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白根尚貴 - (2012/01/10 (火) 00:50:05) の編集履歴(バックアップ)
白根尚貴
背番号55 内野手
- 2011年ドラフト4巡目でホークスに入団。
- その恵体から、プロ入り前には既に「ジャイアン」と呼ばれていたが、本人としては小学校からのあだ名である「マル(※マルティネスから)」と呼んでほしいとのこと。しかし、スレでは既にジャイアンAAを模したものが使用されている。
- 背番号「55」といえば、近年では大道や小斉などスラッガータイプが付けているが、特に小斉は雁ノ巣の帝王のままトレードされてしまったという過去もあり、帝王化はくれぐれも避けてもらいたい。
- 母子家庭で育ち、かつて色々やんちゃをしたことがテレビの特集で取り上げられる。なお、現在母との関係は良好であり、母親からの「暴れまわって来い」とのメールに「は〜い^0^」と絵文字付きで返信するなどお茶目な一面も。
- 甲子園には春夏と出場経験を持つ。当時は、常時140キロ台の力のあるストレートと130キロ台のスライダー、落差のあるフォークを操る開星高校の本格派投手で、マウンド及び打席での高校生とは思えない貫禄から「開星組の若頭」と呼ぶ人も。実際、チームメイトを励ましている場面は、恫喝にしか見えなかったとか。打者としても、最終的に甲子園通算で打率七割五分という成績を残した。
- なお、2010年春の甲子園では、味方が平凡なフライを落下して負けという未だ「開星のセンターwwwww」と揶揄されることをやらかしたこともあり、白根自身は当時を振り返って「忘れたくても忘れられない」とコメントしている。
- 体型の通り足は遅く、甲子園では実況アナウンサーからも「今白根がゆっくりと2塁に到達」「巨体を揺らしながら」などとことある事に言われる始末。と思いきやスクイズの際には意外な俊敏さを見せつけ、観ていた者を爆笑の渦に巻き込んだ。
- 本人も足の遅さを自覚しており、入団会見の際は「目標は3割、30本。30盗塁は無理なんで100打点。練習して脂肪を筋肉にしたい」と述べている。
- 開星の野々村監督から体重を絞るため繁華街禁止令が出た。
- 道の真中を歩いてると他の人があけてくれるのでなるべく端っこを歩いている。
- 新人合同自主トレ初日、足がつったため途中リタイア。ちなみにルーキーでいきなりリタイアというのは、他にこの人などが挙げられる。