磨]]からは「&bold(){凄まじい奴。}でもこういう奴こそプロで残るんだろうな」という第一印象を抱かれていたらしい。ちなみに一軍定着は城所の方が先である。
--入団前には野球雑誌に情報がほぼなく、城所が「明石ってどんな選手ですか?」と尋ねると、スタッフから「隠し玉」と返事されたのだとか。その後、プレーを目にして「どうしてこんな凄い選手が取り上げられないんだ」と驚いたとのこと。
--明石本人は「プロ野球選手になれなかったらどうしていたか」という質問にも「? なれるものと思っていました」と飄々と返している。
-好きな女性のタイプは「自分を上手に転がしてくれる人」。そんなタイプか定かではないが、2012年11月25日に年上の女性と結婚することを発表。
-2012年シーズン前こそ、[[今宮>今宮健太]]とポジション争いを行ったが、普段は普通に仲良く、物をあげたりしている。


**ミスタースリーベース

-ルーキーイヤーのプロ初安打初打席が三塁打(相手は檻の川尻)。
-二軍時代にもその年の最多三塁打の8を放っている。
-2011年は打席数が105ながら、チームメイトの[[ムネ>川崎宗則]]・[[ポン>本多雄一]]・[[マッチ>松田宣浩]]に次ぐ5本の三塁打を放っている(&bold(){パ・リーグ内3位})。
-2012年3月3日放送のローカルスポーツ番組「ビバスポ」にゲスト出演した際には、「2011年に何本の三塁打を打ったか」がプレゼント当てクイズ問題に出される。


**明石の19球
-2012年7月7日のハム戦9回表の明石の打席内容。1打席19球は日本記録タイ。15ファウルは日本記録である。なお、この打席中ボール球以外はすべてファウルであった。

>1球目 ボール
>2球目 ファウル
>3球目 ファウル
>4球目 ファウル
>5球目 ファウル
>6球目 ファウル
>7球目 ファウル
>8球目 ボール
>9球目 ファウル
>10球目 ファウル
>11球目 ファウル
>12球目 ファウル
>13球目 ファウル
>14球目 ファウル
>15球目 ボール
>16球目 ファウル
>17球目 ファウル
>18球目 ファウル
>19球目 ボール=四球

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