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五十嵐亮太 - (2013/06/19 (水) 10:47:03) のソース

五十嵐亮太

背番号53 投手 右投右打

-ご存知&bold(){「球界のキムタク」}。豪速球投手。
-北海道留萌市出身。元ホークスの本間満や若松勉は同郷にあたる。
-誕生日は5月28日で山省と同じ(年齢は五十嵐が一つ下)。

-1997年ドラフト2位でヤクルトに入団。以降は2000年に古田と最優秀バッテリー賞、2004年に最優秀救援投手賞(37セーブ)を獲得。当時日本人最速タイの158km/hをマークし、チームメイトの石井弘寿と共に「ロケットボーイズ」としてセットアッパー、抑えをつとめた。
-相次ぐ故障に見まわれながらも、2008年にFA権を行使しメッツへ移籍。その後、ブルージェイズなどを渡り歩き、2012年11月にホークスへ入団した。[[岡島>岡島秀樹]]で味をしめすぎや!横浜DeNAとのトレード騒ぎが冷めやらぬ中での電撃入団に、全住民が驚いた。[[江尻>江尻慎太郎]]と共に「イケメン枠獲得」とも囁かれている。背番号は燕時代と同じ「53」。

-2013年当初はリリーフとして期待されるも、だんだん成績を落とし2軍行きを志願。マウンドの硬さの違いに慣れなかったようで、2軍の柔らかいマウンドで登板することで感覚にも慣れ、安定した成績を残している。


**エピソード

-娘と息子が一人ずついる。
-料理中に誤って指を怪我し、登板が飛んだことがある。
-入団の決め手は王会長の評価だったようで、入団会見でも会長にユニを着せてもらう際は「わー、嬉しい!ゆっくり着ますから、いっぱい写真撮ってください!」とカメラマンにおねだりしている。うーん、この可愛い三十路。
-高校生の時に初めて野球選手からサインを貰う。ちなみに、その野球選手とは当時西武に在籍していた[[秋山監督>秋山幸二]]だったそうな。猛鷹魂はこの時から始まっていた…?