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白根尚貴」を以下のとおり復元します。
白根尚貴

背番号65 内野手

-2011年ドラフト4巡目で開星高校からホークスに入団。入団当初の背番号は「55」。
-その恵体から、プロ入り前の報道などで&bold(){「ジャイアン」}と呼ばれていたが、本人としては小学校からのあだ名「マル(※マルティネスから)」と呼んでほしいとのこと。
-母子家庭で育ち、かつて色々やんちゃをしたことがテレビの特集で取り上げられる。なお、母との関係は良好であり、母親からの「暴れまわって来い」とのメールに「は〜い^0^」と絵文字付きで返信するなどお茶目な一面も。


**高校時代

-甲子園には投手として春夏出場。常時140キロ台の力のあるストレートと130キロ台のスライダー、落差のあるフォークを操る本格派であり、マウンド及び打席での高校生とは思えない貫禄から&bold(){「開星組の若頭」}と呼ぶ人も。実際、チームメイトを励ましている場面は、&bold(){恫喝にしか見えなかった}とか。
-なお、2010年春の甲子園では、&bold(){味方が平凡なフライを落下して負け}という未だ「開星のセンターwwwww」と揶揄されることをやらかしたこともあり、白根自身は当時を振り返って&bold(){「忘れたくても忘れられない」}とコメントしている。
-体型の通り足は遅く、甲子園では実況アナウンサーからも&bold(){「今白根がゆっくりと2塁に到達」「巨体を揺らしながら」}などとことある事に言われる始末。と思いきやスクイズの際には意外な俊敏さを見せつけ、観ていた者を爆笑の渦に巻き込んだ。


**ホークス入団後

-本人も足の遅さを自覚しており、入団会見の際は&bold(){「目標は3割、30本。30盗塁は無理なんで100打点。練習して脂肪を筋肉にしたい」}と述べている。開星の野々村監督からも体重を絞るため繁華街禁止令が出た。
-&bold(){新人合同自主トレ初日、足がつったため途中リタイア。}ちなみにルーキーでいきなりリタイアというのは、他に[[この人>大隣憲司]]などが挙げられる。恵体の系譜か。
-西武のおかわりくんと博多ラーメンにちなみ「自分は福岡のチームなので、おかわりではなく&bold(){“替え玉君”}でいきます」と発言。
-が、上記発言した翌日に、よりによって&bold(){リタイアを替え玉}してしまう。誰得。さらに手術で今季ほぼ絶望となることが確定。[[星の煌めきを感じる人>星野大地]]に続き、まさかの&bold(){2年連続ドラ4位が1年目絶望}となる。なお、手術後は別人と見紛うほど体を絞っている。

-2013年1月に、背番号「55」を[[ペーニャ>ウィリー・モー・ペーニャ]]に譲渡。新背番号は「65」となった。
-2013年2月22日には、キャンプB組の練習試合で手術以来初めて出場。「プロ初実戦初打席」でサヨナラヒットを決める。試合を決めたバットは、応援に来ていた白根母へ渡された。
 



**エピソード

-道の真中を歩いてると他の人があけてくれるのでなるべく端っこを歩いている。
-2012年の時点で、私服からやや[[かぷてん臭>小久保裕紀]]がする。今後の私服が要チェックである。
-[[釜元>釜元豪]]とは仲が良いらしく、二人で観覧車に乗ったりしちゃう仲。

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