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千賀滉大 - (2015/08/19 (水) 01:05:04) のソース

千賀滉大

背番号41 投手 右投左打

-名前の読みは&bold(){「せんがこうだい」}。本人曰く、&bold(){「6:4の確率で『ちが』と呼ばれます」}とのこと。
--俳優の岩城滉一にちなんで名付けられたのだとか。
-MAX156キロの直球にスライダー、フォークが武器。中継ぎ仕様の投球フォーム(※肩への負担を少なくするため)が[[あの人>斉藤和巳]]に似ていると言われることも。落差のあるフォークに関しては、[[怜王>近田怜王]]に連れて行ってもらった自主トレ先で、竜の吉見一起に教わったという説が有力。
-2010年育成ドラフト4位で、愛知県蒲郡高から入団。

-2011年シーズンは3軍で投げることがほとんどで、ウエスタンリーグ出場歴はなし。[[あやつぐ>山下斐紹]]曰く「入団当初はストライクが全然入らなくて、変化球を要求することさえ難しかった」そうだが(&bold(){「ストライクボールを投げられるようになったのが信じられない」とは高校時代の仲間達の弁})フェニックスリーグは中継ぎで4試合に登板し、通算3回1/3を無安打無失点に抑えた。2012年春季キャンプにて、育成選手ながら紅白戦で登板機会を得、きっちり投げてたかせん民をめろめろに。オープン戦でも期待を受け、参観モードで応援される。
-2012年4月23日に支配下登録を受ける。背番号はなんと&bold(){エースナンバー「21」}で、この大躍進に本人は「支配下もうれしいけど、21番がうれしい」と感想を述べる。背番号については「うわっ、マジか!?」と思ったとのこと。
-2012年4月30日に1軍初登板。ご両親と高校の恩師が見守る中、&bold(){3回までノーヒット}。ホークス鬼門の千葉マリン球場ということもあって4回途中3失点KOも味方の援護で負けつかず。最後はやや自滅という形になったが、解説黒木からは「降板後のコメントが冷静」、[[かぷてん>小久保裕紀]]からも「球威もキレもある。この世界で十分メシを食っていける。ロッテの選手が一塁に来るたび、千賀を褒めとったよ」と褒められた。ベンチでは[[高山コーチ>高山郁夫]]に頭を撫で回され、BS実況に「親子のよう」と言われる。リベンジ期待してるバイ!
-その後は雁ノ巣漬けになるも、6月29日にウエスタン阪神相手に140球を投げ、うれしいうれしい初完封をマーク。[[二保>二保旭]]と共にWエースとして勝ちを重ね、ウエスタン優勝に貢献した。ウエスタンでは防御率1.33とし、僅差で二保を破って最優秀防御率のタイトルをゲットと、めきめき進化中。

-2013年1月に[[岩嵜>岩嵜翔]]と&bold(){背番号をシャッフル}。新背番号は「41」となった。しかし、一時でもその潜在能力から「21」を託されたのは確かなので、ぜひ奪還するくらいの活躍をしてほしい。

-2013年4月17日に鷲戦にて1イニング4奪三振達成! ちなみにホークス内で4奪三振達成者は[[プブ>斉藤和巳]]と[[カナザー>金澤健人]]と[[おすぎ>杉内俊哉]](巨)[[オカジ>岡島秀樹]]の4人。5月12日の西武戦では同点の7回から2イニングを投げ、その間にチームが勝ち越しプロ初勝利を挙げた。以降は、救援投手による公式戦連続無失点イニングのパ・リーグタイ記録を樹立。さらに、中継ぎにも関わらず&bold(){夏頃まで奪三振ランキングベスト10入りするというおかしい事態}が続いた。
-2013年のオールスターに監督推薦で選出されると、第2戦に登板。2回を投げて、4者連続三振含むを5奪三振を記録し、この日猛打賞の[[長谷川>長谷川勇也]]と共に敢闘賞を受賞した。ちなみに、2回5奪三振という記録は、[[工藤公康]]が記録した1991年以来とのこと。実働一年目ながら投手事情で登板数が多かったこと、度重なる配置転換等や故障により、後半は二軍落ちしてしまったが、千賀の今シーズンは[[攝津>攝津正]]の「お前がいたからチームは前半戦、この順位にいることができたんだぞ」という言葉に凝縮されている。
-体を鍛える日々が続くも、2015年8月18日に今季初一軍に上がると檻戦で3年ぶりに先発登板。7回0封で先発初勝利を手にした。



