中西健太 背番号58 外野手 -2004年ドラフト4巡目指名でホークスに&bold(){捕手として}入団。背番号は当時「27」であったが、2011年は「31」、2012年からは「58」を着けている。 -現在同期の[[江川>江川智晃]]と共に、&bold(){帝王道}を歩みつつある若鷹。パンチ力のある打撃が持ち味。 -「ガーシー(滋賀)コンビ(by松田)」の一人。 -滋賀県北大津高校出身で、一年時から正捕手をつとめ2003年夏には母校初の甲子園出場へ導く。一回戦ではダルビッシュ率いる東北高校とあたりフルボッコにされるが、自身はダルビッシュからヒットを2本放っている。 -2006年には英才教育を受けていた[[江川>江川智晃]]と共にウインターリーグへ派遣。 -2008年からは捕手争いが激しかったことから、外野手登録となった。同年に初の一軍入りを果たすと初安打や初本塁打、初猛打賞などを記録。来シーズンの活躍が期待されるも、翌年は初の一軍開幕スタメンこそ果たすも、[[長谷川>長谷川勇也]]の台頭で鳴りを潜めてしまった。 -2011年には&bold(){3年ぶりに捕手登録}となり、3番手キャッチャーとして夏に一時一軍に上がるも&bold(){代走中に走塁でやらかし怪我→2軍sage}となった。&italic(){おお、もう…。} -2011年オフの感謝のつどいの場では、元同級生であり戦力外通告を受けた高橋徹に花束を渡す役目をつとめた。 -2012年シーズンは、在団中の唯一の同期・[[江川>江川智晃]]が活躍する中、5月5日に1軍age。翌日3年ぶりにスタメン出場し、第一打席でバックスクリーン弾を放って[[滋賀の先輩>松田宣浩]]らとお立ち台に上がった。 --この日のHRボールは、ヒロイン中に片付けられてしまい、本人の手元に戻らないことに。なお、この日の前日、高橋徹に「打つから」と宣言していたようである。 -迎えた2013年シーズンは、二軍で93試合に出場。打率.323、101安打、9本塁打、出塁率.417という好成績で、同リーグの首位打者および安打数・出塁率1位と二冠王になったが、シーズン終了後に戦力外通告を受けた。幾度もポジション変更が行われる・激しい外野手争いが勃発など大変であったが、成績を残し続けプロ生活を続けられたのは、ひとえに練習の虫であった本人のひたむきな頑張りゆえである。 -通告を受け、本人は「やりきったんで…。その思いの方が強い。これから家族と相談しますが、たぶんもう野球はやらないと思う」「入ったころは9年もやれるとは思ってなかったので…」「自分一人なら野球にこだわるかもしれないけど、家族もいるので」とと現役を続ける意志がないことを語っている。 **エピソード -2011年12月に、中学からの同級生であった奥様と結婚。2012年9月29日には第一子となる男の子が誕生している。 -元ホークスの大西宏明と大変仲が良く、大西在籍時代は「今日も健太くんと一緒!」と繁盛に画像をブログにアップされていた。 -背番号が「31」になった時には「31番は[[柴原さん>柴原洋]]が付けたり、いい番号だと思う。これをいいきっかけにしたい」と発言していた。 --そんな思い出の背番号「31」も2012年に[[給料泥棒>ブラッド・ペニー]]に奪われることに!「背番号また変わってもうた…」と消え入りそうな声で落ち込む中西に、「何番でもいいやん!」と奥様が明るく返してくれたことで、奮起したらしい。