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下沖勇樹 - (2013/04/28 (日) 22:28:23) のソース

下沖勇樹

背番号123 投手 右投右打

-チーム内での愛称は「シモ」。
-顔が[[監督>秋山幸二]]や[[新垣>新垣渚]]に似ている。入団会見でも話を振られ、「(監督に)実際に会ってみて、似ていると思った」と答えている。
-投球フォームは入団当初はスリークォーターだったが、現在はサイドスローへ転向中。
-2009年ドラフト3位指名で光星学院から入団。背番号は「65」。
-巨人・坂本は高校の先輩にあたり、中学生だった下沖が光星学院の練習見学に訪れた際、光星の監督から「ウチに来るよう口説いておけ」と根回しされたのだとか。

-高一にして登板の機会を得ると、参考記録ながら5回ノーノーを達成。エースとなり、以降は同郷だった西武・菊池雄星と2回対戦している。
-入団一年目にはキャンプ内容が評価され、6月に12球団高卒ルーキー内一番乗りで「戦力として([[高山さん>高山郁夫]]談)」一軍昇格した(出番はナシ)。
-2011年のオープン戦では2番手で登板。打球をファウルと判断し、走らなかったことで[[かぷてん>小久保裕紀]]に「思っていても走らんかい!」とお説教をくらう。&bold(){下沖といえばこのイメージ}、というたかせん民も多い。下沖ェ…。
-臨時コーチ武田一浩に「下半身が川上憲伸のよう」と絶賛されたり期待を受けるも、右肩痛を発症。出場が決まっていたフレッシュオールスターも辞退し、[[川原>川原弘之]]に譲ることになった。
--皮肉にも川原はこの時に154km/hをマークし、全国ニュースで取り上げられた。
-以降は、約2年実戦登板がなく、2012年の登板は8月に三軍戦の1試合だけで、現在もリハビリ中。一度戦力外通告を受け、育成契約を結んだ。新背番号は「123」。今は肩への負担を減らすために、スリークォーターからサイドスローへのフォーム改造に取り組んでいる。人手不足により、野手として出場することも。



**エピソード

-入団後の巨人戦で、高校の先輩坂本に挨拶しようとするも、「いた!」と&bold(){間違えて大田泰示に駆け寄った}ことがある。