**エピソード

-学生時代はとにかく落ち着きがなく、なかなかやんちゃであったらしいことが当時の先生や同級生の口から語られている。
-[[二保>二保旭]]とは仲が良いらしく、トークショーでも「(千賀の性格は)一言でいえばテキトーです。ほら!今も先輩がまだ手をつけてないのに自分だけさっさと水飲んで」など、冗談まじりに突っ込まれている。
-千賀家の人々曰く、千賀の妹さんの方が昔からコントロールが良く、野球の才能もあったそう。妹さんから若鷹魂を感じる…?
-入寮時は「野球小僧」を持参。「同級生の評価を読むと、負けていられないと思う」とのこと。後輩の[[武田>武田翔太]]が早々初勝利をおさめた際にも「正直、悔しかった。悔しい と思えないならここにいる資格はない。負けたくない」とコメントを寄せている。
-2011年新人トレ初めての休日には、他選手が買い物に出かける中ただ一人休日返上で練習していたらしい。テレビで西武戦が放映されているのを観て、やる気が湧いてきたのだとか。
-新人自主トレで、同期の[[柳田>柳田悠岐]]がマウンドから投球し&bold(){140km/hオーバー}したのを見て「やばいやばい。野手であんなに速いなんて、俺なんかやっていけない」と思うなど、いきなり不安になったそう。後に「あれはたまたま見た相手(柳田)が規格外なだけだった」と回想している。
-NHK福岡のインタビューで武田一浩臨時投手コーチが&bold(){「真っ直ぐの質がとてもいい。過去25年くらいプロ野球にいて、3本の指に入る」}と発言。桑田真澄にも「佐々木くん(元横浜の佐々木主浩)を思い起こす」とまで言われている。
-幼少時は地元・中日ファンである父親に連れられ、何度もナゴドへと観戦したそうだが、千賀本人が憧れたのは当時阪神に在籍した金本の姿であったらしい。千賀の投球を初めて見た中日二軍首脳陣は大絶賛。地元出身の好素材を獲得候補に入れなかった地区担当スカウトは首脳陣から呼び出され大目玉を食らったとのこと。
-2012年3月31日放送の『VIVAスポ』内で特集を組まれ、「投げる手首の角度が野茂英雄や藤川球児と同じ」「あの腕の振りをいじってはいけないと思った」と、身体能力の高さを科学的に立証される。
-2012年4月の西スポコラムやローカル番組にて、[[ほあっさん>帆足和幸]]FAの人的補償として&bold(){真っ先に千賀が検討されていた}ことが判明。育成選手は対象にならないこともあり免れたようである。実現していたら千者爆誕だったのだろうか。
-「スラムダンク」が大好きで、2012年に「ホークス花の応援団」に出演した際には、花道と流川がタッチする場面を待ち受けにしていると語っている。
-初勝利が舞い込んだ2013年5月12日の初ヒロインでは、なかなか落ち着いてしゃべるも、この日が母の日ということもあり、母へのメッセージをインタビュアーに頼まれると一転。「今マデアリガトウゴザイマシタ。コレカラモ見テイテクダサイ」と、気恥ずかしさからか&bold(){片言喋り}となり、住民を爆笑させた。
-好きな食べ物はイチゴで、高校の仲間内ではイチゴ好きっぷりが有名だったらしい。カレーは甘口派。
-オリへFAした[[山崎>山崎勝己]]からの「移籍後の初球はゆっくり投げてくれよ」というお願いに「そもそも打席に立つんですか?」と豪速球で返している。
-2014年のファンフェスでクイズに答えた際には、妖怪ウォッチの「ジバニャン」を&bold(){「ジバニァン」}と書くも、バレずに正解となった。