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江川智晃

背番号43 外野手

-2004年にドラフト1位指名を受け、宇治山田商業高校よりダイエーホークスに入団。
-期待も大きく、入団後は背番号「8」を与えられる。
-隠れエースキラーであり、初打席・初安打は&bold(){松坂大輔}、初打点は&bold(){西口文也}、初HRは&bold(){吉井理人}、第2号HRは&bold(){ダルビッシュ有}から記録している。ただし好調期の短さと怪我から長期レギュラー獲りに毎年苦労している。それゆえ一軍定着以前までは「二軍の帝王」と呼ばれた。

-入団後は、同期の[[中西>中西健太]]と共に海外派遣されるなど帝王学を注がれるも、一軍で成績を残せないまま、後に外国人選手イ・ボムホの加入で背番号剥奪→「43」へ。
-足は遅くないものの、走塁にやや難があり2010年の檻戦では一打サヨナラの場面で代走として起用される。が、&bold(){牽制アウト→即試合終了}を招き、しばらくスレでは牽制アウトを&bold(){「EGAWA」}と呼んだ。しかしここでも定着できず、現在では牽制アウト=「KIDOKORO」と、[[城所>城所龍磨]]にそのポジション(?)を奪われている。なお、プロ入り後一番辛かったことについて尋ねられた際には、やはりこのEGAWA事件を挙げている。
--ちなみに初盗塁を決めたのは2012年5月5日で、2006年5月5日の初出場から6年越しでの達成となった。
-2011年の打撃成績は、&bold(){打率.111(9-1)1HR1打点8三振}と、ある意味清々しい。このうち、打ったホームランは&bold(){ヤフド}で&bold(){ダルビッシュ}から&bold(){逆方向}に放ったものである。
-2012年4月8日の獅子戦では今季初スタメン。試合を決定づける三塁打を放ち、ヒーローとなった。が、インタビューでは&bold(){「プロ初スタメンです」と勘違いされる}。おまけに、[[ぺーにゃん>ウィリー・モー・ペーニャ]]に第1号HRが出たことや、翌日は&bold(){新聞休刊日}であったことなどが重なりすっかり影薄扱いに。&italic(){江川ェ。}
--ちなみに、打った相手は石井一久であり、ここでも無駄に大物食いであるところを見せている。持っているのかいないのか。
-2012年シーズンには故障による離脱が長期に渡り、出場試合数56試合に留まるも、あらゆる項目で自己最高を更新。迎えた2013年シーズンは、外野争いが熾烈を極める中、ちょこちょこ出場。ホークスでは&bold(){城島以来}となる高卒出身選手2桁HRを決めるなど確かな成長を見せた。
-2014年シーズンは開幕一軍入りを果たし、レギュラー陣の負傷から出場機会が増える…と思われたが、吉村が結果を残したため出場機会はそう増えず、なんとも歯がゆいシーズンに。が、11月10日の侍ジャパンVS鷹ハム連合試合では連合チーム側のなんと四番に座り決勝打を放ちヒーローに!友人には&bold(){「ヒーローインタビューが途中で打ち切られてたね」}と声を掛けられたそうだが、日米野球の途中までは日本が無敗であったため、&bold(){江川世界最強説}が囁かれた。



**エピソード

-巨人の中井大介とは出身高校が同じで、中井が高校生の時には「江川二世」と呼ばれていたこともある。
-ハリーホーク曰く、&bold(){得意技はネガティブ発言}。『月刊ホークス』にて[[福田>福田秀平]]がネガティブ発言をした際には、インタビュアーから引き合いに出された。
-2012年シーズンは開幕一軍メンバー入りするも、手違いで決起集会に呼ばれず「餃子の王将でご飯を食べました」と&bold(){一人決起集会}を行ったもよう。
-同期であり、かつての帝王仲間の定岡卓摩とは今も交流が続いているようである。
-好物はカレー。曰く、「自分、米にはうるさいんですけど、カレーに関してはどんな米でも包み込んでくれるんで」
-幼い頃は巨人ファンで、特に高橋由伸ファンだったのだとか。&bold(){「キラキラしていて王子様みたい」}だったそうで、初めての巨人戦では特別緊張したらしい。
-片付けが苦手で、[[鶴岡>鶴岡慎也]]曰く「だらしないところが可愛い」のだそう。

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