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釜元豪 - (2012/06/01 (金) 15:15:41) のソース

釜元豪

背番号122 外野手

-2011年育成ドラフト1位指名で長崎県の西陵高校から入団。
-右利きだが、イチローに憧れて幼少期から左打ち。川﨑「」
-ホークス入団を希望していたが育成指名は想定しておらず、通常ドラフト終了後「受験勉強して、大学に入って野球をしたい」と報道陣に明かした直後に育成枠で指名される。「普通のドラフトで指名されなくて落ち込んでいたが、それでも挑戦したい気持ちになった」とプロ入りを決意。
-西陵高校時代は国立大学を目指すクラスに所属するなど、学業成績も良かったらしい。長崎県人として、初の県立普通校からのプロ野球選手となる。なお、本人は当初「野球かソフトボールを教えたい」と教員を志していたもよう。
-2011年の夏の県大会では松田遼馬(阪神)から2本のタイムリーを放ち、「プロ注目の松田くんから打てて自信になった」と語っている。

-2012年2月21日、富士重工との練習試合に[[新崎>新崎慎弥]]と共に「6番レフト」として出場すると、いきなり3打数2安打2打点の活躍。球団公式ツイッターには「育成のイケメンルーキー」と評される。
-2012年4月2日、履正社学園との試合で活躍すると若鷹スピーチの指名を受ける。ハキハキとした声で&bold(){「自己紹介を始めます!背番号122、全部足したら『5(豪)』です!」「好きな食べ物はカレーです。差し入れ待ってます!」}と喋り、拍手を浴びた。あれっ、またアホの子枠…?
-2012年5月29日、韓国遠征のSK二軍戦で守備機会中に左手首を複雑骨折。翌日帰国し、左手関節の橈骨遠位端骨折と診断される。打撃好調であっただけに住民ガッカリ。[[長谷川>長谷川勇也]]も同じような経歴を辿っているため、これが活躍フラグだと願いたい。